ロード福永二世の事件簿��
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rhagi020_moto 2022年07月08日(金) 13:43:04履歴
ロード福永二世の事件簿�� 〜優駿と勝敗の分点〜 
『――じゃ、そういうことだから。頼んだよユーイチ』
「あっ！ちょ待っ」
セイナが研究室のドアを開けたのは、ちょうど彼女の師匠が物言わぬ端末に向かってため息をついていたときだった。
部屋の入り口とは反対側にある窓際で肩を落としている後ろ姿からは、ブツブツと「何やねんあの人」だとか「面倒事ぜ〜んぶ押し付けよって」だとか漏れ聞こえてくる。たぶん、いや確実に、同じ空間に彼女がいることには気付いていない。
心なしか大きめに咳払いをしてみせると、案の定向こうの背中がビクリとはねた。慌てて居住まいを正して威厳ある姿を取り繕おうとしているが、今更何の意味もない。
「うわセイナおったんか。ノックぐらいしてくれな困るやん」
「しましたけど。師匠がお電話に手いっぱいで聞いてなかっただけじゃないですか」
「そっか…スマン」
内弟子の白い目に居た堪れなくなったのか、師匠――時計塔に籍を置く魔術師、ロード福永二世（以下ユーイチとする）は部屋の隅に向かって視線をウロウロさせている。そんなところに埃なんて1つもないのに、何を探しているのやら。
彼がロードらしくないと感じているのは彼女だけではない。しかしロードという地位にいるということは、それだけの実力があるということで。
レースの展開や戦略を分析して学生に提示することで、愚直に経験を積むだけでは習得に何年もかかる技術を誰でも再現可能にする彼の教育法は、彼をその座に押し上げるに値するものだったのだ。
だがその分かりやすさで生徒から絶大な支持を集める一方で、手の内がバラされる側にとってそれは厄介でしかない。授業中に自分の戦略や理論もバラしてしまうという欠点のおかげで、彼の立ち位置は支持とヘイトの絶妙な均衡の上でなんとか保たれていた。
「さっきの電話、どんな無理難題を言われたんですか？」
またミスタ・田原でしょう、とセイナは愛用の鞭を壁に立てかけて腕組みをした。
仮にもロードである彼を悩ませるほどの要求をして、しかも飲ませる（押し付ける、ともいうが）ことができるのは、今では現役を退いて悠々自適の生活を送っているミスタ・田原セイキをおいて他にない。
明らかに「げっ」という顔をしているユーイチを見るに、それは図星のようだ。
「…今回はいったい何なんですか」
早く言えという本音を隠そうともしない内弟子を前に、ユーイチは顔をしかめて口を開いた。
「…優秀な内弟子のセイナくんに問題。先週行われたG�気浪燭筺�
「は？トウキョウ優駿…いわゆるダービー、ですよね？」
「正解。ほんじゃ次の質問。そのレースの1着から5着を順番通り答えよ」
「え、1着ドウデュース、2着イクイノックス、3着アスクビクターモア、4着ダノンベルーガ、5着プラダリア…何ですかさっきから？こんな初歩的な質問ばかりして」
ユーイチから出された質問は、どちらも時計塔の人間なら誰だって答えられるレベルのものだ。ユーイチのもとで一番長く学んでいる彼女はもちろん、福永教室の学生にだって今更問うようなものではない。
真意を量りかねている彼女をよそに、彼は無造作を装いたいものの本心を隠しきれていない微妙な表情でこう言った。
「セイキさんが、ダービーの予想を外した」
「…はぁ！？ あのミスタ・田原がですか！？」
彼女が柄にもない大声を出すのも無理はない。セイキの分析術といえば、ユーイチの得意とする理論派の予想にレース中に人馬が陥りうる心理状態をも考慮したハイブリッド型として知られる。
あまりにも再現性がないため後継者こそ現れなかったが、本番で起こりうる可能性のほとんどを網羅した展開予想は、めったに外れることがないのだ。
「せや。聞いたときは俺も驚いたわ」
びりびりする耳を塞ぎながらユーイチは言葉を続ける。
「セイキさんは、皐月賞の内容からイクイノックスが中団かそれよりやや後ろにつけると踏んで本命の印を打った。
しかし蓋を開けてみれば、道中の位置や着順はお前も知っとる通り…そんで電話かけてきたかと思えば『予想が外れた、これは何かの呪いや、お前だけが頼りだから何とか解いてくれ〜』やて」
げんなりして大げさに息を吐くユーイチは、なんだかいつもより幾分か老けて見えた。
「はあ。何というか…」
彼女の口が「イライラしていてもいいことないですよ」の「い」の形になったかなっていないかというところで、ユーイチが「せやろ！？」と食いついた。
「セイナは分かってくれると思っとったわ！あの人がこんな理屈分からんわけがないんやから、嫌がらせ以外の何物でもないよな！？しかも俺が授業の準備する時間捻出するのに苦労してること知ってて…」
頭を抱えながら本革の椅子にどかっと腰を下ろした師匠相手に、セイナは訂正するのが面倒くさくなって、やめた。
「それでミスタ・田原は、師匠に無駄な手間を取らせて楽しむためにその呪いとやらの解決を依頼したんですか？」
「だって『呪いが解けても連絡は要らないよ』って言わはったんやで？セイキさんらしいわ、悪い意味で」
「あー…」
それはたしかに嫌がらせ以外の何物でもない、とセイナはほんの少しだけ彼に同情した。しかし即座に、何とか机に突っ伏したまま動かない彼のスイッチを入れようと思考を切り替えて口を開く。教師のモチベーション低下のあおりを食らうのは、いつだって自分を含む学生なのだ。
「言葉の裏をお読みになってはいかがです？いつもミスタ・田原から連絡が来た時は魂胆を読み取ろうとなさっているじゃないですか。今回は逆に困らせる気が丸出しということですから、いつもとは逆の…先生のメリットになる裏があるのでは？」
「…俺にメリットぉ？あの人そんなことするかなあ」
机に額をつけたままもごもご発せられる声に、セイナはもう一押しすれば持ち直す雰囲気を嗅ぎ取る。さすが内弟子、扱いには慣れたものだ。
「たとえばミライ先輩、今年ダービー初騎乗だったじゃないですか。結果は12着でしたけど、今回勝ったミスタ・ユタカや上位入着馬のレース運びを知ることで今後の機会に活かせるんじゃないですか？ミライ先輩以外にも今回の展開解剖を聞きたがっている学生も多いと耳にしましたし。学生の技能上達を促進させることが自分の仕事やーって師匠いつも言ってるじゃないですか」
「せやけど…」
「せっかく嫌がらせしたのに相手が得したときの人間の顔を思い浮かべてみてください」
しばし、沈黙が流れた。
その時間にして数秒のち、ユーイチはがばっと身を起こしてぽつりと呟いた。
「…悪ないな、それ」
「次の授業のテーマ決定ですね。聞き役は私がやりますから、とりあえず分析を始めましょう」
――単純、そして腹黒という言葉をセイナはこっそり飲み込んだ。
「ほな、レース振り返っていこか」
ユーイチは引き出しから大判のノートを取り出してまっさらな見開き1ページを机に広げ、ペンで一筆書きの楕円形を書いた。その形はまさにダービーが行われたトウキョウ競馬場のコース形態そのものだ。ノートに向かう姿に先ほどまでの頼りない雰囲気はなく、今や彼がロードであるという風格さえ漂っている。
「今回は4強と3着馬に着目するで。5着のプラダリアはベストの競馬をしたけど、ここはやっぱりレース間隔の一言に尽きるわ。むしろ未経験のペースについていって青葉賞より速い時計出しただけでも賞賛に値すると思う」
彼は赤ペンを取り出して楕円形のやや外側を赤線でキュッと囲った。
「まず当日のトラックバイアスを挙げるとしたらここ、内から2頭目あたりが境目やな。最内が目立って悪いわけやないけど、最後に足を伸ばすなら外の方がいい。ここまでが前提。…じゃあセイナ、レースで勝つために最も取りたいポジションはどこや？」
「1番強い馬の後ろです」
「理由は？」
「強い馬がつくった進路を利用してレースを進めることができるから…」
「じゃあもう1つ。今回その1番強い馬と思われてたのは、どの馬やと思う？」
「…それは、1番人気のダノンベルーガじゃないでしょうか。デビューから左回り向きという評価で、展開の向かなかった皐月賞でも荒れた最内から4着。得意条件の今回こそはと期待されていたはずです」
「全部正解。ちゃんと授業を聞いとるようやな、感心感心」
質疑応答の間もユーイチはノートから視線を外すことなく、余白に何やら数字を書き込んでいく。それがラップタイムであると気付くまでに、そう時間はかからなかった。
「じゃあ紙の上でもレースをスタートさせてみよか。まず��デシエルトが今回は上手く出たな。それによって、出遅れた皐月賞とは違って流れたペースになることが確定した。
この馬は道中緩めるような馬やないから、こいつの動向は第一の鍵やったわけや。ほな、ここでセイキさんが問題に挙げた�殴ぅ�イノックスはどうやったかというと…」
ユーイチはノートの上にちびた消しゴムを置いた。恐らくイクイノックスに見立てたであろうそれを指先で動かしながら、1人の聴講者に向けたロードの講義は続く。
「端的に言うと、自然と中団につけられた前走と違って行き脚がつかんかった。それでもクリストフは無理に行かせず後方で我慢した。それはなぜか？セイナ」
机を覗き込んでいたセイナの背すじがピンと伸びる。真面目な声で名を呼ばれると、向けられたのがペン先でも支持棒に見えてくる。
「は、初めての距離で2度目の大外枠…ロスなくレースを運ぶため、ではないでしょうか」
「うん、8割正解や。あともう1つ、前走からの反省点があった…皐月賞の2コーナー、思い出してみ？」
「えっと、たしか中団から少しペースを上げて…あっ！」
「おぉ、セイナも気付いたか。
皐月賞の1コーナーでこの馬がつけてたのは今回同様注目されてたダノンベルーガの後ろ、黄金ポジションや。でも2コーナーで掛かり気味に上がっていくことで、そのポジションを自分から明け渡してしもた。それで外を回る羽目になったのが、最後の最後で勝利の明暗を分けた。せやからクリストフは、ダッシュがつかんかった時点でロスなく進めて末脚を爆発させる作戦に切り替えたっちゅーわけや。この馬の末脚のキレはクリストフが一番知っとるしな。
これで道中のイクイノックスに関する説明終わり。セイキさんの呪いも解決っと」
まあその皐月賞勝ったのは俺やけどな、とにやにやしながら、ユーイチは次に2つの消しゴム、��と��を取り出した。
「ほんじゃ次は��ダノンベルーガと俺、というか��ジオグリフや。
��は身体的にも距離がもつか分からんのもあったし、できれば前に馬をおく前走と同じパターンにもっていきたかってんけど、2度続けて都合よく前に有力馬がおるとは限らんな。��は��で、同じくダービー向きと言われてた�欧鯀袷�よろしく中団でマークしていく算段やったんやろうけど、お目当てはご覧の後方待機でちょうど外には俺…まあ閉められるわな。ダービー最有力馬を好き勝手させるアホはおらん。伸びが良い外に持ち出されたらジ・エンドや。それを後ろからしめしめと見とったのが…」
��と��の間にぐりぐり✕印を書くと、その後ろに��という数字の付いたちび消しゴムを新たに置いた。いったい何個あるんだ。
「今回の勝ち馬、��ドウデュースとユタカさんやな。��がおったのは��と��の後ろ、つまり黄金ポジションや。そのうえ周りに馬がおらんから仕掛けるとき邪魔も入らへん。
ポジションは絶好、目の前の皐月賞馬と1番人気馬はコース取りの小競り合いで勝手に消耗していってる…誇張抜きで、あとはブチ抜くだけやったわけや」
「…なるほど」
「しかも一番この人の怖いところはな、それで気が逸らんところや。目の前にお膳立てされた最高の状況が更に一番熟するときまで、ギリギリまでじいっと待っとる。
これがダービー5勝の心の余裕というか何というか…ほんまに恐ろしい人やで」
手を止めてぽつりと呟いたユーイチの声は、本当に恐ろしくてたまらないといったように震えていた。
セイナ自身も、映像を確認する中である程度の理解に至っていたつもりだった。しかしそれらの「気付き」が1つ1つ言語化されることによって、レースを構成するピースが明らかになり、解像度が一気に上がる。これがロード福永二世の力、セイナが尊敬し師事する人間の姿なのだ。
彼女が感心している間に、ユーイチは「よっしゃ」と気を取り直して再び机に向かった。
「レースを一気に直線まで進めるで。��に道中蓋されてた��が何とかして外に出したいと思ってたところに――3着馬��アスクビクターモアの登場や。前走と違って絶好の位置のままここまでレースを進めてきた��がどんどん外に行き始めた。
でもベータナは修正しーひん。内より外が良いと分かってるから、無理に内へ戻す必要がないからや。そんで��がちょうど��と��の間くらいに収まってもうたから、��はそれ以上外に出せん。せやから仕方なく内を選択することになって、この馬を4着に留める結果になったな」
「これは…枠順がジオグリフと逆なら、また違ったのかもしれませんね」
「こればっかりは運やからな。このとき俺の馬は思うように脚を伸ばせてなかったけど、後ろの��はギンギンに張りつめてる。絶好の手応えでコーナー回ってからは、ゴーサインで一気に弾けるだけやな。いや〜…まさに完璧の一言やわ。
しかも更にその後ろにいたクリストフも、引くほど冷静やった。末脚の爆発力を極力邪魔せんように、前の馬が鞭で内に入るのを待ってから満を持して外に出してる。��が止まらず2着ではあったけど、あの冷静さがなければ馬群で詰まってハイ終わりでもおかしくなかった。1着から3着までは最善の競馬したで…
解説は以上。あとは学生ごとの質問に適宜答えていく感じやな。どやったセイナ？」
セイナはお見事と一言呟いて、あとは拍手で称賛の意を示した。それに気をよくして「え〜？」と後頭部をわしわし掻いている姿に、もうロードの威厳はない。ちょっと尊敬して損した気になるが、ロード福永二世とはこういう人なのだ。
「でも結果オーライでしたね。呪いは解けましたし次回の授業がもう完成しましたよ」
「ふっ、それだけやないで。見たかセイキーッ！俺に嫌がらせしようったってもう無駄やからなー！」
「…その姿、くれぐれも他の生徒に見せない方が良いですよ」
――いや、もうバレているか。セイナはうはははと笑う師匠をげんなりした目で見つめていた。
「――ふふ。君もだんだん教師が板についてきたじゃないか」
どこかの焼き鳥屋で、誰かさんがそう言って笑った。
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