基本情報


略歴

アトレティア国将軍。
彼が仕官していた頃のアトレティア国は、国王は存在していたが、実質的には軍事顧問ジルダーの支配下であった。
ただし、ジルダーは表立って名を出すことを嫌い、王座を脅かすこともしなかった為、その存在すら一部の者しか知られていなかった。

ガザデルーは、ロザンドポルスフォックロンドといった、当時ジルダーからダルスバード艦隊を与えられ、自由に軍事行動をとることを許された最高位の将軍の一人であり、シゴラガジャバリナシャラマリミアといった、同郷の者で自らの派閥を形成していた。
しかし、ロザンドポルスとは常に「ジルダーの後継者」を狙うという、水面下で反目しあう関係であったため、少しでも自身の立場を強化しなければならなかった。

ザールック3325年、マドリアル攻略で手柄を上げると、自身の同胞であるバリナに艦隊を預ける。
ガザデルーは、いつかジルダーの地位を奪おうと考えていた為、その時に備えて自分の命令で動かすことができる戦力を増強させたかった故の行動であるが、同じく野望を抱えていたロザンドポルス達はこの露骨な行為に、更にガザデルーに対して警戒心を抱く。

3328年8月、セロナバルス国を攻め落としたロザンドが、勝手に王を名乗ると、これに怒り、両者の対立がいよいよ表面化していくが、ロザンドは、後にビーストバリア国の強襲を受けて壊滅するため、実際に両者が戦火を交えることはなかった。

3329年、最大の激戦として戦史上に名前を刻むリゼルバの戦いにも参戦。
しかし、この戦いの最中にジルダーが出奔したと知ると、アトレティア内乱を予知、その場合の戦局を考えると、ここでリゼルバを占拠しても維持に戦力を割くだけで荷物になると判断、すぐに全軍に撤退命令を出し、ロザンドポルス達との後継を巡っての内乱に突入する。
こうしてはじまった3330年のアトレティア内乱に際しては、バリナを派遣してミラニア国を統合し、地盤を固める一方で、ラクトの戦いに勝利、ポルスを処刑して内乱の勝者となる。

彼を止める者は国内にはもはや存在せず、ガザデルーはアトレティア王を名乗り、それまでの王族を廃嫡し、全ての権力を手に入れると、内乱に際してうろたえるだけだったフォックと、この内乱に全く興味を示さなかったセルカティーナの兵権を奪い隠居させ、その戦力を吸収し、自らの派閥に軍事力を集中させ、完全なる独裁体制を作り上げた。

しかし、内乱平定で疲弊した所に、サルファーの策で各地で反対派が一斉に蜂起し、その鎮圧に兵力を割いた状態で3331年アーズ国との決着をつけるべくルクフェルの戦いに挑むが、この戦いで同郷の仲間も全て戦死し、敗北を認め、自らも戦場に散った。

人物

  • ガザデルーやロザンドが、ジルダーから六界のことを聞かされていたのかどうかは長年論評が別れていたが、最近では「聞かされていなかった」という説が有力である。

関連項目

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