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縁の切れ目 言霊の約束(1)


 遠藤守の住むアパートの一室で、依子は呆然と固まっていた。
 部屋には三人の人間がいた。依子と、守と、もう一人若い女性の三人が座卓を囲んでいる。
 その女性は美しかった。
 人形のように整った顔立ち。流水のように滑らかな黒髪。厚手のスーツは凛とした雰囲気を際立たせ、服の間から見える柔肌は雪のように白い。
 そして、依子にとてもよく似ていた。
 依子は何も考えられず、何も言葉が出なかった。色々なことが急に起こりすぎて、頭が混乱していた。
 一度だけ小さく深呼吸をする。簡単に落ち着けるものではないが、事態の整理には効果的だ。
 依子は整理する。頭の中で、今までに起こった出来事を。


 昨日の夜、依子は守を二ヶ月半ぶりに訪ねた。
 しばらく訪ねなかった理由は気まずかったからだ。
 守に告白されて、依子はまだ返事を返していない。さすがにそんな状態で顔を会わせる度胸はなかった。
 以前までの依子は、彼の想いに気付いていなかったので気兼ねなく会いに行っていたが、さすがに二の足を踏むようになっていた。
 だが昨日、そんなことを頭から消し去るほどの事態が我が身に降りかかった。
 縁が突然見えなくなってしまったのだ。
 昨日の夕方、自らを生霊と名乗る少女に『何か』をされて、
 ……目が覚めたときには世界は変わっていた。
 アスファルトからビルの壁、街行く人々から空の彼方まで、世界を覆う無数の糸が、跡形もなくなっていた。
 少女は何度も謝ってきた。魂を傷付けた、巻き込んでしまった、傷は治したが、何らかの後遺症があるかもしれない。色々なことを言っていたが、あまり頭には入らなかった。
 何が起きたのか、すぐには理解できなかった。世界の変化に意識がついていかなかった。
 いや、変わったのは自分の方かもしれない。
 それから後のことを依子ははっきりとは覚えていない。少女に何か言ったかもしれない。言わなかったかもしれない。
 気付いたときには守の部屋の前に辿り着いていた。
 すがれる相手が欲しかったのだろう。家には保護者の義母がいたが、誰でもよかったわけではない。
 依子はいつも一歩退いて接していたので、彼女では駄目だった。身近な者で体が向いた相手が守だったのだ。
 気まずさが消えたわけではないが、不安の方が強かった。
 守は多少驚きはしたものの、いつもと変わらず迎えてくれた。
 会った瞬間思わずすがりついて、部屋の中に入ってからも落ち着きのないまま一方的に事情を話して、それを、ただ静かに聞いてくれた。
 頼れる人だった。
 そのあと安心からか疲労が一気に襲ってきた。遅いから泊まっていくよう守に勧められて、依子は素直に従った。
 これまでにも何度か泊まったことはあったが、守の気持ちを知った今、前のような気軽さは持てなかった。
 借りたベッドの中で依子は思った。このいとこは、自分にいつでも手を出せたはずなのだ。だがそんなことは一度もなかった。せいぜい頭を撫でる程度だった。
 そこに守なりの真摯さが込められているような気がして、嬉しくなった。同時に申し訳なく思った。
 だがそんなことは、今の依子には瑣抹事でしかなかった。
 守を見やる。その胸元から生えているであろうものを見るために。
 何も、見えなかった。
 依子と守の縁の糸が前まで確かにあったはずなのに。
 依子はぎゅっと目を瞑る。昨日までのあの感覚が錯覚だったかのようで、胸が苦しくなった。
 眠気に意識が侵食されるまで、依子はひたすら強く目を瞑っていた。

 翌朝目を覚ますと、すぐ横に自分によく似た女性が無表情に座っていた。
 ぎょっとして跳ね起きると、女性は微かに首を傾げた。
 誰、という疑問はすぐに吹き飛んだ。もう何年も会っていない相手だが、依子には一目で十分だった。
「お姉……ちゃん?」
 神守依澄はその声を聞くと、小さく微笑した。

「依澄さん、どうかな」
 守の問いかけに依澄は小さく頷く。
 夕べのうちに守が連絡したらしい。目の前にいる麗人は、依子の知らない成長を遂げていたが、間違いなく依子の姉だった。
 霊能を操る一族、神守。
 その神守の歴代当主の中でも屈指とまで言われる彼女の力をもってすれば、あるいは依子を治せるかもしれない。守はそう言った。
 依澄の透き通るような目が依子を見据える。
 動悸が激しくなった。八年ぶりに自分の前に現れた姉は、前よりもずっと無彩色性が増したように感じた。
 縁も、見えない。
 ずっと縁の糸を見通すことであらゆるものを判断してきた依子には、それが不安で仕方がない。
「……」
 依澄はやがて無言のうちに首を振った。
「どうなの?」
 守が不安そうに尋ねると、美しい唇が開かれた。
「……私には治せません」
 無表情に断じた答えは、依子の心にさざ波を立てた。
「魂が以前とは変わってしまっています。縁視の力はもう取り戻せないと思います」
 清澄な声が淡々と語る。
 それはとても残酷な響きに聞こえた。依子の主観かもしれないが、まるで鋭利な鎌に身を裂かれたような。
 依澄は無表情だ。
 守が短い息を漏らした。残念そうに肩を落とす。
「依子ちゃん……」
「……」
 依子はぐっと歯を噛み締めると、にこやかに笑った。
「……別にたいしたことじゃないよ。見えないはずのものがやっぱり見えなくなっただけだよ」
 依子は、言い訳としてはかなり下手だな、と自覚しながらもそう言い切る。
 依澄の表情は変わらない。
 依子にはその顔の奥にある心が見えない。
「あ……、えっと、」
 守が何かを言おうとしてなぜか言い淀んだ。微妙な空気は依子にとっても感じのいいものではない。
「……」
 依澄はそんないとこに柔らかく微笑んだ。微かに熱っぽい気持ちがこもった微笑。
 そして、
「……依子」
 不意にかけられた声に依子はびくりと肩を震わせた。
「……な、なに?」
「…………今度、実家に戻って来ませんか?」
 ――唐突。
「……え?」
 姉の顔を思わず見返す。
 不安や困惑でいっぱいの頭の中に、急にそんなことを投げ掛けられてもこっちは困るだけなのに。依子は姉に少しだけ腹が立った。
「ちょっと待って。なんで急にそんなこと、」
「……大丈夫、……今のあなたなら戻ってこれます」
「……」
 何を確信しているのか、姉の言葉には妙に力があった。言霊とは違う感じの力だ。
 それに呑まれてしまい、依子は口をつぐんだ。言いたいことも考えたいこともたくさんあるはずなのに。
 そんな依子の心情を知ってか知らずか、依澄はおもむろに立ち上がった。
 そのまま頭をぺこりと下げると、玄関へと足を向ける。
「依澄さん?」
「戻ります……」
「ちょっと、お姉ちゃん」
 呼び止めようとすると依澄は軽く振り向いた。
「待ってます……から」
 それだけ言い残して、依澄は部屋を出ていった。
 送ってくる、と守も部屋を飛び出し、そして依子だけが残された。

 依子は仰向けにベッドに倒れ込むと、ゆっくりと目を閉じた。
 窓から光が射す。閉じた目でも、その眩しさはしっかりと伝わってくる。
 とても静かだった。
 夜が明けても、結局縁視はなくなったままだ。
 それでも、確かにあの感覚は昨日まで存在していた。
 溜め息が漏れる。
(駄目だな、私……)
 自分はもっと明るい性格だったはずだ。それが今はどうだ。糸が見えなくなっただけでこんなにも不安定になっている。
 それだけ依存していたのだろう。あの糸を通して、依子はあらゆる関係を見抜き、理解してきた。
 人と人との繋がり、これからめぐり会う出来事との関係、ときには人の心さえも見通すことができたのだ。
 ものごころがついたときには既に持ち合わせていた力だった。それ故、見えることが当たり前すぎて、呼吸と変わらないくらい自然な感覚だった。
 それが急になくなってしまって、依子はこれからどうすればいいのか何もわからない。
 失明したわけではない。腕や脚がなくなったわけでもない。だが、あるいはそれと同等とも言える喪失感が胸に広がっている。
 お腹がぐう、と小さく鳴った。
「……」
 安物の目覚まし時計がカチ、カチ、と規則正しい音を立てている。短針は『10』の字を差している。
(こんなときにもお腹は空くんだよね……)
 夕べ、何も食べてない反動からか、お腹が少し痛かった。
 何か作ろうか。そう思ってキッチンを見やる。守によく料理を作ってやっていたので、造りは把握している。
「……」
 依子は動かなかった。思っただけで、起き上がることすらしなかった。
 錆びれていくような虚しさを抱えたまま、依子はただ柔らかなベッドに身を委ねていた。
 無気力な頭の中を巡るのは、再会した姉のことだった。


 しばらくして、守が戻ってきた。
「ただいまー……って、大丈夫?」
 虚ろに倒れたままの依子に心配そうな声をかける。
「……お腹空いた」
 思ったことをそのまま吐くと、守は小さく笑った。
「そう思ってパンと飲み物を買ってきたよ。一緒に食べよう」
「……うん」
 依子は体を起こすと、座卓に並べられた菓子パンとペットボトルの飲み物を見つめた。昔から好きなミルククリームのサンドパンがある。
 守は紅茶のボトルと合わせてそれを依子に差し出した。
「好きだよね、これ」
「……ありがとう」
 こんな些細なことを覚えているいとこに、少し驚く。
 袋を破り、パンをかじる。柔らかいミルクの味が口いっぱいに広がった。
「あのさ」
 ジャムパンを頬張りながら守が口を開いた。
「迷惑、だったかな?」
「え?」
「いや、急に依澄さんを呼んだりしてさ」
 依子は手を止める。
「……別にそんなことはないよ。いきなりだったから驚きはしたけど……」
「それならよかった。二人には仲良くしてもらいたいんだけど、依子ちゃんは会いたくないのかな、ってずっと思ってたから」
「そんなことない。でも……」
「でも?」
「私は実家にはいられないから、こっちから会いに行けないんだよ。向こうは忙しいし会う機会が」
 待って、と守が言葉を遮った。
「前から疑問だったんだけど、実家にはいられないってなんで?」
 依子は目をしばたたかせた。
「……言ってなかった?」
「聞いてないよ。」
「……」
 確かに言った覚えはなかった。だが当然知っていると思っていた。依澄か誰かが話しているものだと思い込んでいた。

 仕方ないか、と内心で呟くと依子は言葉を探した。
「えーと……簡単に言うとね、神守家は一つの世代に一人の人間しかいてはいけないんだ」
「……?」
「『神守』を名乗れるのは一人だけなの。それ以外は『神守』を名乗れない。今だと、お姉ちゃんだけ」
「……どうして?」
「神を守り、神に守られる人数が決まっているから」
 胸が少し痛む。自分は選ばれなかったのだ。
 守はいぶかしげに眉を寄せた。
「それと依子ちゃんが実家にいられないのと何の関係が?」
「今から話すよ。わかりやすく話せるかどうか自信ないけど」
 軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせると、依子は静かに語りだした。


「『神守家』の役割はね、二つあるの。
 一つは霊能力を持って霊的な問題を解決すること。
 で、もう一つはその名が示すとおり、神様を守ること。
 緋水の神様についてはマモルくんも知ってるよね? 昔からこの辺り一帯を治めてきた神様。
 それを神守家はずっと守ってきた。崇め奉り、保護することで、土地の安寧を得てきた。
 眉唾と言えばそれまでだけど、本当に力があるんだよ? 神守の力が強いのは、緋水の神様に力を借りてるからだもの。
 だから、神守家は緋水の神様を守ると同時に加護を受けているの。
 ただし、緋水の神様の加護を直接受けられる人間は一人だけなの。
 つまり神守の当主だけ。当主はいわば巫女となって、正式に『神守』を名乗る。
 だから神守の名を持つ者は一人だけしかいない。
 本家が神守と呼ばれてるのに、苗字が緋水になっているのはそのためなんだ。お母さんも前までは神守だったけど、今は緋水姓になってるからね。
 たった一人の神守が、巫女となって神様を守る。本来概念でしかない神様を規定することで、神様という存在を守る。それが神守の役目。
 その見返りに神守は力を得る。名前によって神様からの加護を受け、その力を土地の平安に使う。
 ……言葉じゃどうしても嘘っぽくなっちゃうね。私も神様に直接会ったわけじゃないから確信を持って説明できるわけじゃないんだけど、まあとにかく。ここから本題。
 神守を名乗れるのは一人だけ。だからお母さんの後継は私かお姉ちゃんのどちらか一人だった。
 私は知ってのとおり才能がなかったから、当主にはなれなかった。
 正直悔しかったな……私ね、できればお姉ちゃんの助けになりたかったの。当主になれば、もうお姉ちゃんは私の面倒なんか見なくて済むと思ってたから。
 でも仕方ないと思ってる。何も問題はなかった。私が一つ諦めて、家族と普通に生きていくだけ――そのはずだった。
 お姉ちゃんが当主になることが決まって、ちょうどそのための準備をしていた頃だったかな。
 私は高熱に倒れた。
 病気じゃなかった。私は緋水の神様の力に当てられたの。
 私はお姉ちゃんに最も近い人間だったから、変に影響を受けてしまったみたい。
 お姉ちゃんの力が日増しに強くなっていくにつれて私の体調は悪くなっていった。
 力にあてられないようにするには二つの方法がある。
 一つは自身の魂の形を大幅に変えて、神守固有の魂の形をなくすこと。もう一つは単純にその土地から離れること。
 私には才能がなかったから、自身の魂操作さえろくにできなかった。
 だから、私には後者の方法しか手がなかった。
 お父さんはお母さんの『盾』だったし、お母さんも先代としてお姉ちゃんのそばから離れるわけにはいかなかったから、私は一人で実家を去らなければならなかった。
 ……もちろん哀しいよ。でも迷惑かけるわけにはいかないじゃない。あれ以上あそこにいたら、死んでたかもしれないしね。
 だから、ただそれだけだよ。私に才能がなくて、ちょっと巡り合わせが悪かっただけ。
 本当に、うん……それだけの話。


 喉が渇いたので、ペットボトルの紅茶を口元に傾けた。冷たさが心地よい。
 守が小さく頷いて、口を開く。
「依子ちゃんがこっちに移ったのはそれが理由?」
「うん。おじさんとおばさんには子供がいなかったからちょうどよかったみたい」
 まるで他人事のような言い種だな、と依子は思った。義父も義母もとてもいい人たちなのに。

 すると守が不審げに眉をひそめた。
「つまり、依子ちゃんは緋水の土地に入れない、ってことだよね?」
「うん……そうだよ」
「でも依澄さんはさっき、君に戻ってこないか尋ねた。どうして?」
「わからないよ……。私があそこにいられないのは間違いないことなのに」
「ひょっとして、もう大丈夫になったとか?」
 守のポジティブな意見に依子は首を振った。そんな簡単にいく問題ではないのだ。
「どうして大丈夫になったと思うの?」
「いや、依澄さんが言ったことだし」
 確かに言っていた。今のあなたなら大丈夫と。あれはどういう意味なのだろう。今の私なら?
 依子は考え込む。今の自分。縁の見えなくなった自分。何も持たない自分。そんな自分に何があって大丈夫なのか。
「あ」
 そのとき守が短い声を上げた。
「何?」
「いや、そういうことなのかな、って」
 よくわからないことを言う。
「……? そういうことって?」
「緋水の神様の力にあてられないようにする方法だよ。離れるだけじゃなく、もう一つ方法があるんでしょ?」
「え? うん、魂の形を変えて……あ」
 気付いた。その瞬間守と顔を見合わせた。
 緋水の神様の力にあてられるのは、神守家固有の魂の形を保持してしまっているためだ。
 当主になるにあたって、魂が力を受け入れやすい形になっているわけだが、自身の霊能や魂をうまく操作できない依子はそのせいで悪い影響を受けてしまっている。
 だが逆に言えば、その形を変えてしまえば影響を受けなくてすむということである。
「私の魂が以前とは変わってしまっているから……もう影響を、受けない……?」
「だと思ったんだけど、どうかな?」
「……」
 迷いが生まれる。
 もしそうだとしたら、とても嬉しいことだ。もう二度と戻れないと諦めていたあの土地を、また踏めるのだ。
 だが、果たして受け入れてくれるだろうか。土地は、家族は、以前の私ではない私を認めてくれるだろうか。
「不安なら、ぼくもいっしょに行こうか?」
「え?」
 幼馴染みの申し出に依子は驚いた。
「大丈夫。何があってもいっしょにいるから。いっしょにいたいから」
 いとこの顔を見つめる。守はとても優しげに微笑んでいた。
 前から彼はこんな笑みを浮かべていただろうか。依子は戸惑う。縁が見えないために相手をうまく計れないことが、逆にその顔をより強く見せているような。
 不思議と安心できる笑みだった。とても不安なのに、守ってくれそうで。
「……うん」
 依子は小さく頷いた。


 家に戻った依子は、自分の部屋でばたりとベッドに倒れ込んだ。
(疲れた……)
 本当に何もかもが急すぎた。変わっていく世界は依子にとってあまりに激しい。
 縁糸の消えた世界が目の前に広がっている。
 やはり少し不安だ。自分は今、誰と繋がっていて、これから誰と繋がっていくのだろう。
 だが、さっきの守との会話でちょっとだけ立ち直ることができた。
 守と話し合って、緋水に戻るのは週末ということになった。金曜日の夕方、学校が終わったら駅で待ち合わせする約束だ。
 戻れる。八年振りに、あの場所に。
「……」
 しばらくぼんやりと枕の感触に埋もれていると、ドアがノックされた。
「入るわよ」
 現れたのは義母の百合原友美(ゆりはらともみ)だった。義父の仁(ひとし)が単身赴任中なのでこの家には依子と彼女しかいない。
「あら……どうしたの? まだ体調悪いの?」
「あ……ううん、ちょっとぼーっとしてただけ」
「そう? 夕べはびっくりしたわよ。急に守君から連絡が来るんだもの。具合が悪くなったって言ってたけど、大丈夫なの?」
「う、うん。もう平気」
 百合原家は神守とは縁遠い親戚で、友美もただの一般人だ。神守家についても特に詳しいわけではなく、依子は自分の縁の力についても話したことがない。
 だからこういうとき、詳細をうまく話せなくて依子は困ってしまう。ただでさえ接し方に苦慮しているのに。

「それにしても、あなたが守君の部屋に泊まったのも久し振りね。しばらく行ってなかったでしょ?」
「あー、うん、ちょっと気が乗らなかったから」
「私としてはそれくらいが当たり前だと思うけどね」
「へ? なんで」
「女子高生が一人暮らしの若い男の部屋に泊まるなんて危なすぎでしょ。信用できる守君だから許してるけど、あなたは自覚ないの?」
 言われて依子は押し黙った。
 そういえばまだ答えを返していないな、と依子は微かに胸が痛んだ。サボテンの棘のように小さな針が一本だけ刺さっているような小さな痛み。
「あの、おばさん」
 依子は話題を変える。週末のことを言っておかないと。
「私、金曜日に学校が終わったら、実家に帰ろうと思う」
 友美の目が大きく見開かれた。
「……そう、なの?」
「うん。いいかな?」
「……あなたがそういうなら構わないけれど……大丈夫なの? いろいろと家の方で問題があるんじゃ、」
「大丈夫になったの。だから、問題ないよ」
「……そう。ならいいわ。……家族同士仲が良いのが一番だものね……」
 依子がこれまで実家に戻らなかった理由を友美は知らない。喧嘩や勘当と勘違いしているのかもしれない。突っ込むと説明が面倒なので何も言わないが。
「そういうわけだから、金曜日から夕食はいらない。土日の間、向こうで過ごすから……」
「依子」
 友美の固い声が言葉を遮った。
 なぜか、気圧される。
「ちゃんと……帰ってくるのよね?」
「おばさん……?」
 友美の顔を見つめる。声と同様にどこか固かった。
「あ……向こうに戻れるなら、もうこちらにいる必要はないのでしょう? そうなると、寂しいと思ってね……」
 不安げな表情はまるで迷子のように寂しく見えた。
 後ろめたい気持ちが風船のように膨らむ。割れそうなほど、それは儚く感じた。
「……大丈夫。そんな簡単に出ていったりしないよ。まだ私高校生だし、この街が好きだし」
 しばらくはまだお世話になるはずである。少なくとも卒業までは。
「そう……ならいいわ。最後まで面倒見させてね、依子」
「……うん、ありがとう。おば……お母さん」
 瞬間、義母はひどく驚いた顔になった。
「……初めてかもね。そう呼ばれたの」
「ごめんなさい。恥ずかしかったから……」
「ううん、嬉しいわ。とても」
 本当に嬉しそうな様子で言われて、依子はくすぐったく思った。
 だがそのくすぐったさは、嫌いじゃない。
「今度、お父さんが帰ってきたときにも言ってあげてね。きっと喜ぶから」
「……頑張る」
 温かい空気が感情を上気させるようで、依子はほんのり頬を赤く染めた。

 そして金曜日。
 依子は守と一緒に、八年振りに故郷へと帰った。

 神守市内某ホテル。
 二階の隅部屋で、少年と少女が話をしていた。
 といっても一方は言葉を発さない。少年の方が一方的に語りかけているように見える。
「この街もだいぶ回ったけど、もう目立った悪霊はいないみたいだ」
 少女はこくりと頷く。
「そろそろ出るか。しばらくは『食事』の必要はないけど、いつまでもこの街にとどまっている理由はない」
「……」
 少女が無言のまま少年を見つめた。
「……心残りか? でも俺たちにできることはもうないぞ」
「……」
 少女は黙したままだが、互いの意志疎通は問題ないようだ。
「あの子の縁の能力とやらがどういう類のものかは知らないけど、お前はちゃんと魂の傷を治したんだろ。それでどうにもならなかったのなら、どうにもできない」
「……」
「……じゃあ会うしかないな。会って、話でもしてこい。土日は休みだから迷惑でもないだろ」
「……」
「会うのが怖いのはわかる。でも、引っ掛かってるんだろずっと。必要なら謝れ。許してもらえなくても、それしかできないなら、できることをするしかない」
「……」
 少女はほう、と溜め息をつくと、少年を見据えて再び頷いた。
「決心ついたか? なら出発だ。あの子の場所は『感知』で測る。で、きっちり謝ろう。大切な友達なんだから」
 少女の顔が真っ赤になった。恥ずかしげにうつむくと、上目遣いに少年を睨む。
「そんな顔するな。友達は大事にしないと。……いつまでも実体でいるのもなんだし、そろそろ戻してくれ」
 その言葉に少女は居住まいを正した。そして少年の頭を軽く右手で撫でると、少年の体が瞬時に消え去った。
 跡には何も残らない。まるで幽霊か何かのような、そんな薄く朧な一瞬だった。
 少女は気にした風もなく荷物をまとめる。
 旅行バッグに荷物を詰めると、そのまま緩やかな足取りで部屋を出ていった。
 小さな金属音と共にドアが閉まり、部屋は元の静寂に包まれた。


 神守市から電車で三時間のところに依子と守の故郷、緋水がある。
 緋水とはその土地一帯の俗称である。正式な地名を言うなら牧村町という実に平凡な名があるが、地元民には緋水の名で通っている。
 かつて土地の神を慰撫するために、一人の女性が血水と化してその身を捧げた、という故事が由来だ。
 周囲を山に囲まれた綺麗な土地だが、交通の便は悪い。牧村駅は無人駅で各駅停車の電車しか停まらず、バスも一時間に一台しか通らない。
 だから、二人が緋水に到着する頃には、時計の針は夜九時を回っていた。
 夜気に冷えた体を依子は震わせる。吐く息は真っ白だ。上空に寒気が流れ込んでいて、明日の夜には雪が降るという話だった。
 寂しい夜の駅前に一台の車がやって来た。暗闇の中で明るく映える白い車は、依子たちの前でゆっくりと停車した。
 運転席から顔を出したのは和服姿の依澄だった。その格好でいつも運転しているのだろうか。
 二人は後部座席に乗り込む。それを確認すると、依澄は慣れた手付きで発進させた。
 依子は落ち着かなげに外の景色を見渡す。八年振りの故郷は、何も変わっていなかった。
 隣の守が囁く。
「二年ぶりかな、ここに帰ってくるのも」
「……あんまり変わってないね」
 闇の中、周りに広がるは畑ばかり。遠くに見える民家の明かりは片手で数えられた。そのくせ道々の常夜灯だけはしっかりと強い光を放っていて、運転には困らないようだった。
 心がひどく浮き立った。
 不意に依澄が尋ねてきた。
「体は……大丈夫ですか?」
 咄嗟に反応できず、依子は慌てた。
「え……あ、えと、う、うん、大丈夫……だと思う」
「……よかったです」
 依澄の声は安堵に満ちていた。
 それを聞いて依子は少しだけほっとした。同時にとても嬉しく思った。
 三十分後、車はようやく目的地に到着した。

 山の田舎のど真ん中、不釣り合いに立派な門扉が鎮座ましている。
 離れのガレージに車を入れ、三人は降りる。そこから先程通り過ぎた玄関へと向かった。
 懐かしい門扉は昔からの記念碑のように変わらなかった。呼び鈴を鳴らすと備え付けのインターホンから声が響いてきた。
『はーい、三人とも入り口にいるわね、ちょっと待ってて』
 底抜けに明るい声が聞こえた瞬間、依子は顔を強張らせた。
 そして門扉が開くと同時に明かりがつき、中の空間が開けた。
 そこには和服を着付けた女性が立っていた。
 美しい人だった。見た目は二十代と言っても通用する。背は依子と変わらない。薄い化粧は柔らかな白い肌に馴染んで、セミロングの黒髪が対称的に明るく映える。
 依子は――うまく言葉が出なかった。
 するとその淑女がゆっくりと近付いてきた。
 咄嗟に反応できない依子の目前に歩み寄ってくる。
 そして、依子はそのまま抱き締められた。
 一瞬で息が詰まった。懐かしさと切なさ、混交した感情に胸が張り裂けそうになる。
「おかえりなさい、りこちゃん」
 依子の母、緋水朱音(あかね)は包み込むような声で囁いた。


 明日また改めて挨拶に来ます、と近所に居を構える遠藤家へ守が戻るのを見送ると、依子は母姉と共に屋敷内へと入った。
 石畳から玄関へ入ると、そこには冷たい木の匂いが広がっていた。靴を脱ぎ、朱音に続いて長い廊下を歩く。板張りの床がぎしりと音を立てた。
 小さい頃にも思ったことだが、この屋敷は広すぎる。昔は大勢の使用人を抱えていたために多くの部屋が必要だったらしいが、今は使用人自体数人しか抱えていないらしい。それは八年前と同じだった。
 町の会合や客人の宿泊に使うこともあるらしいが、基本的には使わない部屋ばかりだ。
 夜の屋敷は寂しく、怖かった。
「昔はりこちゃんもこの家の中でかくれんぼしてたのよね」
 母に言われて依子ははっとなる。
「すみちゃんやまーくんといっしょにいろんなところに隠れたりしてたものね。憶えてる?」
 憶えている。依子は小さい頃の情景を思い起こした。
「でも、あれは昼間だったよ。夜とは違う……」
「そうね。怖いもんね。一応結界張ってるから変な悪霊さんとかはいないはずなんだけど、暗いとやっぱりいやな感じするよね」
「べ、別に怖くはないけど」
 それを聞いて朱音はおかしげに笑った。
「……何?」
 不満顔で返すと、朱音は首を振った。
「なんでもない。りこちゃんかわいいな、って」
「――」
 屈託のない笑顔でそんなことを言われたせいか、自分でも顔が赤くなるのをはっきり自覚した。
「さ、こっちよ」
 構わず促された部屋に依子は入る。
 通された部屋は小さな六畳の和室だった。明かりがつき、真っ白な障子と薄草色の畳が目の前に広がる。
「荷物を置いたら食事にしましょう。お母さん、今日は腕によりをかけて作ったから」
「うん」
 小さな旅行鞄を隅に置き、依子は居間へと向かった。


 居間には大きな卓の上に、温かい料理が並んでいた。
 ご飯、すまし汁、鰤と大根の煮付け、鶏の唐揚げ、二種類のサラダ、蛸とわかめの酢の物、ひじきの和え物に茄子の漬物もある。
 そして卓のすぐ横には、母と姉以外に見知った顔があった。
 顎に薄い髭を生やした中年の男性。
 男性は微笑するとおもむろに近付いてきた。
 依子は心臓の早鐘に押されるように、慌てて口を開く。
「ただ」「おかえり。依子」
 穏やかな優しい声に、依子の言葉は遮られた。

「待っていたよ。寒かっただろう。さ、こちらに座りなさい」
 父――緋水昭宗(あきむね)の、八年前と変わらない声。
 どうしてこんなにも変わっていないのだろう。依子は言葉が出なくなる。細かいことを言えば、お父さん白髪やしわも増えたしいろいろあるけれど、でも、
 ぽん、と肩を叩かれた。
 横を見ると、依澄が小さな微笑を浮かべていた。
 その表情はあまりに小さな変化だったが、とても嬉しそうに見えた。このときばかりは姉の不可思議さが氷解したように映った。
 次いで、父と母の顔を見る。
 二人とも心からの笑みを浮かべていた。まるで大切な宝物を取り戻したような、そんな笑顔だった。
 依子はくっ、と一瞬だけうつむき、すぐに顔を上げた。
「――ただいま」
 渾身の笑顔だったと思う。


 それから依子は再会した家族と楽しげに食事を囲んだ。
 昔の思い出から互いの近況に至るまでたくさんのことを話した。久し振りに食べる母の手料理に舌鼓を打ち、父の穏和な話しぶりに耳を傾けた。
 依子は揺れる。目の前に広がる縁のない世界で、それでも楽しくあることに。
 縁視の力を失って。でもそれを吹き飛ばすかのような幸運を得て。
 喪失感と充足感が入り混じる今の心境に戸惑いつつも、依子はただ嬉しかった。同時に少し寂しかった。
 家族との縁を、この目できちんと見ておきたかったから。
 夕食後、お風呂に入って髪を乾かして歯を磨いて、そして依子は床に着いた。
 不安を煽った暗がりが、今はたいして気にならなかった。暗い方が縁のない世界を見なくて済む。
 意識が落ちる直前、いとこのことが思い出された。
 不安が薄くなったように思えた。


 辺りは雪に包まれていた。
 真っ白な雪景色が世界を覆い、その真ん中で依子は呆然と立ち尽くしていた。
 目の前には歳上の男の子。
 男の子は困ったように頭をかいていた。
 依子は気付く。そんな表情をさせているのは私だ。私が何か言ったせいだ。
 でも自分は何を言ったのだろう。
 男の子はしばしうつ向き、やがてゆっくりと顔を上げた。
 ――ありがとう。
 一瞬依子は何のことだかわからなかった。しかしすぐに思い出して理解が及ぶ。
 少女は自分の拙い想いをぶつけたのだ。幼いながらも真剣な想いを。
 男の子は言葉が続かないのか、何も言わない。
 白銀の世界の中で、依子の目を見つめたまま、人形のように立ち続ける。
 依子はそんな相手を見返しながら、自らの想いを紡いでいった。


 依子が目を覚ましたとき、時刻は既に十時をまわっていた。
 洗顔と歯磨きをし、髪を整え服を着替える。水が冷たく、朝の空気が体を震わせた。
 居間に行くとちょうど朱音が食事の用意をしていた。
「おはよう、お母さん」
「おはよう。昨日はぐっすり眠れた?」
「うん。今から朝ごはん?」
「私はね。お父さんとすみちゃんはもう済ませちゃったわ」
「? お仕事?」
「すみちゃんは今日は少し遠出する必要があって朝早くに出てったわ。夜には戻ってくるわよ。お父さんはまーくんの家に」
「稽古?」
「そう言ってたわ」
 守の家は元々神守家を物理的障害から守るために武術を受け継いできた家系である。
 神守家の分家として遠藤家があり、昭宗は守の母方の叔父に当たる。昭宗は朱音の『盾』として結婚したのだ。実は大恋愛だったのだが。
「久しぶりにまーくんを鍛えるつもりかもね。嬉しそうな顔だった」
「見に行っていい?」
「ご飯食べてからね。やりすぎないように見張っておいて」
 依子は頷き、母の準備を手伝い始めた。

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作者 かおるさとー ◆F7/9W.nqNY
2008年01月20日(日) 10:46:52 Modified by n18_168




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