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タグ検索で昭和62年は7件見つかりました。
自然とは
天然自然というのは最高のものだっていうふうに考えるのはうそじゃないかと思います。例えば、人間だって自然の一部分だっていうことは、宮沢賢治だって云いますし、マルクスも云うわけです。それから、人間だって生物だし動物だ。それはもうそのとおりです。しかし、人間とは何なんだという問を発したとき、自然的な人間に対して抵抗することで、人間であるっていうような部分がたくさんあるわけです。云いかえれば、自然というのは、何が本質的かわかりませんが、本質的な自然を目指して人間は行くべきなんです。すぐにびっくりして、自然を守れ
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りゅうめい
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子供の時は僕はなぜか友だちから「きんちゃん」(笑)とか「吉本」とか呼ばれて、親からも「きんこう」とか「きん」「きんちゃん」とか呼ばれていたので、「たかあき」と呼ばれるのは、学校の先生とか、特殊なときにしか呼ばれたことがありませんでした。だから両方とも日常的でない呼ばれ方だと思います。
僕はこれでもちゃんと正規に受験勉強をして、──あんまり正規じゃないか(笑)、ちょうど幸いにも戦争中で、配給(無試験)でもって大学に入ったので正規じゃないですけれど、──大学を出たということになっています。そういうところで
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芸の無意識の自殺
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いろいろなことがあるでしょうが、僕の理解の仕方では、あの乱入事件はビートたけしの「芸の無意識の自殺」だと、僕は思っています。自分が無意識のうちに話芸のうえの自殺をしたと思います。あれだけの人が無意識の自殺行為をもってしたことだから──一見すると、どこかの出版社に押し掛かけていって撲りあいをしたんだ、そして向こうがバカで警察を呼んだりするから、こんなことになってしまった、そんなふうに見えるけれど、僕はそう思いません。それだったら、あれだけの衝撃を与えないはずなのです。そうではなくて、あの人の中に芸の自殺、
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ランドサットの映像
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僕らは都市論というのをやったわけですが、初期の天皇制の成り立ちや性質がどうだったのか、それから神武から崇神までは、実在していたのかどうか、そういうことについての関心も、ランドサットの映像みたいなもので、はっきりと目に見えるように映像として解けるはずだと思います。(1987.7河合塾名古屋校講演 「幻の王朝から現代都市へ−ハイ・イメージの横断」1987.12.1河合文化教育研究所に収録された)
:| 考古学で苦労して掘っていく方法を宇宙からの視線で超えてしまったのだろうか。私は全国の天皇陵を公開発掘してい
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人間が鳥であった時
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人間が鳥であった時は、どういう時であったかというと、一つには胎内にあった時であったに違いありません。それから、もう一つは死に瀕した時に、そこを通るに違いないということです。
人間が胎内に宿って、それから体外に誕生してくるまでの一〇カ月の間に、系統発生的に、アメーバから猿へ、そこから人間までのあらゆる段階を通過してくるのだという言い方がありますが、そういうものだとすれば、どこかで鳥の時代も通過しているかもしれません。それから人間が死ぬ時に、たとえば病気であろうと事故死であろうと、死にかけた時から死ぬ時ま
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鳥瞰映像
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人間が上から見る鳥瞰図、あるいは俯瞰図の映像をもつことができるのは、どんなときか考えてみます。するとすぐに二つのことが考えられます。
それはなにかと言いますと、人間が鳥であった時の記憶というものが、もし系統発生的に考えられるとするなら、ある瞬間には人間は鳥瞰する映像をもちうるはずではないかということです。
もう一つは、ランドサットの映像に匹敵するような、高度な映像技術を獲得したときには、人間は鳥と同じ、あるいはランドサットと同じような映像を視線のなかにもち得るのではないかということです。
この二つ
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柳田国男の二つの中心
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柳田国男は、あからさまな言葉を使っているばあいも、それから象徴的な言葉をつかっているばあいも、それからメタファー、暗喩みたいな言葉をつかっているばあいもありますが、ほんとうの関心は、さいごまで農耕民でない人たち、つまり「山人」と柳田国男が呼んだ農耕以外のことにたずさわっていた人たちにあったのではないかなとおもいます。柳田国男のなかには、二つの中心があって、一つの中心は農耕共同体のしきたりとか、伝承とか、その頂点にある天皇の宗教・婚姻・神話などだったとおもいます。もう一つの中心は、農耕民以外の人たちのたい
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