とある支配者階級のお茶会議
最終更新：ID:gYYnwZFGVA 2018年05月14日(月) 11:23:40履歴
腹立たしい？ それとも照れくさい？
頬があつい。胸がポカポカしておなかがむかむかする。
「まったくもう、プフィルったら」
ピエリスは宿屋の自室に帰ると、椅子に座って行儀悪く足をぶらぶら揺すった。
外ではとても見せられない、年相応の姿。
「ごめんってば。もうしないから、たぶんきっとめいびー」
苦笑しながら紅茶をいれる道化兼護衛頭と、少し前まで彼女の代わりに紅茶をいれる役目を担っていた従者頭しか知らない顔だ。
「それはもう一度やる気のある者のうたい文句よね？」
文句をいいながら紅茶を受け取ったピエリスは、ふと首を傾げた。
目の前にはもう一そろい茶器が置かれている。
「あら？ 一緒に飲むの？」
貴族と従者には目に見えない、明確な壁が存在する。
たとえプライベートの場とはいえ、いままで同じテーブルの席に着くようなことはしなかったのだが。
もしかしてもう一歩あゆみ寄ってくれる気なのだろうかと、少し高揚した気分は愕然としたプフィルの姿に否定された。
二人分を用意した自覚が無かったのだと、その表情を見てわかった。
するりと伸びた繊手がティーカップを持ち上げ、優雅に傾ける。
「うん。筋はイイネ。あとは研鑽を十年ばかし積むだけだ」
先日初めて見た、高位の蛮族。バルバロスの支配者階級。
黒の軍が六魔将“閉じた石の瞳”ミノルラピスが悠然と対面でくつろいでいた。
全身の毛を逆立てた従者を視線で制する。
その気になれば自分たちの首を掻き切ることくらいわけなかったはずだ。その程度は考えたらわかる。
争いに来たのではない。しかし、攻撃になすがままであるほどやさしい相手ではないことも、肌で感じる。
幼くも明確に支配者として育てられたピエリスが選んだのは、対話に寄る状況の打開だった。
「招待状を出したおぼえはありませんが、いらっしゃった以上は歓迎いたしますわ。ミノルラピス様」
「どもども。くつろがせてもらってまーす」
じっとりと背中に汗がにじむ。
恐怖から目をそらしてはいけない。だが、恐れすぎては選択を誤る。
選択肢をつくるのは知識量だが、選択肢を選ぶのはむしろ器量の領域だ。
皇帝を目指すのであれば、知識で家臣に劣るのは構わない。だが器で遅れを取ることを許すなかれ。
相手は歓迎を受けることを認めた。
ならばこれは会談の場。ここで剣を抜くのは器の敗北を自ら認める行為だ。
蛮族とはいえ、その規律を破ることはしないだろう。
「ふふ。こうしてゆっくりお話しする機会があれば、伺ってみたいことがありましたの」
か細い糸の上を素足で綱渡りするような感覚を覚えながら言葉を紡ぐ。
しかし、まんざら口から出まかせというわけでもなかった。
これはピエリスがわざわざフットランドまできた目的であったから。
「なにかなぁ？ お茶のお代くらいまでは素直に答えるよ」
「勝手ながら、石鶏亭関連の一環で貴女の資料も拝見させていただきましたわ」
相手のことをよく知れと、彼らは言った。
石鶏亭の仕事を見学しても、彼らが何を成し遂げてきたのか事前知識が無ければ全貌を見ることはできない。
だから最近は寝食を忘れるほどに過去の記録を漁り『予習』に勉めるのがピエリスの日常だった。
あるいは没頭して他のことを忘れたい事情があったかもしれないが。
従者が心配して、おせっかいを焼くほどに。
だからミノルラピスのことも知っている。
「貴女の部隊は人蛮が共存しているのですよね？」
どのような教育を施しているのか、実に興味深いですわと少女は述べた。
それは国と比べたらあまりにも小さすぎるコミュニティ。
しかし、石鶏亭のようにモノ好きが自分の意思で集まったのとは違う。
部下として配された者の思考を改変するメゾットがたしかに存在するはずのポイントだ。
「ん？ ん〜」
ミノルラピスは視線を宙にさまよわせながら、角砂糖を指先でくるくる回す。
言うかどうか迷っているというより、言葉を探しているという印象だ。
「奪って、布く」
やがて言葉を見つけたのか、単語の連なりが鈴の鳴るような声色で室内に転がる。
「ボクがやっているのはそういうことで、キミが目指しているのもきっとそういうことだろーね」
「……布くはともかく、奪うとはおだやかではないですわね」
「あははっ！ でもそう表現するのが一番てきとうだと思うんだ」
ライフォスの善意を。ダルクレムの怒りを。
それってあんまり意味が無いよと教えてあげる。
命が大切じゃないわけじゃない。戦いに価値が無いわけじゃない。
でも、それより重いものが世の中にはたくさん存在するのだと。
「新たな基準線を設置する」
語りながらゆったりと、蛍光のように温度の無い光を放つ緑の瞳が細められる。
油断すれば吸い込まれそうなプレッシャーにピエリスは我知らず生唾を飲み込んだ。
「ボクが一番尊敬している神は貨幣神ガメル様なんだよねぇ」
あれはサイコーさ。人蛮に広く共通する基準を布くことに成功したんだから。
ほかのどの神だってそんな偉業は果たせなかった。
尊敬と口にしながら次の瞬間にはアレ呼ばわり。
ピエリスには理解できない感覚だったが、嘘をついていないことは伝わってきた。
「知恵あるものがもっとも攻撃的になるのは、相手が理解できない場合だ」
理解できないから恐怖を覚える。
恐怖を覚えるから排除しようとする。
人族は理解できない。死ぬかもしれないのに、否、死を前提として戦いを選ぶ蛮族の在り方を。
蛮族は理解できない。名誉を穢すのにも関わらず、今世などというつまらないものに縋る人族の在り方を。
だからすべてに値段をつけよう。
お金で買えない価値もある？
ふふっ。すべてのものは値段をつけて売ることができる。違う？
なら買えないのはただ単に、積んでいるガメルの額が足りていないだけだよ。
人族は税を納めて徴兵を免れる。蛮族は金を出して闘技場の参加権を買う。
理解できないと、やっぱりお互いにお互いを嗤うだろう。
でもそこに向けられる感情は理解不能の恐怖ではない。
ガラクタに大枚をはたく馬鹿な隣人を見る目だ。
ガメルという基準点によって、殺し合いにまでは至らないのさ。
「ま、それも最初に相手の持っている価値観を剥ぎ取り、与えられる価値観を受け入れさせるだけのカリスマあってのことだけどね」
話を結んで紅茶で口を湿らせ、ついでに角砂糖をひとつかみ口の中に放り込む暴挙に出たミノルラピスの前で、ピエリスは腕を組んで真剣に考えていた。
頭から煙が出そうだ。
いったん紙に書いて整理したいくらいだが、相手は待ってくれるはずもない。
「しっかし、キミも幼いのによくもまあこんな小難しいこと聞いて、考えるよねえ」
「え、ええ」
「子供でいられる時間は短いのに、もったいなくない？」
「これも貴族に生まれた者の務めですわ。陛下に顔向けできないような生き方は、できません」
ピエリスは胸を張った。
これは数少ない、何の負い目もなく自慢できる事柄だった。
自身の中に流れる血に、自身が将来仕えるべき相手に、恥じることのない努力ができていると。
「ふーん。英雄ライオット一世の系譜は三代前に途切れているのにご苦労なこったね」
ぷつりと、何かが音もなく鋏で断ち切られた。
「…………え？」
「なんだ、知らなかったの？ 当時の皇后が不義をはたらいてね。その皇子が皇帝に選ばれたから、血統はそこで切れてるんだ」
さくりさくりと、たいせつなものが切り分けられていく。
「嘘よ！」
「皇后の遺品を確保してあるから魔法で呼び出して確認してみる？ これだけ時間が経っていれば自白のひとつもしてくれるでしょ」
「……ほ、ほんとうに？」
「ほんとうに嘘さ」
がくりとちからがぬけた。
椅子の上でひっくり返りそうになったピエリスが上目遣いでにらみつけるのを、ミノルラピスは心底たのしそうに笑う。
わらって、言った。
「でもさ、それが嘘じゃなくてほんとだったとして、何か変わった？」
「え」
急速に世界は塗りつぶされる。
「キミの中に流れている血がどうあれ、セラフィナ陛下に流れている血がどうあれ」
やめて。それ以上はだめ。笑えない、冗談が過ぎる。
「キミは年齢不相応に努力を積み重ねたいい子だし、セラフィナ陛下は優れた為政者だ」
空間が捻じ曲がる。じゅくじゅくと空気が侵蝕される。
「信じているだけさ。周囲も、本人も、その血統にこそが価値があるのだと。ルールを定めているだけさ」
では自分たちは何だというのか。
実体のないものに縋りつき、守り、そのために血と汗と涙を流しているとでもいうのか。
父を父と呼べず、母を母と呼べず、兄と弟は殺し合い、姉が攫われたときも臣下として悲しむことしか許されなかったのに。
もう一度あの温もりが欲しくてここまで走り続けたのに。
「だからそんなものに囚われず、いまの自分を好きになって誇りに思おう？ きみはきみのままでいいんだよ」
ぐにゃぐにゃに歪んだ世界の中で、すべてを抱きとめるかのようにミノルラピスは両手をおおきく開いて微笑んでいた。
「あ……」
「っと、すごい顔して睨んでいるからこのあたりでやめておくね」
ぱちりと換気したように空間を侵食していたオーラが消失する。
気が付けばピエリスは椅子の上で身体を丸め、耳の上に両手を押し当てていた。
頤を汗がしたたり落ち、音をたてて肩で呼吸をする。
「はあっ、はあっ」
「これが価値観を剥ぎ取るってこと。よーく理解できたでしょう？」
こくこくと首から上だけで頷く。声を出すことすら気怠く感じるほど消耗していた。
これが生まれついての支配者階級。バジリスクの真価なのかと本能で理解する。
「だからきっと、キミが将来人蛮共存国家を本気で立ち上げたいのなら」
国民となる彼らもいまのキミと同じ痛みを味わうことになると思うよ。
下弦に細められた緑の弓から、鋭く重い矢じりが放たれピエリスの心臓に深々と埋まった。
「ああもう、これ以上はいじわるしないって。そう殺気立たないでよ。やーん」
すっとピエリスの前に大きくはない、ただどこまでも信じられる背中が立ちふさがる。
顔は見えない。声すら発していない。でも激怒していることは背中越しにひしひしと伝わってきた。
最初にピエリスが制していなければとっくの昔に飛び掛かっていただろう。
「いいねぇキミ。『殺すぞ』とか、やすい脅しを吐かないところが実にイイ」
それはなんとなくピエリスも感じられた。
きっとプフィルはミノルラピスに勝てない。だからこそ舌戦に活路を見出したのだ。
それがこのざまなのだが。
プフィルは実現不可能な脅し文句をつかない。
ただ確実に結果を残すのだろう。
「捨て身で刺し違えたところで命には届かない。だがこれ以上は片目をもらうぞ、ってところかな？」
へらへらと笑いながらミノルラピスはプフィルの姿勢を読み解く。たしかにバジリスクにとって目は貴重な財産だね、なんて。
プフィルは黙って全身のバネをたわめていた。
止めなければと、焦れば焦るほど声の出し方が思い出せなくなる。
しかし、事態はピエリスの想定外の方向に発展した。
「じゃあ、これでどうかな？」
ぞぶり、とミノルラピスの細い指が自らの眼窩に埋まる。
そのまま、まったくよどみなく右目を抉り出した。
ピエリスは頭がまっしろになった。
もしも正気のまま見ていたら、あまりの光景に吐き気が抑えられなかったころだろう。
「ハイ、あげるー。これでお詫びってことで」
「……正気か？」
堪えかねたように吐き出されたプフィルの言葉とすれ違うようにするりと近寄ってきた彼女に二人とも反応できなかった。
べろん、と頬を舐め挙げられてようやくプフィルは悲鳴を上げることに成功する。
「ひゃう！？」
「ん、おいし。子供を食べないって約束したのが悔やまれるなぁ」
食欲。
生まれて初めて向けられる感情のこもった視線に、背筋に表現しがたい震えが走る。
「シャア！」
「おっと、よっ、はっ。じゃん！」
エレメンタルブレイドによって放たれた渾身の突きをミノルラピスはあっさり避けた。なぜかそのまま連続でバック宙を決めてポーズまでした。
「さっきのは授業料の、紅茶の不足分ってことで。だから、それはあげるよ」
その言葉でピエリスは、自分の手に先ほどの抉り出された濡れた緑が握られていることに気づく。
「きっとこれから先のキミたちに必要になる。なぁに、気にしないで。バジリスクは長生きすればするほど目が増えていく。ついでに穢れも増えるんだ」
このまえ一つ増えて穢れが鬱陶しかったから、ひとつ減らしておきたかったんだよね。
浮かぶ笑みに自傷行為に対する感慨はいっさい見受けられなかった。
「瞳石がひとつでも残っていればその目は再生するんだ。理屈は自分でもよくわからないけどさ」
蛮族ってデタラメな身体しているよねー。
他人事のように語る彼女の言葉を証明するかのように、体液の流れる右の眼窩には新たな緑の輝きが急速に再生を始めていた。
「じゃ、またね」
来た時が突然なら、帰るときもまた然り。
まるで最初からいなかったかのようにふっと掻き消えたミノルラピスに、しばらく警戒の姿勢を崩さなかったプフィルが膝をつく。
「申し訳ありません、ピエリス様。禁じられていたのに刃を抜きました」
「……いいのよ。あれはわたくしの敗北だもの。プフィルはよくフォローしてくれたわ」
苦い敗北だったが、得たものも少なくない。
いずれは考えなければならないことを、前倒しで知れたこと。
なにより、六魔将と呼ばれる上位蛮族に生きて対峙した経験を得られた。
きっとこれはピエリスの財産になる。
「仮にも将と呼ばれる相手に、備えなしに臨んだわたくしが愚かだったの」
取り返しのつかない被害なく生還したことを喜ぼう。
身も心もへとへとになったけど、素直にそう思えた。
「さて、紅茶をいれなおしてくださるかしら？ ……あと、これどうしましょう？」
とりあえずは忘れたふりをしていたかった、右手の中のお土産の始末を考えなければならないだろう。
後日、差出人不明の包みがピエリスの泊まる宿屋に届けられた。
同封された手紙に名前は無く、ただ『将来の美姫に。貴女の成長を楽しみにしています』の一文とバラのポプリの香りだけが添付され。
包みの中身はスノーパーム化粧水という甘い香りのする高価な化粧水。
それは肌がとてもやわらかく綺麗になる効果があり。
とある蛮族領域では人肉を食す際の調味料として使われるものだった。
頬があつい。胸がポカポカしておなかがむかむかする。
「まったくもう、プフィルったら」
ピエリスは宿屋の自室に帰ると、椅子に座って行儀悪く足をぶらぶら揺すった。
外ではとても見せられない、年相応の姿。
「ごめんってば。もうしないから、たぶんきっとめいびー」
苦笑しながら紅茶をいれる道化兼護衛頭と、少し前まで彼女の代わりに紅茶をいれる役目を担っていた従者頭しか知らない顔だ。
「それはもう一度やる気のある者のうたい文句よね？」
文句をいいながら紅茶を受け取ったピエリスは、ふと首を傾げた。
目の前にはもう一そろい茶器が置かれている。
「あら？ 一緒に飲むの？」
貴族と従者には目に見えない、明確な壁が存在する。
たとえプライベートの場とはいえ、いままで同じテーブルの席に着くようなことはしなかったのだが。
もしかしてもう一歩あゆみ寄ってくれる気なのだろうかと、少し高揚した気分は愕然としたプフィルの姿に否定された。
二人分を用意した自覚が無かったのだと、その表情を見てわかった。
するりと伸びた繊手がティーカップを持ち上げ、優雅に傾ける。
「うん。筋はイイネ。あとは研鑽を十年ばかし積むだけだ」
先日初めて見た、高位の蛮族。バルバロスの支配者階級。
黒の軍が六魔将“閉じた石の瞳”ミノルラピスが悠然と対面でくつろいでいた。
全身の毛を逆立てた従者を視線で制する。
その気になれば自分たちの首を掻き切ることくらいわけなかったはずだ。その程度は考えたらわかる。
争いに来たのではない。しかし、攻撃になすがままであるほどやさしい相手ではないことも、肌で感じる。
幼くも明確に支配者として育てられたピエリスが選んだのは、対話に寄る状況の打開だった。
「招待状を出したおぼえはありませんが、いらっしゃった以上は歓迎いたしますわ。ミノルラピス様」
「どもども。くつろがせてもらってまーす」
じっとりと背中に汗がにじむ。
恐怖から目をそらしてはいけない。だが、恐れすぎては選択を誤る。
選択肢をつくるのは知識量だが、選択肢を選ぶのはむしろ器量の領域だ。
皇帝を目指すのであれば、知識で家臣に劣るのは構わない。だが器で遅れを取ることを許すなかれ。
相手は歓迎を受けることを認めた。
ならばこれは会談の場。ここで剣を抜くのは器の敗北を自ら認める行為だ。
蛮族とはいえ、その規律を破ることはしないだろう。
「ふふ。こうしてゆっくりお話しする機会があれば、伺ってみたいことがありましたの」
か細い糸の上を素足で綱渡りするような感覚を覚えながら言葉を紡ぐ。
しかし、まんざら口から出まかせというわけでもなかった。
これはピエリスがわざわざフットランドまできた目的であったから。
「なにかなぁ？ お茶のお代くらいまでは素直に答えるよ」
「勝手ながら、石鶏亭関連の一環で貴女の資料も拝見させていただきましたわ」
相手のことをよく知れと、彼らは言った。
石鶏亭の仕事を見学しても、彼らが何を成し遂げてきたのか事前知識が無ければ全貌を見ることはできない。
だから最近は寝食を忘れるほどに過去の記録を漁り『予習』に勉めるのがピエリスの日常だった。
あるいは没頭して他のことを忘れたい事情があったかもしれないが。
従者が心配して、おせっかいを焼くほどに。
だからミノルラピスのことも知っている。
「貴女の部隊は人蛮が共存しているのですよね？」
どのような教育を施しているのか、実に興味深いですわと少女は述べた。
それは国と比べたらあまりにも小さすぎるコミュニティ。
しかし、石鶏亭のようにモノ好きが自分の意思で集まったのとは違う。
部下として配された者の思考を改変するメゾットがたしかに存在するはずのポイントだ。
「ん？ ん〜」
ミノルラピスは視線を宙にさまよわせながら、角砂糖を指先でくるくる回す。
言うかどうか迷っているというより、言葉を探しているという印象だ。
「奪って、布く」
やがて言葉を見つけたのか、単語の連なりが鈴の鳴るような声色で室内に転がる。
「ボクがやっているのはそういうことで、キミが目指しているのもきっとそういうことだろーね」
「……布くはともかく、奪うとはおだやかではないですわね」
「あははっ！ でもそう表現するのが一番てきとうだと思うんだ」
ライフォスの善意を。ダルクレムの怒りを。
それってあんまり意味が無いよと教えてあげる。
命が大切じゃないわけじゃない。戦いに価値が無いわけじゃない。
でも、それより重いものが世の中にはたくさん存在するのだと。
「新たな基準線を設置する」
語りながらゆったりと、蛍光のように温度の無い光を放つ緑の瞳が細められる。
油断すれば吸い込まれそうなプレッシャーにピエリスは我知らず生唾を飲み込んだ。
「ボクが一番尊敬している神は貨幣神ガメル様なんだよねぇ」
あれはサイコーさ。人蛮に広く共通する基準を布くことに成功したんだから。
ほかのどの神だってそんな偉業は果たせなかった。
尊敬と口にしながら次の瞬間にはアレ呼ばわり。
ピエリスには理解できない感覚だったが、嘘をついていないことは伝わってきた。
「知恵あるものがもっとも攻撃的になるのは、相手が理解できない場合だ」
理解できないから恐怖を覚える。
恐怖を覚えるから排除しようとする。
人族は理解できない。死ぬかもしれないのに、否、死を前提として戦いを選ぶ蛮族の在り方を。
蛮族は理解できない。名誉を穢すのにも関わらず、今世などというつまらないものに縋る人族の在り方を。
だからすべてに値段をつけよう。
お金で買えない価値もある？
ふふっ。すべてのものは値段をつけて売ることができる。違う？
なら買えないのはただ単に、積んでいるガメルの額が足りていないだけだよ。
人族は税を納めて徴兵を免れる。蛮族は金を出して闘技場の参加権を買う。
理解できないと、やっぱりお互いにお互いを嗤うだろう。
でもそこに向けられる感情は理解不能の恐怖ではない。
ガラクタに大枚をはたく馬鹿な隣人を見る目だ。
ガメルという基準点によって、殺し合いにまでは至らないのさ。
「ま、それも最初に相手の持っている価値観を剥ぎ取り、与えられる価値観を受け入れさせるだけのカリスマあってのことだけどね」
話を結んで紅茶で口を湿らせ、ついでに角砂糖をひとつかみ口の中に放り込む暴挙に出たミノルラピスの前で、ピエリスは腕を組んで真剣に考えていた。
頭から煙が出そうだ。
いったん紙に書いて整理したいくらいだが、相手は待ってくれるはずもない。
「しっかし、キミも幼いのによくもまあこんな小難しいこと聞いて、考えるよねえ」
「え、ええ」
「子供でいられる時間は短いのに、もったいなくない？」
「これも貴族に生まれた者の務めですわ。陛下に顔向けできないような生き方は、できません」
ピエリスは胸を張った。
これは数少ない、何の負い目もなく自慢できる事柄だった。
自身の中に流れる血に、自身が将来仕えるべき相手に、恥じることのない努力ができていると。
「ふーん。英雄ライオット一世の系譜は三代前に途切れているのにご苦労なこったね」
ぷつりと、何かが音もなく鋏で断ち切られた。
「…………え？」
「なんだ、知らなかったの？ 当時の皇后が不義をはたらいてね。その皇子が皇帝に選ばれたから、血統はそこで切れてるんだ」
さくりさくりと、たいせつなものが切り分けられていく。
「嘘よ！」
「皇后の遺品を確保してあるから魔法で呼び出して確認してみる？ これだけ時間が経っていれば自白のひとつもしてくれるでしょ」
「……ほ、ほんとうに？」
「ほんとうに嘘さ」
がくりとちからがぬけた。
椅子の上でひっくり返りそうになったピエリスが上目遣いでにらみつけるのを、ミノルラピスは心底たのしそうに笑う。
わらって、言った。
「でもさ、それが嘘じゃなくてほんとだったとして、何か変わった？」
「え」
急速に世界は塗りつぶされる。
「キミの中に流れている血がどうあれ、セラフィナ陛下に流れている血がどうあれ」
やめて。それ以上はだめ。笑えない、冗談が過ぎる。
「キミは年齢不相応に努力を積み重ねたいい子だし、セラフィナ陛下は優れた為政者だ」
空間が捻じ曲がる。じゅくじゅくと空気が侵蝕される。
「信じているだけさ。周囲も、本人も、その血統にこそが価値があるのだと。ルールを定めているだけさ」
では自分たちは何だというのか。
実体のないものに縋りつき、守り、そのために血と汗と涙を流しているとでもいうのか。
父を父と呼べず、母を母と呼べず、兄と弟は殺し合い、姉が攫われたときも臣下として悲しむことしか許されなかったのに。
もう一度あの温もりが欲しくてここまで走り続けたのに。
「だからそんなものに囚われず、いまの自分を好きになって誇りに思おう？ きみはきみのままでいいんだよ」
ぐにゃぐにゃに歪んだ世界の中で、すべてを抱きとめるかのようにミノルラピスは両手をおおきく開いて微笑んでいた。
「あ……」
「っと、すごい顔して睨んでいるからこのあたりでやめておくね」
ぱちりと換気したように空間を侵食していたオーラが消失する。
気が付けばピエリスは椅子の上で身体を丸め、耳の上に両手を押し当てていた。
頤を汗がしたたり落ち、音をたてて肩で呼吸をする。
「はあっ、はあっ」
「これが価値観を剥ぎ取るってこと。よーく理解できたでしょう？」
こくこくと首から上だけで頷く。声を出すことすら気怠く感じるほど消耗していた。
これが生まれついての支配者階級。バジリスクの真価なのかと本能で理解する。
「だからきっと、キミが将来人蛮共存国家を本気で立ち上げたいのなら」
国民となる彼らもいまのキミと同じ痛みを味わうことになると思うよ。
下弦に細められた緑の弓から、鋭く重い矢じりが放たれピエリスの心臓に深々と埋まった。
「ああもう、これ以上はいじわるしないって。そう殺気立たないでよ。やーん」
すっとピエリスの前に大きくはない、ただどこまでも信じられる背中が立ちふさがる。
顔は見えない。声すら発していない。でも激怒していることは背中越しにひしひしと伝わってきた。
最初にピエリスが制していなければとっくの昔に飛び掛かっていただろう。
「いいねぇキミ。『殺すぞ』とか、やすい脅しを吐かないところが実にイイ」
それはなんとなくピエリスも感じられた。
きっとプフィルはミノルラピスに勝てない。だからこそ舌戦に活路を見出したのだ。
それがこのざまなのだが。
プフィルは実現不可能な脅し文句をつかない。
ただ確実に結果を残すのだろう。
「捨て身で刺し違えたところで命には届かない。だがこれ以上は片目をもらうぞ、ってところかな？」
へらへらと笑いながらミノルラピスはプフィルの姿勢を読み解く。たしかにバジリスクにとって目は貴重な財産だね、なんて。
プフィルは黙って全身のバネをたわめていた。
止めなければと、焦れば焦るほど声の出し方が思い出せなくなる。
しかし、事態はピエリスの想定外の方向に発展した。
「じゃあ、これでどうかな？」
ぞぶり、とミノルラピスの細い指が自らの眼窩に埋まる。
そのまま、まったくよどみなく右目を抉り出した。
ピエリスは頭がまっしろになった。
もしも正気のまま見ていたら、あまりの光景に吐き気が抑えられなかったころだろう。
「ハイ、あげるー。これでお詫びってことで」
「……正気か？」
堪えかねたように吐き出されたプフィルの言葉とすれ違うようにするりと近寄ってきた彼女に二人とも反応できなかった。
べろん、と頬を舐め挙げられてようやくプフィルは悲鳴を上げることに成功する。
「ひゃう！？」
「ん、おいし。子供を食べないって約束したのが悔やまれるなぁ」
食欲。
生まれて初めて向けられる感情のこもった視線に、背筋に表現しがたい震えが走る。
「シャア！」
「おっと、よっ、はっ。じゃん！」
エレメンタルブレイドによって放たれた渾身の突きをミノルラピスはあっさり避けた。なぜかそのまま連続でバック宙を決めてポーズまでした。
「さっきのは授業料の、紅茶の不足分ってことで。だから、それはあげるよ」
その言葉でピエリスは、自分の手に先ほどの抉り出された濡れた緑が握られていることに気づく。
「きっとこれから先のキミたちに必要になる。なぁに、気にしないで。バジリスクは長生きすればするほど目が増えていく。ついでに穢れも増えるんだ」
このまえ一つ増えて穢れが鬱陶しかったから、ひとつ減らしておきたかったんだよね。
浮かぶ笑みに自傷行為に対する感慨はいっさい見受けられなかった。
「瞳石がひとつでも残っていればその目は再生するんだ。理屈は自分でもよくわからないけどさ」
蛮族ってデタラメな身体しているよねー。
他人事のように語る彼女の言葉を証明するかのように、体液の流れる右の眼窩には新たな緑の輝きが急速に再生を始めていた。
「じゃ、またね」
来た時が突然なら、帰るときもまた然り。
まるで最初からいなかったかのようにふっと掻き消えたミノルラピスに、しばらく警戒の姿勢を崩さなかったプフィルが膝をつく。
「申し訳ありません、ピエリス様。禁じられていたのに刃を抜きました」
「……いいのよ。あれはわたくしの敗北だもの。プフィルはよくフォローしてくれたわ」
苦い敗北だったが、得たものも少なくない。
いずれは考えなければならないことを、前倒しで知れたこと。
なにより、六魔将と呼ばれる上位蛮族に生きて対峙した経験を得られた。
きっとこれはピエリスの財産になる。
「仮にも将と呼ばれる相手に、備えなしに臨んだわたくしが愚かだったの」
取り返しのつかない被害なく生還したことを喜ぼう。
身も心もへとへとになったけど、素直にそう思えた。
「さて、紅茶をいれなおしてくださるかしら？ ……あと、これどうしましょう？」
とりあえずは忘れたふりをしていたかった、右手の中のお土産の始末を考えなければならないだろう。
後日、差出人不明の包みがピエリスの泊まる宿屋に届けられた。
同封された手紙に名前は無く、ただ『将来の美姫に。貴女の成長を楽しみにしています』の一文とバラのポプリの香りだけが添付され。
包みの中身はスノーパーム化粧水という甘い香りのする高価な化粧水。
それは肌がとてもやわらかく綺麗になる効果があり。
とある蛮族領域では人肉を食す際の調味料として使われるものだった。
このページへのコメント
プフィルとミノルラピスの人蛮共存メゾットは本編第91回の中で扱いたい内容でしたが、時間の都合上カットした内容です。
それを大幅に加筆して小説として仕上げてみました。
実卓で目をえぐるような残酷描写はできませんからね。