これでデレたら素直クールなのだが
黒褐色の生地にナイフが入り、丁度良い大きさに切り分けられて行く。
漂うアーモンドの甘い香り。
湯気が立ち上る焼きたてのスポンジが、添えられたホイップクリームと共に、先輩の口元に運ばれる。
ちなみに生クリームでなくホイップクリームなのは予算の都合もあるが、何より濃厚なケーキ本体のしつこさを中和するためだ。
ゆっくりと噛み締め、味わう彼女。
その単純な作業を延々と繰り返す。
俺はその様子を眺めながら、ぬるくなりかけているコーヒーを喉に流した。
手持ちぶさた故の倦怠感と、評価を待つ間の緊張感。
先輩はいつもと変わりない。
俺の無遠慮な視線をものともせず、黙々と口を動かす。
長い黒髪を一つにまとめた鋭い美貌の美少女。
背筋をピンと伸ばし、寸分の隙もなく、上品ながら凄まじい健啖振りを見せる。
たっぷり15分かけ、6カット=17cm型の半ホール分のケーキを平らげた先輩は、ナプキンで口元を拭いながら、こう言い放った。
「70点」
2月某日。
休日を一日潰して作った苦心の作品に下された判決は、無情なものだった。
「自信、あったんですがね」
苦笑しながら俺も一切れ食べてみる。
自慢ではないが、専門店のそれには及ばないものの、そこらの量産品よりはよほど出来が良いと思う。
正直、何が彼女のお気に召さないのかが判らない。
伺うような視線を投げかけても、先輩はすまし顔で冷めたコーヒーをすするばかり。
いつもそうだ。
時々ふらりと家を訪ねては、俺にお菓子の注文をして、その殆どを胃袋に収め、点数だけ付けて帰っていく。
彼女の評価は信用している。
先輩の焼いた菓子を何度かご馳走になったこともあるが、俺に厳しい評価を下すだけのことはあり、かなりの出来ばえだった。
どうせ殆ど食べるのだから、彼女が作ったほうが早いとも思う。
個人的に先輩には日ごろお世話になっているので、見返り云々を言うつもりはない。材料費は向こう持ちだし。
しかし、今後の精進の為にも、数字以外の具体的なアドバイスがあってもいいんじゃないか。
空になったカップに、サイフォンからあがった新しいコーヒーを注いでやりながら、俺はそんな事を考えていた。
俺の胸中を悟ったのか、彼女は突然傍らに置いてあった野暮ったい男物の鞄の中を探ると、アルミホイルの包みを取り出す。
先輩が包みを解くと、中から黒褐色の塊が出てきた。
「これは?」
差し出されたそれを受け取って、戸惑う。
「80点の作例だ」
食ってみろ、ということか。
俺が先程焼いたのと同じもの、南仏風ガトーショコラを皿に据える。
外観は俺のものと殆ど差は無い。
当然のことながら冷め切っているケーキを一口大に切り分ける。
香りは悪くない。
「フム」
問題は味だ。
俺は一塊を口に入れる。
瞬間、口の中が爆発した。
「これは……ッ!」
生地が口の中でとろける。
それでいて噛み応え、食い応えがあり、軽さは感じられない。
濃厚ながら甘過ぎずしつこ過ぎず、これだけで満足できる様になっている。
咥内に広がる香ばしいアーモンドの風味。
真空パックの既成アーモンドパウダーでなく、丸ごとのアーモンドを挽いて作らない限り出せない味わいだ。
そして、気泡のきめが細かい割にしっかりしているので、底部でも自重に潰されておらず、上部と均一になっている。
「なんと言う美味……! 柔らかくしっとりとしていながら、フォークを入れても崩れず、表層はサクサク……!
アーモンド粉の新鮮さと香ばしさを両立させる絶妙の焼き加減……! パーフェクトだ……ッ!
これはまさに頬が落ちる美味しさ……ッ!!」
思わず、俺は席を立ち頬を押さえて絶叫を上げていた。
我に返ると先輩の冷ややかな視線を意識し、顔を赤らめつつ席に戻って残りを頂く。
うん、やはり美味しい。
これ一切れで、今日がんばった分に十分見合う。
「マジで旨いですよ、これ。俺的には100点満点です。
これと比べると俺のなんて豚の餌……は、言い過ぎにしても、明らかに見劣りがするのは判ります。
配合、泡立て、焼成の全部、文句の付けようがありません。
材料同じなんでしょう? 先輩ん家オーヴン普通のだし、何が違うんでしょうね。
やっぱり腕か。腕の違いか。
俺ももっと精進しないとなー」
「そうか」
俺の長い感想を一言で切って捨てると、先輩はコーヒーカップを傾ける。
いつもの仏頂面が、ほんの少しだけ崩れているような気がした。
結局。
それが先輩からのバレンタインチョコであったのに気が付いたのは、彼女が帰ってから2時間後のことだった。
漂うアーモンドの甘い香り。
湯気が立ち上る焼きたてのスポンジが、添えられたホイップクリームと共に、先輩の口元に運ばれる。
ちなみに生クリームでなくホイップクリームなのは予算の都合もあるが、何より濃厚なケーキ本体のしつこさを中和するためだ。
ゆっくりと噛み締め、味わう彼女。
その単純な作業を延々と繰り返す。
俺はその様子を眺めながら、ぬるくなりかけているコーヒーを喉に流した。
手持ちぶさた故の倦怠感と、評価を待つ間の緊張感。
先輩はいつもと変わりない。
俺の無遠慮な視線をものともせず、黙々と口を動かす。
長い黒髪を一つにまとめた鋭い美貌の美少女。
背筋をピンと伸ばし、寸分の隙もなく、上品ながら凄まじい健啖振りを見せる。
たっぷり15分かけ、6カット=17cm型の半ホール分のケーキを平らげた先輩は、ナプキンで口元を拭いながら、こう言い放った。
「70点」
2月某日。
休日を一日潰して作った苦心の作品に下された判決は、無情なものだった。
「自信、あったんですがね」
苦笑しながら俺も一切れ食べてみる。
自慢ではないが、専門店のそれには及ばないものの、そこらの量産品よりはよほど出来が良いと思う。
正直、何が彼女のお気に召さないのかが判らない。
伺うような視線を投げかけても、先輩はすまし顔で冷めたコーヒーをすするばかり。
いつもそうだ。
時々ふらりと家を訪ねては、俺にお菓子の注文をして、その殆どを胃袋に収め、点数だけ付けて帰っていく。
彼女の評価は信用している。
先輩の焼いた菓子を何度かご馳走になったこともあるが、俺に厳しい評価を下すだけのことはあり、かなりの出来ばえだった。
どうせ殆ど食べるのだから、彼女が作ったほうが早いとも思う。
個人的に先輩には日ごろお世話になっているので、見返り云々を言うつもりはない。材料費は向こう持ちだし。
しかし、今後の精進の為にも、数字以外の具体的なアドバイスがあってもいいんじゃないか。
空になったカップに、サイフォンからあがった新しいコーヒーを注いでやりながら、俺はそんな事を考えていた。
俺の胸中を悟ったのか、彼女は突然傍らに置いてあった野暮ったい男物の鞄の中を探ると、アルミホイルの包みを取り出す。
先輩が包みを解くと、中から黒褐色の塊が出てきた。
「これは?」
差し出されたそれを受け取って、戸惑う。
「80点の作例だ」
食ってみろ、ということか。
俺が先程焼いたのと同じもの、南仏風ガトーショコラを皿に据える。
外観は俺のものと殆ど差は無い。
当然のことながら冷め切っているケーキを一口大に切り分ける。
香りは悪くない。
「フム」
問題は味だ。
俺は一塊を口に入れる。
瞬間、口の中が爆発した。
「これは……ッ!」
生地が口の中でとろける。
それでいて噛み応え、食い応えがあり、軽さは感じられない。
濃厚ながら甘過ぎずしつこ過ぎず、これだけで満足できる様になっている。
咥内に広がる香ばしいアーモンドの風味。
真空パックの既成アーモンドパウダーでなく、丸ごとのアーモンドを挽いて作らない限り出せない味わいだ。
そして、気泡のきめが細かい割にしっかりしているので、底部でも自重に潰されておらず、上部と均一になっている。
「なんと言う美味……! 柔らかくしっとりとしていながら、フォークを入れても崩れず、表層はサクサク……!
アーモンド粉の新鮮さと香ばしさを両立させる絶妙の焼き加減……! パーフェクトだ……ッ!
これはまさに頬が落ちる美味しさ……ッ!!」
思わず、俺は席を立ち頬を押さえて絶叫を上げていた。
我に返ると先輩の冷ややかな視線を意識し、顔を赤らめつつ席に戻って残りを頂く。
うん、やはり美味しい。
これ一切れで、今日がんばった分に十分見合う。
「マジで旨いですよ、これ。俺的には100点満点です。
これと比べると俺のなんて豚の餌……は、言い過ぎにしても、明らかに見劣りがするのは判ります。
配合、泡立て、焼成の全部、文句の付けようがありません。
材料同じなんでしょう? 先輩ん家オーヴン普通のだし、何が違うんでしょうね。
やっぱり腕か。腕の違いか。
俺ももっと精進しないとなー」
「そうか」
俺の長い感想を一言で切って捨てると、先輩はコーヒーカップを傾ける。
いつもの仏頂面が、ほんの少しだけ崩れているような気がした。
結局。
それが先輩からのバレンタインチョコであったのに気が付いたのは、彼女が帰ってから2時間後のことだった。
2011年03月13日(日) 22:29:16 Modified by ID:xKAU6Mw2xw