幕間『Song to You』
最終更新：ID:gYYnwZFGVA 2019年03月15日(金) 19:16:21履歴
「なあ、何でわざわざこんなさーみぃ国まではるばる来たんだよぉ？」
ダグニア訛りの交易共通語が雪国の白い空気を振るわせる。
『理由は二つある。ひとつは、この国は石鶏亭から程よく遠くて、適度に近い』
返答は声に寄らない言葉だった。
さらさらとリズミカルに顔の横で指を動かすのは、どこかはっと人目を引き付け、離さない魅力がある銀髪の少女だった。
その特異性を象徴するかのように右肩甲骨から金属光沢を纏った翼がしゅるりと伸びている。
ソレイユ語という言語がある。
ソレイユという種族のイメージから大仰なポージングや暑苦しい掛け声をまっさきに連想されがちだが、その起源は狩猟民族である彼らが獲物に気づかれずに意思疎通を図ろうとしたもの、あるいは神紀文明時代の戦争の際に生み出された音を介さない手指を使った言葉とされており、実際は片手でもかなり複雑な情報を伝達できる優れた言語体系だ。
大仰なポーズや暑苦しい掛け声は主に喜びなどは大仰な感情を表現する際に必要なのであり、文意を伝えたいだけなら片手でも両手でもやりとりできる情報量に大差は無い。つまりソレイユがどれほど暑苦しく情報をやりとりしているのかという傍証なのだが、返答の主はそのような熱血とは無縁のようだった。
彼女が用いたのはそのソレイユ語を崩したもの。
発声と大仰なポージングを完全に廃し、両手の位置と表情で情緒の表現を代用している。
いささか癖があるが、ソレイユ語を習得していれば解読は容易であり、問いかけた方は内容を完全に理解している様子だ。
「もと村娘に何を求めてんの？ 神官さまみたいに小難しいこと言われたってわかんねーよ」
最初に問いかけた方、成人まであと五年はかかろうかという幼い顔、その眉間にしわが寄る。
ダグニア地方からここフェイダン地方まで、陸路を用いれば最短ルートでも地方を四つは跨がねばならないし、その中には蛮族が支配する領域も存在する。
一方で石鶏亭のあるザルツ地方に直接向かうのであればリーゼン地方を経由すればあっという間、というにはこの時代の旅程は危険に満ちているが、それでも比較にならないほど早く目的地に到着できただろう。
幼いと身空で無謀とも言える長旅を経験させられた身の上としては、もんくの一つくらい言っても罰は当たらないかもしれなかった。
ただひとつ言わせてもらおうのなら、年長者の方は常識とはかけ離れた価値観と感受性の持ち主であることは否定しないが、それでも何の理由も言わずに年少者を地方を越えて長々と引きずり回すような鬼畜外道ではない。
初めて会ったときも、旅を始めるときも、その道中にだって何度も計画を、その全体像を含め説明している。
しかし、初対面の時から幼い少女の頭のできがいささかばかり残念なのは承知の上だ。嫌な顔ひとつせずに、年長者はかがんで視線を合わせながらパタパタと指を躍らせた。
『石鶏亭はアイヤール帝国と交流がある』
それは皇位継承権を持つ少女とのコネクションだったり、あるいは冒険者本人が個人的な因縁があったり。
有事の際には依頼以外にも、個人的な動機で駆けつけんとする冒険者がひとりならずいる程度に、テラスティア大陸のこの北端と南端は繋がっている。
しかし、その距離は純然たるものだ。
魔法による転移や、空路を利用したショートカットが珍しくない石鶏亭においても、その事実は完全に消すことはできない。
『そしてザルツ地方はいま、蛮王の脅威にさらされている』
蛮王。“大破局”を経た人族の本能として、幼い少女の喉がごくりと鳴る。
かくも蛮王とは人族の恐怖を駆り立てる単語なのだ。
余談だが。
実は蛮王ほどではないにせよ、銀髪の彼女も単騎で国を脅かして余りある存在なのだが、この場でその事実を指摘するものはいない。
蛮王は国家の危機、どころではない。少なく見積もっても地方の危機。下手をすれば世界の危機だ。
そんな危機を前にして、『かたが他地方の一国の危機』程度で手元から貴重な戦力がこぼれていくのを良しとする為政者は少数だろう。
冒険者は自由を尊ぶ者たちであり、兵士のようにその身辺を拘束する強権を為政者たちは持たないが、同時に信頼と人気が無ければ冒険者は商売が成り立たない。
ザルツ地方で活動を続ける気があるのなら、石鶏亭の高位冒険者、特にトップランカーと呼ばれる化け物たちはアイヤールから応援を求められたところで、迂闊に動くことができない。
一方で、そんなこと知ったことかとばかりに動く冒険者だっているだろう。自主と自立と自己責任が彼らのモットーなのだから。
『つまり、戦力の逐次投入を誘導できる』
そうなればしめたものだ。
人族の強さとは集団の強さ。いくら化け物とはいえ、個々人なら対処可能の範疇。
特に銀髪の少女の能力を鑑みると、各個撃破は単純に敵の戦力を減らすことのみを意味しない。
理論立てて説明されても、幼い少女の青い前髪の下に刻まれた眉間のしわはほどけない。
長旅をさせられたことが不満なのではない。
もう彼女に帰るべき故郷は無い。今年から作成される地図にもう彼女の生まれ育った村の名前はないし、載ったとしてもそれは同じ名を冠しただけの別の村だ。
自らの命を危ぶんでいるのではない。
友を喪った。帰るべき家もない。もはや少女は生きることに価値を見出していなかった。
ただひとつ。奪われた友達の仇をとること以外は。
『石鶏亭を滅ぼしたい？ ならば、正面から正攻法は極めて困難。小細工は必須』
「……っかてるよぉそんなことは！ ゲルダの仇はぜったいとる！」
あまりわかっていない乱暴な口調で幼い少女は年長者の忠言を断ち切った。
要するに、いつまでたっても始まらない復讐劇にイライラしているのだ。
始まってしまえばもはや、石が坂を転がり落ちるように行き着く暇もないと人生の浅い彼女は知らず、最後になるかもしれない余暇をただ苛立ちのままに潰している。
「あいつらを皆殺しにしてやるんだ！」
憤怒の形相を通り越し、凍てついた無表情に込められた憎悪だけは年不相応に完成されたものだった。
「で、もう一つの理由はなんなんだ？」
乱暴な話題の転換に、特にさからう理由も無かったので銀髪の少女は素直に答える。
『アイヤール――あの国はタマネギに似ている』
「おう……お、おう？」
『タマネギは、きらい』
「…………おおう」
小さな開拓村出身の幼い少女に、好き嫌いという概念は未知との遭遇だった。
気まずげに目を逸らす幼い共犯者の死角で、銀髪の少女はさらりと指を動かす。
それは名乗り、正義の明示、証明開始の宣言の三つのプロセスからなる口上。
義務付けられているわけではない。だが、自らの存在をかけた戦場において、姉妹の多くが口にするものだった。
少女の性能を考慮するに、きっと英雄たちの前で声に出して大見えを切る機会はないだろう。
だから、舞台に上がったこのタイミングで。
誰に見せるためでもなく、ただの特別な儀式として彼女の指は繊細に文字を描く。
『我が名はエルルーン。ワルキューレの終点にして、人族からの離反を決定づけた忌み子』
人族を救うことが彼女に与えられた役割だった。
たくさん救った。その先に、きっとみんなが笑い合える未来が、幸せがあるのだと信じて。
救った命はおそらく千に届くだろう。
しかし、エルルーンの存在で死んだ人族は万を優に超える。
だから決めたのだ。
『わたしの正義は、ただひとりの救済』
目についた、たった一人を救い続けるのだと。
それが財を欲する盗賊なら、国ごと中身を引きずり出して満たしてやろう。
それが病に涙する聖人なら、薬と歌声で人々を慰撫してまわろう。
それが復讐に猛り眠れぬ夜を過ごす幼子なら、安眠できるように歌おう。
仮にそれが、誰がための鎮魂歌になったとしても。
『ここに証明を開始する』
天秤はもはや意味を成さない。
さあ、英雄（バケモノ）退治のはじまりだ。
ダグニア訛りの交易共通語が雪国の白い空気を振るわせる。
『理由は二つある。ひとつは、この国は石鶏亭から程よく遠くて、適度に近い』
返答は声に寄らない言葉だった。
さらさらとリズミカルに顔の横で指を動かすのは、どこかはっと人目を引き付け、離さない魅力がある銀髪の少女だった。
その特異性を象徴するかのように右肩甲骨から金属光沢を纏った翼がしゅるりと伸びている。
ソレイユ語という言語がある。
ソレイユという種族のイメージから大仰なポージングや暑苦しい掛け声をまっさきに連想されがちだが、その起源は狩猟民族である彼らが獲物に気づかれずに意思疎通を図ろうとしたもの、あるいは神紀文明時代の戦争の際に生み出された音を介さない手指を使った言葉とされており、実際は片手でもかなり複雑な情報を伝達できる優れた言語体系だ。
大仰なポーズや暑苦しい掛け声は主に喜びなどは大仰な感情を表現する際に必要なのであり、文意を伝えたいだけなら片手でも両手でもやりとりできる情報量に大差は無い。つまりソレイユがどれほど暑苦しく情報をやりとりしているのかという傍証なのだが、返答の主はそのような熱血とは無縁のようだった。
彼女が用いたのはそのソレイユ語を崩したもの。
発声と大仰なポージングを完全に廃し、両手の位置と表情で情緒の表現を代用している。
いささか癖があるが、ソレイユ語を習得していれば解読は容易であり、問いかけた方は内容を完全に理解している様子だ。
「もと村娘に何を求めてんの？ 神官さまみたいに小難しいこと言われたってわかんねーよ」
最初に問いかけた方、成人まであと五年はかかろうかという幼い顔、その眉間にしわが寄る。
ダグニア地方からここフェイダン地方まで、陸路を用いれば最短ルートでも地方を四つは跨がねばならないし、その中には蛮族が支配する領域も存在する。
一方で石鶏亭のあるザルツ地方に直接向かうのであればリーゼン地方を経由すればあっという間、というにはこの時代の旅程は危険に満ちているが、それでも比較にならないほど早く目的地に到着できただろう。
幼いと身空で無謀とも言える長旅を経験させられた身の上としては、もんくの一つくらい言っても罰は当たらないかもしれなかった。
ただひとつ言わせてもらおうのなら、年長者の方は常識とはかけ離れた価値観と感受性の持ち主であることは否定しないが、それでも何の理由も言わずに年少者を地方を越えて長々と引きずり回すような鬼畜外道ではない。
初めて会ったときも、旅を始めるときも、その道中にだって何度も計画を、その全体像を含め説明している。
しかし、初対面の時から幼い少女の頭のできがいささかばかり残念なのは承知の上だ。嫌な顔ひとつせずに、年長者はかがんで視線を合わせながらパタパタと指を躍らせた。
『石鶏亭はアイヤール帝国と交流がある』
それは皇位継承権を持つ少女とのコネクションだったり、あるいは冒険者本人が個人的な因縁があったり。
有事の際には依頼以外にも、個人的な動機で駆けつけんとする冒険者がひとりならずいる程度に、テラスティア大陸のこの北端と南端は繋がっている。
しかし、その距離は純然たるものだ。
魔法による転移や、空路を利用したショートカットが珍しくない石鶏亭においても、その事実は完全に消すことはできない。
『そしてザルツ地方はいま、蛮王の脅威にさらされている』
蛮王。“大破局”を経た人族の本能として、幼い少女の喉がごくりと鳴る。
かくも蛮王とは人族の恐怖を駆り立てる単語なのだ。
余談だが。
実は蛮王ほどではないにせよ、銀髪の彼女も単騎で国を脅かして余りある存在なのだが、この場でその事実を指摘するものはいない。
蛮王は国家の危機、どころではない。少なく見積もっても地方の危機。下手をすれば世界の危機だ。
そんな危機を前にして、『かたが他地方の一国の危機』程度で手元から貴重な戦力がこぼれていくのを良しとする為政者は少数だろう。
冒険者は自由を尊ぶ者たちであり、兵士のようにその身辺を拘束する強権を為政者たちは持たないが、同時に信頼と人気が無ければ冒険者は商売が成り立たない。
ザルツ地方で活動を続ける気があるのなら、石鶏亭の高位冒険者、特にトップランカーと呼ばれる化け物たちはアイヤールから応援を求められたところで、迂闊に動くことができない。
一方で、そんなこと知ったことかとばかりに動く冒険者だっているだろう。自主と自立と自己責任が彼らのモットーなのだから。
『つまり、戦力の逐次投入を誘導できる』
そうなればしめたものだ。
人族の強さとは集団の強さ。いくら化け物とはいえ、個々人なら対処可能の範疇。
特に銀髪の少女の能力を鑑みると、各個撃破は単純に敵の戦力を減らすことのみを意味しない。
理論立てて説明されても、幼い少女の青い前髪の下に刻まれた眉間のしわはほどけない。
長旅をさせられたことが不満なのではない。
もう彼女に帰るべき故郷は無い。今年から作成される地図にもう彼女の生まれ育った村の名前はないし、載ったとしてもそれは同じ名を冠しただけの別の村だ。
自らの命を危ぶんでいるのではない。
友を喪った。帰るべき家もない。もはや少女は生きることに価値を見出していなかった。
ただひとつ。奪われた友達の仇をとること以外は。
『石鶏亭を滅ぼしたい？ ならば、正面から正攻法は極めて困難。小細工は必須』
「……っかてるよぉそんなことは！ ゲルダの仇はぜったいとる！」
あまりわかっていない乱暴な口調で幼い少女は年長者の忠言を断ち切った。
要するに、いつまでたっても始まらない復讐劇にイライラしているのだ。
始まってしまえばもはや、石が坂を転がり落ちるように行き着く暇もないと人生の浅い彼女は知らず、最後になるかもしれない余暇をただ苛立ちのままに潰している。
「あいつらを皆殺しにしてやるんだ！」
憤怒の形相を通り越し、凍てついた無表情に込められた憎悪だけは年不相応に完成されたものだった。
「で、もう一つの理由はなんなんだ？」
乱暴な話題の転換に、特にさからう理由も無かったので銀髪の少女は素直に答える。
『アイヤール――あの国はタマネギに似ている』
「おう……お、おう？」
『タマネギは、きらい』
「…………おおう」
小さな開拓村出身の幼い少女に、好き嫌いという概念は未知との遭遇だった。
気まずげに目を逸らす幼い共犯者の死角で、銀髪の少女はさらりと指を動かす。
それは名乗り、正義の明示、証明開始の宣言の三つのプロセスからなる口上。
義務付けられているわけではない。だが、自らの存在をかけた戦場において、姉妹の多くが口にするものだった。
少女の性能を考慮するに、きっと英雄たちの前で声に出して大見えを切る機会はないだろう。
だから、舞台に上がったこのタイミングで。
誰に見せるためでもなく、ただの特別な儀式として彼女の指は繊細に文字を描く。
『我が名はエルルーン。ワルキューレの終点にして、人族からの離反を決定づけた忌み子』
人族を救うことが彼女に与えられた役割だった。
たくさん救った。その先に、きっとみんなが笑い合える未来が、幸せがあるのだと信じて。
救った命はおそらく千に届くだろう。
しかし、エルルーンの存在で死んだ人族は万を優に超える。
だから決めたのだ。
『わたしの正義は、ただひとりの救済』
目についた、たった一人を救い続けるのだと。
それが財を欲する盗賊なら、国ごと中身を引きずり出して満たしてやろう。
それが病に涙する聖人なら、薬と歌声で人々を慰撫してまわろう。
それが復讐に猛り眠れぬ夜を過ごす幼子なら、安眠できるように歌おう。
仮にそれが、誰がための鎮魂歌になったとしても。
『ここに証明を開始する』
天秤はもはや意味を成さない。
さあ、英雄（バケモノ）退治のはじまりだ。
コメントをかく