A.D.2016 
愛憎対敵結実点 日高 革命の眉雪
A.D.2016 愛憎対敵結実点 日高 革命の眉雪
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つい先日迎え入れたばかりの種牡馬について、あれこれと配合を考える。手元の限られた繁殖牝馬をどう組み合わせれば強い馬が生まれるか、それはひどく充実した悩みだった。
あれこれと理想を追い求めるほど無い物ねだりは限りなく、結局はそこにたどり着くまでの小さな一歩を重ねるしかないことに苦笑する。
今はまだ難しい。それでも、あの馬なら縁と運をたぐり寄せていつか必ずたどり着く。だから今はまず手持ちの中で最良を――。
『それでは遅い。もう時間が無い』
頭の中、その声――違えることのない己の声が唐突に響いた。反射的に顔を上げても自室には他の誰が居るでもなく、ふと視界に入った鏡を見る。すっかり見慣れたつもりの己の顔ではあったが、改めて見れば髪も眉もずいぶんと白くなっていた。
馬のことを考える時間を手放すつもりはない。しかし、牧場もクラブも大きな仕事を息子に譲っていくのは、少なからず残された時間と身の振り方を考えたからでは無かったか。
競走馬は代を重ねた血と能力が実を結び、生産者が死んでもそれらは生き続ける。けれど、もし叶うなら、それを仮初めでも目にすることができるなら――。
A.D.2016 愛憎対敵結実点 日高 革命の眉雪
梅雨が去り暑さ増す文月、栗東トレセン内で同期の男が何やらにやにやしているのを見かけてユーイチはその背後に回る。
「何ニヤニヤ見てんねん」
「うおっ……何や、びっくりさせんなや」
文句を言いながら、振り向いたリュージは破顔したままだ。のぞき込んだそこにはスマートフォンがあり、先日重賞を勝った馬の勝ち祝いだという写真とツイートが表示されていた。
「マーメイドステークスのか」
「おお。こうやって喜んでもらえてんの見るとやっぱり嬉しいわ」
「お前らしいなぁ」
その馬なりの最善でひとつでも順位を上げれば喜んでもらえる、それが嬉しいと言って憚らない男だ。勝ち、それも重賞はまた格別だろう。まじまじとツイートを眺めて、世間話程度に続ける。
「ゴールドシップ産駒やったな。まさかいうたら失礼やけど、あの箱みたいな背中の馬が重賞やらクラシックＧ�気笋蘊，鳥唆霆个垢隼廚討悗鵑�ったわ」
「俺わりと手ぇ合うねん、乗り味ええし。新馬もぼちぼち出てくるし、鞍回って来るん期待したいなぁ」
「ああ、お前はそうかもしれへんな」
得意げに胸を張るリュージに、なんとなく思い当たるところがあってユーイチも頷く。意外にも思えるが、後方待機でまくり上げる馬ばかりではなく、前に付けてじり脚ながら加速で押し切れる馬が案外多いのだ。ゴールドシップに限らず、Ｇ�気鯤�数勝利した親のイメージから乖離する産駒、というのが活躍のポイントかもしれない。
そして意外といえば――ふと思い出した、彼が重賞を勝った馬の血統を口にする。
「また血統が渋いっちゅーか、逆にいっそ目新しい感じするな？」
「せやんなぁ。マイティーは母父カコイーシーズやし」
ざっと目につく初年度産駒を思い返しても、サイアーランキング上位常連のキングカメハメハはともかくとして一見すると活躍が予想できない馬が走る印象が強い。
「去年の目黒記念勝ったウインキートスも母父ボストンハーバーやったっけ」
「んでユーバーレーベンがロージズインメイで――」
調教の合間の世間話だが、何せ血統の話は奥深い故に語り始めると熱を帯びることも多い。そしてトレセン内でそんな話をしていれば、そっと忍び寄ってくる熱心な者も居る。
「血統の話ですか？」
「やっぱり来たか」
「リュウセイも混ざるか？ゴールドシップ産駒の話しててんけど」
「おはようございます、入れてください！」
若手の有望株であるリュウセイは種牡馬や血統について特に勉強熱心で、短期とはいえＷｅｂ上でそれを語るコーナーを担当していたぐらいに詳しい。好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、雑談程度の会話にも関わらずその気配を感じるといつの間にか話に参加してくるので、今では唐突に話に割り込まれても普通に流すようになってしまった。
改めて会話に参加する許可を貰い、リュウセイが嬉々として口を開く。
「それはともかく、和田さんも福永さんも一番すごいのが抜けてるじゃないですか！」
「一番すごいの？」
年若い後輩の発言に、年長者たちは目を瞬かせる。名こそ出さねど話題に上げた馬は四頭で、ゴールドシップ産駒の重賞馬数に一致する。それに一番すごいというなら彼が話題に入ってくる直前に上げたユーバーレーベンがまさに唯一のＧ�鞠呂覆里世�、他にどんな馬が居ただろうか。そろって首を傾げる二人の耳に、リュウセイの不満げな声が響く。
「ダービーの後に宝塚とジャパンカップをそれぞれ連覇、父と母の忘れ物に挑戦する名馬と誉れ高い母父ディープインパクトの初年度産駒ですよ！まさかお忘れとは言いませんよね？」
「は……？」
耳を疑う、それ以外に無かった。ゴールドシップ産駒がダービーを獲って、その後宝塚とジャパンカップを連覇？産駒成績を振り返らずとも、それぞれレースの覇者を思い浮かべればそんな事実はまったく存在しないと断言できる。思わず横を向いたリュージの目に、やはりこちらを向くユーイチの顔は『なんやそれ』と言わんばかりであった。全く同感。
普段は良識あるはずの若手は今や一人語りに突入し、聞き手の困惑など気づきもしない。
「父と母の両方で鞍上を務めたイワタさんが主戦というのも熱かったですよね！ジェンティルドンナとの配合がまさか実現するなんて……おまけにライバルは父ジャスタウェイと母ヴィルシーナ、父フェノーメノに母ストレイトガールと同世代の産駒！」
「はぁ？！」
「いや、絶対ないやろ？」
「ダービーも驚きましたがその後の活躍ときたら！二年度は父ゴールドシップ母ヴィルシーナで、ウチダさんが今度は自分だって張り切って、実際クラシックは負けず劣らずの成績ですし。っていうか、ウチダさんてば二年連続で両親とも自分が乗った馬の産駒でクラシック出てるんですよね、ロマンですね！」
聞けば聞くほどあり得ない。しかしリュウセイがまるきり事実としてそれを語っている以上、思い当たる事態はひとつしかない。
「同じサンデー3×3であんなに脚質が違うのはそれぞれの牝系の違いなんですかね？やっぱり血統は奥が深い……総帥の慧眼には恐れ入りますよ」
キラキラと瞳を輝かせるリュウセイの言葉は続いたが、既に二人はそこに居なかった。
「……おい、どこ行くつもりや。てか何キョロキョロしてんねん」
ディープボンドの馬房前、そわそわと落ち着かないユーイチに向けるリュージの視線は心なしか冷たい。その冷ややかさに気づいているのかいないのか、問われた男は何のためらいも無く答える。
「いや、ジャスタウェイとヴィルシーナの仔ってどこの厩舎かなと思て……さすがにボンドと一緒は無いか」
「おまえ、さては調教乗るつもりやな？」
ユーイチが調教で乗った馬は数多い。それこそ、レースで乗らなかったゴールドシップの調教に乗せてもらったこともあるという。研究熱心、仕事熱心といえば聞こえはいいが、実際のところは本人の好奇心だとしか思えない。
周辺の馬をひととおり確かめ、何事もなかったかのように厩舎を出ようとするユーイチの首根っこを捕まえる。特異点解決は時間が命。
「ええやんちょっとぐらい、なんならレースも乗りたいわ！ウチダさんばっかりずるない？！」
「ああもう、犯人ちゃうんやったら大人しいに協力せえ！めっ！！」
「お前、そんな子ども叱りつけるんちゃうんやから」
「大体なぁ、親の主戦で選ばれるとか何やねん！せっかく手ぇ合うても俺どれも乗られへんし！」
両手で足りない数の特異点を作ってきた男の駄々をとがめながら、しかしリュージが返した言葉も決して無私無欲とは言い切れず。
「……ちょっぴり私情ぷぼ〜」
「言うな言うな、ほら頼んだでボンド！」
愛馬が零した呟きに鞍上が若干ばつの悪い思いをしつつ、もはや何度目かも忘れたレイシフトでその地へ向かったのだった。
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