Lostbelt No.5 
人馬幻想界域 エクリプシス 闕如する伝説
Lostbelt No.5 人馬幻想界域 エクリプシス 闕如する伝説
※この物語はフィクションです。実際の人物・作品等より着想を得ていますがそれらとは関係ございません。またそれらと設定的にそぐわない部分・意図的に誤った呼称を採用している箇所がございます。
【第1節 日蝕】
──声を、聞いている。
称賛を、敬愛を、嫉妬を、羨望を、期待を、対抗を、感謝を、浴びている。
長く長く、そう在り続けてきた。この世界において自分はそういうものだと理解して、努めてきた。
──声が、している。
何をしていてもずっと、思い続けている。
だから、自分は。そうと分かっているから。
──なあ、俺は。
「リュージさん、どうされました」
ぱちり、と瞬きをする。ユーガが不思議そうな顔で見上げてきていた。
「……ん、ああ………………いや」
先日のレースについてあれこれと雑談を交わしている最中だったことを思い出し、リュージはゆっくりと頭を振った。疲れが、溜まっている。
「…………リュージさん」
「うん？」
「前々から聞かないとと思ってたんですけど」
「……おう」
「僕らに隠してること、ないですか」
リュージは咄嗟の返答に詰まった。普段なら朗らかに何かしら返してきそうな先輩が言葉に窮したことで、ユーガが確信を深めたように眉間にシワを寄せた。ぐっと険しくなった目付きにリュージは慌てて口を開く。
「いやなんも！なーんもあらへんて。大体なんや、僕らて」
「……ユーイチさんでも、ユタカさんでも。ダイチさんとかミユキさんでも良いですけど。言わなあかんこと、ないんですか」
「───────ない」
視線をさ迷わせて、それでもリュージはそう言った。気づけば長く続いている"様子の違う変な特異点"のことを、彼はどうしても誰にも打ち明けられずにいた。
歴史がちょっと変わるとか、そういう次元ではないのだ。歯車が外れたまま進み続けたような、そもそもの前提が何か掛け違っているような、そんな特異点を、4つ、経験してきた。
リュージからすれば違う世界なのにそこもまた確かに日本で、リュージのよく知る人たちが、リュージの知らない道筋をたどって生きている。修正することで、あの彼らはもうどこにもいないのだという痛みが、リュージの中にはいつも堆積していた。
「……わかりました、出直します」
「いやぁ……勘弁して」
リュージに話す気がないと悟るとユーガは大人しく引き下がった。ただしこれは絶対に後日追撃がくるなとわかりきっているもので、リュージはどうしたものかと困り果てた。
そろそろ行きます、と場を辞すユーガをひらひら手を振って見送る。2、3歩歩いて、ユーガがふと立ち止まった。
「リュージさん」
「ん？」
「あなたを傷つけたくて魔術世界に引きずりこんだ訳やないと思います。……ユーイチさんもユタカさんも。俺も」
「……うん。知っとるよ」
ユーガがため息をついた。失礼しますと礼をして去っていく後輩の背をしばし見つめて、リュージは空を仰いだ。
「…………ボンドに会いに行こかな」
何度も傍で支えてくれた相棒に会いたいと、無性に思った。最近は自分のことをずいぶんと心配して、休め休めと促してくれる。本当に賢くて人懐こい、一生懸命な良い馬だ。
顔を見せに行って、少し話をしよう。そう決めたリュージはゆっくりと歩き出した。
────わあああっと、歓声が聞こえた。
地鳴りのようなそれは、レースで耳にするものとよく似ていた。
「!?なん─────っ、痛っ……」
戸惑って歩を止めたリュージが頭の痛みにうずくまる。耳の奥で、頭のなかで、ガンガンと鐘が打ち鳴らされるように、歓声が轟いていた。
声はどんどん、大きくなる。
「なん、や、これっ……ぐっ、う」
ぎゅっと目を瞑って頭を抱え込む。倒れ込んでしまいたい程の痛みに、けれど、リュージは半ば本能のように気づいた。
──また何か起きている。あの、おかしな特異点が。
「っ、ボンド…………っ！」
「先輩！！！！！？」
愛馬の名を振り絞るように呼んだのと、誰かの叫び声が聞こえたのが同時だった。大歓声の隙間を縫って届いた悲鳴に聞き覚えがあってかろうじて視線を向けると、ケンイチがひどく慌てた顔で駆け寄ってくる。
「ちょっとどうしたんすか！！どっか」
「───アカンっだめやケンイチ！くるなっ、まきこまれるっ！！」
「え」
ぐるん、と視界が回る。なんやこれと悲鳴を上げたケンイチがその場に倒れこむのが見える。後輩の方へ手を伸ばしながら、リュージの意識が沈んでいく。
プボ！と鳴きながら駆け寄ってくるディープボンドの姿を、見た気がした。
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人馬幻想界域 エクリプシス 闕如する伝説
第1節 日蝕
「先輩！先輩！ちょいちょいちょい、なあ大丈夫なんかこれ！」
「平気に決まってるプボ！こんなのは初めてだったけどリュージは大丈夫プボ！」
「どうしましょう、どうしましょう、でも全然目を」
「──────……いや、うるっさ………………」
騒々しさに呻きながらリュージが目を開けると、後輩１人と馬２頭が自分を覗き込んでいた。
「リュージ！」
「先輩！」
「ボンド先輩の上の方！」
「イヤやから喧しいって」
未だかつてこんなにも賑やかな目覚めがあっただろうか。頭をおさえながら身体を起こしたリュージに、ディープボンドがすぐさま鼻先を擦り付けて甘えた。
「リュージ〜〜〜〜！良かったプボ！心配したプボ〜〜〜〜！」
「ボンド。ごめんな、心配かけて」
「良いプボ！リュージが元気ならそれで良いプボ」
良かった、良かったと繰り返すディープボンドの鼻を撫で、首筋を叩き、リュージは何度も相棒を慰めた。そうしながら改めてケンイチの方を見ると、彼はなぜかメイケイエールを連れている。
「……レイシフトに巻き込んだんやな」
「いや多分事故ですよ。エールは俺がこっちで目ェ覚ましたら傍におって」
「私もよくわからないんです。気がついたらここにいて、ケンイチさんが寝てた？気を失ってた？ので傍で待っていました」
恐らく自分達は強制的にレイシフトさせられたのだ。リュージが相棒を呼ぶより前から転移は始まっていた。あの激しい頭痛はその影響ではないか、とリュージは考える。推察を口にすると、リュージの手のひらに頭を押しつけたまま、ボンドが同意した。
「プボはリュージがどっか飛ぶ気配がして駆けつけたプボ。間に合って良かったプボよ……」
「ありがとうな、お前がおってくれて心強いわ。ケンイチ、ここがどこか分かるか？」
「あー…………たぶん淀、じゃないですかね。ただ」
ケンイチが言葉を区切り、居心地悪そうに周囲を見回す。そこでリュージもようやく落ち着いて自分達のいる場所を把握しようと視線を巡らせ、違和感に気づいた。
「おかしい」
「なにがですか？レースをするんですよね、私は知らないところですけど、ケンイチさんたちならご存知じゃないんですか？」
「知っとるよ、知っとるから変なんや」
ケンイチがエールの首筋を撫でながら答える。不思議そうに鼻を鳴らした彼女に、ケンイチが教える。
「改修前の淀なんや、ここは」
「ああ〜〜！ちょっとだけおぼえてるプボよ！」
納得した様子でボンドがふんふんと頭を振る。改修工事を終えた先のオープンを待つばかりとなっている筈の京都競馬場だが、いま一行がいるこの場は騎手２人がよく見知った姿そのままだった。
否、よくよく目を凝らせば、そうではない。
「……なんか、ちょお古ない？」
「言われてみれば……古いってか、ボロい？ですかね」
リュージのあんまりな感想に改めて見回したケンイチが同意する。長いこと使ってきて、補修が追いついていないような印象を受けた。
「変になっとるんやろな……今回は、どうなっとるんやろか」
「改修前のどっかの年か、ひょっとしてそもそも改修されてへん歴史とかなんかもしれないですね。とりあえず特異点なんやったら聖杯探します？」
「せやな。けど俺、心当たりなんもあらへんよ」
「あーー……俺もなんですよね。どうするかな、探知得意じゃないんですよ」
リュウセイとかユーガとか後ちょい不安やけどユーイチさんとか、とにかくある程度やれるやつおったらなぁ。
ケンイチがぼやく。ごく自然にリュージを計算にいれていない発言だったが、リュージも気にしない。経験を踏まされて知識は増えているが、実践は９割からっきしだった。
──お前が魔術？ははは、やめとき。礼装でほぼほぼバックアップしたれば瞬間的にはやれるやろうけど。回路焼けるで
脳裏によみがえるのは朗らかに笑ったレジェンドの発言だ。礼装作ったろか？と持ちかけられたお誘いは丁重にお断りした。
「この場所が変なんですよね？まずはここについていろいろ調べてみるのはどうですか？」
うーんと唸る２人を見つめてエールが提案する。賛成するようにボンドが鳴いた。
「エール〜〜！賢いなぁ」
ケンイチがニコニコ笑って愛馬を撫でる。褒められたエールの耳は少し開いて左右にふんわりと倒れた。微笑ましい光景を見守りながら、リュージも頷く。
「せやな。なんか手がかりがあるやろし、ここの沿革とか中とか調べよか」
「！リュージ、誰か来るプボ！」
ピンと耳を立てたボンドが左の方を見る。
「エールちゃん、プボたち見られたらリュージたちが困るプボ。霊体化できるプボ？」
「はい！ケンイチさん、見えないけどちゃんといますからね！」
「ん、またなエール」
愛馬2頭がそっと姿を消す。少し遅れて、２人の元にやってきたのはマサヨシだった。
「やあ、早いね２人とも」
「先生、おはようございます」
「おはようございます。ちょっと先輩と話があって」
「そうか。まあここも随分冷えるからね、気をつけなさい」
そう言ったマサヨシが少し寂しそうに天井に目をやる。視線を追いかけると、小さなヒビがところどころに走っていた。
「……補修、してへんのか」
ケンイチがぽつりと呟くとマサヨシが話を引き取る。
「予算がないからね。本当ならそろそろ改修したいという話もあったそうだが、やはり立ち消えになったらしい」
「予算て」
ここ数年は売上は上がってきている筈だ。最も調子のよかったころには及ばずとも、厳しい世情の中でも競馬は盛り上がってきている。怪訝に口を開こうとしたケンイチを、リュージが肩に手を置いて制した。横顔を仰げば、彼は真剣な顔でマサヨシを見ている。
このままマサヨシの話を聞いて把握の手がかりにするつもりなのだ、と察してケンイチも押し黙った。
「……売上もなかなか増えない。色々施策をやりはするが、やっぱりお客さんを増やすというのは……競馬に親しんでもらうというだけのことが、随分と難しいね」
先輩、とケンイチが小さく囁く。リュージは黙ったまま頷いた。間違いなくここは特異点だ。マサヨシの話からするに、恐らく実際の日本よりかなり競馬が普及しておらず、興行として苦しんでいる。
「ああいや、すまない。現役で頑張ってくれている君たちに聞かせる話じゃなかったな」
「いえそんな。競馬界のことは、俺らみんなで考えていくべきやと思ってます」
リュージの返答にマサヨシが眉を下げる。とにかく２人が心配だ、という顔をしていた。
「だけどな。色々言われるだろう。……まったく、できることはもっとあるだろうに、いっそ広告塔になれるようなスーパージョッキーがいればなんて、あんな失礼な物の言い様がいつから」
「────へ？」
ケンイチがぽかんとする。その反応にマサヨシが不思議そうに首をかしげたが、リュージもまた呆気にとられていた。この人はいま、なんと言っただろうか。
どうしたのか、とマサヨシが問うより早くケンイチが微かに震える声を出した。
「いやそんなん、ユタカさんが」
「ユタカ？ええと、ヨシダユタカくんかな」
「そうやなくて！……いや、嘘でしょ先生、冗談キツイですって」
「ケンイチ」
どんどんと声を上擦らせるケンイチを追いつかせようとリュージが背を叩くが、ケンイチは止まらない。そんなのは嘘だというように彼の額には汗が浮かび、瞳が揺れていた。
だがリュージには最早心底不吉な予感があった。ここが"通常の特異点と違う特異点"であるなら。大きな前提から引っくり返っているような世界であるならば、ここは、今回は。
「ユタカさんですよ、タケユタカ。他ならぬマサヨシさんが、なんで」
「タケユタカ……？失礼、どなたかな」
「──…………そんな」
怪訝に尋ねてくるマサヨシに、ケンイチが言葉を失った。嘘や、と漏らす後輩の声が泣きそうなほど震えている。リュージは咄嗟に彼の手を引きながら、マサヨシに頭を下げた。
「すんません、先生、失礼しますっ」
「あっ、おい、２人とも」
すみませんっともう一度繰り返し、マサヨシの前からケンイチを連れて立ち去る。どこか人の来ないところを、と記憶を手繰って走り、たどり着いた部屋にケンイチを押し込んでドアを閉めた。
「ケンイチさん」
エールが霊体化を解いて姿を見せる。鞍上を心配して鼻を寄せる彼女の隣で、ケンイチは青い顔で俯いていた。
「…………マサヨシ先生が知らんかったら、せやったら、ほんまにここは」
「プボ……リュージ……」
同じように姿を見せたボンドがリュージにそっと寄り添ってくる。見上げてくる瞳に不安が宿り、彼の両耳はくるくると忙しなく動いている。
ボンドももうわかっているのだ。リュージはこれから何をするべきか考えようとしながら、しかし立ちふさがる現実の重さに歯を食い縛った。
「なんらかの理由で、ユタカさんがおらん世界なんや、ここは、つまり」
────ここが、5つ目だ。
ユタカ消失異聞帯後日談：A.D.2022 結界師実存結界JRA 色褪せぬ伝説
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