酒香る哀歌
最終更新：ID:gYYnwZFGVA 2018年10月08日(月) 01:48:32履歴
酒香る哀歌 
素面では話せないことがある。
素面の相手には話したくないことがある。
「ルーチェのあほー！ ばか、あんぽんたんっ、おたんこなす！！」
酔っぱらいの咆哮が酒の席にとどろく。
石鶏亭の地下一階にあるそれは場末の喧騒しずまらぬ飲み屋というよりは落ち着いたBARに近いのだが、それでも酔客が集まる以上騒がしさと無縁ではいられない。
そして、騒いだからと言ってつまみ出されるようなこともそうそう無い。
この場にいる誰しもが、アルコールで洗い流さねばやっていられないことがあると知っているから。
おおきな両目からだばーと滝のような涙を流しながら虎と化したレアリカと、その対面で苦笑しながらちびちびと杯をかたむけるヴィオラがその一報を受け取ったのはつい昨日のこと。
蛮王復活の予兆。
そしてカリギュラとルーチェはその蛮王の生まれ変わりだという少女の守護に付き、石鶏亭と袂を分かった。
寝耳に水もいいところの凶報に、果たしてどのような受け答えをしたのであったか。
考えを整理する、情報を吟味するなどとお題目をつけて自分の部屋に引き籠り、しかし今朝がた『飲まんとやってられん。付き合え！』と自分の隣で同じ知らせを受け取ったレアリカに引きずり出され、ヴィオラはいまここに至る。
「ええーい、色香か？ 色香に惑わされたかルーチェ！？ どっちじゃ、転生体という小娘かそれともカリギュラか！！」
「うーん。ルーチェってそういうタイプかなー」
「男が道を踏み外すのにそれ以上の理由があるかっ」
「ただ見捨てられなかっただけって気がするけど」
机の上にはすでに片手の指では足りない数の酒瓶が空になって並んでいる。
あまり高い酒ではない。もとより毒に耐性がある熟練の冒険者。酩酊を得るために数を飲むことを前提とした注文ということもあるし、芳醇な香りや沁みわたるような味とともに扱いたい話題というわけでもなかった。
「知っとるわそんなこと！ ルーチェは儂とは違う。人助けの席でそろばん弾けるようなやつではない。でもなぁっ」
皿ごとひっつかみ、盛られていたナッツをざらざらとレアリカは口の中に流し込んだ。バキリボキリと一般人なら歯が折れていたのではないかという咀嚼音を奏でながらハムスターのように頬を膨らませる。
「はにゃふははひらをふへはんふぁふぉ。ふぉふぇはふるへるはあ」
「ごめん、なに言ってるかわかんない。あと噛み砕かれたものがミサイルみたいに飛んできているからやめて？」
おしぼりで顔と周囲をぬぐうヴィオラに申し訳なさそうな顔もみせず、レアリカは口の中身を飲み込んだあとで言いなおした。
「あやつは儂らを捨てたのじゃぞ。本人にその気は無くとも、石鶏亭で築き上げた栄光と絆と、身寄りも定かでない将来の脅威だけは確実な小娘を天秤にかけてな。これが許せるものかよ」
ずきり、とヴィオラの心も痛んだ。
仲間を喪う覚悟はしていなかったわけではない。実際、冒険者を始めてから知り合い、そして顔を見なくなった相手だっている。
しかし裏切られた、捨てられた、という思いは予想外で、覚悟ができていなかっただけにしたたかにヴィオラを抉っていた。
「なんとかならないのかな？」
そう問うてしまったのは果たして未練か。
「無理じゃな」
ばっさりと切り捨てるレアリカ。その目に宿る光は酒精で濁っているものの、感情による拒絶ではなく戦勝神に仕える神官の叡智だ。
「何かを守るということは、何を切り捨てるか選ぶということじゃ。すべてを守るというのはそれ即ち何も起きていない平穏無事ということじゃからな」
ごとりごとりとテーブルの上に置かれた酒やつまみをシンボルに見立て、レアリカは現状を説明してみせた。
酔っぱらいによる酔っぱらいのための現状把握。当然ながら精密性よりも勢いが重視されたものである。
盤に置かれた勢力は大きく分けてふたつ。
すなわち人族社会と蛮王勢力だ。これは信念の違いなどというレベルではなく、生存競争という枠組みでの衝突である。ゆえに妥協点は存在しない。一度ぶつかってしまえば最後、己の陣営の生存権を確立し終えるまで止まることはないだろう。
だから、衝突を防ぐためにはどちらかを排する必要がある。人族の立場で見れば、模範解答は覚醒する前の転生体の殺害だ。
しかしその機はもう逃してしまった。
「モミジさんとかは両者がぶつかり合わずに済む、第三の道を模索してみるみたいだけど……」
「はっ、呑気なものじゃ！ 自分が血を流さずとも、他の誰かが解決してくれると盲信しておる」
レアリカが殺気にも似た剣呑な気配を放つ。彼女が欲しくても得られない個人で戦局を変える力。それを持ちながら使わない道を選んだ者が許せないのだろう。
守りたくても守り切れない。力が足りない。何度も頭の中で大破局によってもたらされる被害を計算し、自身の手が届く範囲の狭さに絶望する。それはもはや憎悪と言ってもよい感情に繋がろうとしていた。
ヴィオラもそのことに感じて複雑な思いを抱いているものの、レアリカと一緒に怒りに呑まれる気にはなれず、そっと話題を逸らす。
「もしも、レアリカちゃんだったらどうする？ どうすれば助けられると思う？」
「……伝承に残る〈蛮王の剣〉の捜索と、ドレイクを大量に使い潰す実験かのう」
かん口令が敷かれているとまではいかないが、人族滅亡の危機の到来、さらにはその危機に石鶏亭の面々が敵側についたという情報は大声で喧伝されているものではない。
ゆえに入ってくる情報は限られ、組み上げられる理論も多分に推測をもとにしたものとなるが、その上でレアリカは淡々と構築してみせた。
蛮王の復活というものが厳密にどのようなロジックで成立するのかは定かでないが、魔剣の力だというのであれば魔剣の破壊は前提条件。
蛮王が倒された際にその力が十本の魔剣、〈蛮王の剣〉と呼ばれるものに姿を変えラクシアに飛び散ったという逸話は中堅以上の賢者なら知っているそこそこ有名なものだ。少しマイナーになるがそれらを砕く力を持つという〈魔剣砕き〉の伝承も存在する。
もしも生まれ変わりや力の復活がそれらの魔剣を集めることでなされるのであれば、決戦に至る前にそれらを向こうの陣営よりもよりはやく手元に置く陣取り合戦、椅子取りゲームが展開されることになるだろう。
また、蛮王の転生体を救うという一点を注視するのであれば魔剣を破壊したときの副作用も無視できない問題だ。
石鶏亭には数多く魔剣を持たないドレイクが存在するため感覚がマヒしそうになるが、ドレイクにとって魔剣は己の力の結晶であり半身。後天的に失った場合、その大半がショック死する。
蛮王の剣と転生体もそれと同様の関係ならば、転生体の守護を目的とするカリギュラやルーチェと和平を結ぶには安全に魔剣を除去する方法の確立は必須。そして前例がない以上は安全とも危険ともいいようがないので、用意しておく必要がある。
「つまり、大量にドレイクを捕獲しては魔剣を破壊して、安全に魔剣を除去するための動物実験を繰り返すのが模索手段として一番確実じゃな」
「……ひどくない？」
「ははっ、おぼえておけヴィオラ。よいか？ 今まで誰かがやった方法で解決できるのなら、とっくの昔にどこぞの英雄が解決しておる。誰もがやろうとしない方法を貫き通す狂気にも似た、あるいはそのものである意志を持つ者だけが新しい境地を開けるのよ」
誰かを助けるというのは、何を助けないのか選ぶということ。
はたしてあの優しいルーチェに、たった一人の女の子を助けるために蛮族とはいえ無数の死体を積み上げる覚悟があるだろうか？
無理だろうなというのがヴィオラの率直な感想だった。あるいは、そう信じたいだけなのかもしれないが。下手をすればルーチェが積み上げるのは蛮族どころか人族の死体の山になるのだから。
それにしても、ヴィオラは思う。
酩酊任せの勢いだけの理論構築とはいえ、ここまですらすらと即興で並べ立てられるものだろうか？
考えていたのだろう。模索していたのだろう。悩んで悩んで、そしてその上で『無理だ』と結論付けだのだ。
つまり――――
「じゃあ、その理論の穴って？」
「察しがよくて助かるよ。まー、仮にそれらの理論がすべてうまくいったとしても最初の一歩で躓いておるのよな。どうやってカリギュラめにその見つけてきた救済策が『真実である』と信用させるのよ？」
「あ……」
そういうことだった。どれだけ理論が完璧でも実行できなければ絵に描いた餅。
そして、レアリカたちに蛮王勢力に信用させるだけの根拠が欠けている。信じたくても信じられない。信じてほしくても信じてもらえない。そしてそれを仕方がないことだと諦めている。
実際、もしもそれで大破局が避けられるのならレアリカはだまし討ちだろうが暗殺だろうが何だってするだろう。それを本人が自覚しているし、周囲にそう認識されていることも認識している。
「もう、避けられないんだね？」
「儂の見立てではもう無理じゃな」
「そっか……そっかぁ」
じわり、と視界が滲む。
話を聞いた時から降り積もっていた不安と焦り、アルコールでゆるんだ心の箍、それが理路整然と並べたてられた予測の一撃で壊れてあふれ出した。
ぽろりぽろりと、一度こぼれたらもう止まらない。
「どうしよう、私がルーチェを石鶏亭まで連れてきたんだよね……」
身体を自分の腕で押しつぶすように圧迫しても震えは止められない。
「どうしよう、ルーチェが私の家族を殺しちゃったらどうしよう！」
ずっとずっと心の奥に封印していた言葉が溢れた。
ヴィオラが冒険者になったのは家族のためだった。
今では若かったと苦笑できる程度にはむかしの黒歴史ではあるが、ナイトメアとして生まれた妹が幽閉生活を余儀なくされるのが許せなくて、発言権を得るために貴族の家を飛び出したのだ。
冒険者として活動を続けていても、肉親の情は人一倍強く残っている。
彼女の生家はダーレスブルグ公国だ。もしもルキスラ帝国と蛮王勢力がぶつかるとすれば、その頃にはほぼ確実に『消えている』。
ふわり、とうつむき震えるヴィオラの頭を何かが包み込む。肉付きが薄く、しかし柔らかい胸がしっかりと少女を抱きかかえていた。
お行儀が悪くテーブルの上に乗って膝をつき、ヴィオラの頭を撫でるレアリカのことを咎める者はここにいない。なにせどいつもこいつも酔客なもので。
「こわいよ」
「ああ、そうだな」
「どうすればいいの？」
「目の前にあることにただ全力を尽くせばよい。儂らが誰かの大切を守っているように、儂らが手の届かない儂らの大切をきっと誰かが守ってくれているじゃろう。そう信じられるのが人族の強さじゃ」
「……つらいね」
「ああ、つらいさ。それを耐え忍ぶのもひとつの強さよ。なぁに、任せておけ。対軍は儂の本領よ」
ゆっくりと金髪の上を小さな手が往復するたびに、少しずつヴィオラの震えが収まっていく。
「…………がんばろうね？」
「はんっ。頑張り続けることなどできぬよ。長期戦になる。ほどほどに構えておけ。どうせ最後にはすべて出し尽すことになるじゃろうからな」
素面では話せないことがある。
素面の相手には話したくないことがある。
それでも自分の心と向き合わねばならない。現実と向き合わねばならない。
だから人は酒を飲むのだろう。
素面で向き合うには、この世にはつらいことが多すぎるから。
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