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バレンタインデー・キス


 高校は今現在、昼休みの時間。
 男子も女子も、教室でじっとするにはまだ元気を持て余す年頃だ。
 人は散り散りで、ここには幼馴染同士の男女を除き、誰もいなかった。
 ちょきん、ちょきん、と、テンポよくハサミの音がする。
 手を添えながら、無精な彼の、若白髪を切っているのだ。
「なぁ?」
 返事の代わりに、物音がしん、と停止する。
「お前まめだな」
 そう言うと、受け流すように作業は再開された。
「白髪なんて放っといて良いのに」
 背中で呟く相手を、彼女は気に留めない。
 ちょきん、ちょきん。
 無言の散髪は、続く。

 真後ろにイスを付けて、やや前のめりに白髪を切る彼女。
 やがて目立つ部分は無くなったのか、席を立つ。
 隣を通る際、その手に包まれた物を、彼は見せてもらった。
「うわ、俺相当病んでるな」
 その少なくなさに、感想をつける。
 彼女はそれだけ聞くと、教室の右端にあるゴミ箱に、物を捨てに行った。
 そして戻ってくると、また彼の背中側に。
「とりあえず、ありがとさん。で、何企んでる?」
 と訊くと、彼の首周りに細い腕が、伸びてきた。
 息遣いが至近距離になり、確認出来る特別な感情。
「便宜を、はかりたい」
 繊細で透き通るような声。
 それはどこか悪戯っぽい響きで、彼の耳に届いた。

 彼は手さげに手を突っ込むと、巾着を取り出した。
「ほれ、見返り」
 黙って受け取る彼女だったが、表情は見る見るうちに、明るく染まる。
「昔っからそうやって、チョコ催促好きだよな」
 バレンタインも近づく週末。
 今年は当日が日曜なので、一日早めのプレゼント。
 傍から見ればやや図々しい逆チョコにも見えるが、以前から二人には、習慣着いていたものだ。
「!」
 彼女が袋を開くと、中には銀紙に包まれた、如何にも手作りといった感じの物が四つ。
「ま、普段金かけることなんて、お前に何かしてやるくらいだし?」
 照れ臭そうな、しかしどこか陰のある皮肉にも聞こえる台詞。
 包み紙を開くと、香りもデザインも上品で手の込んだ、一口サイズのチョコレートが顔を出す。
「この間スイスのチョコレートショップ特集やってたから、それ参考にな」
 
 一つを、味わうように小さくぱくり。
 どちらも顔が思わず綻んで、和んでしまう。
「ん? 俺にも半分?」
 彼女は是非にと言わんばかりに頷く。
 そして、その手から直接、チョコレートを口に運んでもらう。
「美味いな。手前味噌だけど」
 柔らかく溶けていく甘さを、二人で共有する。
 そんな発想が出来る関係は、単なる幼馴染に留まらない。
「あ、その丸い奴の中は、レーズンソースな。コニャックの代わり」
 随分と凝っているものである。
 これ? と目で訊く彼女に、彼はそうと答えた。
 ぱくり。
「美味いか?」
 やはり半分だけ齧った彼女。
 と、中のソースが流れ出て、唇に少しだけ付いた。
 その部分だけ、てかてかとまるでルージュを塗ったように、光る。
「零れたぞ」
 彼は手を差し伸べて、相手の下唇を、指で軽く拭った。

「ん?」
 彼女は思わず、手首を掴んでいた。
 そしてその先の、ソースが付着した指にそっと、顔を近づけた。
 ぺろ、と舌で舐めとる。
「そんな勿体無がんな。まだ家にたくさんあっから」
 しかし、直向に口数は少ない。
 何を考えているかを表情の、微妙な動きで察しなければいけない。
 だからその度、まじまじと見つめ合って、そして我に返るように恥らってしまう。
 今もまた、そんな風にして視線が流れる二人。
 どきどきと胸が興奮を告げ、顔は薄らと赤くなる。
「悪ぃ」
 しかし健気に、首を横に振る。

 初心な模様に痺れを切らしてか、彼女は欠片をまた、彼の口に。
「あーん」
 半ば押し込むように、そして深く、手先まで咥えさせるように入れる。
 指が唾で、しっとりと濡れる。
「何か、甘いな。って、当たり前か」
 濡れた指を見つめ、彼女を見つめる。
 言葉はないが、笑っている。温かな含みに、何重にも救われるような、心地。
 友人のいない彼の、たった一人の理解者。
 白髪を育むほどに日常にストレスを溜めて、それでも彼女がいる。
 いや、彼女しかいない、のかもしれない。
「せっかく作ったんだから、全部食べて良いのに」
 それでも強がってしまう、男の性。
 しかし彼女も、例え無口でもそんな彼を理解し、支え、癒している存在である。
 気丈に受け止めて、笑う。

「で、お前、指」
 え? と間の抜けた表情。
「ったく、何してんだか。汚ねえだろ」
 そう言って、ポケットからハンカチを取り出す。
 しかし彼女は、それをぼんやりと見つめると、自分の口元にやった。
 ちゅ。
「おいおい」
 どこか甘ったるい仕草に、彼は呆れながらも、愛しさを覚える。
 しかしハッとして、彼女の指をハンカチで、やや乱暴に拭いだす。
「あーあやり辛い。やっぱお前はずるい。俺ばっか喋らせて」
 本音を吐露するように、言った。
「たまにで良いから、何か言ってくれよ。不安になるから」
「じゃあ、好き」
 簡潔な一言が、的確に心を貫く。
 緩んだ時間の上で、彼は短く溜息を吐いた。
 嫌なのではなく妙に嬉しくて、もどかしいような切ないような感情に、少しだけ苛立っているのだ。

 やがて、彼は切り出した。
「馬鹿」
 一言で返し、後は体を抱き寄せ、自ら包み込むだけ。
 どちらが男で女かよく分からない関係だが、それでも絆に隙間はない。
 瞬く間に、冬場の羽毛布団みたいに温かく柔らかで、心落ち着く空間が作り上げられた。
 彼の胸の中にそれは小さく収まって、何故かとても貴く思えて、力がこもる。
 そしてチョコレートの余韻を、ほんの僅かだが受け取る。
「う、ん」
 彼女からの、バレンタインデー・キス。
 目を瞑ると、時間は二人だけのものになる。
 甘く、そしてほんの少し苦い味に誘われて強く、しっかりと認識し合う。
 他にはいない、これからもずっと、大事な人だと。
2011年08月23日(火) 10:30:50 Modified by ID:uSfNTvF4uw




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