『はぢめてのみっしょん』



「で、どうしてこんな小さな女の子の体じゃなくちゃいけないんです?」
諜報部員であるルカ・カーンは、当然のように質問した。
開発室の室長に向かって、カプセルに眠る作り物の少女の肉体を指し示しながら。




若いながらも腕利きの諜報部員であるルカの体から、ある日致命的な病気が発見されたのはつい先日のことである。
その病原菌は全身に渡って広がっており、治療するには完全に手遅れで、現役続行はおろか生命すら近いうちに失うだろうということが、宣告された。
丁度そのころ、開発室では最新式の擬体を開発し、その体に人格を移す人間(実験材料とも言う)求めていた。
渡りに船である。
ルカは一も二もなく、この話に飛びついた。
まさか、その擬体が、10歳そこそこの幼女の姿であるなどとは、夢にも思わず。





「あー。そうだね。君は、性徴期前の女の子は、同年代の男に比べて身体能力が高いという統計を知っているかね?」
ルカの問いに、研究室室長のヒゲダルマことロイ・パリーが言葉を発する。
「擬体にそんなの関係ないでしょーが」
即座にルカのツッコミ。
「うん。まあ、つまるところ僕の趣味なんだが」
「ぶっちゃけるなっ!」
「コンパクトボディのおかげで、隠密行動には最適だ。貧乳だから邪魔にならないし」
「隠れないと目立ちまくりですっ! 小さいことにはまったく意味がありませんっ!」
「リミッター解除すれば、今の君の3倍程度の感覚と力を使えるし」
「きっとキックバックが酷いんでしょうね」
顔面を引きつらせたルカの皮肉気味の質問にも、ヒゲダルマは動じない。
「そうだな。1日3分が限界で、それを超えると1時間くらい行動不能になるかな?」
「『なるかな?』じゃないでしょーっ! 致命的じゃないですかそれはっ!」
「まあ、なるべく使わない方向で」
「そんな無茶な」
「まあ、何を言っても、この件は君の上司も了承済みだ。大体今の君は、この体に入って現役を続行するか、その体で死ぬかふたつにひとつだろう」
「うっ……」
弱点を突かれ、ルカは黙り込んだ。

「そういうわけで、さぁ!」
ヒゲダルマは、裸の幼女の眠るカプセルの隣を示す。
「うぅ」
無言の圧力を受けて、ルカはとぼとぼと歩き、空のカプセルに横たわる。
「ものすごーく……あ、いや、ちょっとだけ痛いから我慢してくれ」
ルカの体にチューブやらなにやら取り付けつつ、ヒゲダルマはつぶやく。
「ちょ、まっ……みぎゃぁぁぁぁぁっ!」
不穏な空気にとっさに起き上がろうとしたルカを、全身に手裏剣を突き刺された上、棍滅多打ちにされたような痛みが襲った。
そして、そこでルカの意識は一旦途切れた。





「んー。定着まではもう少し時間がかかるかなー?」
意識を取り戻したルカが最初に聞いたのは、そんな声だった。
「んにゃろっ!」
ごちっ。
咄嗟に意識を失う直前のやり取りを思い出し上半身を起こすが、透明な壁にさえぎられ、頭をぶつけてしまう。
「てっ!?」
「と、もう起きたのか」
擬体のカプセルを覗き込んで、今か今かと目覚めの時を待っていたヒゲダルマは、カプセルの横のスイッチを操作して、その蓋を開けた。
「あ……そうか、擬体か」
ルカはようやく状況を飲み込んで、カプセルから一歩踏み出した。
その途端。
「おはよう、我が娘よ」
ゆるみきった表情で、ヒゲダルマは言った。
「黙れ変態」
ルカは即座に言葉のナイフを突き出した。

「っ、その体は私が作ったものなのだぞっ! いわば、今の君は私の娘ではないかっ! それなのになんだその態度はっ!?」
「立派なピグマリオコンプレックス(人形嗜好)ですね」
「ーっ! −っ! なんと反抗的な娘であろうかっ! だがっ! だがそれがいいっ!」
「は?」
「こういうツンツンした娘が、いずれ『お父様』とか言ってくれるようになるかと思うと!」
「はぁ!?」
「いや、こちらのことだ」
「いま無茶苦茶気になること言った」
「まあ、まあ。ともかくも服を着たほうがいいと思うが」
「はい?」
「いやだってほら。裸だし。ょぅι゛ょだし」
「……うわぁぁぁっ!?」
言われたルカは初めて自分の体をしげしげと見下ろし、一拍置いて叫んだ。
「ちっちゃいっ! てか生えてないっ!」
「ょぅι゛ょだし」
「服っ! 服っ!」
ルカは急に気恥ずかしさを覚え、肝心な部位を必死に隠しながら、ヒゲダルマに服を催促する。


「『服をくださいお父様』と言ってくれたら……」
図に乗ったヒゲダルマが踏ん反りかえったその瞬間。
「黙れ変態」
小さな拳が風を切ってその股間を直撃する。
「ぐへぇっ!」」
「そうかー。このサイズだと、丁度正拳突きが股間にいくのか」
この体での初めての正拳突きの具合にやや満足げなルカは、股間を押さえてうずくまったヒゲダルマの頬をつつく。
「まだやるかい?」
「げ、元気イッパイだぜ」
げしょっ。
再び急所攻撃。
「まだやるかい?」
「へっ……」
ぐしゃっ。
三度、急所攻撃。
「あ、あの棚の中段に……」
「よろしい」
ルカはもう一度満足そうにうなずくと、部屋の隅に置かれたスチール製の棚へ向かった

確かにヒゲダルマの言うとおり、下から2段目の棚に丁寧に服が一式折りたたまれている。
体操着が。
………。
………。
………。
たったったった。
ルカは走って。
げしっ。
空手技の中でも金的と並んで最も必殺性の高い下段の踵蹴りを、一片の容赦もなく顔面に打ち下ろした。
「死ね変態」
「ああっ! ブルマニーソ装備のょぅι゛ょの足裏の感触がマタなんとも……」
「ごっ、五度までも耐えた!?」
しかし、幼女の体格と力では、学者肌に似合わず生半な鍛え方ではないヒゲダルマの変態的欲求を満たす役にしか、立たないようであった。






「他に服はないんですか?」
「『服をくださいお父様』と(ry」
「えーと、1日3分以内なら良いんだったな。やったことないけど、今なら出来る!」
―リミッター、解除。
その使用方法は、魂で理解した。
「コオォォォォォォッ」
息吹だ。空手の呼吸法だ。
丹田から全身に、本来の体以上の力がみなぎる。
「うん。そうそう、棚の一番上にあるんだよね。うん」
ただならぬ空気に冷や汗をたらしながら、ヒゲダルマは答えた。
「そうそう、最初からそう言えばいいんです」
ルカは力を抜く。
たったったった。
そして、再び棚に向かった。

………。
………。
………。
「………」
 てっぺんに、手が、届かなかった。
「………」
辺りを見回しても梯子や脚立は見当たらない。
どう見ても小さい体による致命的デメリットだろ、とルカは小さく毒づいた。
「……アレなら届くかな?」
少しの間思案して、キャスター付の椅子をからからと転がしてくる。
「ん、よいしょっ」
普通に乗っただけでは、棚の上まではあと頭ひとつ分ほど足りないようだ。
「っと」
ルカは棚に手をかけると、椅子の背もたれにそろりと足を乗せ、少しずつ膝を伸ばしていく。
膝をまっすぐに伸ばすと、丁度目の前に来る位置に50センチ四方ほどの箱が置かれていた。
『記念すべき我が娘の衣装箱』と書かれた札がついている。
「………」
ルカは一瞬立ちくらみを感じた。

がたっ。
「って、わわわぁっ!」
危うい均衡の上に立っていた椅子のキャスターが滑り、ルカは完全にバランスを失った。
同時に心臓が跳ね上がり、パニックになりかけた。
ぼふ。
「危なかったな」
しかし、落下する寸前に走りこんだヒゲダルマが、ルカの小さな体を抱きとめる。
研究員とは思えないほどにがっしりとした体の感触に、ルカは知らず安心感を覚えた。
「まったく。あまり危ない真似はしないでくれ」
「あの、諜報部員に言う台詞じゃないですよそれ」
「ああ、そういえばそうだったな」
ヒゲダルマはそう言って笑うと、幼女の体をぎゅっと抱きしめた。
「はう、っと。いいかげん離してください」
さすがに助けられた手前強く出られず、ルカはもがく。
「hahahaha」
しかしヒゲダルマは頬ずりする。
「はーなーしーてーくーだーさーいー」
妙にくすぐったいヒゲの感触に思わず顔をゆるめながら、さらにもがく。
自由に動く範囲で、腕をばたばたと叩きつける。
「hahahahaha!」
しかしヒゲダルマは胸元に顔をうずめる。
「離せ」
ルカはもがくのをぴたりと止めると、精一杯ドスの効いた声を出した。



―リミッター解除。
―生体エネジー丹田集中。
―バイパス解放。

「と、冗談はここまでにして」
ヒゲダルマは小さな体を慌てて解放した。
「で」
そして、ひょいと今のルカにはどうやっても届かない棚の上から箱を下ろす。
「どの服にするんだ?」
「……ひらひらしてなくてスカートじゃなくてシンプルで動きやすくて露出が少ない服」
ルカは即答した。
ヒゲダルマは目を見開く。
「そんな……それじゃあ僕はなにを楽しみにしたらいいんだ……!?」
「いやいやいや。間違ってますから、それ」
「うーん……まあいいか。それはそれで」
ヒゲダルマは一瞬だけ落ち込むと、すぐに立ち直って箱からシンプルな白シャツとジーンズを取り出した。
「まあ、それなら……」
ルカは妥協して頷く。

「ただしひとつだけ条件がある」
ヒゲダルマは、さっと服一式を頭上に掲げると、言った。
「その、体操着の上から着てくれないか」
「………それは、構いません」
少々考えたが、特に不利益になることとは思われなかったので、ルカは肯定した。
………。
………。
………。
「あの、じっと見られると恥ずかしいんですけど」
ただズボンを履き、シャツを着るだけの動作。だが、ルカには、視線の質のためか、自意識過剰のせいか、妙にむずがゆく感じられた。



「着終わったら、次はオプションだ」
ヒゲダルマは、意味ありげに口の端を吊り上げた。
「オプション?」
シャツのボタンを留めながら、ルカは問う。
「まあ、見ればわかる」
そう言って、ヒゲダルマは衣装箱からひとつの赤い物体を取り出した。
背中に背負うタイプの、赤い皮製のカバン。つまり。
「………ランドセル?」
「そうだ。その体は、リミッターを外せばほぼ無敵とはいえ、さすがに不安定すぎるのでな。オプション装備を用意した」
「いやそれはいいんですけど、何でランドセルなんです?」
得意げに説明するヒゲダルマに、ルカはほぼ完璧な答えを予測しつつも、尋ねた。
「無論、ょぅι゛ょだからに決まっている」
やっぱり、とルカはため息をついた。
どこの世界に赤いランドセルを背負った諜報部員がいると言うのか。
ルカの嘆息には気付かず、ヒゲダルマは解説を続ける。
「このランドセルには色々と便利なツールが入っているわけだが……。まあ、それの解説はおいおいこいつに聞いてくれ」
ヒゲダルマはそう言って、ランドセルをこつんと叩いた。
「おい、起きろ」
「アンダヨー。モウスコシネセロヨアホー」
ヒゲダルマの呼び声に答えて、ランドセルの中から妙に金属的な声が発せられた。
ルカは、何のことやらわからずに首をかしげ、ランドセルをじっと見つめた。
かぱり、とランドセルの蓋が内側から開く。
「ヨォ。オマエガオレノアイボウカ?」
そう声を上げたのは、ランドセルから飛び出した黒い体に黄色いくちばしの鳥。九官鳥だ。
「オレハ、さぽーとめかノ『キアシュ』ダ。コンゴトモヨロシク」
キアシュと名乗った九官鳥は、軽く右の翼を振って、人間のように一礼して見せた。
そして、唖然として自分を眺めている幼女に尋ねる。
「デ、オマエサンノナマエハ?」
「あ、あー、私はルカ。ルカ・カーン。よろしく」
まさか九官鳥に向かって自己紹介することになるとは、などと思いつつ、ルカは挨拶を返した。
「るか。オボエター」
「こいつは君の脳とリンクしている。意識すれば、頭の中だけでの会話も出来るし、必要な情報を随時引き出すことが出来るようになる」
ヒゲダルマはそう言って、キアシュの頭をチョンとつついた。
「はあ……」
そう言われてみても、鳥と思考のやり取りをするなど、ルカにとっては現実味が薄く、ピンとこない。
「まあ、それも必要に応じて使い方がわかるはずだ。基本的なことは、その脳に入っているからな」
ヒゲダルマはそこで言葉を切って、軽く咳払いする。
「さ、そういう事は後でどうにでもなる。肝心なのは、ランドセルを背負うことだ」
「いやいやいや、そこは肝心じゃないっ!」
「アイカワラズぺどふぃりあダナ、ヒゲ」
ルカのツッコミに続くキアシュの言葉は、容赦が無かった。
「なにが悪い」
ヒゲダルマは開き直った。
「このランドセル自体にも色々仕掛けがしてあってな。君が任務を遂行するためには絶対に必要なんだ。君を、守るためにも」
そう言って、真剣な表情でルカを見る。
顔中がヒゲで覆われているため、かえって目だけが際立ち、ルカはそこから視線を外すことができない。
「……っ」
心臓が小さく跳ねた。
ルカの小さな体は、それだけでも震えが走り、頬が赤くなる。
どうしてこの体はこんなに敏感なんだろう。本来の体なら、どんな危機にも顔色ひとつ変えない耐性があるのに。
あ、意外に目はきれいだ。ひょっとしたらヒゲをそり落とせば美男なんじゃないかなちょっと待てなにを考えている私は男だぞああでも『お父様』くらいは呼んでやっても……。
「ダマサレルナアホー」
体はおろか思考の中までもコントロールを失いそうになったルカの頭を、その頭上で羽ばたくキアシュがつついた。
「てっ!」
泥沼に沈みかけたルカの思考が、現実に浮上した。
「ふう」
一息つくと、考えをまとめる。
「仕方がありません。ランドセルが必要なのは、認めます」
「まあ、わかってくれればいい」
そういうヒゲダルマの顔は、少々不満そうだ。
視線攻撃に失敗したせいだろう。
「もう少しで『お父様』を認めさせられたのに」
そう嘯くのを聞いて、ルカは背筋にぞくっとしたものを感じた。
「クワバラクワバラ」
キアシュがルカの肩に止まって、一声鳴いた。




「………随分時間がかかったものだな?」
ルカの上司であるマルコ・ビッテンコートが、幾分険のある目つきでデスクの向こう側に立っているヒゲダルマを睨みつけた。
“ほんのすこしだけソフトタッチの鬼瓦”といった風の、迫力ある顔立ちの壮年の男である。
「さすがに最新式の擬体ですからね。調整に少々手間取りまして」
その視線を軽く受け流し、ヒゲダルマは肩をすくめる。
「で、もう使えるんだな? 早速投入したい任務があるのだが……」
「ええ。ささ、ルカ君」
「あー、ども」
ヒゲダルマにうながられて、その背後から出てきたのは10歳ほどの幼女。
エリート諜報員から一転、幼女に身をやつしたルカである。
シンプルな白シャツにジーンズというシンプルな姿。
だがそれが故に、細く白い手足や、人形に生命を吹き込んだような精巧な造詣が際立ち、マニア垂涎の様相であった。
因みに、白シャツの下から“かーん”と大きく書かれた名札が透けて見える。
おまけに、赤いランドセルを背負っている。

マルコの顎が、落ちた。

「あの、なにか?」
ルカは不審そうに上司の顔を眺める。
「ああ、そうそう、すまん。早速ですまんが、お前に任務を与える」
「はい」


「私のことを『お父s―――」

―リミッター解除
―生体マグネタイト丹田集中
―バイパス解放
―大・循・環!

破壊力=遠心力×スピード×跳躍力!!

ぶうん。ごきん。
ルカの渾身の旋風脚が、マルコの首を捕らえた。
「やあ、なんだか首が傾いているような気がするな」
ぶらぶらと首をゆらすマルコ。
「傾いてます傾いてます」
ぱたぱたと手を振るルカ。
「ぬう、まさかビッテンコート課長までもがルカ君の魅力の虜に……!」
ひとり手に汗握るヒゲダルマ。
「……だから、任務の話は……?」
「あー、うー、と、そうだな。その体に慣れるまでにもう少しかかるだろう。しばらく待機という形で、リハビリをしたまえ」
「……えーと、なんですかその今思いつきましたみたいな適当な話は」
「いや、ビッテンコート課長の判断は的確だ」
ヒゲダルマが、マルコに加勢する。
「いやあの、でも」
「これは命令だ」
「いやでも」
「命令」
「……はい」
上司の強権発動に、うなだれるルカ。
その様子を見てマルコとヒゲダルマの顔がゆるむ。
「コノろりこんドモメー」
ランドセルの上に止まった九官鳥のキアシュが、一声鳴いた。






「……なんてこった。私はこのまま飼い殺しにされてしまうのか?」
開発室備え付けのシャワー室。
かつての自分とは違うやわらかい髪を洗いながら、ルカは眉根を寄せた。
視線を下ろせばいやでも目に入る、幼女体形。
平らな胸。微妙な曲線を描く腹部から腰部へのライン。タテ。
幾多の修羅場を乗り越えた頑健な肉体は、影も形もない。
「………」
鏡を見れば、精緻で絶妙なバランスの顔立ちの美少女が、今にも泣きそうな顔をしている。
死病に犯されたルカにとっては、神の救いの手にも思えた開発室の誘い。
こんなその擬体がこのような幼女の体だとわかっても、死ぬよりはマシだと思った。
しかし、それがこんな状況なるとは。
「確かに、綺麗だけど……可愛いけど……」
髪の毛を洗い終えて、ぺたんと鏡に手のひらを押し付ける。
「必要だったのはこの体と、それを動かす頭脳……『エリート諜報員の記憶と経験』……その電子的なコピー」
こつんと、額もおしつける。
「『私の心』はどこに在ればいいんだ……?」
この体になって初めて、ひとりになった。そのために、心が緩んだのだろう。
諜報員として、第一線に復帰したい思いと、正体不明のもやもやに、ルカは涙をこぼした。


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