緑の落ち葉
最終更新：ID:ubrZ2mk6tg 2016年05月16日(月) 23:32:37履歴
緑の落ち葉 
◇
やっかいなもの拾っちゃったなぁ。
「うーん、人肉なんて食べられないよー……」
その寝言を聞いた時にスピカが感じた、偽らざる本音だった。
クリムが『拾いました！』なんて犬猫相手みたいなことを言いながら、自分の身の丈を越える青年を軽々と担いで帰ってきたのがいましがた。
年のころは十代後半ほどだろうか。身長百六十ちょいとやや小柄な体格。薄汚れた格好は裏路地に転がっていそうな浮浪者のように見える。
良識あるエルフとして館の空いている一室を使い看病したものの、冒険者稼業で鍛えた賢者の観察眼を通してみれば彼が人でないことは一目瞭然だった。
ライカンスロープ。人狼といえば一番通りはいいか。厳密には狼としての姿に限らず、獣人の姿と人間の姿を併せ持つれっきとした蛮族だ。
石鶏亭にもエメリアというライカンスロープの仲間がいるが、人族の側につくライカンスロープは意外と数が少ない。その理由は彼らの生態に起因しており、ライカンスロープは生殖で増えることができず、人間を特殊な儀式を経て後天的によってのみ同族の数を増やすことが可能ということが深く関係している。
その儀式には同族や族長に対する偏執的なまでの忠誠を誓わせる洗脳が含まれており、偶然人族寄りの精神構造をもって生まれつき人族領に逃げてくる他の蛮族と違い、後天的に生まれるライカンスロープは蛮族としてのメンタルを構築させられた状態でこの世に生まれ堕ちる。
ゆえに、蛮族の他の種が人族領に逃げてくる理由の大半がライカンスロープには適応されないのだ。
人族領に彼らが来るとすれば、それは高確率で人間として生を受けたがゆえに人族の常識を熟知しており、その人間と等しい容貌を生かしたスパイ活動がその動機の大半を占めるだろう。
そしてスピカの見る限り、彼は極めて暗殺者にふさわしい技能を持っていた。
最高峰まであと一歩の、達人クラスの軽戦士としての力。十分に一流と言ってよい、斥候としての力量。
正直、ちょっと今からフットランドの要人暗殺してきますねと言われてもスピカとクリムの二人では止めることが難しい。正面きって二対一で戦えば負ける気はしないし、仮に彼が実際に暗殺に出たところでフットランドには他の石鶏亭実力者が群居している。最悪の事態は免れるだろうという信頼があったから拘束まではしなかったが。
とりあえず事情を聴いてみようかと、彼を起こして主導権を握るために笑顔で威圧しながら会話を始める。
そして笑顔の裏で苦虫を噛み潰す羽目になった。
記憶喪失。これでは敵とも味方とも割り振ることはできない。
しかも悩んでいる間にクリムは軽食を作りにいってしまうし。相手をフリーハンドにした状態で交渉を始めたのはクリムの防御性能を目の前の名前も知らぬ彼の攻撃が貫けないと判断したからというのが大きいのだが、ちゃんとわかっているのだろうかあの従者は。
そもそも、知力はともかく積み上げた賢者としての経験はスピカよりクリムの方が上なのだから、ちゃんと相手を見極めてから拾ってきて欲しかった。
クリムの善良さを喜ぶべきか、考えなしを嘆くべきか。
（クリムちゃんと違ってわたしは十秒もあれば死んじゃうのよー？ そこのところわかってるー？）
殺されないまでも人質に取られるだけで事態は急速に悪化することだろう。背中に滲む汗を自覚しながら、スピカは思考を切り替えた。
さて、どうするべきか？
そんなの決まっている。
この場で彼の命を摘み取るべきだ。それが単純明快なベストアンサー。
裁判なんていらない。蛮族が人族の領域奥深くまで侵入した。これだけで命を奪う理由たる。この世界において人族と蛮族という違いはそれだけ大きな意味を持つ。
スピカは蛮族ひしめく石鶏亭に冒険者登録しており、蛮族に対する偏見は一般的な冒険者よりずっと低いだろうと自己判断を下している。
だが、それとこれとは別問題だ。
自分の意思で人族の仲間であることを選んだ登録冒険者たちと、目の前の能力だけは高い野良蛮族。どこがどう違うのかは、もはや説明するまでもないだろう。
蛮族のスパイを発見したので殺しました。これできっとみんな納得してくれる。誰もスピカを責めないだろう。むしろ報奨金だって出るかもしれない。
それらの事実を明確に認識しているのが、この場に置いてスピカしかいないようであるのが頭の痛いことであった。
幸いにも彼は威嚇するのがせいぜいで襲い掛かってくるようなことはなかったが、クリムが戻ってくる前も、戻ってきた後も、遠回しに『あなたの命は風前の灯火ですよー』と伝えてもさっぱり理解している様子が無い。
直接的に脅すように伝えても、脅しのところだけが響いて畏縮させるだけ。記憶喪失の影響で自分のことを人間だと思い込んでいたらしく、現実と認識の齟齬を埋めるので忙しい様だ。
その作業の最中に現実そのものが終わろうとしているのだが。
話しながらスピカは己の考えをまとめる。
先ほども考えたように、模範解答は彼の処刑だ。これが少し腕が立つ程度なら別の答えもあったのだろうが、所属も人族に対する意思も不明な蛮族を野放しにするには彼の実力は脅威に過ぎる。
しかし、そうと切り捨ててしまわないのがスピカの所属する冒険者の店の特色であった。何より、クリムの善意を生かしてやりたい。
スピカひとりならとっくの昔にその命を摘み取っていただろう。被保護者に自分にできないことをやってほしい、自分を越えてほしいと願うのは保護者の救われない性のようなものだ。
彼は蛮族だ。それはもう覆しようのない事実。
けれど、彼が人として生きることを望むのであれば、人として生きられるように手配することはできる。石鶏亭で冒険者として活躍し、フットランドの人々に対して奉仕すれば、彼が人族の一員として認められるのはそう遠くない未来だろう。
たとえそれが最適解でないとしても、それを押し通せるだけの実績をスピカは積み上げてきたつもりだ。
すでにスピカは多くのものを抱えているので、彼の命をまるごと背負ってやるわけにはいかないが、多少の融通はこの際利かせてやろう。
それで彼が何か致命的な間違いを犯したのであれば、自分が責任を取ってその後始末をしよう。
巡り、流れ、ぶつかり合い、出た思索の結論はそのようなものであった。
だから、祈りを込めて名前を贈ろう。
名前を決めてくれという彼の言葉を、スピカは覚悟を決めて受け入れる。
スピカの故郷では、名付けとは自分の魂の一部を分け与える神聖な儀式とされている。見知らぬ男にそこまでしてやる義理は無いのかもしれないが、毒食わば皿までだ。
彼の頭に乗っていた緑の落ち葉を拾い上げ、行く先に幸多からんことをと願いを言葉に込める。
「モミジ」
花言葉は『大切な思い出』。
記憶の無い彼にかけがえのない想いが満たされてほしいと彼女は願った。
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