静(仮題)
朝餉の用意をすませた太輔は、縁側に視線を向けた。
「静様、朝餉の用意が出来ました」
鴇色の長着に露草色の袴、総髪を茶筅に結った若衆といっても通じそうな相手。
震い付きたくなるほどの美貌をもつ男装の麗人、この屋敷の主にして太輔の雇い主でもある五十土静が、どこか茫漠とした瞳をこちらに向けてくる。
「…………む」
こくんと、小さく頷いた静をみながら、太輔は苦笑を浮かべていた。
こうして共に暮らすようになって、そろそろ二年が経とうとしているのに、静がまともに喋っている所を見たことがない。
それでも、意思の疎通に問題はなかった。
言葉を使うのを億劫がってはいるが、静の表情は非常に豊かなのだ。
しかも、言葉が通じないとなれば手が飛んでくる。
その活発さは、女だてらに綾上一刀流なる流派を立ち上げるほどの剣客故だろうか。
その静が音もなく立ち上がり、既に出していた箱膳の前にまできて座る。
縦横一尺の箱膳を開けて、中に収めていた茶碗と汁碗、皿に箸を取り出して、裏返した箱膳のふたに乗せていく静。
太輔も自分の箱膳で同じ用意をしてから、互いの茶碗にご飯をよそい、汁碗にみそ汁を注いで、皿に秋刀魚を乗せた。
そのままどちらとも無く食事をはじめた。
しばし無言。
「………………ふむ…………美味い」
ぽつりと朝餉の最中に呟かれた静の言葉に、太輔は顔が緩むのを押さえられない。
本当にそう思わなければ口を開かない静の放った言葉なのだ。
嬉しさを抑えられる筈もなく。
こんな日常を送れている今の不思議さに、すこしだけ口元をゆがめた。
太輔は、木曽の山村の生まれだ。
……正確に言えば、その村の寺に捨てられていた。
物心ついた頃から下僕として働かされて、しかも、つまはじきにされていた太輔が、村を捨てたのはむしろ当然のこと。
だが、村を捨てれば人別帳から外されて、良くて馬喰渡世、悪ければ盗みを業とでもしなければならなくなる。
その覚悟をしていた太輔は、だから最初に街道沿いで掏摸を働こうとした。
そして、最初に獲物にしようとしたのが静であり。
完膚無きまでに叩きのめされ、そのまま拾われたのだ。
「…………?」
不意に、問いかけるような眼差しを向けてくる静。
「静様に拾われたときのことを、思い出していました」
「ふむ……」
それ以上は興味を無くしたように朝餉に向かう静。
その様子に、何となく嬉しさを覚えた太輔も、朝餉に箸を伸ばした。
……朝餉を食べ終わり、飯を盛っていた茶碗と汁椀に白湯を注ぐ。
ソレを飲み干し丁寧に拭ってから、また箱膳に椀と皿をなおす。
何も言わずに立ち上がった静が、縁側から庭に出る。
「静様、私は洗濯が有るのですが」
こちらの言葉を無視して、庭の奥へと姿を消した静が木刀を二本持ってきた。
無言のまま、手にした木刀の柄をこちらに向けてくる。
その表情に僅かな苛立ちが浮いたことに気づいて、太輔は深い溜息を吐いた。
「……解りました」
そのまま、木刀を取るために庭に出る太輔。
木刀を手渡され、自分用の足半を履いた太輔は、そのまま静から間合いを離した。
柄をへその高さに持ち剣尖を顔の当たりに上げる。
同じ構えを取った静が、すり足で寄ってくる。
ぴくりと右腕が動き、脇が空いた。
「やぁっ!」
間髪入れず横殴りの一撃を打ち込む。
同時。
がっ、と重い音を立てて峰に木刀がたたき込まれた。
その衝撃に思わず木刀を取り落としてしまう太輔。
「っ!」
掌がじんっと痺れる。
隙を見せてわざと打ち込ませる事で、対処を容易にした。
それだけのことだと目で告げる静が、無言で木刀を構えなおす。
早く木刀を拾え。もう一度構えろ。
その想いを、動作だけで伝えてくる静に、苦笑を浮かべた。
静が言葉を口にしないのは、言葉が全てを伝えない事を知っているから。
それでも通じるのだと、静が信じているから。
「……行きます」
その気持ちに答えるために、木刀を拾った太輔は気合いを込めて打ち掛かった。
「痛っ! 痛いです、静様!」
振り下ろしの一撃を躱し損ねて右腕を打たれた太輔は、すぐに静に治療を受けていた。
骨は折れていないが叩かれた部分は青黒く変色している。
家伝の湿布を貼られ布で手早く巻かれているのだが、静がわざと痣を押して痛みを与えてくるのだ。
「……五月蠅い」
不機嫌そうな表情でぽつりと呟く静を涙目で見ながら、太輔は唇を噛んで痛みを堪える。
これ以上叫べば、喉を絞めて落とされる。
ソレを経験として知っていたから。
「…………未熟者」
その呟きに、痛みも涙も堪えて静をじっと見詰める。
静の浮かべる悔恨の表情が知らせてくれる。
その言葉が自分にではなく、静自身に向けられたものだと言うことを。
「静様、すみません」
だから、頭を下げる。
きっと避けられる筈だと言う、無言の静の信頼を裏切ったのは自分だから。
「…………」
ぽんっと軽く頭を叩かれて、思わず頭を上げる。
気にするな、と優しい微笑が告げていた。
「それでは、私は洗濯をします」
小さく告げた言葉に、うむ、と小さく頷いた静が縁側に向かう。
それを見る太輔の口元に、自然と笑みが浮かんだ。
縁側に座っている静が、なんとなく猫の様だと感じたから。
「……出かけてくる」
昼餉を済ませてしばし時間が空いた頃。
不意に静がそう言いながら立ち上がった。
「静様……」
普段なら無言で動く静がわざわざその言葉を口にした。
その意味を、太輔は誰よりもよく知っていた。
「行ってらっしゃいませ。御武運を」
「……む」
軽く頷いただけで、刀掛けから大小二刀を取り上げて腰に落とす。
そのまま玄関に向かう静を見送りながら、太輔は唇を噛みしめる。
静がわざわざ口にした言葉。
それは稼業である守り屋として、出かけてくると言うこと。
食い詰め浪人が商家や博徒に雇われて護衛となるのは、ままあることだ。
護衛の仕事は、盗人や博徒、せいぜい同類の浪人相手との斬り合い程度でしかないが、静は違う。
静が守り屋として受けるのは、因果師――稼業として人の命を縮める者達――絡みの仕事のみ。
それはつまり、常に生死をかけた戦いに身を投じると言うこと。
無論、若年――しかも女性――で有りながら一流を開いた静だ。
未だにその剣椀は頂へと登り続けているのだ。
静に、敵う剣客などいるはずがない。
そのことを誰よりも知り、だが因果師達の技前を知るが故に太輔は拳を握りしめることしかできない。
因果師達は、剣などを用いない。
聞き知るだけでも、無手から手裏剣、糸、絡繰りと、常にはない技を持って戦うのだ。
静が手傷を負って帰ってきたも一度や二度ではない。
それでも、今の自分では役立たずだと、太輔はそのことを知っているから。
だから、見送ることしかできない。
ただ待つことしかできない。
それが、辛かった。
……草木も眠る丑三つ時。
縁側に座る太輔は月明かりに身を晒しながら、じっと待っていた。
不意に、玄関の戸が開く音が聞こえてくる。
立ち上がって、そちらに向かうよりも早く、襖が開き静が入ってきた。
「お帰りなさいませ、静様。夕餉の支度はいかが致しましょう?」
無言で刀掛けに刀を置いた静が、そのまま音もなく近寄ってきて。
ぎゅっと抱きついてきた。
「…………っ」
太輔の肩に顔を埋めて全身を震えさせる静。
だから、何も言わずに太輔は静の背中に腕を回した。
「っ……っっ……!」
因果師とて己が職業に誇りを持っている。
だからこそ単なる殺し屋ではなく、標的の因果に応報を与える因果師と名乗っているのだ。
故に、それを止めるためには、因果師の命を奪わねばならない。
刀を抜かずに一生を終える武士さえいる天下太平のご時世。
剣客として命のやりとりは当然だが、静にはそれを受け入れることが出来ないのだ。
あまりにも優しすぎるから。
「静様…………」
声をかけようとした太輔の口を静が吸ってくる。
人を殺めるたびに、こうして太輔を求めてくる静。
その事を受け入れながらも、太輔の胸の奥は痛みを発する。
太輔がもっと強ければ、静と共に戦える。
むしろ、太輔が戦って静を戦わせないでも済む。
なのに、今の自分は静の庇護を受けなければならない。
その辛さを隠して、太輔は静の頭を優しくなでた。
「…………太輔」
涙に濡れた瞳で見詰めてくる静。
その目が、体と心を慰めて欲しいと告げていた。
「静様」
「いや……」
呼びかけた瞬間、哀しげな表情で静が言葉を紡いだ。
「……いつもの…………呼び方で」
「解りまし…………解ったよ、静」
言葉の途中で睨まれて、言い直す太輔。
肩を寄せ合うようにして、そのまま寝室に向かった。
「…………静様」
太輔は静の安心を浮かべた寝顔をじっと見詰める。
こんな事でしか静の役に立てない自分が情けない。
その想いを胸に抱いて、太輔は歯を食いしばる。
もっと強くなりたい。
静の心を慰めるだけでなく、ただ静を守りたい。
「……私は」
それ以上の言葉を口にすることが出来ない。
今は何を言っても届かない。
届けることが出来ないと、理解していたから。
今は庇護されている身でしかない。
自らの内にある感情に名前を付けるには、まだ早すぎる。
「…………お休みなさい、静様」
「…………た……すけ…………」
まるで己の言葉に応えるような静の寝言。
すこしだけ、それが嬉しくて。
そっと、静の隣に身を横たえる。
「…………ありが…………とう」
小さな寝言に答える言葉は、口から出ることはなかった。
作者 1-486
「静様、朝餉の用意が出来ました」
鴇色の長着に露草色の袴、総髪を茶筅に結った若衆といっても通じそうな相手。
震い付きたくなるほどの美貌をもつ男装の麗人、この屋敷の主にして太輔の雇い主でもある五十土静が、どこか茫漠とした瞳をこちらに向けてくる。
「…………む」
こくんと、小さく頷いた静をみながら、太輔は苦笑を浮かべていた。
こうして共に暮らすようになって、そろそろ二年が経とうとしているのに、静がまともに喋っている所を見たことがない。
それでも、意思の疎通に問題はなかった。
言葉を使うのを億劫がってはいるが、静の表情は非常に豊かなのだ。
しかも、言葉が通じないとなれば手が飛んでくる。
その活発さは、女だてらに綾上一刀流なる流派を立ち上げるほどの剣客故だろうか。
その静が音もなく立ち上がり、既に出していた箱膳の前にまできて座る。
縦横一尺の箱膳を開けて、中に収めていた茶碗と汁碗、皿に箸を取り出して、裏返した箱膳のふたに乗せていく静。
太輔も自分の箱膳で同じ用意をしてから、互いの茶碗にご飯をよそい、汁碗にみそ汁を注いで、皿に秋刀魚を乗せた。
そのままどちらとも無く食事をはじめた。
しばし無言。
「………………ふむ…………美味い」
ぽつりと朝餉の最中に呟かれた静の言葉に、太輔は顔が緩むのを押さえられない。
本当にそう思わなければ口を開かない静の放った言葉なのだ。
嬉しさを抑えられる筈もなく。
こんな日常を送れている今の不思議さに、すこしだけ口元をゆがめた。
太輔は、木曽の山村の生まれだ。
……正確に言えば、その村の寺に捨てられていた。
物心ついた頃から下僕として働かされて、しかも、つまはじきにされていた太輔が、村を捨てたのはむしろ当然のこと。
だが、村を捨てれば人別帳から外されて、良くて馬喰渡世、悪ければ盗みを業とでもしなければならなくなる。
その覚悟をしていた太輔は、だから最初に街道沿いで掏摸を働こうとした。
そして、最初に獲物にしようとしたのが静であり。
完膚無きまでに叩きのめされ、そのまま拾われたのだ。
「…………?」
不意に、問いかけるような眼差しを向けてくる静。
「静様に拾われたときのことを、思い出していました」
「ふむ……」
それ以上は興味を無くしたように朝餉に向かう静。
その様子に、何となく嬉しさを覚えた太輔も、朝餉に箸を伸ばした。
……朝餉を食べ終わり、飯を盛っていた茶碗と汁椀に白湯を注ぐ。
ソレを飲み干し丁寧に拭ってから、また箱膳に椀と皿をなおす。
何も言わずに立ち上がった静が、縁側から庭に出る。
「静様、私は洗濯が有るのですが」
こちらの言葉を無視して、庭の奥へと姿を消した静が木刀を二本持ってきた。
無言のまま、手にした木刀の柄をこちらに向けてくる。
その表情に僅かな苛立ちが浮いたことに気づいて、太輔は深い溜息を吐いた。
「……解りました」
そのまま、木刀を取るために庭に出る太輔。
木刀を手渡され、自分用の足半を履いた太輔は、そのまま静から間合いを離した。
柄をへその高さに持ち剣尖を顔の当たりに上げる。
同じ構えを取った静が、すり足で寄ってくる。
ぴくりと右腕が動き、脇が空いた。
「やぁっ!」
間髪入れず横殴りの一撃を打ち込む。
同時。
がっ、と重い音を立てて峰に木刀がたたき込まれた。
その衝撃に思わず木刀を取り落としてしまう太輔。
「っ!」
掌がじんっと痺れる。
隙を見せてわざと打ち込ませる事で、対処を容易にした。
それだけのことだと目で告げる静が、無言で木刀を構えなおす。
早く木刀を拾え。もう一度構えろ。
その想いを、動作だけで伝えてくる静に、苦笑を浮かべた。
静が言葉を口にしないのは、言葉が全てを伝えない事を知っているから。
それでも通じるのだと、静が信じているから。
「……行きます」
その気持ちに答えるために、木刀を拾った太輔は気合いを込めて打ち掛かった。
「痛っ! 痛いです、静様!」
振り下ろしの一撃を躱し損ねて右腕を打たれた太輔は、すぐに静に治療を受けていた。
骨は折れていないが叩かれた部分は青黒く変色している。
家伝の湿布を貼られ布で手早く巻かれているのだが、静がわざと痣を押して痛みを与えてくるのだ。
「……五月蠅い」
不機嫌そうな表情でぽつりと呟く静を涙目で見ながら、太輔は唇を噛んで痛みを堪える。
これ以上叫べば、喉を絞めて落とされる。
ソレを経験として知っていたから。
「…………未熟者」
その呟きに、痛みも涙も堪えて静をじっと見詰める。
静の浮かべる悔恨の表情が知らせてくれる。
その言葉が自分にではなく、静自身に向けられたものだと言うことを。
「静様、すみません」
だから、頭を下げる。
きっと避けられる筈だと言う、無言の静の信頼を裏切ったのは自分だから。
「…………」
ぽんっと軽く頭を叩かれて、思わず頭を上げる。
気にするな、と優しい微笑が告げていた。
「それでは、私は洗濯をします」
小さく告げた言葉に、うむ、と小さく頷いた静が縁側に向かう。
それを見る太輔の口元に、自然と笑みが浮かんだ。
縁側に座っている静が、なんとなく猫の様だと感じたから。
「……出かけてくる」
昼餉を済ませてしばし時間が空いた頃。
不意に静がそう言いながら立ち上がった。
「静様……」
普段なら無言で動く静がわざわざその言葉を口にした。
その意味を、太輔は誰よりもよく知っていた。
「行ってらっしゃいませ。御武運を」
「……む」
軽く頷いただけで、刀掛けから大小二刀を取り上げて腰に落とす。
そのまま玄関に向かう静を見送りながら、太輔は唇を噛みしめる。
静がわざわざ口にした言葉。
それは稼業である守り屋として、出かけてくると言うこと。
食い詰め浪人が商家や博徒に雇われて護衛となるのは、ままあることだ。
護衛の仕事は、盗人や博徒、せいぜい同類の浪人相手との斬り合い程度でしかないが、静は違う。
静が守り屋として受けるのは、因果師――稼業として人の命を縮める者達――絡みの仕事のみ。
それはつまり、常に生死をかけた戦いに身を投じると言うこと。
無論、若年――しかも女性――で有りながら一流を開いた静だ。
未だにその剣椀は頂へと登り続けているのだ。
静に、敵う剣客などいるはずがない。
そのことを誰よりも知り、だが因果師達の技前を知るが故に太輔は拳を握りしめることしかできない。
因果師達は、剣などを用いない。
聞き知るだけでも、無手から手裏剣、糸、絡繰りと、常にはない技を持って戦うのだ。
静が手傷を負って帰ってきたも一度や二度ではない。
それでも、今の自分では役立たずだと、太輔はそのことを知っているから。
だから、見送ることしかできない。
ただ待つことしかできない。
それが、辛かった。
……草木も眠る丑三つ時。
縁側に座る太輔は月明かりに身を晒しながら、じっと待っていた。
不意に、玄関の戸が開く音が聞こえてくる。
立ち上がって、そちらに向かうよりも早く、襖が開き静が入ってきた。
「お帰りなさいませ、静様。夕餉の支度はいかが致しましょう?」
無言で刀掛けに刀を置いた静が、そのまま音もなく近寄ってきて。
ぎゅっと抱きついてきた。
「…………っ」
太輔の肩に顔を埋めて全身を震えさせる静。
だから、何も言わずに太輔は静の背中に腕を回した。
「っ……っっ……!」
因果師とて己が職業に誇りを持っている。
だからこそ単なる殺し屋ではなく、標的の因果に応報を与える因果師と名乗っているのだ。
故に、それを止めるためには、因果師の命を奪わねばならない。
刀を抜かずに一生を終える武士さえいる天下太平のご時世。
剣客として命のやりとりは当然だが、静にはそれを受け入れることが出来ないのだ。
あまりにも優しすぎるから。
「静様…………」
声をかけようとした太輔の口を静が吸ってくる。
人を殺めるたびに、こうして太輔を求めてくる静。
その事を受け入れながらも、太輔の胸の奥は痛みを発する。
太輔がもっと強ければ、静と共に戦える。
むしろ、太輔が戦って静を戦わせないでも済む。
なのに、今の自分は静の庇護を受けなければならない。
その辛さを隠して、太輔は静の頭を優しくなでた。
「…………太輔」
涙に濡れた瞳で見詰めてくる静。
その目が、体と心を慰めて欲しいと告げていた。
「静様」
「いや……」
呼びかけた瞬間、哀しげな表情で静が言葉を紡いだ。
「……いつもの…………呼び方で」
「解りまし…………解ったよ、静」
言葉の途中で睨まれて、言い直す太輔。
肩を寄せ合うようにして、そのまま寝室に向かった。
「…………静様」
太輔は静の安心を浮かべた寝顔をじっと見詰める。
こんな事でしか静の役に立てない自分が情けない。
その想いを胸に抱いて、太輔は歯を食いしばる。
もっと強くなりたい。
静の心を慰めるだけでなく、ただ静を守りたい。
「……私は」
それ以上の言葉を口にすることが出来ない。
今は何を言っても届かない。
届けることが出来ないと、理解していたから。
今は庇護されている身でしかない。
自らの内にある感情に名前を付けるには、まだ早すぎる。
「…………お休みなさい、静様」
「…………た……すけ…………」
まるで己の言葉に応えるような静の寝言。
すこしだけ、それが嬉しくて。
そっと、静の隣に身を横たえる。
「…………ありが…………とう」
小さな寝言に答える言葉は、口から出ることはなかった。
作者 1-486
2008年01月20日(日) 09:33:35 Modified by n18_168