『彼女』の呼び声 第二話
夜八時。今日も仁のバイト先のコンビニに、片腕の家出娘が現れる。
相変わらず周囲に認識されてない彼女に、仁は視線だけで待っているようにと合図を送る。
そして彼は店長に向かって振り返り、
「じゃ、俺はこれで上がるんで。期限切れの商品、適当に持ってきますね」
「ちゃんと廃棄伝票切っとけよ。しかし、前まで期限切れの商品に手を付けなかったお前が、一体どんな風の吹き回しだ?
まあ、外の奴と違ってちゃんと断って持ってくし、常識の範囲内で持ってくから文句は言わんが」
ゴミとして廃棄するにもコストがかかるからな、と笑う店長に挨拶をして、仁は店の裏へと回る。
期限切れの商品の中からいくつかを適当に見繕って、伝票に記入。手にしたトートバッグに詰め込むと、着替えるためにロッカーへ。
手早く着替えて表に回れば、そこには待ちくたびれた彼女の姿。
「よ、お待たせ」
「――――♪」
そろそろ聞き慣れてきた、名状しがたい音――彼女の声。
喜んでいることまでは分かるのだが、それが果たして仁に向けてなのか、あるいは彼の持って来た食料に対するものなのかは定かではない。
「じゃあ、行こうか」
トートバッグを少女に渡し、二人は並んで歩き始める。
様々な食べ物の入ったバッグはかなり重く、片腕の彼女にはやや重いはずだが、彼女自身が持ちたがるので、仁は彼女が望むようにしてやっている。
「――――」
公園までの道を歩きながら、彼女が続け様に声を発する。
ひょっとして、歌っているのだろうか。残念ながら仁にはそこまでは分からないが、少女が上機嫌なことは分かる。
満月の月明かりの下を踊るように歩く隻腕の少女。
ステップを踏み、時にクルリと回る度、腰まである長い髪がふわりと揺れる。
と、手にしたバッグの遠心力に負けたのか、その体が不意にバランスを崩した。
「っと、気を付けろよ」
慌てて手を伸ばし、その体を抱きとめる。
どちらかと言えばインドア派な仁でも受け止められるほどに、少女の体は軽かった。
だが、軽いだけではない。腕の中に感じるのは、わずかな重みと柔らかさ。
彼女が幻ではなく、現実に存在しているのだという、確かな重みだ。
「――――? ――――♪」
抱きとめられた彼女は一瞬不思議そうな表情を浮かべ、しかし仁の顔を見上げると、嬉しそうに笑った。
その笑顔に釣られるように、仁も笑みを浮かべる。
そんな何気ない一つ一つの出来事が、不思議ととても楽しかった。
仁とて、女性と付き合った経験くらいある。が、最長でもせいぜい二カ月が良いところだ。
整った表情に、いかにも切れ者と言ったメタルフレームの眼鏡。当然成績は良く、スポーツも特別苦手という訳でもない。
そして何より、その雰囲気だ。どこか近寄り難い、理知的な雰囲気。
そんな見た目に騙された女性たちに告白され、人並みに異性への憧れはある仁は、大抵の場合OKする。
が、しばらくたつと彼女達は決まって言うのだ。
あなたは真面目すぎて、面白みがないと。
そして彼女達は彼と早々に別れ、もっと話の巧い、いかにもなクラスメイトに鞍替えして行く。
真面目で何が悪い。ああそうさ。俺は話し下手だ。
テレビもニュースや歴史番組くらいしか見ないし、新聞はまず政治欄と経済欄から目を通す。
音楽は滝廉太郎や中山晋平くらいしか聞かないし、好きな作家はチャールズ=ドジソンだ。
他人を楽しませるような話題など欠片も持っていない。
なのに、彼女といると――
「自然……なんだよな。別に何も特別なことなんてない」
バイトが終わって、二人で公園に行って。
おにぎりや菓子パン中心のジャンクな夕飯を食べて。
その後は何をするでもなく、二人でベンチで体を寄せ合って。
そんな、変わり映えのしない毎日がひどく楽しい。
女の子向けの話題なんてほとんど知らないから、仁はほとんど喋らない。
たまに学校やバイトであったことを淡々と話すくらいだ。
そして彼女は、声を出すことはできても喋ることはできない。
「なのに、楽しいんだ。二人でいるのが、凄く――心地良いんだ」
不意に、彼の腕の中から少女がするりと身を引き抜いた。
くるくると踊るように駆け出しながら、しかし時折振り向いては声を上げる。
呼んでいるのだ。彼を。
「ああ。今行くよ」
未だに、仁は彼女のことを何も知らない。
家族はいるのか。その片腕はどうしたのか。彼と逢っている以外の時は何をしているのか。
だが、そんなことはどうでも良かった。
言葉や理屈なんかじゃあない。心ではっきりと理解できた。
古橋仁は、今。
――この、名前も知らない少女に、恋をしている。
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作者 2-545
相変わらず周囲に認識されてない彼女に、仁は視線だけで待っているようにと合図を送る。
そして彼は店長に向かって振り返り、
「じゃ、俺はこれで上がるんで。期限切れの商品、適当に持ってきますね」
「ちゃんと廃棄伝票切っとけよ。しかし、前まで期限切れの商品に手を付けなかったお前が、一体どんな風の吹き回しだ?
まあ、外の奴と違ってちゃんと断って持ってくし、常識の範囲内で持ってくから文句は言わんが」
ゴミとして廃棄するにもコストがかかるからな、と笑う店長に挨拶をして、仁は店の裏へと回る。
期限切れの商品の中からいくつかを適当に見繕って、伝票に記入。手にしたトートバッグに詰め込むと、着替えるためにロッカーへ。
手早く着替えて表に回れば、そこには待ちくたびれた彼女の姿。
「よ、お待たせ」
「――――♪」
そろそろ聞き慣れてきた、名状しがたい音――彼女の声。
喜んでいることまでは分かるのだが、それが果たして仁に向けてなのか、あるいは彼の持って来た食料に対するものなのかは定かではない。
「じゃあ、行こうか」
トートバッグを少女に渡し、二人は並んで歩き始める。
様々な食べ物の入ったバッグはかなり重く、片腕の彼女にはやや重いはずだが、彼女自身が持ちたがるので、仁は彼女が望むようにしてやっている。
「――――」
公園までの道を歩きながら、彼女が続け様に声を発する。
ひょっとして、歌っているのだろうか。残念ながら仁にはそこまでは分からないが、少女が上機嫌なことは分かる。
満月の月明かりの下を踊るように歩く隻腕の少女。
ステップを踏み、時にクルリと回る度、腰まである長い髪がふわりと揺れる。
と、手にしたバッグの遠心力に負けたのか、その体が不意にバランスを崩した。
「っと、気を付けろよ」
慌てて手を伸ばし、その体を抱きとめる。
どちらかと言えばインドア派な仁でも受け止められるほどに、少女の体は軽かった。
だが、軽いだけではない。腕の中に感じるのは、わずかな重みと柔らかさ。
彼女が幻ではなく、現実に存在しているのだという、確かな重みだ。
「――――? ――――♪」
抱きとめられた彼女は一瞬不思議そうな表情を浮かべ、しかし仁の顔を見上げると、嬉しそうに笑った。
その笑顔に釣られるように、仁も笑みを浮かべる。
そんな何気ない一つ一つの出来事が、不思議ととても楽しかった。
仁とて、女性と付き合った経験くらいある。が、最長でもせいぜい二カ月が良いところだ。
整った表情に、いかにも切れ者と言ったメタルフレームの眼鏡。当然成績は良く、スポーツも特別苦手という訳でもない。
そして何より、その雰囲気だ。どこか近寄り難い、理知的な雰囲気。
そんな見た目に騙された女性たちに告白され、人並みに異性への憧れはある仁は、大抵の場合OKする。
が、しばらくたつと彼女達は決まって言うのだ。
あなたは真面目すぎて、面白みがないと。
そして彼女達は彼と早々に別れ、もっと話の巧い、いかにもなクラスメイトに鞍替えして行く。
真面目で何が悪い。ああそうさ。俺は話し下手だ。
テレビもニュースや歴史番組くらいしか見ないし、新聞はまず政治欄と経済欄から目を通す。
音楽は滝廉太郎や中山晋平くらいしか聞かないし、好きな作家はチャールズ=ドジソンだ。
他人を楽しませるような話題など欠片も持っていない。
なのに、彼女といると――
「自然……なんだよな。別に何も特別なことなんてない」
バイトが終わって、二人で公園に行って。
おにぎりや菓子パン中心のジャンクな夕飯を食べて。
その後は何をするでもなく、二人でベンチで体を寄せ合って。
そんな、変わり映えのしない毎日がひどく楽しい。
女の子向けの話題なんてほとんど知らないから、仁はほとんど喋らない。
たまに学校やバイトであったことを淡々と話すくらいだ。
そして彼女は、声を出すことはできても喋ることはできない。
「なのに、楽しいんだ。二人でいるのが、凄く――心地良いんだ」
不意に、彼の腕の中から少女がするりと身を引き抜いた。
くるくると踊るように駆け出しながら、しかし時折振り向いては声を上げる。
呼んでいるのだ。彼を。
「ああ。今行くよ」
未だに、仁は彼女のことを何も知らない。
家族はいるのか。その片腕はどうしたのか。彼と逢っている以外の時は何をしているのか。
だが、そんなことはどうでも良かった。
言葉や理屈なんかじゃあない。心ではっきりと理解できた。
古橋仁は、今。
――この、名前も知らない少女に、恋をしている。
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2008年01月20日(日) 18:34:41 Modified by n18_168