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黒い髪の彼女(仮題)

ふと窓の外に目をやった。今の時刻は7時過ぎ、初夏に差し掛かったとはいえもう随分と暗い。
 二階に位置する俺の部屋から望む光景は、中途半端な田んぼと微妙な繁華街を捏ね合わせた様なものだ。
 変に田舎なここは、夜の7時ともなれば明かりの大半は消える。
 街頭なんて疎らにしか立っておらず、暗いことこの上ない。
 更に全開に開け放たれた窓からは絶え間なく降り注ぐ雨粒が見える。それが街の暗さをより一層引き立たしている。
「冷えてきたな」
 俺は素直な感想を言った。開けっ放しの窓からは夜の冷気と雨の冷気を足したものが流れ込んで来ている。
 つい昨日まで夏日が続いていた俺の恰好は半袖のTシャツにジーパン。ベッドの上で壁に寄り掛かってくつろぐ俺の背中からは壁の冷たい感触、顔と腕には夜と雨の肌寒い感触、首から下の身体は温かい感触に襲われていた。
 ちなみに、俺の部屋にいるのは俺一人だけでは無い。胡坐をかいた俺の脚の上に尻の乗せ、その背中を俺の身体に預ける少女がここにいる。
 こいつは俺を椅子代わりに、薄い文庫本を読んでいる。タイトルはブックカバーに隠れていて良く見えないが、本文から察するに推理ものだろう。
 身長は俺より随分と低く、並んで歩けば頭二つ分違い兄妹に間違えられることもあるくらいで、座った場合、そいつの頭は俺の胸辺りに位置する。
こいつも俺同様、夏向けのサマードレスを着ている。なお、俺は女の服装には詳しく無いので間違っているかもしれない。
 涼しげな服装の俺達にとって、今の室温は少し肌寒かった。少なくとも、窓を閉めるか上着を羽織るか、何か温かいものを食べたいと俺は思った。
「何か、温かいものでも持ってくるか?」
 そして、その旨を俺を椅子代わりにするこいつへ伝える。
 俺から見えるのは黒い髪だけ。艶のある髪で、肩口程度に切り揃えられているそれはシャンプーの良い匂いと、女性独特の甘い匂いを仄かに香している。何で女はこんなに良い匂いがするのか、誰か論文で発表しないだろうか。
 しかし、俺を椅子代わりにするこいつは首を小さく横に振った。否定の合図だ。
「寒くないか?」
 俺は再度聞いてみた。
 こくこく、という擬音が似合いそうな動作。小さく頷く動作で返事をした。肯定の合図だ。

俺は、そうか。と短く応えて再び窓の外へ目をやった。
 実はと言うと、俺はそれほど寒くは無い。何故なら俺を椅子代わりにするこいつの身体から熱を感じるからだ。
 確かに、腕とかは少し寒い気がするが我慢できないレベルではない。
 ぼー、と窓の外を眺める俺。その表情はさぞかし阿呆らしいだろう。それも仕方がない。今の俺は椅子なのだ。椅子は黙っているしかないしこの状況じゃ、ぼーとする以外に手段がない。
 その時、ずっと本を読んでいたそいつが動いた。読んでいた本に栞を挟み、ベッドの小脇に置いたのだ。トイレにでも行くのかと思い、俺はこいつの頭をぼけーと見つめていた。
 すると、音も立てずそいつが首だけ振り向いた。
 ちょっとツリ目がちで、はっきりとした黒い瞳。整った鼻に、桜色の唇が真一文字に占められてる。ちょっと子供っぽい印象を受けるそいつが、俺を見ていた。
 俺もそいつを見る。真っ黒い瞳は一見、何の感情も映し出さない。しかし、俺には解る。そいつの考えている事。そいつが思う事。そいつが望む事。
 だから俺は、あえて小首を傾げて見せた。これがゲームかなんかだったら頭の上に?マークが浮く事だろう。それくらいに見事なとぼけかただと言えた。
 数秒、俺の目を見ていたそいつは無表情で顔を元に戻した。この後は読書を再開するのが凡人の考えだが、俺には解るのだ。
 そいつは前を向いたあと、少し躊躇う様な気配を見せた。
 そして、脚に置いていた両腕をやや後ろに伸ばした。おずおず、という効果音が似合う動作だ。
 程無く、そいつの腕は俺の手首を掴んだ。そいつの手は冷たく、身体が冷えている事を暗に物語っている。
 俺は腕の力を抜く。すると、そいつは俺の腕を自身の腹辺りに持って行く。俺の腕はこいつの細いウエストに添えられた形になる。
 そこで、そいつの手は離された。まるでそこまでが限界、と言わんばかりだ。
 その証拠というか、こいつの耳は茹でダコも真っ青な感じで真っ赤になっている。
 俺のこいつの気合に敬意と愛おしさを感じ、こいつが望んだ事をやってやろうと思った。
 腕に少しだけ力を入れ、こいつの細い胴に手を回す。片手で抱えられそうな細いウエストだ。

そこを両腕で抱きしめる。力一杯、いや。心一杯抱きしめる。
柔らかいお腹の感触が心地良い。それと同時に俺にかかる重量が増した気がする。たぶん、それは気のせいでは無いだろう。
俺が抱きかかえるこいつはあからさまに脱力しているのが見て取れる。その顔が見てみたい。
俺の頭がぼー、としてきた。良く分からない思考回路に命じられるまま、俺はそいつの髪の中に顔を埋めた。
その瞬間にこいつはびくり、と小さく身体を震わせたがそれも一瞬だ。
 こいつの髪はきれいだ、肌触りも大変よろしい。絹とかはきっとこんな感触がするんだろうな。
 そんでもって匂いも良い。シャンプーの香りと女の子の甘い香り、そして僅かに香る汗の匂い。心がひどく落ち着く匂いだ。
 こいつを手放したくない。ずっと傍に居て欲しい。
 俺の気持ちに応えるように、こいつは俺の腕にそっと触れた。
 さっきよりは温かい、小さい掌。
 小さい身体が震えた。というより振動した。蚊の声よりも更に小さい声でこいつは喋ったのだ。
 普通の人間ならこいつの声は到底聞き取れないだろう声を、俺は呼吸のように聞く事が出来る。
 身体と身体を密着させれば、こいつの声は振動となって俺に響く。どんなに小さな声だって、俺は聞き逃さない。
 またこいつの身体が震えた。こいつが言わんとしている言葉は「こたえて」。
 それは先ほどの問いに関する返事の催促だという事は明白だ。
 だから俺は答えてやる。俺の本心、俺の魂の雄叫びを。
「大好きだよ」
 普段なら小っ恥ずかしくて言えないようなセリフだ。でも、この状況なら何の抵抗も無く言えてしまうから不思議だ。
 まあ、それはこいつも同じなんだろうと思う。学校では一言も話さず、誰とも関わろうとしないこいつが俺と二人っきりの時だけは甘えてくる。
 要は俺達、似た者同士なのだろう。
 そんな事を考えていたせいか、凄まじい睡魔が襲ってきた。
 どうしものかと思っていたらこいつも眠そうに目を擦っているようだ。あくまで推測だが。

もたれかかっていた壁からベッドに重心を移動させる。
 すると、俺の身体はずりずりと、まるで斜面をずり落ちるスライムの様にベッドにずり滑って行く。
 それに巻き込まれたシーツがしわくちゃになるが、気にしない。どうせ朝にはもっとぐちゃぐちゃになって洗濯する羽目になるのだからな。
 身体全てがベッドの上に滑り降りたのを確認し、俺は身体を横に向きなおす。
 俺の腹の上にいたこいつもベッドの上に到着だ。
 とりあえずこいつから手を放す。名残惜しそうな気配がしたから頭を撫でてやった。足もとの毛布を手繰り寄せて俺とこいつで被った。
 枕と適当なクッションを取って床につく。枕はこいつに、クッションは俺の枕代わりだ。
 レトロな電灯を消すと、部屋は真っ暗とまでは言わないがそれなりの闇に包まれた。
 それでもこいつの顔ははっきりと分かった。
 ほんとに目と鼻の先にこいつの顔がある。子供っぽくてとても愛くるしい顔。
 俺はそいつの頭を撫でてやった。落ち着く。
 こいつはこいつで軽く目を細めてくすぐったそうにしている。一見すると全くの無表情だが。
 そうこうしている間に眠気がどんどん増してくる。そろそろ限界かと思い、そいつの頭から手を放した。
 さっきみたいに名残惜しそうな気配が一瞬。そいつが俺に密着するのも一瞬。そんでもってキスも一瞬。
 唇に残る温かい感触を噛み締めているうちに、こいつは毛布の中に潜って俺の胸に顔をぐりぐり押し当てている。恥ずかしいのだろう。
 愛い奴よのう、と思いつつ。こいつの頭を両腕で軽く抱きしめる。するとぐりぐりが止まった。
 その代わり、そいつも腕を俺の身体に回した。抱き合っている体制だと言えた、温かい。
 そろそろ意識が風前の灯火だ。瞼が鉛で出来ているかのように重い。
「おやすみ」
 薄れゆく意識の中で、俺は何とか一言呟いた。はっきりと発音できているかどうかは怪しいが、こいつはちゃんと聞きとってくれたようだ。
「……おやすみ」
 躊躇いがちな、それでもはっきりとした声でこいつは言った。
 気付けば雨は止んでいた。

作者 2-49
2008年01月20日(日) 10:02:11 Modified by n18_168




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