「ラヴ・リンク」一話
1
聖羅高等学校に通う二年生の槍田秀一は、女性とは全く縁のない少年だ。
どう繕おうが中の下がやっとの顔立ちに、本人自体もオタク趣味で三次元の女の子など眼中にない。
性格も、根暗ではないが頭が弱く、不思議といえば聞こえがいい変人たる行動や言動が目立つ人物だ。
そんなものだから、その日の出来事が彼の運命を大きく変えるとは、全く思いもしないことだったのである……
―――
「たっだいまー」
誰もいないというのに、やけに大きい声を上げながら帰宅した青年・槍田秀一。
帰宅部なので、まだ三時を過ぎたばかり。時間はもろもろにある。
「さって、早速コメチェックすっかなー」
自室のPCに向かい、鼻歌をうたいながら自サイトをたちあげる秀一。
彼は、オリジナルの萌えイラストサイトを運営しており、評判もそこそこに良い。
男など眼中にはなく、特に中高生の美少女のイラストが得意な辺り、典型的であるといえる。
まず彼は、昨日アップしたイラストの感想を見ようと、掲示板に足を運ぶ。
下方まで一気にスクロールすると、急に彼の表情が落胆を含んだものに変貌した。
「一件だけかよぉ、つまんね……ん? 新参さんか?」
少し眼を丸くしながら、コメントを寄せてくれた人のHNを見つめる秀一。
名前欄には、「suzutomo」という文字が羅列していた。
始めてみる名である。
「す、ずとも、さんか。『とってもかわいいイラストですね。一分くらいその場で魅入ってしまいました』……うへへ」
端から見たら間違いなくヒかれるであろう忍び笑いを洩らした。
彼はもともと女の子の絵を描くことは好きなのだが、動機はといえば、友人にほめて貰いたかったからなのだ。
中学三年の時、今まで棒人間くらいしか描けなかった彼が、ふいに思い立って真剣に好きな絵師の萌え絵をトレースしたことがある。
彼自身、我ながら巧く描けたと思って友人に見せたら、ものすごい勢いで褒められたのだ。
そういった「ほめられたい」のをモチベーションにぐんぐん腕を磨き、結果自サイトを立ち上げるほどの腕前になったのである。
2
「『私も絵は描くんですけど、女の子は苦手なんですよね……一槍さんみたいに繊細な絵を描けるよう、頑張ります』。女か? 別に……――ん?」
秀一の顔が一変した。
彼は三次元の女性に興味などなく、コメントさえもらえれば男女隔てなく無常の喜びを覚える少年なのだが……
どうにも彼の頭の中に引っかかるものがあるようだ。
「すず、とも………………すずとも。あっ!」
鈴森朋美!
なぜか口には出さず、心の中でその名をつづった。
すずもりともみ。秀一のクラスメイトである。
申し分なく美しい少女なのに、全く男っ気……どころか、人っ子一人寄り付かない生徒だ。
三次元に興味がない秀一でさえ、視界に入るとチラチラ見てしまうほど、彼女の美貌はすこぶる優れたものなのだ。
では何故、彼女の周りには人がいないのか。
理由は数多にあるものの、最も大きいのはその性格だろう。
極めて寡黙で、自分から人に話しかけることはまずない。
こちらから話しかけても、無視されるか冷たい反応ばかりとくれば、孤立しても仕方がない。
「――って、別にこの人があの子だってわけじゃないだろ。なに考えてんだか」
そう考えるのは当然といえた。
ただ姓名の頭を取ってローマ字に置き換えただけと云うハンドルネームが、偶然にも彼女に合わさっただけだ。
秀一はあえてそう考えることにしたが、それはすぐに崩れ去ることとなる……
―――
翌日。
彼が目覚めたのは、八時過ぎだった。
「うぉわっ! やばっ!」
どうやら目覚ましを止めた後、二度寝してしまったらしい。
眠ったのが五時で、しかもその前にオナニーしたとあっては身体が疲弊しているのは当然なのだが、本人には全く自覚がない。
なんで起こしてくれないんだ! と思いつつも、さっさと着替えて家を出た。
点呼は九時。学校までは約四十分。
……冷静に考えたら、そこまで切羽詰るほどの時間ではない。
「……いいか。ゆっくり歩こう」
3
必死になっていた自分が馬鹿馬鹿しくなり、やや落ち込みながらもゆったりと足を運び始める。
――実際ゆっくり歩いても、余裕を持って間に合う時刻の電車に乗ることが出来た。
ふと、昨日の事が頭をよぎり、気になりはじめた。
おかしなものだと思った。
俺は三次元には興味ないはずなのに、鈴森さんには興味あるのか? 面食いとか、最低だぞ……
リアルとバーチャルを分けている彼にとっては、朋美の印象は良くも悪くもなく、薄かった。
確かに眼を引く可愛さではあるが、なにぶん現実なのである。
手の届かないものを気にしたってしょうがない……それが彼の持論だ。
電車を降り、学校へ向かう途中も、中々頭から離れない。
学校には八時五十分についたものの、彼にとってはあっという間に感じたものだった。
「ちっ、ラノベ読めねーじゃん……おっ?」
秀一は下駄箱まで足を運んだところで、目を見張った。
下駄箱で居合わせたクラスメイトは、鈴森朋美その人だったのだ。
美しい顔立ちに、大きな瞳、整った鼻梁、可憐な口元がある。
首元まである流れる黒髪はいつもサラサラで、男女問わず見惚れてしまいそうな質感だ。
そんな絶世の美少女であるにも関わらず、秀一の反応は鈍い。
むしろ、その鈍さが幸運を呼んだのかもしれない。
「ねえ、鈴森さん」
気付かぬうちに、秀一は眼の前の可愛らしい女の子に声をかけていた。
自分でも意外すぎたなと思った、と後から振り返ったのはいうまでもない。
「……なに?」
朋美独特の甘く透き通った声だが、普通の切り返しといっていいだろう。
他のクラスメイトなら、その平凡な反応を意外に思うのかもしれないが、相手は秀一である。
それになんの疑問も抱くことなく、続けて問いを重ねた。
「鈴森さんってさ、二次元イラストサイトとか見てる?」
「え……」
なんとも直球な訊きかたである。
当の鈴森さんも、返す言葉をさがしあぐねたように一瞬固まってしまう。
「あ、いや、見てないなら――」
「見ているわ」
4
固まる鈴森さんを見て慌てて弁明しようとしたものの、突如台詞を遮るように肯定され、全身に静電気を流されたような感覚が走った。
肯定されたのが嬉しかったというのもあるが、やはり原因はそのアニメ声だろう。
その、チョコレイトより甘く、アルプスの雪解け水さながらの透き通った声は、まるで天が自分に遣わした女神を思わせるものだった。
……とは、後日秀一が自サイトの日記に掲載した文だったりする。あいたたた。
「……見てるならさ、一つ訊きたいことがあるんだ」
急に神妙な顔つきになる秀一。
朋美のほうも、普段話したことさえない秀一が自分のことを知っていて、且つここまで真剣に話してくれることに、少なからず感じるところがあるようだ。
周囲に誰もいない下駄箱で、真顔で見つめあうふたり。
「鈴森さんはネット上でのHNが、ローマ字で「suzutomo」だったりする?」
実際は、彼はこれを訊く前から確信していたといっていい。根拠は全くないが。
そして、鈴森さんの反応は見事なものであった。
「槍田くん……まさか」
しぼり出すように発した甘やかな声はふるえていた。
美しい黒髪を飾った小顔を揺らし、怯えるようにこちらを見据えている。
うわっ、かわいー……ん?
自分が心内で呟いたことに、思わず疑いたくなる秀一。
二次元にハマり出す前ならともかく、どっぷり漬かってからは現実の女の子に「可愛い」なんて思ったことはなかった。
「ね、ねえ、槍田くん……なんで……? もしかして……槍田くんが……サイトを、持ってるの?」
やっぱり彼女は話すのが不得手なようである。
所々言葉が途切れたり、声が小さかったり、ゆったりし過ぎていたりと、良い声質が勿体無いと思う。
話すのがあまりにゆっくりな為か、集中力に乏しい秀一の視線は段々と移り変わり、いつのまにか彼女の身体を注視していた。
……眼を疑いたくなるようなプロポーションだった。
以前から遠巻きにチラチラ見ていた時にも思ったが、尋常ではないくらい良い身体の持ち主である。
華奢な肩に不似合いな、豊かな双丘。
なめらかな曲線を描くウエストを、程よくつき出たヒップが引き立てている。
これらが制服の上からでも分かってしまうのだから、脱いだらもっと凄いのだろう。
「え……ねえ……槍田くんってば!」
朋美のよびかけに、ハッとして視線を上げる秀一。
「あぅっ! ごご、ごめっ、別に身体に見とれてたわけじゃっ」
5
言わなくてもいい事をわざわざ口に出してしまうのは、彼の困った悪癖である。
だが、彼女はそのことに気付いていないのか、少なくとも怒っているようには見えない。
余計な詮索をうけないうちに話を進めることにした。
「ってゴメン! どど、どこまで話したっけ?」
「う、うん……槍田くんが、自分のサイトを持って……るんだよね?」
「あ、そうそう。それでさあ、きのう鈴森さん、俺のサイトに来たんじゃないかってハナシなんだよな。俺のHNは「一槍」だけど……」
「やっぱり、そうなんだ……私のHNは「suzutomo」だから……」
口下手なふたりにしては、面白いくらいにトントンと話が進んでゆく。
しかも初めての会話、ましてや普通ならば意識せざるを得ない異性との対話でここまでなのだから、よほど波長が合っているのだろう。
……ちなみに「一槍」とは、秀一のHNだったりする。
「そうかあ。鈴森さんが、絵を描いてたなんて……」
感慨深げに言う秀一である。
彼には、アニメやゲームに興じる友人はいても、一緒に絵を描く者はいない。
いや、皆無というわけではないが、秀一のレベルには全くついてこれないのだ。
それだけに、彼は朋美の絵がどれほどのものなのか、淡い期待と興味を抱いたのである。
同時に、今更ではあるがこうも思った。クラス内での評判なんてアテならないな、と。
「……槍田、くん。もし、よかったら、これからも……その――」
「うんうんわかった。俺も鈴森さんの絵を見たいし、鈴森さんも俺の絵が見たい。ギバンドテイク、ってやつだね!」
朋美のセリフを遮断しつつ、いきなりテンションを上げて珍言を吐く秀一。
眼の前でしどろもどろになりながら話す美少女の気持ちは、残念ながら少年に伝わらなかったようである。
だがこれは、彼が「変人」と嘲笑われる所為の一端に過ぎないのだ。
「じゃ、じゃあ……槍田くんのサイトに、また行っていい……?」
「あったり前田の何とかだよ! お互いガンバろうぜ、鈴森さん!」
「………………う、うん……ありがと、しゅ……槍田くん」
返答にかなりの時間を要したこと。
加えて、彼女が今溢れる歓喜に涙を堪えていることに、秀一は気付いただろうか?
むろん、ニブい彼のこと。気付くはずもなかった……
―――
6
それからというもの、二人はたびたび「ネット上でのみ」交流するようになった。
お互いの家に足を運ぶどころか、クラスでさえも口はきかない。言うまでもなく、周囲の視線をかんがみてである。
それでも、ふたりにとってPCを通じてやり取りすることは、極めて楽しい日々だった。
メールアドレスも交換し合い、端から見ると「親友」のような関係になっていた。
秀一は朋美が美少女であることをなんら気にしなかったし、逆に朋美は秀一の容姿が悪いことになんの不満もなかった。
しかし、ふたりは男と女だった。
いかにかれらが控えめであり、下心がなかろうと、本能を消すことはできない。
親しい友だちという関係は、そう長続きしなかったのである……
―――
「く…………くそっ!」
日をまたいだ頃合いの、槍田秀一の自室。
PCの前で頭を垂れ、右の拳を握りながら罵言を吐く少年の姿があった。
左手はというと、完全にいきりたった男を擦っている。
「取るんじゃ……なかった……!」
これは即ち、鈴森さんの写真のことである。
彼女の提案で、お互いの写真を携帯に入れておこうということになったのだ。
なぜ朋美がそんな提案をしたか疑問に思うより先に、彼は自分の写真写りの悪さの方を心配してゴネたが、彼女がどうしてもというので撮らせてあげた。
朋美は秀一に心配かけまいと理由は言わなかった――顔を見ていないと寂しいなどと、親友と思ってくれている少年には言えない。
そして、彼女は秀一にも自分の写真を持っていてほしいと懇願したのだ。
この頼みを聞く数日前にはもう、彼女の秀一に対する想いは、恋愛感情を多く孕んだものになってしまっていた。
元はといえば、初めて話したあの日からすでにそういった想いを抱いていたように思う。
だが、秀一の方はというと――
「っく…………だ、駄目だ、けど……くっ!」
デスクトップにどんと張りつけられた画像――制服姿の鈴森朋美の全身を撮った写真だ。
彼の目線は主に、顔よりも盛り上がった胸やスカートに覆われた股間を中心にさまよっている。
駄目だと思っていても、抑えられなかった。
鈴森さんの身体を好きにしたい。めちゃくちゃにしたい。
実際にやろうとは思わない彼も、頭の中では彼女を犯す情景を描いている。
彼が現実の少女を想い自涜におよぶのは、初めてだった。
7
「くっ……――がっ!!!」
放精とともに、数秒の快楽にいざなわれる。
だが、あまりにも早く空しい気持ちへと切り替えられ、行為に耽ったことを後悔してしまった。
「………………馬鹿か、俺は。醜すぎだぜ……」
もし鈴森さんがこんな醜態を見ちまったら、相当失望するだろうな……
彼は少なくとも朋美を親友だと思っているし、相手にもそう思われているだろうと考えている。
その相手を脳内で犯すなんて、自分は最低だ……
むしろ、この年頃であればめずらしくもないことなのだが、十代の童貞特有の感覚が、彼を深い罪悪感に苛む原因となっていた……
―――
だが、秀一が自慰に耽っていた同時刻のこと――
「はぁ……はぁ……はぁ……」
朋美も秀一を想いながら、自らを慰め終えたところだった。
全くの裸体を無防備にさらし、横たわって右手を秘所に当ててままの淫らな格好。
虚ろな瞳が潤み、涙が零れ落ちてゆく。
その枕元には、十数個の錠剤が散乱していた…… fin
次話
作者 6-548
聖羅高等学校に通う二年生の槍田秀一は、女性とは全く縁のない少年だ。
どう繕おうが中の下がやっとの顔立ちに、本人自体もオタク趣味で三次元の女の子など眼中にない。
性格も、根暗ではないが頭が弱く、不思議といえば聞こえがいい変人たる行動や言動が目立つ人物だ。
そんなものだから、その日の出来事が彼の運命を大きく変えるとは、全く思いもしないことだったのである……
―――
「たっだいまー」
誰もいないというのに、やけに大きい声を上げながら帰宅した青年・槍田秀一。
帰宅部なので、まだ三時を過ぎたばかり。時間はもろもろにある。
「さって、早速コメチェックすっかなー」
自室のPCに向かい、鼻歌をうたいながら自サイトをたちあげる秀一。
彼は、オリジナルの萌えイラストサイトを運営しており、評判もそこそこに良い。
男など眼中にはなく、特に中高生の美少女のイラストが得意な辺り、典型的であるといえる。
まず彼は、昨日アップしたイラストの感想を見ようと、掲示板に足を運ぶ。
下方まで一気にスクロールすると、急に彼の表情が落胆を含んだものに変貌した。
「一件だけかよぉ、つまんね……ん? 新参さんか?」
少し眼を丸くしながら、コメントを寄せてくれた人のHNを見つめる秀一。
名前欄には、「suzutomo」という文字が羅列していた。
始めてみる名である。
「す、ずとも、さんか。『とってもかわいいイラストですね。一分くらいその場で魅入ってしまいました』……うへへ」
端から見たら間違いなくヒかれるであろう忍び笑いを洩らした。
彼はもともと女の子の絵を描くことは好きなのだが、動機はといえば、友人にほめて貰いたかったからなのだ。
中学三年の時、今まで棒人間くらいしか描けなかった彼が、ふいに思い立って真剣に好きな絵師の萌え絵をトレースしたことがある。
彼自身、我ながら巧く描けたと思って友人に見せたら、ものすごい勢いで褒められたのだ。
そういった「ほめられたい」のをモチベーションにぐんぐん腕を磨き、結果自サイトを立ち上げるほどの腕前になったのである。
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「『私も絵は描くんですけど、女の子は苦手なんですよね……一槍さんみたいに繊細な絵を描けるよう、頑張ります』。女か? 別に……――ん?」
秀一の顔が一変した。
彼は三次元の女性に興味などなく、コメントさえもらえれば男女隔てなく無常の喜びを覚える少年なのだが……
どうにも彼の頭の中に引っかかるものがあるようだ。
「すず、とも………………すずとも。あっ!」
鈴森朋美!
なぜか口には出さず、心の中でその名をつづった。
すずもりともみ。秀一のクラスメイトである。
申し分なく美しい少女なのに、全く男っ気……どころか、人っ子一人寄り付かない生徒だ。
三次元に興味がない秀一でさえ、視界に入るとチラチラ見てしまうほど、彼女の美貌はすこぶる優れたものなのだ。
では何故、彼女の周りには人がいないのか。
理由は数多にあるものの、最も大きいのはその性格だろう。
極めて寡黙で、自分から人に話しかけることはまずない。
こちらから話しかけても、無視されるか冷たい反応ばかりとくれば、孤立しても仕方がない。
「――って、別にこの人があの子だってわけじゃないだろ。なに考えてんだか」
そう考えるのは当然といえた。
ただ姓名の頭を取ってローマ字に置き換えただけと云うハンドルネームが、偶然にも彼女に合わさっただけだ。
秀一はあえてそう考えることにしたが、それはすぐに崩れ去ることとなる……
―――
翌日。
彼が目覚めたのは、八時過ぎだった。
「うぉわっ! やばっ!」
どうやら目覚ましを止めた後、二度寝してしまったらしい。
眠ったのが五時で、しかもその前にオナニーしたとあっては身体が疲弊しているのは当然なのだが、本人には全く自覚がない。
なんで起こしてくれないんだ! と思いつつも、さっさと着替えて家を出た。
点呼は九時。学校までは約四十分。
……冷静に考えたら、そこまで切羽詰るほどの時間ではない。
「……いいか。ゆっくり歩こう」
3
必死になっていた自分が馬鹿馬鹿しくなり、やや落ち込みながらもゆったりと足を運び始める。
――実際ゆっくり歩いても、余裕を持って間に合う時刻の電車に乗ることが出来た。
ふと、昨日の事が頭をよぎり、気になりはじめた。
おかしなものだと思った。
俺は三次元には興味ないはずなのに、鈴森さんには興味あるのか? 面食いとか、最低だぞ……
リアルとバーチャルを分けている彼にとっては、朋美の印象は良くも悪くもなく、薄かった。
確かに眼を引く可愛さではあるが、なにぶん現実なのである。
手の届かないものを気にしたってしょうがない……それが彼の持論だ。
電車を降り、学校へ向かう途中も、中々頭から離れない。
学校には八時五十分についたものの、彼にとってはあっという間に感じたものだった。
「ちっ、ラノベ読めねーじゃん……おっ?」
秀一は下駄箱まで足を運んだところで、目を見張った。
下駄箱で居合わせたクラスメイトは、鈴森朋美その人だったのだ。
美しい顔立ちに、大きな瞳、整った鼻梁、可憐な口元がある。
首元まである流れる黒髪はいつもサラサラで、男女問わず見惚れてしまいそうな質感だ。
そんな絶世の美少女であるにも関わらず、秀一の反応は鈍い。
むしろ、その鈍さが幸運を呼んだのかもしれない。
「ねえ、鈴森さん」
気付かぬうちに、秀一は眼の前の可愛らしい女の子に声をかけていた。
自分でも意外すぎたなと思った、と後から振り返ったのはいうまでもない。
「……なに?」
朋美独特の甘く透き通った声だが、普通の切り返しといっていいだろう。
他のクラスメイトなら、その平凡な反応を意外に思うのかもしれないが、相手は秀一である。
それになんの疑問も抱くことなく、続けて問いを重ねた。
「鈴森さんってさ、二次元イラストサイトとか見てる?」
「え……」
なんとも直球な訊きかたである。
当の鈴森さんも、返す言葉をさがしあぐねたように一瞬固まってしまう。
「あ、いや、見てないなら――」
「見ているわ」
4
固まる鈴森さんを見て慌てて弁明しようとしたものの、突如台詞を遮るように肯定され、全身に静電気を流されたような感覚が走った。
肯定されたのが嬉しかったというのもあるが、やはり原因はそのアニメ声だろう。
その、チョコレイトより甘く、アルプスの雪解け水さながらの透き通った声は、まるで天が自分に遣わした女神を思わせるものだった。
……とは、後日秀一が自サイトの日記に掲載した文だったりする。あいたたた。
「……見てるならさ、一つ訊きたいことがあるんだ」
急に神妙な顔つきになる秀一。
朋美のほうも、普段話したことさえない秀一が自分のことを知っていて、且つここまで真剣に話してくれることに、少なからず感じるところがあるようだ。
周囲に誰もいない下駄箱で、真顔で見つめあうふたり。
「鈴森さんはネット上でのHNが、ローマ字で「suzutomo」だったりする?」
実際は、彼はこれを訊く前から確信していたといっていい。根拠は全くないが。
そして、鈴森さんの反応は見事なものであった。
「槍田くん……まさか」
しぼり出すように発した甘やかな声はふるえていた。
美しい黒髪を飾った小顔を揺らし、怯えるようにこちらを見据えている。
うわっ、かわいー……ん?
自分が心内で呟いたことに、思わず疑いたくなる秀一。
二次元にハマり出す前ならともかく、どっぷり漬かってからは現実の女の子に「可愛い」なんて思ったことはなかった。
「ね、ねえ、槍田くん……なんで……? もしかして……槍田くんが……サイトを、持ってるの?」
やっぱり彼女は話すのが不得手なようである。
所々言葉が途切れたり、声が小さかったり、ゆったりし過ぎていたりと、良い声質が勿体無いと思う。
話すのがあまりにゆっくりな為か、集中力に乏しい秀一の視線は段々と移り変わり、いつのまにか彼女の身体を注視していた。
……眼を疑いたくなるようなプロポーションだった。
以前から遠巻きにチラチラ見ていた時にも思ったが、尋常ではないくらい良い身体の持ち主である。
華奢な肩に不似合いな、豊かな双丘。
なめらかな曲線を描くウエストを、程よくつき出たヒップが引き立てている。
これらが制服の上からでも分かってしまうのだから、脱いだらもっと凄いのだろう。
「え……ねえ……槍田くんってば!」
朋美のよびかけに、ハッとして視線を上げる秀一。
「あぅっ! ごご、ごめっ、別に身体に見とれてたわけじゃっ」
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言わなくてもいい事をわざわざ口に出してしまうのは、彼の困った悪癖である。
だが、彼女はそのことに気付いていないのか、少なくとも怒っているようには見えない。
余計な詮索をうけないうちに話を進めることにした。
「ってゴメン! どど、どこまで話したっけ?」
「う、うん……槍田くんが、自分のサイトを持って……るんだよね?」
「あ、そうそう。それでさあ、きのう鈴森さん、俺のサイトに来たんじゃないかってハナシなんだよな。俺のHNは「一槍」だけど……」
「やっぱり、そうなんだ……私のHNは「suzutomo」だから……」
口下手なふたりにしては、面白いくらいにトントンと話が進んでゆく。
しかも初めての会話、ましてや普通ならば意識せざるを得ない異性との対話でここまでなのだから、よほど波長が合っているのだろう。
……ちなみに「一槍」とは、秀一のHNだったりする。
「そうかあ。鈴森さんが、絵を描いてたなんて……」
感慨深げに言う秀一である。
彼には、アニメやゲームに興じる友人はいても、一緒に絵を描く者はいない。
いや、皆無というわけではないが、秀一のレベルには全くついてこれないのだ。
それだけに、彼は朋美の絵がどれほどのものなのか、淡い期待と興味を抱いたのである。
同時に、今更ではあるがこうも思った。クラス内での評判なんてアテならないな、と。
「……槍田、くん。もし、よかったら、これからも……その――」
「うんうんわかった。俺も鈴森さんの絵を見たいし、鈴森さんも俺の絵が見たい。ギバンドテイク、ってやつだね!」
朋美のセリフを遮断しつつ、いきなりテンションを上げて珍言を吐く秀一。
眼の前でしどろもどろになりながら話す美少女の気持ちは、残念ながら少年に伝わらなかったようである。
だがこれは、彼が「変人」と嘲笑われる所為の一端に過ぎないのだ。
「じゃ、じゃあ……槍田くんのサイトに、また行っていい……?」
「あったり前田の何とかだよ! お互いガンバろうぜ、鈴森さん!」
「………………う、うん……ありがと、しゅ……槍田くん」
返答にかなりの時間を要したこと。
加えて、彼女が今溢れる歓喜に涙を堪えていることに、秀一は気付いただろうか?
むろん、ニブい彼のこと。気付くはずもなかった……
―――
6
それからというもの、二人はたびたび「ネット上でのみ」交流するようになった。
お互いの家に足を運ぶどころか、クラスでさえも口はきかない。言うまでもなく、周囲の視線をかんがみてである。
それでも、ふたりにとってPCを通じてやり取りすることは、極めて楽しい日々だった。
メールアドレスも交換し合い、端から見ると「親友」のような関係になっていた。
秀一は朋美が美少女であることをなんら気にしなかったし、逆に朋美は秀一の容姿が悪いことになんの不満もなかった。
しかし、ふたりは男と女だった。
いかにかれらが控えめであり、下心がなかろうと、本能を消すことはできない。
親しい友だちという関係は、そう長続きしなかったのである……
―――
「く…………くそっ!」
日をまたいだ頃合いの、槍田秀一の自室。
PCの前で頭を垂れ、右の拳を握りながら罵言を吐く少年の姿があった。
左手はというと、完全にいきりたった男を擦っている。
「取るんじゃ……なかった……!」
これは即ち、鈴森さんの写真のことである。
彼女の提案で、お互いの写真を携帯に入れておこうということになったのだ。
なぜ朋美がそんな提案をしたか疑問に思うより先に、彼は自分の写真写りの悪さの方を心配してゴネたが、彼女がどうしてもというので撮らせてあげた。
朋美は秀一に心配かけまいと理由は言わなかった――顔を見ていないと寂しいなどと、親友と思ってくれている少年には言えない。
そして、彼女は秀一にも自分の写真を持っていてほしいと懇願したのだ。
この頼みを聞く数日前にはもう、彼女の秀一に対する想いは、恋愛感情を多く孕んだものになってしまっていた。
元はといえば、初めて話したあの日からすでにそういった想いを抱いていたように思う。
だが、秀一の方はというと――
「っく…………だ、駄目だ、けど……くっ!」
デスクトップにどんと張りつけられた画像――制服姿の鈴森朋美の全身を撮った写真だ。
彼の目線は主に、顔よりも盛り上がった胸やスカートに覆われた股間を中心にさまよっている。
駄目だと思っていても、抑えられなかった。
鈴森さんの身体を好きにしたい。めちゃくちゃにしたい。
実際にやろうとは思わない彼も、頭の中では彼女を犯す情景を描いている。
彼が現実の少女を想い自涜におよぶのは、初めてだった。
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「くっ……――がっ!!!」
放精とともに、数秒の快楽にいざなわれる。
だが、あまりにも早く空しい気持ちへと切り替えられ、行為に耽ったことを後悔してしまった。
「………………馬鹿か、俺は。醜すぎだぜ……」
もし鈴森さんがこんな醜態を見ちまったら、相当失望するだろうな……
彼は少なくとも朋美を親友だと思っているし、相手にもそう思われているだろうと考えている。
その相手を脳内で犯すなんて、自分は最低だ……
むしろ、この年頃であればめずらしくもないことなのだが、十代の童貞特有の感覚が、彼を深い罪悪感に苛む原因となっていた……
―――
だが、秀一が自慰に耽っていた同時刻のこと――
「はぁ……はぁ……はぁ……」
朋美も秀一を想いながら、自らを慰め終えたところだった。
全くの裸体を無防備にさらし、横たわって右手を秘所に当ててままの淫らな格好。
虚ろな瞳が潤み、涙が零れ落ちてゆく。
その枕元には、十数個の錠剤が散乱していた…… fin
次話
作者 6-548
2009年01月11日(日) 16:27:42 Modified by ID:QoBh7SNwMg