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ファントム・ペイン 2話 傘/包帯

その人は私に何も言わなかった。
その人は私に何も求めなかった。
その人は私の方を見ようとはしなかった。
私は、その人について何も知らなかった。

でも、私は――――
――――ただ、彼の冷たい瞳の奥にある寂しさを、溶かしてあげたかった。



世の中の兄弟姉妹というものがどういう関係を指すのか、俺には判らない。
きっとその家族ごとに全く違う形の兄弟関係があるのだろう。
仲が良かったり悪かったり、密接だったり疎遠だったり、複雑だったり単純だったり。
だが少なくとも、彼ら彼女らの間には、長い時を一緒に過ごし成長してきた絆が、相互理解という形で多かれ少なかれ存在するはずだ。
そう考えると、俺と絵麻は到底兄弟と呼べる関係ではないのだろう。
彼女は俺にとって、突然振って沸いてきた奇妙な同居人に過ぎない。
そして俺は彼女について何も知らない。
彼女を理解できない。
そんな事を考えてしまうのも、大部分は目の前の二人の所為だ。
「そっち付け終わったかー? うし、んじゃ今度は左な」
肩車をしている男子生徒とされている女子生徒。
実験室の蛍光灯の付け替えをしている女子を男子が支えている形。
女の方はてきぱきと仕事をこなしてはいるものの、下の男に対して一言も指示を出していない。
にも拘らず、背負う男子は極めて的確に移動し、女子を照明具の前に導いている。
「渡辺、仕事はそれだけで終わりだ」
「おう。じゃ、下ろすぞ結」
活発そうな少年、渡辺綱がしゃがみこむと、その妹である大人しそうな少女、渡辺結はその背からすとんと床に降り立った。
綱が肩や腰を難儀そうに回している間に、結の方はてきぱきと使用済みの蛍光灯を片付けている。
妹が紐で一つに結んだ蛍光灯の束を肩に担ぐと、兄は一足先に室の扉に手をかける。
「じゃ、俺はこれ出してから部活行くわ。また明日な、伊綾」
「ああ」
「結も雨降らん内に帰れよー」
後ろ手に手を振りながら廊下を駆け抜けていく綱。
結は小さく手を振ってそれを見送っている。
ふと外を見ると、すでに小雨がぱらついていた。
「忙しい奴だな、荷物も忘れてやがる」
机には彼の通学鞄が放置されたままだ。
結は自分の鞄から折り畳み傘を取り出すと机の上に置いた。
部活の後彼が荷物を取りに戻るかどうかなど、俺は知らない。
だが、そう言う事なのだろう。
「渡辺妹はどうするんだ?」
彼女はもう一度自分の鞄の中を探ると、さっきのものと同じ折り畳みをもう一本取り出した。
用意が良い事だ。
「成る程な。下駄箱まで一緒に行くか」
結は微笑んで見せると、一足先に実験室を出た。

渡辺の兄弟との付き合いは小学校の頃からだ。
交友が出来たのは習い事で顔を合わせてからだが、それ以前も、界隈では有名人である彼らの噂は耳にしていた。
あの兄弟は、嫌が応に目立つ。
行動力に溢れ、過剰な程自己主張をする綱と、黙して語らず、一歩引いて物事を見極める能力に長けた結。
陽気で表情豊かな兄と、落ち着いた笑みを常に顔に浮かべている妹。
男と女、快活さと冷静さ、陽と陰、全く違っている様でどことなく良く似ている双子のきょうだい。
語らずとも常にお互いの意図を理解し合い、至らぬ部分を補い合う。
さながら一心同体、比翼連理の絆。
俺の兄弟という概念に対する先入観は、かなり彼らの影響を受けていた。
大抵の兄弟は、特に異性の場合は、成長するに従い疎遠になって行くと言う事を頭では理解している。
だが、俺にとって兄弟がいる友人は彼らくらいで、毎日の様に以心伝心ぶりを見せ付けられては、固定観念も出来ようというものだ。
あるいは俺は、俺には無いきょうだいという存在に、幻想を持ちたかったのかもしれない。

「無い」
傘が、無い。
朝来た時、傘立てに突き刺しておいた蝙蝠傘が無い。
既に靴を履き終えた結が不思議そうな目でこちらを見ている。
念の為もう一度傘立てを漁った。
矢張り無い。
置く場所を間違えたか、盗まれたか。
どちらかを断定できるほど自信過剰ではないし、性善説を信じてもいない。
まあ、似たようなデザインのものが多いので、誰かが自分のものと間違えて持っていったというのが妥当な線だろう。
思わず溜息が零れる。
外を見ると雨脚は遠ざかる所か勢いを増していて、じきに本降りになろうとしていた。
濡れて帰るしかないか。
昨日今日と雨には碌な縁がないと頭を抱えていると、いつの間にか再び上履きに履き替えた結が目の前に立っていた。
先程の折り畳み傘を俺に差し出している。
訝しげな視線で見やると、何時もの笑顔で頷き返してきた。
使えという事か。
「いらん。第一お前はどうする」
結は素早い指遣いで携帯電話を操作すると、液晶を俺の目の前に示した。
『兄と一緒に帰るので』
成る程、彼女を家まで送ったり、俺が彼女に送ってもらうよりは現実的だが。
腕を組んで唸る。
「……ひょっとして、渡辺兄と一つ傘の下になる為の口実か?」
無論冗談だ。
結は鷹揚に肩を竦めた。
「有り難いが、どちらにせよ受け取れん。渡辺兄は何時も遅いだろう。
貸し借り云々を言う心算はないが、お前を置いてきぼりにして俺だけ帰ったら、後であのシスコン野郎に何を言われるか判ら――」

下駄箱の向こう、玄関に佇む人影を目に付け俺の言葉が途切れる。
ここの制服に昨日俺が渡したビニル傘。
少年と見紛う程の短い髪のせいか、実際の年齢より幼く見える。
昨日突然家に住み着くこととなった少女がそこにいた。
「あんたか」
俺の姿を認めた絵麻がとてとてと歩み寄ってくる。
「何の用だ。登校は来週からだろう。
しかもこっちは高等部だぞ」
「見学」
左様か。
結は絵麻にぺこりと一礼すると、何か尋ねる様に俺に向けて首を傾げて見せた。
「あー。こいつは新しい同居人と言うか――――訳あって家に住むことになった奴だ。絵麻って言う。
絵麻、こっちは知り合いの妹で……」
俺が説明するより早く、結は懐から名刺を取り出して絵麻に手渡した。
『     渡辺 結
   私立北原高校一年生
 住所:??県某市○○区××町――――
 電話番号:090-○○○○-××××
   注:私は喋れません』
毎度思うのだが、喋れないと書きながらメールアドレスより先に電話番号を表記しても、普通の人は面食らうだけだろう。
前に掛けてみて、録音されている兄の棒読みボイスが帰って来た時は吃驚したが。
名刺を渡され、きょとんとしたような目で見つめ返す絵麻に右手を差し出す結。
絵麻は握手に応じた。
お互いにぶんぶんと握り合った手を振っている。
「何をやってるんだ……」
俺には感じ取れない方法で、何がしかの意思疎通を行っているようだ。
綱以外の人間が、結と筆談も手話も無しでここまで円滑にコミュニケートするのを始めてみたような気がする。
何と無く疎外感を感じた。
「いっしょに帰ろう」
長い握手を終えた後、俺に向き直った絵麻はそう告げる。
「悪いが俺は傘を――――」
傘を俺の頭上に掲げて見せる絵麻。
まさか相合傘でもする心算だろうか。
気付くと貸し傘を申し出てくれていた結は、既に隣におらず、玄関の外から手を振って見せている。
後はどうぞ、お二人でごゆっくり、そんな風に。
その右手には俺に貸そうとしていた折り畳みが。
お前らじゃあるまいし、俺には女と一つの傘を共有するような趣味はない、そう視線に込めて睨み返すが、結は相変わらずの笑顔を返して来るだけだ。
踵を返し、雨の中一人去っていく結。
残される二人。
彼女の姿が消えると、その後ろ姿に手を振っていた絵麻は俺を上目遣いに見上げてきた。
早く帰ろう、そう急かされている様だ。
時折通り掛る帰宅生達の奇異の視線が痛い。
俺は溜息を突くと、元々俺のものであったビニル傘を奪い返した。
「行くぞ」
絵麻はこくんと頷いて見せた。

左手を歩く絵麻に傘を傾けながらの下校。
小さいビニル傘では雨を防ぎきれず、右半身がぐっしょり濡れている。
彼女には掛からぬよう配慮しつつ、適度な距離を取るには仕方の無い事なのだが。
横を歩く絵麻は一言も喋らない。
(喧しく喋り掛けられるよりは、余程良いがな……)
それでも、間が持たない。
適当な話題を探す。
「学校、どう思った」
絵麻、首を傾げる。
「あんたもあそこに通うんだろ。
生徒としてやって行く上で、気に入らない所でもあったかと聞いている」
絵麻はぶんぶんと首を振った。
「いい所。
いい人にも会えたし」
「渡辺妹か」
俺は鼻を鳴らした。
「初対面で人柄なぞ判る物か?
まあ、実際悪い奴では無いが」
また首を傾げる絵麻。
「お友達?」
「只の腐れ縁だ。
兄貴の方の迷惑に巻き込まれている内に、したくも無い付き合いをする破目になった。
因みに、その兄貴と言うのが救い様の無い馬鹿で……」
ふと隣を見ると、絵麻は口を押さえて小さく笑っている。
「……何だ」
「仲、良いんだ。
話してるヤスミ、楽しそう」
楽しくなんてない。全く。
顔に手を当てても、皺は眉間にしか出来ていない。
冗談言うな、そう言おうとして彼女に向き直り、口を閉じる。
絵麻の笑顔に、僅かな寂しさが垣間見えたから。
(お友達……ね)
彼女の故郷は遠い。
どんな事情でこちらに来たのかは知らないが、この少女は置いてきたのだろう。
家族を、友人を、縁あるもののほとんどを。
要するに、ムービングブルー。
俺には理解出来ないが、彼女には大きな問題なのだろう。
「あんたにも直ぐに出来るさ、友達位」
気休めにしかならない言葉。
少し恥ずかしいが、溜息混じりにこう付け加える。
「俺も、じきにそうなるかも知れん」

その言葉を聞いた絵麻は、一瞬目を丸くし、顔を伏せた。
表情は更に暗い。
俺は彼女との認識の差に、ようやく気付いた。
絵麻の思考では、俺はとっくに友達と言うカテゴリーに入っていたのだろう。
否、それ以前に――――
「まさか、俺の事をすでに家族だとか考えていないか」
絵麻は小さく頷いた。
失笑しそうになるのを堪える。
「すまないが、その認識は誤謬だ。
俺とあんたは単なる同居人同士でしかない」
家族には責任がある。
家族が困っていたら助けなければならないし、家族が罪を犯したら共に背負わなければならない。
俺には絵麻に対してそれをする覚悟は無いし、そうしたいとも思わない。
覚悟無しに安易に家族を名乗るのは、無責任だ。
「余りこう言う事は言いたくないが、俺はあんたのことを信用できない。
逆にあんたに信用されても、それに応える事は出来ない。
時間が経てば友人位にはなれるかも知れん。
でも、家族にはなれない。
それはあんたの本当の家族に期待するべきだ」
自分でも冷たい言葉だとは思う。
しかし、事をはっきりさせぬまま結論を先延ばすのは馬鹿のすることだ。
絵麻ははっきりと傷付いた顔で、俺を見返していた。
その瞳から涙が零れたとしても、俺は慰めの言葉を掛けないだろう。
「……でもっ」
絵麻の体が揺れる。
周りは雨。
雨音の中に、僅かな車輪の音。
顔を音の方に向けると、傘を左手に片手運転の自転車が結構な速度で近付いていた。
不意にタイヤがスリップ。
折り悪く、バランスを崩した絵麻と衝突コースへ。
「――ッ!」
ビニル傘を放り投げた。
少女の体を抱きしめ、横に倒れこみながら背中で突進を受け止める。
激突。吹っ飛ぶ。

絵麻を胸にしっかりと抱えたまま、右手で地面を叩いて横受身で着地。
右腕が擦り切れるが衝撃は少ない。
濡れた路面を滑って、体がガードレールにぶつかり止まる。
のろのろと身を起こすと、俺とさほど歳も違いそうに無い少年が、尻餅をついたまま引き攣った顔でこちらを見ていた。
少年は立ち上がるや、傍に倒れていた自転車を引き起こして跨り、脱兎の如くその場から走り去った。
「……ちっ」
背後から石でも投げてやろうかと思ったが、面倒なので止める。
「怪我無いか」
無意識ながらまだ抱き留めていた絵麻から手を離し、その顔を伺うと俺はぎょっとした。
絵麻は真っ青な顔で小刻みに震えていた。
彼女がここまで激しい感情を発露するのを初めて目にした。
「おい、幾らなんでも怯えすぎだろう。
自転車に轢かれる位、頭打たなけりゃどうってこと……」
絵麻は口を戦慄かせながら、袖が破れ血が滲んでいる俺の右腕を指差した。
動脈には達していないので、時折血の滴が滴る程度の怪我。
じきに出血も止まるだろう。
「……や、ヤス、み。ち、血、が。……血出、て――――。
あ、え、ほ、骨と、か……お、折れてる、かも。
病い、病院、行かなきゃ――――びょう。早く、はや、く」
うわ言の様に繰り返しつつ、俺の左手を引いてふらふらと歩き出す。
言葉からすると病院に向かう心算らしいが、土地勘の無い彼女に場所が判るとも思えない。
「おい、待て。一体何を言ってるんだ。
俺の怪我は大した事無い。放って置いて良い範囲だ。
聞いているのか。おい。…………おい!」
大声を出すと、絵麻は怯えた様に体を硬直させて立ち止まった。
「……すまん」
どうあれ、俺の事を心配しての行動であったのは事実だろう。
「だが、本当にこの程度の怪我は問題ない。家で消毒して包帯を巻けば、化膿も防げる。
痛みも殆ど無いし、受身も取れたから打撲は避けられた。
あんたの心配する事じゃない。余計なお節介だ」
そう言って傘を拾い上げる俺の袖を、絵麻は泣きそうな顔で握り締めていた。
「……だめ」
俺は溜息を吐いて傘を広げ、絵麻の上に掲げる。
「問題無いと言っているだろう」
「だめ……。病院、行って。お願い……」
苛立ちよりも戸惑いの方が大きかった。
どうしてこいつは、つい先日まで見ず知らずだった他人にここまでかかずらう。
どうして彼女はそんなに不安そうな顔をする。
理解出来ない。

昔から、他人に干渉されるのが嫌いだった。
他人の意思を押し付けられるのが大嫌いだった。
要するに、子供っぽい見栄と虚栄心。
だから、他人に謗られる謂れの無い人間に成りたかった。
少なくとも、自己管理は心掛けた心算だ。
そうする内に、段々と他人のお節介は気にならなくなった。
耳従の境地には程遠いが、役に立つアドバイスだけ聞いて置き、後は無視。
自然に他人の言葉など、どうでも良くなっていた。
他人は所詮、他人の都合で動いているのだから。
だから、彼女の言葉も適当にあしらえる、筈だった。

「……」
鬱陶しい、そう冷たく突き放せば良い。
けれど、彼女の瞳が余りに真摯で。
単純に俺の事を心配しているのが判ったから。
俺は踵を返し、絵麻を置いて来た道を戻り始めた。
「……病院はこっちだぞ」
慌てて追いかけて来る絵麻。
歩きながら俺の頭上に傘を掲げようとするが、いかんせんビニル傘の短い柄では中々身長差を埋められない。
必死に腕を伸ばして俺に寄り添ってくる絵麻の手から傘を奪い、彼女の方に傾けてやる。
不満そうな視線を受けて、仕方なく代わりに通学鞄を預けた。
道すがら、絵麻は俺の鞄を大事そうに抱え込んでいた。


「失礼します」
学校の程近く。
『整形・形成・接骨 救急指定 内藤外科』との看板を掲げたビルの二階。
自動扉を潜ると消毒液の匂いが出迎えてくれた。
絵麻も続けて入って来ると、受付に向かってぺこりと一礼する。
「こんにちは、診察券をお持……なんだ、伊綾くんじゃない」
受付の女性は俺の姿を見ると途端にフランクな態度になった。
「ちょっと待ってね、今他に患者さんいないから。
すぐに先生診れると思う」
女性は何事か紙に書き込んで奥に引っ込む。
その間に俺はスリッパに履き替え、絵麻と共に待合室のソファに腰かけた。
平日の午後は暇なのか、他に客の姿も無い。
一分もしない内に扉が開き、初老の男が出てくる。

「最近顔を見せんから安心しておったが、またお前か小僧。
全く、いつまで親御さんに余計な心配をさせる気だ?」
「お久しぶりです。内藤さん」
俺は立ち上がって軽く会釈した。
「で、今日は何だ。また喧嘩だろう。
骨でも折れたか? 爪でも剥がれたか?」
「いや、今日は……」
俺は擦り切れた右腕を掲げて見せる。
「転んだだけで、単なる擦り傷です」
内藤医師は暫し絶句した。
「……その程度の怪我でお前が診察を受けに来るとは。
普通、家に帰って応急処置で済ますだろう」
医者の言う台詞じゃないな、と心の中で毒づく。
「俺もその心算だったんですが、こいつが医者に診せろと煩くて」
隣の少女が恥ずかしそうに顔を伏せた。
内藤医師は見慣れぬ存在をいぶかしむ。
「彼女は?」
俺は逡巡した後、最も無難な解答を選んだ。
「……親戚、みたいなものです」


「昔はもうね、伊綾くんそうとうな悪ガキだったんだから。
千人切り(男女問わず)、とか言われたらしいけど。
毎月の様にワルをぶちのめしては、相手ともどもウチに送られてきてたわ。
そのたんびに、なんて言ってたと思う?
『売り上げに貢献してやってる。有り難く思え』よ。
本当、進級できたのは奇跡ね」
簡単に傷口を洗浄・消毒し、湿布と包帯で処置を受けて診察室を辞する。
待合室に戻ると、受付係が絵麻を捕まえて、身に憶えの有る事無い事をべらべらと喋繰っていた。
「……勝手に人の黒歴史を晒さないで下さいよ」
俺の姿を認めるや、受付係から一方的に話しかけられていた絵麻が勢い良く顔を上げ、近付いて来た。
そっと包帯が巻かれた俺の右腕に手を伸ばし、それに触れることなく只心配そうに見詰める。
「……大丈夫?」
「問題ないと何度言えば判る。内藤さんも呆れてたぞ」
ふと見上げると、受付係がニヤニヤと笑いながら俺達の様子を見ていた。
「いいコじゃない、彼女。いつの間に捕まえたの?
いいわねー、若いって」
"彼女"のイントネーションが若干、有り得ない方の意味を匂わせていたが、無視。
受け取ったレシートから診察料を確認してげんなりしつつ、記載された金額をレジに差し出す。
「帰るぞ、今度こそ」
俺は絵麻の肩を叩いて、病院を後にした。

「……ありがとう」
帰り道、ぽつりと絵麻が呟く。
何が? と問い直しそうになって、途中で自転車の件と気付いた。
俺は目をしかめる。
「誰かを庇う事は単なる反射行動だ。あくまで人間の本能であって、俺の意図とは関係無い」
「それでも、ありがとう」
絵麻を無視して歩みを速める。
彼女は、俺が照れていると思ったかもしれない。実際それもあったのだろう。
だが俺は何故だか、どことなく不愉快だった。


「おいしい」
「手抜き料理だ、大層なもんじゃない」
忙しい時、複数人に食事を供する場合には鍋が一番だ。
豚肉とキャベツを出汁で炊いたものを突付きながら、俺は絵麻の感想へ適当に相槌を打った。
帰宅する頃には日も暮れており、こんな簡単なものしか用意できなかった。
豚肉とキャベツを交互に重ね、鍋に火を入れるだけ。手伝おうとうろつく絵麻を追い払う方が大変だった。
これに白飯、後分葱と油揚げのぬただけのメニューだが、絵麻は満足しているようだ。
正直、油揚げは酢味噌と然程合わない様に思う。時間があれば浅蜊を買って帰れたのだが。
皿によそってやった分に大量の一味を振り掛けている絵麻を見て俺はげんなりとした。
この様子では彼女には何を出しても旨いとしか言いそうに無い。
和食は食えん等と駄々を捏ねられるよりは余程マシだが。
親父もそうなのだが、ある程度は食に五月蝿くないと料理の作り甲斐が無い。
俺はふと壁に掛けられている時計を見上げた。
「……遅いな。毎度の事だが」
扶養者が増えたばかりだと言うのに何やってんだか、と一人ごちる。
俺は慣れているが、絵麻は心細いのかも知れない。
親父の帰宅は、大抵夜遅くになる。
だから、殆ど夕食は一人で取っていたのだが。
二人は、慣れない。
「…………」
「…………」
会話のねたが見付からず、間が持たない。

それだけならまだしも、絵麻がしょっちゅうこちらの方にちらちらと視線を向けて来るものだから気まずさが倍増する。
「怪我ならもう何とも無いぞ」
「……」
彼女の視線の先にあった俺の右腕を掲げ、軽く振って見せるがその眼差しは尚も疑わしげだ。
俺は無視する事に決めて、ご飯を掻き込む。
「ヤスミ」
やがて、ぽつりと絵麻が言葉を漏らす。
「よく、喧嘩するんだ」
病院で何を吹き込まれたのやら。
少々恥ずかしい過去を掘り返され、俺は溜息を吐いた。
「昔の話だ。高校に上がってからは足を洗った。
以前にしたって、仕掛けてくるのは専ら相手の方だった。
その都度返り討ちにしてやってたら、いつの間にか噂に尾鰭が付いただけだ」
こちらから仕掛けたことも無い訳ではないが、うちの学校生にちょっかいをかける輩に対して相応の対応を取ったに過ぎない。
だが、絵麻は相変わらず不安げ。
俺の素行の悪さを咎めていると言うよりは、俺の身を案じているのだろう。
そのことが、人から心配されると言う状態が、気に食わない。
不慣れで、どこかくすぐったく、居心地が悪い。
「なあ」
俺は皿を空けると箸を置いて絵麻に向き直った。
「余り俺にかかずらうな。
あれやこれや気を遣われた所で、却って迷惑だ。
それに、俺からは何かしてやる心算は無いしな」
俺は一方的に言葉を告げると、空になった皿を重ねて席を立った。
「食い終わったら食器は流しに入れて置け。後で洗う」
逃げる様にリビングを後にし、洗面所で歯を磨いてから玄関に向かう。
薄手の上着に腕を通して靴を履き、ドアノブに手をかけると、誰かが背後から裾を引っ張った。
「何をする」
絵麻は悲しそうな、どこか怯えたような顔で俺を見詰めていた。
俺は今日何度目になるかも判らない溜息を吐く。
「夜の街に遊びに出掛けるとか、悪い仲間とつるみに行くとか、そんな所を想像して居るんだろうが。
ただの散歩だ。軽く走って置かないと体が鈍るんだよ」
俺は少女の手を振り払うと、今度こそドアを開けて外に出た。
「行って来ます」
返事を待たずにドアを閉める。
言い馴れない言葉が自然に口から出た事に、軽い驚きと恥ずかしさを感じながら。

マンションから出て軽く準備体操で身を解し、住宅地を周りを駆け足で数週する。
体力を保つ為の日課の一つ。
一応医者からは安静を言い渡されているが、習慣と化しているのでやらないと不安だった。
6月の夜の空気はまだ涼しいが、湿気も手伝ってすぐに汗ばんで来る。
全速力と小走りを何回か繰り返す内に息も上がり、マンションの前の公園で一息ついた。
塗装の剥げた遊具にもたれ掛かって、空を見上げる。
星は見えない。
雨は上がってはいたが、夜光に照らされた雲が低く垂れ込め、再び降り出しても可笑しく無い天気だった。
「……早めに切り上げるか」
上げた顔を戻す拍子、視界の隅に見覚えのある姿を認める。
6階にある我が家のベランダから、小さな少女が俺の方を見下ろしていた。
突然、頬に冷たい感触。
掌をかざすと、水滴が疎らに落ちる。
また降り出したらしい。
再びベランダを見上げると、少女の姿は既になかった。

それからまた何週か近所を走った後、本格的に降り出して来て漸く家に戻る。
「……何の有様だこれは」
ドアを開けると、玄関に突っ伏した男を前に、絵麻が途方に暮れていた。
どうしよう、と俺の方に縋る様な視線を向ける。
俺は今日最後にしたい溜息を吐いて、靴を脱いで倒れ伏している親父の肩を揺すった。
「おい、起きろ」
「――――ごめん、肩貸して」
声が酒臭い。
俺は目をしかめながら親父に肩を貸すと、居間のソファに座らせる。
「飯は食えそうか? 鍋だが」
「食欲はないよ。
悪いね、無駄にしちゃって」
「強くないのに、酒なんか呑むからだ」
とりあえず湯だけでも飲ませようと、台所に向かう。
と、後ろから付いて来る絵麻を振り返る。
「あんたは邪魔だ。もう遅いから寝てろ」
「でも」
「邪魔だと言った」
絵麻は一瞬悲しそうな顔を見せると、素直に引き下がった。
保護者の醜態など見せるものじゃない。
俺が冷たいと思われようと知った事ではなかった。

彼女が自室に退散するのを見届けると、コンロで薬缶を沸かす。
ぬるま湯を茶碗に入れ、万一戻された場合に備えてたらいを用意し、リビングに戻る。
親父は既に眠り込んでいた。
起こすのも気が引けたので、毛布だけ掛けて置く。
不意に、寝言が耳に入った。
「――――さん、美奈子さん。……どうして、どうして、僕を、置いて行って――――」
親父は、まだ未練があるのだ。
10年前に失踪した母さんに。

一時期の彼は酷い状態だった。
暴食と拒食を交互に繰り返す日々。成人病にかからなかったのは奇跡だ。
そして段々と、衰えて行った。
子供の前では気丈に振舞っていたものの、やつれ生気の失せた顔を見れば幼心に心配もする。
俺が料理を覚え、絶望的に不器用な親父に代わり台所を担う様になるまで、彼は数回病院送りになった。
俺は幸運だったのかもしれない。
そんな状態の親父を気にかけている間は、母さんの事を忘れていられたのだから。
授業参観も、一人きりの食卓も、じきに慣れた。
母さんに対するあらぬ噂も、杳として知れぬ安否を待つことも、慣れた。
けれども、親父はまだ忘れることが出来ていない。
酔うと時折、こうして地を見せる。

年甲斐もなく、みっともない格好で涙を流す親父を見ながら、俺は思う。
こんなにも悲しむのなら。
またあんな思いをするくらいなら。
例えぬくもりがもう得られずとも。
俺はもう家族なんて、これ以上いらない。
2011年08月24日(水) 11:13:35 Modified by ID:uSfNTvF4uw




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