読者の騙し方
古代史の珍説奇説が世に受け入れられる下地というものは、「定説」を斬って捨てる爽快感とでも申しますか、「権威」の虚飾を暴き、世に憚る巨悪をなぎ倒すといった、そういう快感を我々自身が心の底で求めていることにあります。
歴史学のどこに巨悪が潜んでいるかというと、そんなものは居ないのでありまして、単なる代償行為であります。
しかし宝が必ず出るから発掘費用を出せといわれたら騙されなくとも、象牙の塔内にふんぞり返っている頑迷固陋な権威者を完膚なきまでに論破するといえば文庫本程度の出費なら笑って騙されてくれます。
騙されたがっている人間を騙すほど簡単なことはありません。賢い「珍説」家は、読者の、こういった希求を敏感に汲み取り、彼らの著作にツボを押さえた名場面を用意します。
中にはわかり易く『真の歴史を葬り去ろうとする権力者の影』などにも言及して盛り上げてくれる方もありますが、これは余りやり過ぎると胡散臭くなってしまいますので、程度の加減が肝心なところです。
古代史の『新学説』を作る最も手早い方法は、無論『嘘をつく』ことであります。
もともと古代のことですので確認済みの事実自体が少ないため、ポイントだけ押さえればあとは言いたい放題です。よく「人間いちど嘘をついてしまう、次から次へと嘘を嘘で塗り固めていく破目になる」と言いますが、何の事はありません。嘘など舌の一枚もあれば幾らでもつけます。
それでは、騙しのテクニックを幾つかご紹介致しましょう
手に入りにくい史料や専門書の場合は露見することはまず有りません。文庫本で簡単に手に入る古事記や日本書紀でも、原典と突合して読む読者はごく少ないので、さして危険は有りません。
この極端な例を挙げてみましょう。
1 「常識を疑うのは学問の在り方として健全なことである。」
2 「常識を疑うのは非常識である。」
3 従って「非常識が正しい。」
上記2にトラップが仕掛けてあります。所謂、「選言不完全の虚偽」です。
例:
1 「Aさんの引いた籤はハズレだった。」
2 「B君の引いた籤もハズレだった。」
3 従って「最後の一つ、私の籤がアタリだ。」
実は、全部が空籤
いわゆる、「選言不適切の虚偽」です。
例えば、イメージ刷り込みや摺り寄り論法との併せ技として威力を発揮します。
もちろん、作った「法則」には、「金看板」法に基づき、ご大層な名前をつけます。
むろん、ぐるりと一回りさせて循環論証し、何一つ根拠なく「強固な理論」を組上げることも出来ますが、誘拐の身代金に支払う新聞紙の札束の一番表側のように、少なくとも目につくところ数個所は読者を納得させる「常識的」な根拠を配置しておかなければなりません。
次に、予想される反論「Aではない」を掲げ、これを論破してみせて、 「Aである」ことが否定できないことを以って自説の証明であるかの如く飾ります。自分で考えた「予想される反論」ですから論破するのは簡単です。
駄目押しに「彼らは、定説の根幹を揺るがす重大な問題提起に対して、満足な反論も用意できないまま放置しておきながら、依然として定説を信奉している。」とでも挑発的に結んでおけば効果満点。
二分法トラップの応用技です。
例:
・(ある時は)そのような大事件が記録に無いのはおかしい。
・(ある時は)記録には脱漏、滅失がつきものである。
前掲の二分法トラップ等に引き込む前振りなどにするのが一般的な用法。けして決め技にはならないので、あくまでも揺さぶり技としてさりげなく使うこと。露骨に正面に押し出したらクサイだけなので要注意。
例:
「ではなかろうか」→「である」
「と思う」→「としか考えられない」
「可能性が高い」→「疑う余地が無い」
「推定した」→「証明した」
または、単に言い回しを変えただけを装って、『Aである。』から『A’である。』へ、更に、『A”である。』へと、次第に意味をずらしていく論法もあります。
しっかり読まれるとバレますので要注意。イメージ刷り込みや関係ない話などと併用していくのがコツ。
「それはまあそうだが、可能性は著しく低い」くらいの答えが返ってきたら、あとは摺り寄り論法でじわじわ押し返します。最後は、歪曲引用で「xxx氏も最後はしぶしぶ可能性を認めた」と記録しておけば、まるでこちらが論争で追いつめたようです。
次に、攻撃したい相手の説を、「『フルクサ説』の装いを改めただけで本質は同じ」と断定します。
それからゆっくり「フルクサ説」を批判した本を探し、それをネタ本にして「フルクサ説」批判を展開し、あたかも今の相手への批判のように書きます。これで相手の主張などよく知らなくても批判は完璧。
例:
xxx説は、帝国主義時代の植民地支配の発想から一歩も抜け出していない。
最も効果的かつ安全な手法は、正史改竄の犯行時点を出来るだけ古い時代に持っていくこと。古代の政権交代の時期に措定することでほぼ無条件に「ありうる話」になります。
歴史学のどこに巨悪が潜んでいるかというと、そんなものは居ないのでありまして、単なる代償行為であります。
しかし宝が必ず出るから発掘費用を出せといわれたら騙されなくとも、象牙の塔内にふんぞり返っている頑迷固陋な権威者を完膚なきまでに論破するといえば文庫本程度の出費なら笑って騙されてくれます。
騙されたがっている人間を騙すほど簡単なことはありません。賢い「珍説」家は、読者の、こういった希求を敏感に汲み取り、彼らの著作にツボを押さえた名場面を用意します。
中にはわかり易く『真の歴史を葬り去ろうとする権力者の影』などにも言及して盛り上げてくれる方もありますが、これは余りやり過ぎると胡散臭くなってしまいますので、程度の加減が肝心なところです。
古代史の『新学説』を作る最も手早い方法は、無論『嘘をつく』ことであります。
もともと古代のことですので確認済みの事実自体が少ないため、ポイントだけ押さえればあとは言いたい放題です。よく「人間いちど嘘をついてしまう、次から次へと嘘を嘘で塗り固めていく破目になる」と言いますが、何の事はありません。嘘など舌の一枚もあれば幾らでもつけます。
それでは、騙しのテクニックを幾つかご紹介致しましょう
歪曲引用
「A書には、このように書かれている。」「B氏はこう語った。」 出典を突き合わせてみると、微妙に(時には、かなり)違うというケース。手に入りにくい史料や専門書の場合は露見することはまず有りません。文庫本で簡単に手に入る古事記や日本書紀でも、原典と突合して読む読者はごく少ないので、さして危険は有りません。
意図的誤読
歪曲引用よりもバレた時に安全です。理屈をこねて押し通すか誤解だったと謝ってしまえば、糾弾されることはありません。(恥はかきますが)二分法トラップ
まず、多数ある選択肢の中の対立する二つの意見だけを強調して「AでなければBである」という二者択一を印象づけます。そして、Aを否定することで、Bを立証なしのまま正当化してしまう、という手口です。この極端な例を挙げてみましょう。
1 「常識を疑うのは学問の在り方として健全なことである。」
2 「常識を疑うのは非常識である。」
3 従って「非常識が正しい。」
上記2にトラップが仕掛けてあります。所謂、「選言不完全の虚偽」です。
空籤消去法
二分法トラップと違い選択肢を適切に網羅しますが、実は「選択肢の中に正解がある」という前提自体が虚偽という論法。他を否定するだけで自説を証明抜きのまま肯定します。例:
1 「Aさんの引いた籤はハズレだった。」
2 「B君の引いた籤もハズレだった。」
3 従って「最後の一つ、私の籤がアタリだ。」
実は、全部が空籤
いわゆる、「選言不適切の虚偽」です。
イメージ刷り込み
論証でなく、状況証拠による心証の積み重ねで読者を誘導します。ことに視覚的なイメージを提供することは、受け取る側に固定観念を植え付け易く、このテクニックを上手に使うことで強固なビリーバーを作り出せます 。関係ない話をする
「ごもっともな」内容の関係ない話を長々とする。こんな方法が説得の手口として有効なのかと疑いたくなりますが、他のテクニックと上手に組み合わせることによって意外な効果を生みます。例えば、イメージ刷り込みや摺り寄り論法との併せ技として威力を発揮します。
恣意的帰納法
都合のいい例だけ拾って「法則」をでっち上げます。読者が思いつきそうな「例外」は、前もって除外する理屈を掲げて例示しておきます。もちろん、作った「法則」には、「金看板」法に基づき、ご大層な名前をつけます。
芋蔓(いもづる)論証
論証の根拠に、自分が別のところで「論証」した結果ばかり採用します。無論、その別のところで行った論証の根拠には、また自分が別のところで「論証」した結果ばかりが採用されています。かなり丹念に読まないとわからないので安心して使えるテクニックの一つです。むろん、ぐるりと一回りさせて循環論証し、何一つ根拠なく「強固な理論」を組上げることも出来ますが、誘拐の身代金に支払う新聞紙の札束の一番表側のように、少なくとも目につくところ数個所は読者を納得させる「常識的」な根拠を配置しておかなければなりません。
挙証責任転嫁
「Aである」という自説を主張するに当たってAであることを証明せず、さりげなく、自分がそう考えるに至った契機のみ挙げておく程度に止めます次に、予想される反論「Aではない」を掲げ、これを論破してみせて、 「Aである」ことが否定できないことを以って自説の証明であるかの如く飾ります。自分で考えた「予想される反論」ですから論破するのは簡単です。
駄目押しに「彼らは、定説の根幹を揺るがす重大な問題提起に対して、満足な反論も用意できないまま放置しておきながら、依然として定説を信奉している。」とでも挑発的に結んでおけば効果満点。
二分法トラップの応用技です。
ダブルスタンダード
その場限りで判断基準を変えるだけなのでテクニックと呼ぶ程のものでもありません。夫々の個所の結論に近いところに出てくるので印象に残りやすく、安直に使うと気付かれやすいという欠点が有ります。しかし指摘されても、例外事例であると強弁するか不注意だったと謝ればすむ性格のものでもあります。例:
・(ある時は)そのような大事件が記録に無いのはおかしい。
・(ある時は)記録には脱漏、滅失がつきものである。
定説創作
「権威ある」定説が、実はいかに思い込みや決めつけばかりで成立していて根拠のないものか立証するために、「根拠のない定説」を新しく作ってしまいます。予備知識の無い人には絶大な効果がありますが、不用意に使うとウルサ方は一発で気付きますので、読者層を見極めつつ歪曲引用を上手に使うのがコツ。ここから、さりげなく二分法トラップに引き込みましょう。「勇気ある挑戦者」
自分を、権威によりかかった内実の無い「定説」への、英雄的挑戦者に仕立て上げます。学閥の批判なども交え、異説を唱える自分を無視することを「アカデミズムの偏狭さ」と指弾し、時には弾圧をほのめかすなど、権力の不当さの話にすり替えます。前掲の二分法トラップ等に引き込む前振りなどにするのが一般的な用法。けして決め技にはならないので、あくまでも揺さぶり技としてさりげなく使うこと。露骨に正面に押し出したらクサイだけなので要注意。
「断言の力」
この不確実性の時代。「与えられた正解」に慣らされてきた我々は「明快な答え」に魅力を感じます。論理は穴だらけでも、結論を力強く断言するだけで効果満点。例:
「ではなかろうか」→「である」
「と思う」→「としか考えられない」
「可能性が高い」→「疑う余地が無い」
「推定した」→「証明した」
「金看板」法
自分の説に、「xxxの法則」、「yyyの証明」等、立派な名前をつけるだけで説得力が倍増。摺り寄り論法
『Aであることも考えられる』から説明を始めて、論証ではない「関係の無い話」を間に挟んで長々とした後に『Aの可能性が高い』と繰り返し、二、三の該当例を示して、今度は『A以外の可能性は考えられない』『Aなのである』と、繰り返して言い募っていく論法です。または、単に言い回しを変えただけを装って、『Aである。』から『A’である。』へ、更に、『A”である。』へと、次第に意味をずらしていく論法もあります。
しっかり読まれるとバレますので要注意。イメージ刷り込みや関係ない話などと併用していくのがコツ。
「可能性はゼロではない」
万能の切返し技。鋭く反論されて追いつめられたときも自説の誤りを認める必要はありません。この技を使います。「それはまあそうだが、可能性は著しく低い」くらいの答えが返ってきたら、あとは摺り寄り論法でじわじわ押し返します。最後は、歪曲引用で「xxx氏も最後はしぶしぶ可能性を認めた」と記録しておけば、まるでこちらが論争で追いつめたようです。
還元論法
攻撃技。まず、古臭くてもう誰からも顧みられなくなった学説を探します。(以下、「フルクサ説」と呼びます。)次に、攻撃したい相手の説を、「『フルクサ説』の装いを改めただけで本質は同じ」と断定します。
それからゆっくり「フルクサ説」を批判した本を探し、それをネタ本にして「フルクサ説」批判を展開し、あたかも今の相手への批判のように書きます。これで相手の主張などよく知らなくても批判は完璧。
レッテル法
還元論法の一種。インパクトの強いレッテルを貼り付けて、相手を一言で葬ります。例:
xxx説は、帝国主義時代の植民地支配の発想から一歩も抜け出していない。
権力陰謀説
権力による歴史の歪曲という、反権力趣味のある読者には絶好のクスグリですが、濫用すると胡散臭くなってしまうので火加減の難しい素材です。最も効果的かつ安全な手法は、正史改竄の犯行時点を出来るだけ古い時代に持っていくこと。古代の政権交代の時期に措定することでほぼ無条件に「ありうる話」になります。
証拠滅失
天変地異、戦災、秘密警察による没収などで、証拠品が無くなってしまった、というもの。これが出たら「胡散臭い」と自己申告しているようなもので、ダメ・テクの見本です。余程追いつめられて状況でなければ使うべきではありません。2007年05月05日(土) 21:56:44 Modified by hanamaru0002