おかえりなさいと言える場所
最終更新：ID:ubrZ2mk6tg 2016年07月14日(木) 18:19:49履歴
◇
どうして自分はここにいるのだろう。
「では、アレアの結婚を祝して！」
「まだ式も挙げていないのにせっかち過ぎじゃないですか？」
「こういうのは遅いよりも早い方がいいだろ！」
「でも、せっかくならそれは結婚式を挙げた後の祝賀会で石鶏亭のみんなで打ち上げたいです」
「んむう……じゃあ新築祝い！」
「それはこの前やりましたよね？」
「むー、じゃあ何だったらいいんだよスピカ！」
「引っ越しがひと段落した記念とかじゃいいじゃないですか」
「わかった。引っ越し祝いだな！」
「ちょっと違いますけど、もうそれでいいです」
女三人寄れば姦しいというが、二人でも十分喧しい。
いや、自分を入れたらちょうど三人か。
どこかふわふわとした感覚を断ち切れないまま、アレアはそう思う。
「かんぱーい、お疲れさまー！」
「はいな。お疲れさまでした」
「……おつかれさま、だよ」
水色の髪のドワーフの少女、パルの遠慮のない音量の音頭に合わせ、買ったばかりのグラスが掲げられる。彼女が用意した銘酒ドゥ・ロー・ブリュレは言わずと知れた彩の港ロシレッタ特産の蒸留酒であり、度数の低いものではない。
しかしここにいるのは一見華やかな少女の集いであるものの、その正体は揃いも揃って超一流の冒険者。
英雄の領域に片足を突っ込んでおりバジリスクの毒血を浴びてもピンピンしている彼女たちを酩酊させるのに、盃の一杯ではあまりにも役者不足。雰囲気にあてられたのか少女たちの頬には薄い桜が咲いているものの、一気に杯を乾したその目に酔いの色は見受けられなかった。
いや、厳密にはひとりは肩書の頭に『元』がつくが。
「……今日はありがとう」
その元冒険者にあたる少女、アレアはそう口では礼を述べつつも、違和感がぬぐいきれなかった
種族も、年齢も、性格もバラバラなこの集団。プライベートにおいて接点があるとはあまり言えない関係。今日は家具の購入と、その運搬を手伝ってくれた二人。
共通項は女性と言う性別と、そして石鶏亭という所属。
アレアが結婚を機に引退するまで、共に同じ店で冒険者をやっていたというだけの間柄。
ここまで来てしまったのに、いまだに現実味が乏しかった。
いや、微妙に違うか。
言葉を探して少女の視線がさまよう。なんといえば正しいのだろう。アルコールに鈍るには頑強に過ぎる体であったはずだった。ならば思考がぼやけるのは、その原因はどこにあるのか。
（アレアは、ここにいていいのかな……？）
うたかたの中に手を突っ込み、あるのかないのかも判別がつかない手ごたえをかき混ぜつつ掴み取ったそれは、強いて名前を付けるのであれば罪悪感。
最初に肉盾たることをプログラムされる十把一絡げの量産兵器が、一人前に家を購入し、夫を得て、まるで人から生まれた人のように妻になろうとしている。それがひどく間違っているようなことの気がした。
「へっへっへ、気にすんなよー。あたしら友達じゃないか」
いつから友達になったというのか。
水色の頭を自慢げに振り乱すドワーフに直接問えば殴り合いの喧嘩になることは、鈍ったアレアの今の思考回路でも理解できたので曖昧に頷いておく。
「うふふ、どういたしましてー」
一方で緑髪のエルフ、スピカはたおやかに微笑しながらその言葉を受け入れた。
照れくさそうに突き返したドワーフとは対照的で、これがエルフとドワーフの間に谷底のごとく広がる性格の違いというやつなのか、本人たちの個性なのかは人付き合いに疎いアレアには判別がつかない。
ただ、何とはなしに後者なような気がした。彼女たちはアレアのつぎはぎだらけの記憶のなかでも指折りにアクが強い。
「それで、さっきから何かぼんやりしていますけど。何か悩みごと？」
そして有能だ。
特に隠し立てしなければいけない理由もないのだが、ゆったりと包囲するような重さを感じるエルフの口調に意味も無く焦りが湧く。
そうでなくとも彼女は敬愛する『くーちゃん先輩』のマスターであり、力関係的に明らかに劣勢な立場にいるのだ。
「え、と」
「ん、まだ何か残ってたっけか？ 酒を飲んで吐いちまえー」
「そうですよ。この家を購入したときみたいに何か力になれるかもしれませんし、話してみてはいかがでしょう」
さりげなく『借り』の一件を持ち出されてしまった。
お金はアレアが出したし、一等地に購入するのも冒険者として積み上げた名誉があれば簡単なことだ。しかし魔動天使としての生き方しか知らない彼女にご近所付き合いのスキルはない。
一人暮らしならそれでも一向に構わなかっただろう。しかし少女はただの量産兵器であったアレア・ドバイルからアレア・クライマー夫人となる身であり、リック・クライマーこと彼女の夫の重荷になる未来だけは断固として拒否する。
アレアがつつがなく引っ越しを終えられたのはフットランドの有力者にコネクションを持ち、またそれ以外の面でも顔が広く人当たりのいいスピカの助力によるところが大きい。ニコニコと笑っているその表情からは底が読めないが、このような話の進め方をされて突っぱねられるほど、アレアは無機質なままではなかった。
それが良いことなのか、悪いことなのかは自分では判断がつかないが。
◇
自分の思いを促されるままに吐き出し終えたアレアはひと息つき、蒸留酒で喉をうるおす。水分補給としての観点はともかく、すっと一瞬もたらされる冷たさが心地よかった。
話の内容は我ながらひどいもので、自分でさえ理解しきれていない感情を他者に説明しようとするとここまで支離滅裂で混沌としたものになるのかと、いっそ感心したくなる。
しかしその上下左右に行先もわからずに垂れ流される曖昧模糊とした話を、スピカはずっと聞き続けてくれた。
なおパルは最初こそ食い入るように聞き入っていたが途中から酒をあおるペースが加速し、最終的には相槌を打つふりというよりアレは確実に舟をこいでいる。まあ期待はしていなかったが、腹が立たないかと言えば別問題だ。
「そうね、アレアちゃんは」
鼻ちょうちんを膨らませるバカに向けていた軽蔑の視線を、アレアは慌てて引きはがす。そこには思索の沈黙から脱した緑髪のエルフがいた。
「マリッジブルーと一口に言ってしまえばそれまでなのでしょうけど」
高鳴る心臓を抑えてアレアは続きを待つ。どうか教えてほしい。この病名を。この症状の治療法を。
すがるような視線を知ってか知らずか、エルフは花瓶の水を入れ替えるかのような滑らかさでその結論を口にした。
「『この世で最も楽な生き方は君子の奴隷であること』とはどの本で読んだフレーズだったかしら？ 奴隷から人になるのか怖いのね」
「なっ、ちがっ」
かっと頭に血が昇り『違う』と否定しようとして、一歩遅れて言葉に詰まった。
何も違わない気がした。
今までのアレアにとって選択とは、常に用意された手札の中から選ぶものであった。冒険者になったのも、リックを主人に選んだのも、そして彼と結婚したことさえ、魔動天使であるという前提の上に配置されたカードだ。
魔動天使だから人族を守るために槍を取った。アレア自身に命を懸けて人族を守るほどの熱意があるわけではなかった。
魔動天使であるから主人を選び、その意に添うように全力で努めた。そのように創造されたから。
そして。
嗚呼、そうなのだ。
いま彼女は魔動天使だからではなく、アレアという一人の少女としてリックの隣に並び立ちたいと思っているのだ。
魔動天使だからという言い訳は使えなくなった。未だかつて立ったところの無い領域への未知がこの恐怖だったのだ。
そうと気づいた瞬間、感情が熱いしずくとなって目から零れ落ちた。
「……アレアはね、ずっとリックに嫌われていると思っていたの」
「うん」
「リックはやさしいから何も言わなかったけど。アレアはまっすぐ突撃して攻め入ることしかできなかったから」
「うん」
「リックは積極的な変化を好むひとじゃないから。環境を激変させるアレアは邪魔だろうって、でもこれしかアレアは知らなくって、変わりたいのに変われなくって、ずっと、ずっと」
「うん」
もはや自分が何を話しているのか、そもそも何が言いたいのかさえ定かではない。
ただ、気の利いた切り返しも無く単純な相槌をうってくれるエルフの声が今は耳にここちよかった。
「だ、から……プロポーズしてくれたときはほんとうに、信じられないくらい嬉しくって……」
今度こそ兵器のままではいられない、いてはいけないと思った。
冒険者を引退するとき『すぐにリックのもとに駆けつけられるように』なんてもっともらしく理由を言ったが、あんなのただのカッコつけだったと今ならわかる。
「ねえ、どうすればいいのぉ？ アレアがお嫁さんだなんてぇ」
ひっくひっくと、幼い外見相応に泣きじゃくりながらアレアは尋ねる。
「この人形の身体じゃ、リックの赤ちゃんだって産んであげられないのに……」
「なーんだ。そんなことか」
返しは予想外の方向から来た。
普段なら激高するような『そんなこと』扱いも、あまりに意表を突かれたためスピカと二人でぽかんといつの間にか起きていた声の主を見るに留まる。
緑と赤の視線の集中砲火を受けたパルはその面の皮の厚さを遺憾なく発揮し、にかっと笑顔を浮かべると言い放った。
「あたしが最高にエライ神官になったらザイア様にお願いしてやんよ。アレアにリックの赤ちゃんが産めるようにしてくださいってさ。今の成長ペースならリックがタたなくなる前に到達よゆーだろ。ガッツリ仕込んでもらえばいいさ」
あけすけな物言いやビシッとモザイク必須のジェスチャーをされたことばかりがアレアが声も無く口を開閉させた理由ではない。
パルウム・スティーリアは冒険者に珍しく一般人寄りの感性を多分に含んだドワーフだ。仮に冒険の果てにその命を落としたとしても、絶対に蘇生しないことを明言していることで石鶏亭では有名である。
そして彼女が信仰している神は騎士神ザイア。大神であり、すなわちその奇跡を神々の世ならぬ現代に呼び起こす【コール・ゴッド】の行使は、術者が例外なく死亡することを意味する。
彼女はアレアのために命を差し出すと笑顔で言っているのだ。こんな、アレアの側からは友人と呼べるかどうかも怪しい関係のために。
「……頭おかしいんじゃねーの？」
「あたしの頭は残念なだけだ。おかしいところなんて一つもねえ！」
「あ、反応するところそこなんですね」
アレアがかろうじてこぼした言葉にパルが激高し、我に返ったスピカが苦笑を漏らす。ふっと空気が緩んだ気がした。
「で、でもでもだって、死んじゃうんだよ？ パル死んじゃうでしょだって」
「そんなに変なことかぁ？ 仲間のために命をまっとうする。どっかで野垂れ死にするわけでも、強敵に及ばず散るわけでもない。ご先祖様にもザイア様にも胸を張れる死に方だろ？」
「パルちゃんは自分の命が最高位に位置していないんですよ、きっと。誇りとか自己満足とか名誉とかが比喩じゃなく命よりも大切なんです。わたしたち冒険者って多かれ少なかれそういう面がありますけど、パルちゃんはまた極端ですねぇ」
「スピカの生死観もたいがいだって。ひとのこと言えるタチじゃないじゃん」
ふんすと胸を張るドワーフをエルフが苦笑交じりに読み解き、それにまたドワーフがツッコミで返す。
石鶏亭の冒険者たちって変だ。ぜったいに頭がおかしい。今まで薄々と感じていたことが確信に変わった瞬間だった。
「さて、これで問題はひとつ解決しましたね。これでもまだ不安？」
「う……」
じゃれ合いに気が済んだのかスピカがさらっと本題に戻す。アレアはひるんだ。下手にこれ以上の不安を漏らせば、次から次へとトンデモ解決法を返されそうな気がした。
山ほどの不安はあるもののそれ以上の不安に口をせき止められた魔動天使に、エルフはやんわり言葉を繋ぐ。
「今まで行った場所にないところに行くとき、不安を抱くのは当然ですよ。でもアレアちゃんは大丈夫なんじゃないかな。だって、覚悟がありますもの」
「そうだなー。その点に関しては同意見。アレアは選んだし、結果はあとからついてくるだけだよ。まあ何の指針も無く進むのは不安だろうし、アドバイスのひとつくらい贈ってやるぞ、スピカが」
「頭脳労働ニガテですものね、パルちゃん。そのあつかましさに免じまして、ではひとつ」
仲がいいのか悪いのか。ただ、ニコニコ笑うスピカの隣で平然とできるパルの胆力は大したものだと思った。
思考が変な方向に逸れるのは防衛本能だろうか。打てば響くようなやり取りで展開していく話の流れに千々に乱れた心がついて行かない。ただ翻弄されるばかりだ。
「石鶏亭は第二の故郷だと思うけど、やっぱり自分の家は特別なんです。だからね、『おかえりなさい』って、あなたの大事なひとに言ってみて？」
その言葉は妙に新鮮にアレアの耳に響いて。
（ああ、そうか）
自分の帰っていい場所と、そこに帰ってくる誰か。その二つが無いと、この言葉は使われないのだ。
それに気づいて、それが何かというわけでもないけど、それでいい気がした。
結局のところ、その日にアレアが得た確かなものは何一つとして存在しない。
でもその日から、たぶんアレアはリックを待つことが今までほど苦ではなくなった。
冒険者は危険な職業だ。
いってらっしゃいと送り出した相手がただいまと帰ってきてくれる保証などひとつもない。特にあのひとは運が悪いから、思いもよらない不幸が降りかかるかもしれない。
でもそれがリックの選んだ道であるならば、きっとアレアは信じて待っていていいのだ。
どうにも我慢できなくなったら今まで通りに槍を抱えて飛び出していくだろう。でもたぶん今までと同じように見えて、それもちょっと違うのだろう。
「おかえりなさい、リック」
今日もそう言える時間を楽しみにしつつ、少女は平和と悪戦苦闘を繰り広げる。
このページへのコメント
藤双樹PC元祖三人娘の小説です。
アレア引退時から一度は書いてみたいと思っていたのですが、方向性が定まらずモチベがなかなか上がらなかったのですよね。
それが『結婚による変化のワンクッション』という目的が見つかり、勢いに任せて書き上げてみました。
それぞれのキャラの特色が少しでも演出できていれば幸い。