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19年3月14日 第1分科会 議事録18

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○品川委員 遅れてまいりましたので前半の議論がわからず、ピントが外れていましたら申し訳ございません。まず、先ほど海老名委員もおっしゃっておられましたけれども、ゆとり教育の理念自体は間違っていなかったということはしっかりと打ち出すべきだと考えております。個性ある子どもを育てようということはすごく大事なことであり、その点については世論も異論はないであろうと思っております。

 と同時に、葛西委員がおっしゃられましたように、詰み込むべきは詰め込むということもまた大事だと私は考えております。ここを明記せず、ただ、ゆとり教育を見直しましょうというだけでは真意は伝わらないと考えます。だからこそ英数理国社だけではなく、体育や美術・音楽など芸術にも力を入れていくと強調していかなければなりません。体育や美術、音楽でも徳は身につきますから、知徳体と掲げる以上、徳と体の話が抜けてしまうのはいかがなものかと考えます。さらに強調させていただきたいのは、何度も繰り返しておりますが、詰め込むべきは詰め込むにしましても、体育や芸術にしましても、こういった教育がすべて一人ひとりの認知と学習スタイルの多様性に応じて実践されることが必須でございます。

 5月の第二次報告ではグランドデザインをはっきり出すということだったと思いますので、やはり再生会議としてどういう子どもを育てていきたいのか、どういう教育をしていくのか、21世紀、22世紀を生きていく日本の国民とはどういう人たちなのかはっきりと打ち出したいと考えます。細かい指導内容や授業時間の増減等につきましては中教審などもございます。こういった骨太のグランドビジョンを提示することがこの会議とほかの会議の違いではないかと私は考えております。ここはまずグランドデザインをビシッと打ち出して、そのためにこれとこれはやらなければいけない、これについては検討を要する等々を出していくといいのではないかと考えます。そのためにもすべての子どもの成長発達権を保障するシステム、出生から就労まで子どもをキーワードに関係省庁が一つになれるようなシステムを検討してもいいのではないかと考えます。そうしますことで、虐待からニート、初等教育から高等教育、いじめや不登校、反社会的行動を取る子まで一貫して考えられるようになります。すべての子どもにとって一番メリットになることは何か、ぜひその視点で考えていただきたいと思っております。

 私自身がずっと取材をしていて感じることは、以前にも何回も申し上げておりますけれども、日本の教育は職人技で行ってきたものが主流だという点です。これがいいから、効果が出たからやろうといって脈々と続いてきております。ですが残念ながら科学的な実証はされていないものがほとんどです。アメリカの“No Child Left Behind Act”(ノー・チャイルド・レフト・ビハンイド・アクト)がすばらしいのは、“evidence -based pract ice”(エビデンス・ベースド・プラクティス)を強調している点だと私は考えております。

 科学的根拠のある指導方法は子どもにとっても教える側にとってもメリットのある、言ってみればストレスも少なく費用対効果も良いものです。日本でも脳科学と教育の連携がスタートしていますが、ぜひ専門家と実務家たちが学際チームを作って連携し、子どもたちにより効果的な指導プログラムを提供していっていただきたいと思っております。

 先ほど陰山委員が見せてくださったビデオにございました、例えば声を出しての指導のようなマルチセンサリーな指導方法は読み書き困難の子どもたち、つまりディスレクシアの人への指導では常識です。ディスレクシアというのは読み書き困難とか読み書きのLDといいますけれども、LDに限らず、ADHDやアスペルガー症候群等認知や学習スタイルに多様性のある子どもたちへの指導について、英語圏では脳神経科学や小児神経学、心理学や精神医学、教育社会学や教育工学の研究者たちが共同でタッグを組み、または切磋琢磨して研究開発して、その結果を実務家である現場の教員が実践してクオリティを向上させ、更に効果のあるものを開発していこうという形での学際チームが多数ございます。なかなか日本はこういった連携が少ないのですが、こういうエビデンスベースの指導プログラムは、認知や学習スタイルに偏りのある子どもたちだけでなく、先ほどの陰山さんのお話からもお分かりいただけますようにすべての子どものメリットに確実につながってまいります。日本においても、脳科学と教育の研究プログラムが小泉先生を中心に始まっておりますが、もっと脳神経科学や小児神経学、心理や精神医学、あるいは人口知能の研究者とともに教育学、教育工学、教育社会学の研究者たち、そこに必ず実務家が加わってチームを組んで研究し科学的な実証のある教育提言をやっていただきたいと思っております。そういう研究にこそ公費を投入していただきたいのです。

 英語教育についてでございます。英語教育を小学校で導入するということについては、私自身ずっと取材を続けておりまして、いろいろと考えるところがございます。もちろん、早期の英語教育導入はいいか悪いかといえば間違いなくいいだろうと思っておりますが、やはり大事なのはゴール設定ではないかと。小学校の英語教育の最終目標をどこに設定するかということをはっきりしておく必要があると思っております。とりあえず耳を慣らすための教育なのか、それとも外国人に道で会ったら挨拶や簡単な話ができるくらいにするのか。そういう目標がないのが現実ではないかと考えております。取材をしておりますと、ALT中心に歌を歌ったりゲームをしたり簡単な芝居をしたりしているところが多く、目的が不明瞭なんですね。また、実際問題としてALTの質も非常に千差万別です。例えばアメリカなどの大学院で外国人に英語を教える資格を取ってから来られる方もいれば、ちょっと日本に行ってみたいからと来られているALTがおられるのも現実です。

 ALTを正教員として雇うということが以前提案されていましたが、では、どういうALTを想定されているのか。本当に教えられる力があるかどうかを見極めている人が採用しているかということも大きい問題だと考えます。そこを見極めてだれが小学生に英語を教えるのかという点を考察してまいりませんと、いろいろと課題が出てくるのは明白でございます。ここにかかれてありますようなすばらしいプランを、実際にどこかの地方の小学校でできるのか、と考えて見ますと現実的にはなかなか難しい。それもはっきりさせておかなければいけないと思っております。

 また、小学校で英語教育を行う場合に配慮すべき点の2点目として、4年ほど前に取材したある自治体のケースをご紹介したいと思います。その自治体では市長が「全ての市民を英語が話せるようにする」と掲げて当選されまして、公約を守るために全国から優秀なALTを集めて小学校に投入されたんですね。子どもたちも教師も一斉に英語に取り組み、町を訪れた外国人に対して、「ハーイ」と声をかけるなど、とてもいい雰囲気になったそうです。

 しかしながら、小学校で耳を鍛えられた子どもたちが中学に進学した時に、あらたな課題が浮上しました。それは英語の授業で会話はできるのに、テストでは点が取れないという子たちが少なからず登場してきたことでした。この子たちは授業で当てられたら答えられるのに、テストは全部カタカナで書いていたそうです。だから点につながらないわけですね。つまり、音声認識と文字認識のつながりが苦手な生徒という一群が目立つようになったわけです。


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2007年05月25日(金) 07:04:30 Modified by nipponkamoshjka




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