関東軍

関東軍はノモンハン事件(1939年5月〜9月)当時、全体で20数万人だった。
関東軍(満州)
時期人数その他・備考
1938年1月末119,955馬匹現在数18,964*1
1939年5月31日239,238馬匹現在数28,483*2
1941年関特演約70万馬約14万、飛行機約600*3

航空兵力

航空機は「在満部隊の飛行機定数は第一線機二一三、戦隊予備(保用)機七一、補給予備機七一合計三五五機であったが、保用機及予備機は殆ど充足されて居らず又第一線機は修理、定期手入の為野戦航空廠に送られ現実に活動して居たのは概ね定数の三分の二程度であった。」*4
ノモンハン事件当時の在満飛行戦隊及其の担任野戦航空廠並に飛行機定数*5
(戦=戦闘機、偵=偵察機、重=重爆撃機、軽=軽爆撃機)
飛行戦隊補給担任野戦航空廠
所在地機種定数名称所在地補給予備機
第一線予備
孫家27936第十二平房
(ハルピン近傍)
18628
ハルピン27936
新京18624
公主嶺12416
チチハル18624第九楡樹屯
(チチハル近傍)
9615
白城子27936
牡丹江27936第八蘭崗184628
18624
杏樹27936
佳木斯 重12416

満州国軍

なおノモンハン事件当時の満州国軍については、以下の記述がある。
満軍の状況を観察するにその総兵力は八〇、一八九名にして平時は皇帝に直属するも実質的には満軍最高顧問を通じて関東軍司令官の掌握下にあり但しその戦力訓練不十分にして大部は討匪作戦に充当し国内治安を辛うじて維持し得る程度に過ぎず靖安師(歩兵師団)と興安師(騎兵師団)のみ僅に次等正面の対外作戦に補助的に使用し得る程度にあり。*6

極東ソ連軍

一方極東ソ連軍は、ノモンハン事件の頃には関東軍の2倍の兵力があり、飛行機数の差は更に大きかった。
極東ソ連軍(日本参謀本部の判断に基く)*7*8
年次狙撃師団騎兵師団戦車数飛行機数潜水艦数総兵力備考
1937約203約1,500約1,56067約37万乾岔子事件、日華事件勃発
1938約242〜3約1,900約2,00075約45万張鼓峰事件
1939約302〜3約2,200約2,50090約57万ノモンハン事件
1940約302約2,700約2,800103約70万
1941約232約1,000約1,000105約60万日ソ中立条約、独ソ開戦

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