閉じた瞳にのこるもの
最終更新：ID:ubrZ2mk6tg 2016年05月22日(日) 16:39:14履歴
閉じた瞳にのこるもの 
◇
場違いな気がして落ち着かない。いや、落ち着いて堂々と楽しめる蛮族がおかしいのだ。
アグナは自分の状況を振り返る。
「んー、おーいし！ やっぱり人族領の食べ物は美味しいね。特にこのパンはなんだろ、麦が違うのかな？ お日様の風味がする！」
ダグニア地方ラ・ルメイア王国、王都エスティーユ。
堅苦しいセフィリア神聖王国に比べ自由闊達で明るい国民性を謳われているが、それは人族相手の話。穢れに厳しい国民性は変わらないし、蛮族が忌むべき敵であるという事実も歴然として存在している。
目的のためなら手段を択ばず、いかなるアンデッドも殲滅するというエクソシストの雷名はザルツ地方に暮らす彼ですら耳にしたことがあるというのに、彼らの本拠地たるティダン大神殿の目と鼻の先の太陽市場で鼻歌交じりに買い食いを満喫できる義母のメンタルはきっと鋼を通り越してマナタイトか何かで出来ているのだろう。
「ん、なあに？ ボクの顔に何かついてる？」
「ああ、頬の端にパン屑が……」
そんな古いボケをかまして自分に頬を拭われている様子は、その不老の美貌と相まって幼い少女にしか見えない。しかし薄絹のようにその身に纏った、引き込まれそうな雰囲気はまさにカリスマ性と呼ぶべきもので、ただの少女とは一線を画すもの。
“黒の軍の六魔将”“閉じた石の瞳”ミノルラピス。
それが彼女の肩書である。
かつて“黒の王”と呼ばれたノスフェラトゥが創設した蛮族の大軍団の最高幹部の一人であり、直轄部隊を率いることが許された存在。
こう見えて立場ゆえに多忙であり、養子兼幹部候補として彼女に引き取られたアグナとは週に一度会えれば幸運という相手であった。
「そんなにびくびくしないで、もっと胸を張る。ここは冒険者も商人も巡礼者も、とにかくよそから来る人間が多いんだ。フード付きのマントを被っている人間なんて珍しくもないさ」
下手にびくびくするから悪目立ちするんだよ、と注意を飛ばしながら露店で果物を三つ追加で購入している義母ほど、彼は図太くなれない。
「そうは言ってもな」
「大丈夫だいじょーぶ。さっき大きなアーチをくぐったろ？」
「？ ああ」
「あれの中には新型の蛮族探知機が仕込まれていてね。蛮族がこっそり潜入した日にはあっという間に衛視の詰め所やエクソシストたちに連絡がいくんだ」
それのどこに大丈夫な要素があるというのか。
「それをこの街の統治者たちは知っているし、民は教えられなくても空気から敏感に察する。ここは安全だってね。対策をしっかり取った以上、まさか蛮族が潜入しているだなんて誰も思わないよ」
「……なんで俺たちには反応しなかったんだ？」
「設置したのがボクだから」
厳密には企画段階から裏で一枚噛ませてもらったんだ。
いわゆるスポンサー、カネとコネってやつ。
統治者はともかく技術者って自分の腕が十全に揮えるならそれでいいってタイプのやつがいてね。
蛮族の穢れって指紋と同じように個々で微妙に形状が違うって知ってた？
それを利用してボクの一派の穢れの形状パターンには反応しないように調整してもらってー。
……などと明らかにこんな場所で公開してはいけない情報がペラペラと説明されたが、アグナにはさっぱり理解できなかった。理解したくなかっただけかもしれない。
その裏側でむくむくと頭をもたげるのは、以前にも感じたひとつの疑問。
「いいかい？ 選択肢を選ぶ時点で二流なんだ、ボクらみたいな立場にとってはね。常に選ばせる立場でいることだよ。自由にカードを引かせてやればいい。山札がこちらの用意したものであればそれでいいんだ」
てっきりあの場のノリかと思っていたのだが、どうやら彼女は本気でアグナを『育てる』つもりらしく、ことあるごとにこのように教え導くような言葉を彼に投げかける。
そういえばこの前酒の席で、強い蛮族は頭を使わなくても勝てるからバカのままだし、頭を使う蛮族は必要に迫られて頭を使わざるを得ない強さだから下級蛮族が付いてこないジレンマについて愚痴っていたのをさんざん聞かされた。
見込みのある幹部候補はアグナが考えている以上に貴重な存在なのかもしれない。
「でも、そういう手口って下の大多数には受けが悪いんだよね。より安全に、より被害を少なく、その果てに戦闘そのものすらも起きる余地なく勝負を決める。それが将のあるべき理想の姿だと思うのに、彼らにとってボクはごちそうを取り上げる意地悪な上司らしい」
「なあ」
金言の価値があるのかもしれなかったが、アグナはあえてそれを遮る。ここで聞かなければいつまでも聞きそびれてしまいそうな予感がしていた。
「ん、何かな？」
言葉を止めてミノルラピスは、一度果実を齧ってから首をかしげる。咀嚼し続ける口の上で、怪しく誘うように温度のない光を放つ一対の緑がまっすぐにアグナを見ていた。
気圧されるものを感じながら、それでもアグナは口を動かす。
「なんで、そこまで人族に尽くすんだ？」
たしかに彼女の行為は純粋な善意に基づいた慈善活動ではないし、むしろ足元に毒針を埋めていくようなものだ。
それでも、彼女が手を回したおかげでここで死ぬ人族の数は確実に減るだろう。彼女の行いは人族を助ける。無私ではないが、尽していると言ってもよいほどに。
それはアグナがミノルラピスに初めて出会った時から、彼女の諜報活動に共通して言えることであった。
かつて彼女は言ったことがある。人族と蛮族は共存しえないと。人を食う生き物と人は一緒にはいられないと。そう断言しながら、飄々と人助けを続けられる理由が、どうしてもアグナは知りたかった。
リルドラケンの集落に、何故かドレイクとして生まれ落ちて。人族として生きるようとも、蛮族として生きようともつかない彼だからこそ。
「そうだね、あれは今から三百年前、いや、大破局が三百年前だからもう少しだけ昔か。五百年くらいだっけ？ さすがに千年は経っていないはずだけど……」
初めて出会った時と同じように、隠し立てする様子もなく気負いなく話し始めるミノルラピスにアグナは肩透かしを食らった。
蛮族でありながら、時として部隊を率いてまでやっていることだ。少しは口ごもるかと無意識下に予想していたのだが。彼女にとっては買い食いついでの世間話の延長線上で済ませてしまえる内容だったらしい。
あるいは、仮に一般的には時と場所を選ぶべき重みのある過去だったとしても、どこか箍の外れた彼女の精神を束縛することが適わなかっただけなのか。
なんにせよ、自分から切り出してしまった以上いまさら『やっぱり場所を変えてもう一度』だなんて言うことはできない。
アグナにできるのは、ただ指折り数える彼女の話に耳を傾けながら分け前として差し出された果実を齧ることだけ。
まだまだ旬には早いのか、甘さより強烈な酸味が勝った味だった。
◇
まあいいや、思い出せないってことは重要なことでもないんだろうさ。
端数が十四年ってことは覚えているんだけどね。
とにもかくにも数百年と十四年前、そこにボクが今のボクになる理由が存在する。
当時、ボクは人体実験施設にいた。
そこはバルバロスやナイトメア、ダークドワーフなど第二の剣の眷属がモルモットして収容されていて、ボクもその一匹だった。それより昔のことは憶えていない。いろいろ体中いじくりまわされて記憶が虫食いだらけってのもあるけど、興味もないから調べなかったんだよね。
逆境をはねのけるだけの力を持たない方が悪い。バルバロスって言うのはそういう考え方をする集まりだから。
当時のボクはまだ石化の邪眼を持っていたから目隠しを外すことは許されないで。でも、ちゃんと見えていたよ。ガラス越しにボクをさげすむあいつらの視線は。
あいつらにとってボクらは女の子じゃなくて、一個の人格を持った存在でもなくて、ただデータを取るためのモルモットであり、人食いの化け物だった。
お友達になれないと常々思ったし、なりたいとも今でも思わないよ。
人族とバルバロスは共存できないって言う確信は、このあたりの経験が大きいかな。
ああ、ボクが自分の石化の邪眼をえぐり出した時に変な能力を発現したのも、あの時にいろいろいじくりまわされたからってのもあるかもしれないねー。
手術はまださ、我慢するとして。注射はちくっとするから大嫌いだけど、ダークドワーフよりバジリスクの方が身体は頑丈だから、代わりに受けて服を赤茶けた花畑に染めるのも我慢するよ。
でもさ、おやつのクッキーの中にまで何か入っていて妙に苦いのは勘弁してほしいよね。おかげで味覚がイカレちゃってさ。今でも極端な味付けにしないとなかなかわかんないんだ。においや風味は感じないでもないんだけどね。
だからボクを殺したくなったら毒殺するといいと思うよ？ たぶん効果が出るその時まで気づかないから。ただ、即効性のものにしないと邪眼で解毒しちゃうけどね。
……話が逸れたね。
ルームメイトは臆病ゆえに裏返って攻撃的なダークドワーフと、夢想家で甘えん坊なくせに芯は頑固なドレイク。なかなか愉快な三人部屋だったよ。
ダークドワーフの子には夢があってね。窓の外の青空の下で、自由に走り回ってみたいっていつも言っていた。でもボクはあの青空が大嫌いだった。
だって、あれは施設の外壁の上に投影された映像だって知っていたから。
それをいつバラそうかとワクワクしながらタイミングを見計らっていたんだけど、結局最後まで言う機会がなかったなぁ。それだけは数少ない心残りだよ。
何故か知らないけど、ボクらモルモットの手の届く数少ない娯楽品として第一の剣の神について書かれた絵本があったんだけどさ。
ドレイクの子はいつも言っていたよ。この絵本みたいに、いつかきっと神様が助けに来てくれるって。
バルバロスが誰かに助けられることを期待しちゃいけないって、口に出せば喧嘩になることがわかっていたから我慢するのが大変だった。
でも、正しかったのはあの子の方だった。かみさまは来てくれたんだ。
夜だった。
よく憶えているよ。きっと一生忘れない。
あの偽りの青空をガラガラと崩してかみさまはボクの前に現れた。
鉄色の翼に頭上の光輪がキラキラと、機能を停止した施設の内部で輝いて、かみさまの背景に本物の星空がきらめいて、すごく、すごく、とってーも！ きれいだった。
だからボクは星空が好きなのさ。今度時間をみつけて星を見に行こうか。あの下で一緒に踊ればきっと楽しいよ？
まあその後、施設が停止したせいで封印が解けて、えーと、何て言ったっけ？ そうそう、テトラフラグメントが暴れ出してさ。かみさまと殺し合いになって、その余波で施設にいた七割の命が消し飛んだんだよね。
あはは、すごいでしょ？ うん、魔動天使の研究機関の一つだったんだ。だから女の子ばかり集められていた。これは後で知ったことだけどね。
どっちが運営していたかって？ そりゃ人族だよ。バルバロスは魔動天使を奪っても、まだまだ研究するまでには至っていなかったからね。そんでもって襲撃したかみさまも人族の所属だった。もうすでに人族も蛮族も、一枚岩じゃなかったのさ。
どうしたの？ そんな何とも言い難い微妙な顔してさ。果物きらいだった？ 好き嫌いはダメだよー、強いバルバロスになれないよ。あ、違うの。
じゃあため込んでないで言ってごらんよ。ほらほら、おかーさんにお話ししてみ？
……『人族を恨んでいないのか』って？
…………ふふ、あはは、ちょ、まって、ツボ入った、あはっ、はははは！
こほっ、あー、おかし。ごめんごめん、バカにしたわけじゃなくてさ。
そんな余裕なかったよ。人族とか蛮族とか、どっちでもよかった。
だれでもいいからたすけてほしかった
それだけ。それで助けてもらえたから、ボクは誰かを助けるようになった。
バルバロスの多くにとって戦闘は目的だけど、人族の多くにとって戦闘は手段じゃん。それと似たような感覚で、ボクにとって人助けは手段というより目的なんだよね。
誰を助けるかっていうのも、どれだけ多く助けるかっていうのも、そもそもそれで本当に助かるかってのも、あまり重要じゃない。
感じるときに、感じるままに、ただ気まぐれに愛して助けずにはいられないバカがいるってだけさ。
理論で物事を考える軍師や策士相手にとっては、ボクみたいな感覚だけで最初から最後まで動けちゃう相手は天敵みたいなものだろーね。
同室のモルモットは全員、幸運にも助かったよ。
ダークドワーフの子はかみさまに強く憧れてね。同じ陣営に所属して、志願して魔動天使になって、かみさまの姉妹機になった。
ほら、石鶏亭のトップランカーにアレアっていう魔動天使がいるでしょ？ あれがそれの成れの果て。
理想をもって飛び込んだ世界は思っていたのと全然違っていて、それでもいまさら引き返すこともできなくって、努力して努力して努力して、それで限界が来てはじけ飛んじゃって以来、あんな感じみたい。
それでも、憧れはいまだに根強く残っているんだろうね。
あの子の戦い方。昔のかみさまの焼き直しそのものだよ。何度記憶を消されても、何度心が折れても、それでも諦めきれないってすごいことだよね。
そこまで惚れこまれたのなら誉れだってボクは思うんだけどなぁ。ヘレルはいまだに合わせる顔が無いって、何度言っても会いに行こうとしないんだよねぇ。前途ある若者を戦乱に引き込んでしまったって、お酒が入るたびに嘆くんだよ。
やっぱりこのあたり、ボクの価値観ってバルバロスなんだなって思うよ。ヘレルが戦いが苦手っていうのもあるだろうけど。ボクもアレアも、たぶん君も少なからず戦いを楽しんでいるだろ？ ヘレルにはそれがない。必要だからやるし、才能も積み上げた経験もあるけど、本当につらいみたい。
一人殺せば犯罪だが、百人殺せば英雄だって、魔動機文明時代の娯楽作品のセリフだけどさ。だったら英雄百人分働いたヘレルは、もう休んでいいと思うんだよね。
あのひとが望まない限り、ボクはあのひとに戦ってほしくないよ。ニートでいいよ。ニートがいい。
……強くなりたいと思ったことは実はあまりないんだ。仮にも上位種たるバジリスクですし？ 時間の流れるままにのんびり生きたら薄皮が積み重なるように力量も高まった。でも、強くなってよかったって、ほんとに思ってる。
あのときかみさまだったあのひとに、今は友達として手を差し伸べることができたから。
◇
うすい胸に右手を当てて目を閉じるミノルラピスの前に、アグナはいろいろな意味でお腹いっぱいだった。こんな場所で行き当たりばったりに聞くのではなかったと激しく後悔した。
「あ」
ぱっちりと大きな緑の瞳を開き、果汁でべとべとの左手を伸ばして、とん、とアグナの胸を押した。意図が読めずに一歩うしろによろめくアグナの鼻先を銃弾がかすめる。
ちょうど、一歩分が無ければアグナの脳天に直撃する軌道だった。一拍置いてぶわっと全身から汗が噴き出す彼をしり目にミノルラピスはけらけら笑い、不意打ちに失敗したエクソシストたちがわらわらと出てくる。
「ごめんごめん、蛮族探知機の除外反応、アグナの分を新規登録していなかったみたい」
「おい！？」
ぜったいにわざとだ。彼女に付き従ってからというもの、ミノルラピスは彼に生きるか死ぬかギリギリ瀬戸際の訓練を幾度となく彼に課している。いまだに死んだことが無いあたり、彼女の匙加減は絶妙なのだろうが。
敵はたいてい悪党ではない人族であり、アグナの両刀は主義主張が違うだけの罪なき人間の血を無数に啜っていた。自分が蛮族の側であると自覚させるためなのか。もう戻らせはしないと言外に脅迫しているのか。
将であり、策士であり、義母であり、煽動家であり、領主であり、少女であり、そのどれでもない彼女の正体をいまだにアグナは掴める気がしないし、そんな日は永遠に来ないのかもしれない。
ただ一つ、今回の件で心に誓ったことがある。
「ノルマは三人ね。あ、あれ美味しそうだな。見たところ三十代後半って感じだし、食べても約束違反にならないよね」
「今度アンタの過去を聞くときは、絶対に安全な場所で酒とつまみを用意してからにするわ！」
素面で地雷だらけの彼女の過去を相手にするのは、もう二度と御免だった。
このページへのコメント
超越に参加できそうにないフラストレーションを発散させるために勢いで書き上げて投げてみた。
おかげで投稿当初は登場人物の名前を間違えるという致命的失敗を犯しておりまして、大変失礼いたしました。