19年3月14日 第1分科会 議事録19
議事録1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
かように小学校の英語教育を充実することによって、今まで目立ってこなかった学習障害の子供たちが突然目立ってくる可能性は否定できません。日本語という言語は英語よりも透明性が高いゆえ、これまで踏ん張ることができた子どもたちが新たに浮上する可能性はかなり高いのではないかと考えます。
こういう場合、まず子ども本人が「なぜ言われればわかるのにアルファベットが書けないのだろう」と苦悩し、その子の自尊感情は低下する一方です。自尊感情が低下しましたら、以前申し上げましたように規範意識も低下しますし自暴自棄にもなります。ですので、小学校への英語教育の導入は、すべての教師が子どもの認知と学習スタイルの多様性も理解したうえで実践することとセットだと考えております。また中学校の英語教育ではフォニックスなどディスレクシア児への指導を視野に入れて実践していくべきです。
あと一点でございますけれども、英語を使いこなすためには母語の力は不可欠でございます。ですが、国語の授業を増やしたからといって国語のコミュニケーション能力が上がるというわけではございません。国語力と日本語におけるコミュニケーション能力というのは別問題で、日本語におけるコミュニケーション能力を指導できる教師がどれくらいいるかというと、それはまだまだ少ないのではないかと考えております。だからこそ、繰り返し、コミュニケーション能力やクリティカルシンキング・クリティカルリーディング、クリティカルライティングのスキル等の授業を小さいうちから導入する必要があると指摘しております。
実際、日本語によるコミュニケーション能力を徹底向上させることで子どもの英語力を上げることに取り組んでいる研究所がございます。そこではまず子どもたちに主語を入れて日本語を話すという訓練からさせると聞きました。「私はこう思います」、「私はこうしたい」ということを徹底的に教え、日本語でディベートできるような力をまず付けさせるそうです。
こういう日本語の土台を作って初めて英語を駆使できるようになると私も考えております。耳が鍛えられても、文法ができても、簡単な挨拶ができても英語を使いこなせるようにはなりませんし、英語を使う人たちの世界観が理解できるようになるわけでもございません。結局問われますのは、日本語でどれだけ知識があり、思考でき、議論できるかということだと考えます。私自身が小学校教育を海外で受けた帰国子女であり、このことは身に染みて感じ入っている次第でございます。
○白石主査 ありがとうございました。ほかにいかがでございましょうか。
○門川委員 今おっしゃったことと一緒なんですけれども、読解力というのは、情報を収集し、分析し、自ら考えて発言する力が大事で、これらは国語という学習から外へ出してやった方がいいんじゃないか。そうすると、理科の先生も音楽の先生も読解力ということを意識して教えなければならない。フィンランド・メソッドの話になるわけですけれども、そうしてすべての教科で読解力も付けていくんだという考え方が必要です。狭い国語の授業だけで行うものではない。
○白石主査 ありがとうございました。
○葛西委員 門川委員がおっしゃるとおりで、学校で教えるのは基礎を教えればよろしいのではないかなと思います。基礎がきちんとしていれば、また対人関係の機会があれば、読解力は自分で育つと思います。英語もそうなんですけれども、国語を教えるときには、いい文章を与えて、それを音読させて、場合によると詩とか歌を暗唱させて、そして後は書き取りをして、きちんと書けるようにしてやる。文法とか作文はその後に来るのだろうと思いますが、大体、人間の歴史の中で言葉の勉強というのはずっとそういうふうになされてきたんだと思います。
アメリカでは英語は国語とは指定されていないようですけれども、英語が母国語になったもともとは教会の存在だろうと思います。教会で聖書を読ませる、それをみんなで唱えるとかいうところでできてきているので、やはり日本語で理解力を持たせるためには、日本語の言葉のニュアンスをきちんと使い分けた文章を読ませて覚えさせるというのが一番いいと思います。
更に日本人の場合、解読力いわゆるリテラシーが弱いのは、例えば相手が言っていることは相手が思っていることだと考えてしまう傾向があります。「相手が言っていることは、自分にどう思い込ませようとしているのだろうか」という観点から見るという教育は戦後の日本にはありません。つまり、日本という国がインテリジェンスという行動を捨ててしまってから、リテラシーはなくなったんです。
そういう意味で言うと、読解力というものには段階があるけれども、まずその言葉が何を意味し、どういうニュアンスを持っているんだというところまでは学校で教える必要はある。そこから先には、フィンランド・メソッドは確かにいいと思うんです。ですが、それでもその程度までであって、更に深いところに突っ込んでいくためには、体で覚えるというか、人間関係の実践の場で覚えていくという必要があると思います。
そういう意味では基礎を詰め込み、かつ暗記させ、その上で自発的に何かが芽生えてくるのを待つというやり方がいいので、先ほど陰山委員の強調されたポイントは、まさにそのとおりではないかなと思います。
○陰山委員 フィンランドはヨーロッパにはあるんだけれども、もともとアジア系の民族であって、その関係で独特な言語である。大国に囲まれて日本と違って地続きですから、ほうっておくと言語がすぐ衰退してしまうということで、各家庭に数百冊の本を置いておくというのが常識的であって、それをとことん教え込むというのが家庭の役割として規定されている。
ですから、言語力とか何かを考えたときに、家庭の持つ教育力というものを念頭に置いておかないと、それを全部学校でやろうとすると、パンクするんじゃないか。とりわけ小学校の低学年の段階では、それこそ葛西委員がおっしゃったような基礎的、基本的な内容をきちっと教えていく。
ところが、日本語の基礎、基本は何と言ったときに、これが結構ぼやけるんです。小学校の教科書を見ていただくとわかります。
例えば日本語文法の授業というものが非常に弱いんです。指導要領的に言えば言語事項という形で入ってくるんですけれども、要するにこういうふうな言語事項的なものがありますということを理解して終わりなんです。だから、小学校5年生、6年生の子に主語は何ですかというと、答えられない子はものすごくいるんです。さっきおっしゃったように、もともと主語があいまいな言語ですから、
そうなってくると、物語文の読解などでも随分あいまいになってくるし、文章を書くときに、これは我々もよく経験することなんですけれども、主語と述語が日本語は離れていますから、ついつい主語と述語がとんちんかんな形で書いてしまうということが日常的に起きてくる。
そういう面で言うと、かなり指導方法か指導内容のテクノロジーに関する部分が結構弱いんです。その点でも小宮山委員がおっしゃったシンクタンクというのは非常に重要なんです。かなり入れ込んだプロフェッショナルな検討を行う必要が私はあると思います。
○白石主査 少し手短に願いします。
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かように小学校の英語教育を充実することによって、今まで目立ってこなかった学習障害の子供たちが突然目立ってくる可能性は否定できません。日本語という言語は英語よりも透明性が高いゆえ、これまで踏ん張ることができた子どもたちが新たに浮上する可能性はかなり高いのではないかと考えます。
こういう場合、まず子ども本人が「なぜ言われればわかるのにアルファベットが書けないのだろう」と苦悩し、その子の自尊感情は低下する一方です。自尊感情が低下しましたら、以前申し上げましたように規範意識も低下しますし自暴自棄にもなります。ですので、小学校への英語教育の導入は、すべての教師が子どもの認知と学習スタイルの多様性も理解したうえで実践することとセットだと考えております。また中学校の英語教育ではフォニックスなどディスレクシア児への指導を視野に入れて実践していくべきです。
あと一点でございますけれども、英語を使いこなすためには母語の力は不可欠でございます。ですが、国語の授業を増やしたからといって国語のコミュニケーション能力が上がるというわけではございません。国語力と日本語におけるコミュニケーション能力というのは別問題で、日本語におけるコミュニケーション能力を指導できる教師がどれくらいいるかというと、それはまだまだ少ないのではないかと考えております。だからこそ、繰り返し、コミュニケーション能力やクリティカルシンキング・クリティカルリーディング、クリティカルライティングのスキル等の授業を小さいうちから導入する必要があると指摘しております。
実際、日本語によるコミュニケーション能力を徹底向上させることで子どもの英語力を上げることに取り組んでいる研究所がございます。そこではまず子どもたちに主語を入れて日本語を話すという訓練からさせると聞きました。「私はこう思います」、「私はこうしたい」ということを徹底的に教え、日本語でディベートできるような力をまず付けさせるそうです。
こういう日本語の土台を作って初めて英語を駆使できるようになると私も考えております。耳が鍛えられても、文法ができても、簡単な挨拶ができても英語を使いこなせるようにはなりませんし、英語を使う人たちの世界観が理解できるようになるわけでもございません。結局問われますのは、日本語でどれだけ知識があり、思考でき、議論できるかということだと考えます。私自身が小学校教育を海外で受けた帰国子女であり、このことは身に染みて感じ入っている次第でございます。
○白石主査 ありがとうございました。ほかにいかがでございましょうか。
○門川委員 今おっしゃったことと一緒なんですけれども、読解力というのは、情報を収集し、分析し、自ら考えて発言する力が大事で、これらは国語という学習から外へ出してやった方がいいんじゃないか。そうすると、理科の先生も音楽の先生も読解力ということを意識して教えなければならない。フィンランド・メソッドの話になるわけですけれども、そうしてすべての教科で読解力も付けていくんだという考え方が必要です。狭い国語の授業だけで行うものではない。
○白石主査 ありがとうございました。
○葛西委員 門川委員がおっしゃるとおりで、学校で教えるのは基礎を教えればよろしいのではないかなと思います。基礎がきちんとしていれば、また対人関係の機会があれば、読解力は自分で育つと思います。英語もそうなんですけれども、国語を教えるときには、いい文章を与えて、それを音読させて、場合によると詩とか歌を暗唱させて、そして後は書き取りをして、きちんと書けるようにしてやる。文法とか作文はその後に来るのだろうと思いますが、大体、人間の歴史の中で言葉の勉強というのはずっとそういうふうになされてきたんだと思います。
アメリカでは英語は国語とは指定されていないようですけれども、英語が母国語になったもともとは教会の存在だろうと思います。教会で聖書を読ませる、それをみんなで唱えるとかいうところでできてきているので、やはり日本語で理解力を持たせるためには、日本語の言葉のニュアンスをきちんと使い分けた文章を読ませて覚えさせるというのが一番いいと思います。
更に日本人の場合、解読力いわゆるリテラシーが弱いのは、例えば相手が言っていることは相手が思っていることだと考えてしまう傾向があります。「相手が言っていることは、自分にどう思い込ませようとしているのだろうか」という観点から見るという教育は戦後の日本にはありません。つまり、日本という国がインテリジェンスという行動を捨ててしまってから、リテラシーはなくなったんです。
そういう意味で言うと、読解力というものには段階があるけれども、まずその言葉が何を意味し、どういうニュアンスを持っているんだというところまでは学校で教える必要はある。そこから先には、フィンランド・メソッドは確かにいいと思うんです。ですが、それでもその程度までであって、更に深いところに突っ込んでいくためには、体で覚えるというか、人間関係の実践の場で覚えていくという必要があると思います。
そういう意味では基礎を詰め込み、かつ暗記させ、その上で自発的に何かが芽生えてくるのを待つというやり方がいいので、先ほど陰山委員の強調されたポイントは、まさにそのとおりではないかなと思います。
○陰山委員 フィンランドはヨーロッパにはあるんだけれども、もともとアジア系の民族であって、その関係で独特な言語である。大国に囲まれて日本と違って地続きですから、ほうっておくと言語がすぐ衰退してしまうということで、各家庭に数百冊の本を置いておくというのが常識的であって、それをとことん教え込むというのが家庭の役割として規定されている。
ですから、言語力とか何かを考えたときに、家庭の持つ教育力というものを念頭に置いておかないと、それを全部学校でやろうとすると、パンクするんじゃないか。とりわけ小学校の低学年の段階では、それこそ葛西委員がおっしゃったような基礎的、基本的な内容をきちっと教えていく。
ところが、日本語の基礎、基本は何と言ったときに、これが結構ぼやけるんです。小学校の教科書を見ていただくとわかります。
例えば日本語文法の授業というものが非常に弱いんです。指導要領的に言えば言語事項という形で入ってくるんですけれども、要するにこういうふうな言語事項的なものがありますということを理解して終わりなんです。だから、小学校5年生、6年生の子に主語は何ですかというと、答えられない子はものすごくいるんです。さっきおっしゃったように、もともと主語があいまいな言語ですから、
そうなってくると、物語文の読解などでも随分あいまいになってくるし、文章を書くときに、これは我々もよく経験することなんですけれども、主語と述語が日本語は離れていますから、ついつい主語と述語がとんちんかんな形で書いてしまうということが日常的に起きてくる。
そういう面で言うと、かなり指導方法か指導内容のテクノロジーに関する部分が結構弱いんです。その点でも小宮山委員がおっしゃったシンクタンクというのは非常に重要なんです。かなり入れ込んだプロフェッショナルな検討を行う必要が私はあると思います。
○白石主査 少し手短に願いします。
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2007年05月25日(金) 07:05:19 Modified by nipponkamoshjka