医療ミス系のお話2

⑰　250日目

　いつの間にか季節は巡り、寒い冬を越えて暑い夏になっていた。
　未だに他人(ひと)からの視線が気になって薄着になりきれない自分がなんとももどかしい。
　ただ、それ以上に問題な事が一つあって……
　
「わぁ～　彼氏とラブラブなんですね♪　こんなに立派に実っちゃって♪」

　なんとも嬉しそうに言う店員の言葉も、どこか上の空で聞いていた。
　僅かに視線を下げるだけで視界に飛び込んでくるほどに大きくなった……バスト。
　
　退院時、既にＤカップ近くまで膨らんでいたのを、無理にＣカップに収めて小さく見せていた。
　母親が恥ずかしがるだろうと言う配慮で、全部承知で小さ目を選んだらしい。
　
　そもそもは男の身体だった部分が縮小しながらバストが成長し続ける関係で、アンダーは小さくなる一方なのに胸が膨らんでいく。
　だからある意味でバランスの取れた変化だった数ヶ月までは、それでも何とかなっていたようだ。
　
　しかし、この2～3週間程度だろうか。
　アンダー部分の肋骨寸法が縮小していく速度が鈍化している。
　いや、ほぼ停止したと言っていいのだろう。
　改ざんされた遺伝子に書き込まれていた身体寸法になったようだ。
　
　乳房以外は。
　
　胸は相変わらず膨らみ続けている。
　既にトップとアンダーの差が30cm近くに成りつつあった。
　胸囲は65cm少々なのだから……
　
「これだけ大きいとソフトカップじゃ支えきれないでしょ？　このサイズならこれが良いですよ」

　女性店員が出してきたのはスリークォーターなＩカップのハードワイヤーブラ。
　見事に大きくなったバストを収めるハードブラで、しかも、精巧な刺繍が施された真っ黒なデザインだ。

「せっかくの大きさなんだからこれ位しないと勿体無いですよ♪　彼氏以外にも見せ付けなくちゃ！」
　
　白のブラウス越しにこれが見えたら、そりゃ、男は目のやり場に困る。
　と言うか、いっそ凝視したいだろう。自分ならそうしたと思う。物陰から。
　だけど今は見られる側の立場だ。しかも、季節は巡り夏がやって来た。
　夏服だけ真っ白のセーラーになるこの学校では、結構深刻な問題だ。

「このサイズでフルカップだとおっぱいの下側が蒸れて汗疹が出来たりしますよ？」

　こっちの意向など聞く耳持たず、大きく膨れ上がったバストの形を測って、ワイヤーを入れ替えている。

「形状記憶合金のワイヤーですから、多少形崩れしても体温で自然に元に戻りますし」

　あっと言う間に自分のバストにぴったりと合う大きなカップが出現した。
　まるで児玉スイカを半分に切ったような、そんな大きさにも見える。

「これなら通気性が良くて、しかも形崩れしなし、グッと持ち上げてくれるから汗疹にもならないし♪」

　下のほうからヒョイと持ち上げるようにカップを宛がわれ、そのままベルトの寸法を合わせている。

「それに、ちょっと覗き込んだときにチラッと見えると男性陣って喜ぶじゃないですか♪」

　あぁ、喜ぶよ。ラッキーって思うよ。今だって女の友達の生着替えシーンとかまっすぐ見られない位だし。
　だけど、それを自分でやろうなんて思わない。見られるのも嫌だし。むしろ見て欲しくないし。
　
　妄想に耽りながら嫌らしい目付きでこっちを見てる男を見ると、何考えてるのかすぐに分かるもの。
　きっと汁だく精液まみれになった自分を妄想してるよ。絶対してるよ。だって自分がそうだったもの。
　
　色んな事が頭の中を駆け回っていたのだけど、その間にストラップの丈まで調整されてぴったりと収まったバストが鏡の中にあった。

「これ位密着していると、急に振り返っても揺られて辛いとか無いと思いますよ？やってみて？」

　そうそう。そうなんだよ。
　ここまで大きくなると、不意に重心がずれると体制を崩すんだよ。
　寝起きで油断してて、自分の部屋で転ぶ事も何度かあった。
　それどころか、ブラ無しで横向きに寝ると引っ張られて痛くなった事もあった。
　
「ひかり！終わったぁ？」

　急にそんな声がして、そして遠慮無しに試着室のカーテンを開けられた。
　何人か付いて来ていた女友達が遠慮なく開けてきたのだった。
　こういう部分で女ってオープンなんだなぁと未だに慣れずに居る。
　男が居ないところでは、女も結構ふしだらだ。
　
　そして、自分が元男だと言う事を、多分意識的に忘れているんだろうけど……

「ちょっと！こっち向いてよ！」
　
　ぎゅっと肩を引っ張られて、否応無しに振り返る形になった。
　だけど、寄せて上げて形を保持してくれるハードワイヤーブラの効果は絶大だ。
　全く振り回されること無く身体に密着して････
　
　いや、自分の身体の一部なんだから、この表現はおかしい。
　だけど、柔らかく重力に引っ張られて縦長に伸びていたバストが身体側へ押し付けられるようになっている。
　これだけでもう随分違うのだと痛感した。ソフトタイプにはもう戻れない。
　

「あぁ～！凄いエロ～い♪」
「うわっ凄い！」
「すんごく羨ましい……」
　
　口々にアレコレ言われてリアクションに困りつつ、満足そうな店員さんにお願いする。
　
「あ、あの、黒以外が良いんですけど……　ちょっと恥ずかしい……　です」
　
　最後は消え入りそうな声だった。よく自分でも言えたと思う。
　だけど、そんな事を許してくれるような空気ではなかった。

「えーっ！ダメだよ！」
「そうそう！これ位しなきゃ！」
「女の子はお洒落しないとねー」

　……女の子は

　そう。女の子だ。今の自分は女の子。
　
「じゃぁ、黒以外もいくつか用意しましょうか♪」
　
　手持ちのブラが全部きつくなってしまっていたから、纏めて買いなおす形になってしまった。
　小さなサイズであれば安くて可愛いデザインが幾らでもあるのだけど……
　このサイズでこのカップでしかも、ハードワイヤーだと選択肢が大いに限られる。

　いわゆる『セクシーランジェリー』な物以外だと、太っている女性向けな物しか選択肢が無いのだ。
　基本は痩せ型で、どこそこ身体が細い自分の場合は、それでは全く役に立たない。
　グラマーなグラビアクィーン並の体型になってしまって居ると、それなりに高価な買い物で……
　病院側から毎月支払われる『消耗品代』で買うにも、ちょっと困るような金額だ。

　払えない事も無いが、全部使ってしまうのは抵抗がある。
　他人のお金で遠慮なく遊ぶような、頭の悪い人間に思われたくは無かった。
　でも、今感じているこの快適性は何にも変えがたい魅力がある。
　だってとにかく楽なんだもの。常時胸周りに感じていた疼痛が全部無くなっている。

「じゃっ　じゃぁ　これください　全部で5つ　色柄違いで」
「そうこなくっちゃ！　有り難うございます♪」

　笑顔で丁寧に包装してくれる店員さんを見ながら支払いを済ませる。

　仕方が無い……
　
　どこか妥協しているのは分かっていた。
　でも、これが奈落の底へ転落していく第一歩だと言う事に気が付くのは、随分後になるのだった。

⑱　255日目

　なんとなく自分へ向けられる視線に敵意がある。
　そんな部分に敏感なのは虐められっ子だからだろうか。
　だいぶ大きくなっらバストをユサユサと揺らしながら通学していた日々と別れを告げたのもつかの間。
　今度は違う視線がこっちを見ている。敵意のこもった視線で見られている。
　
　クラスメートの、どちらかと言えば仲の悪い側。
　割と尖がっているような、どちらかと言えば悪いグループ側から。
　校門を潜る頃から、明らかに視姦されている様な気持ち悪さだった。

　そして、否応無しに耳へと入って来る敵意のこもった囁き……

「ねぇ　見た？　今朝の佐藤」
「うん、見た見た。見せ付けてくれるよねぇ」
「なによアレはさぁ　しかも今朝は黒だったでしょ」
「さすが元男よね。男が喜ぶスケベッぷりよ」
「どうせもうどっかの男とやってて穴あきよ」
「そうよね……」

　大きく実ったバストを支えるハードワイヤーのブラは実に快適だった。
　だが真っ白なセーラー服越しにうっすらと見えるそれは、高級かつセクシーランジェリーだ。

　どうやらそれが気に喰わないらしい。
　サイズ選択的に他の選択肢が無いとか、そう言う部分は一切考慮されていない。
　純粋にクラス1の。いや、学校1番のグラマーな。
　たわわに実って零れ落ちそうな程のバストが気に入らない。
　
　しかも、それだけじゃなく、それを包むランジェリーがまた男心をくすぐる様なエロさで。
　自分に敵意をむき出しにしている彼女達の艶かしいアルバイトの邪魔をしている……
　学校の中では常に男子生徒の注目の的で、事情を知る者も、知らない者も、皆が狙っている。
　男だった頃なら、あのクラスのあいつがさぁ……と笑い話で住むが、今は狙われる立場だから。
　
「ひかり！おはよう！」
「あ　おはよう……」
「どうしたの？元気ないじゃん！」
「だって……」

　斯く斯く云々……

　クラスの女たちの約半分から、いや、半分と言うよりほとんど全てから来る羨望の眼差し。
　そして、裏を返せば嫉妬と嘲笑の囁きによる恐怖感。
　学校全体の男たちから集めるギラギラしたような嫌らしい目付きの不快感。

　それらが少しずつ精神を蝕んでいるのだけど……

「それはね、美人でおっぱいの大きい女の特権なの！楽しまなきゃ損よ！ほら！元気出して！」

　背中をバチンと叩かれ気合を入れられる。
　今までならこの衝撃でバストが前に出るような錯覚をしていたのだけど、ハードワイヤーブラはしっかり支えてくれていた。

「……うん」

　生返事だけ返して教室への階段を上がる事にしたのだけど……
　その過程でも、ずっと視線を集めているのに気が付いていた。
　もう、どうしようもない。
　全てが悪い方へ転がって行くような、そんな錯覚だった。

　その日の放課後。

　委員会の仕事で印刷室に入っていた時だった。
　誰かしら人の気配がするなと思った瞬間に、いきなり後から抱きつかれた。

「……！」

　咄嗟に声が出なくて逃げようとしたのだけど、両腕の外からガッチリとホールドされてしまった。
　全く身動きが取れなくて、その状態で男の手が自分の胸をグワッと鷲掴みにしてきた。

「案外硬いんだな」

　聞き覚えのある声が少しだけ安堵したのだけど、でも、危機的状況なのには変わりない。
　全く身動き取れない状況下で落ち着けと言うほうが無理な相談なんだろうが。

「この固い感触ってブラジャーのせいか？」
「長田か？」
「声で気づけよ」
「悪い。分からなかった」

　拘束を解かれて少しホッとしたのだけど、直後から猛烈に腹が立ってきた。
　左回りにくるっと振り向いて、そして一発平手打ちを食らわす。
　全く無警戒だったようで綺麗に入った一撃だが……

「ふざけんなバカヤロー！」
「やっぱ女なんだな」
「心は男だ！」
「でも、身体は女だろ？」
「･････････」

　悔しくとも全く反論できなかった。
　けど、事実だから仕方が無い……

「それだけ大きいとおっぱいも重いだろ？」
「あぁ、重いよ。肩とか凝りまくり」
「マジで？」
「足元とか見えないし、不用意に動くと慣性で持ってかれるから転ぶ」
「だからそのブラジャーなのか」
「あぁ、そうだ。高いんだよ、コレ。もっとデブな女向けなら安いんだけど」
「へぇ。そうなんだ。知らなかった」

　相手の男……長田……小学校からの友人が、どこか卑屈そうに笑った。
　二人揃って喪男の本校ツートップとまで言われたキモキャラな男だ。
　本人にその意思は無いのだけど、周りがそういう扱いをしている、どこにでも居るようなキモイ系空気君。

　当然のように女っけなど微塵も無く、また、母親以外に女をさわった事も無い。

「なぁ佐藤」
「なんだよ急に」
「オッパイ揉んで良い？」
「はぁ？」

　唐突な言葉に一瞬うろたえた。

「寝言は寝て言えよ」
「なんで俺と話すときだけ男言葉なんだ？」
「多分、素(す)が出るんだろ。女扱いされてる時はそれに合わせてるだけだ」

　キッパリと言い切って真っ直ぐに睨んでやった。
　多分、目ぢから勝負なら負けてない。
　そう思ったのだけど。

　にゅっと突き出した長田の手が、まるでゴムボールでもニギニギするように動く。
　その動きに一瞬だけ目を取られてしまったのが悪かった。
　ブラの中に鎮座する巨大なバストに、なんとも言えない不快感が襲ってきた。

「おっ！　おい！　やめろよソレ！キメェ！」
「なぁ良いだろ？頼むよ。女の生おっぱいなんか触った事無いんだよ」
「俺だってこんなになる前までは一度も触ってないよ」
「でも今は毎日触ってるじゃないか。良いなぁ。自分のなら誰にも文句言われないし」
「あのな……」

　余りに簡単に考えているこいつの頭が少しだけ不憫だった。
　ただ、そんな事はどうでも良くて、むしろ、ジリジリと距離を詰めてくる長田が……

「わかったわかった。一回1万円でどうだ？一分限定で」
「はぁ？」
「1万円で1分間だけ思う存分モミモミさせてくれ。痛くしないから。な？良いだろ？な？」
「アホか！帰って糞して寝ろ！ボケ！」

　くるっと背を向け印刷室を出ようとした瞬間、両肩を捉まれた。
　これはマズイ！と必死に逃げようとしたのだけど、やはり身体は女。力勝負で男に敵うわけが無い。
　後へグッと引っ張られてバランスを崩し、そのまま背中から長田の胸に倒れこんでしまった……

「軽いんだな。女って」
「やめろよ！何すんだよ！」
「この期に及んで往生際が悪いでござる」
「てめぇ！」

　押さえ込まれた両腕を解こうとしたのだけど、あまりの力の差にビクともしない。
　前は決して負けなかったのに、女と男の差ってこんなにもあるのか！と改めて驚いて、そして。

「震えてるのか？」
「あ……　当たり前だろ……」

　どこか涙声になっている自分に気が付いたのだけど、もうどうしようもなかった。
　両膝までガクガクと震えだして、言いようの知れない恐怖感が湧き上がってきた。
　メンタルまで女性化しつつあるのだと気が付いて、改めて絶望感が襲ってきた。
　
　だけども。

「どこまで女になっちゃったんだよ」

　そう言いながら、長田はセーラー服の内側へ手を入れてきた。
　まるで毛虫が身体を這い上がってくるような嫌悪感に鳥肌が立った。
　背中の全てが何か汚らしい物に触れているようで泣きそうだった。

「女の肌ってスベスベだな」
「このスケベ野郎！やめろよ！」
「しかもムッツリだよ。お前だって知ってるだろ？」
「うるせー！キモイんだよ！この野郎！」

　キモイ……
　
　その言葉に一瞬だけ長田の手が止まった。
　その刹那、無意識におもっきり左足の甲を踵で踏みつけた。
　「イテェ！]]の言葉と同時に鈍い音がして、拘束していた手が解けた。
　
　咄嗟に一歩前に出て振り返ると、長田の股間目がけて、力いっぱいに右足を振り上げた。
　どれくらい痛いか知っているからこそ、手加減抜きだった。

　　　ドンッ！

　　　「アングゥウッ！！！！！！！！」

　言葉にならない奇妙なうめき声を漏らしつつ、股間を押さえて長田が蹲った。
　多分最大効率で力が入ったはずだ。もしかしたらどっちかが潰れたかもしれない。
　
　ただ、そんな事はどうでも良かった。
　涙目になりながら印刷室を飛び出して、とにかく走った。
　無我夢中で走りながら、とにかく泣き続けていた。

⑲　265日目

　印刷室の一件から10日目。あれ以来長田は学校には来ていなかった。
　そもそも登校拒否一歩前位の奴だったから、実際クラスの誰も余り深刻に考えてはいなかった。
　ただ、どうにも学校内のどこに居ても視線を集めるようで気が休まらない。
　そろそろ生理が始まる頃とあって、気分的にも酷くダウナーだった。

　その理由と言えば････
　
「なぁ佐藤」
　
　昼休みの図書室。
　気分的にどうもスッキリしない時は本を読むに限ると思ってやってきたここで、唐突に声を掛けられた。

「1万円で1分間限定オッパイ揉み放題って本当か？」

　一瞬、頭の中が真っ白になった。また来た！と思った。
　ソレを知ってるのは、あれ以来学校に来ていない長田だけのはず。
　だけど今またはっきりと聞いた。長田の言った事と同じ言葉を。

「またその話？　誰に聞いたの？そんな馬鹿なこと。するわけ無いよ」

　柔らかな女言葉でそう応えたのだけど、相手の目がすっかりスケベな妄想に耽る猿に成っていた。

「クラスの男の間じゃそんな噂でもう何日にもなっているぜ」
「そんなバカな話有る訳無いでしょ」
「誰って訳でなくて、俺も気が付いたらそんな噂を聞いてたんだけど」
「はいはい。妄想はそれ位にしておいてね。さようなら」

　パタンと本を閉じて立ち上がったのだけど、背中に突き刺さるような視線を感じていた。

「スゲー　この角度で見ると良く見えるな」
「何が？」
「そのブラジャーの柄が丸見えだよ」
「どこ見てんのよ！」
「見せる為にやってるんじゃないのか？」
「バカ言わないで！気持ち悪い！もう一枚着ると暑いのよ！」

　本をちょっと乱暴に片付けて図書室を飛び出した。
　もはや学校のどこへ行っても安全で安心できる所が無い。
　普段から女子生徒はこんな思いをしながら学校に来てるのかと、改めて思った。
　自分が特殊で特別な境遇と存在だと言う事は、ほぼ完全に頭の中から抜け落ちていた。
　
「気をつけろよ。狙ってんのが沢山居るぜ」

　親切な警告を背中で聞いて、あえて無視して歩いた。いつもより早足で。
　下腹部の不快感と慢性的な気持ち悪さが、より一掃気分を悪くしていた。

　だけど、廊下や校庭や、校内外のありとあらゆる所で男たちが声を掛けてくる。
　それも皆一様に『払うから揉ませろ』と言って来る。
　
　酷い時には

「おい、佐藤。１万円で１分だろ？５万払うから、パイ摺りしてくれよ」
　
　などと平気で声を掛けてくる。
　それも、何人も男がいる環境で、ニヤニヤしながら、財布を出しながら……だ。

　仲の良い女友達まで確認してくる。
　放課後の女子トイレは秘密の花園。
　心配してくれてるのだろうけど……

「嘘よ。うそ。するわけないよ。大体、そんな気持ち悪い噂流してるの誰なのよ。良い迷惑」
「だよね。ひかりがするわけ無いものねぇ」
「こんな事言いたくないけど……」
「なべちゃんとかはね、第二でアレやってるけど、でも、基本的にあたし達には手は出してこないよ」
「そうなの？」
「うん。はらちゃんがボス役だけど、彼女はそういうの嫌いだから。無理強いはしない主義なの」
「そうなんだ」

　ハァ……
　
　深い溜息を一つこぼして視線を落とす。
　自分の足元が全く見えないほどに突き出した胸が鬱陶しい。
　これが目当てで声を掛けてくる男はもっと鬱陶しい。

　いっそ、こんなの無ければいいのに……

「胸を小さくするって出来ないのかな」
「出来るよ。手術で小さくする人居るもの」
「ホントに？」
「うん。病院で聞いてみれば？」
「……ありがとう！」

　真っ暗闇に差し込む光のような言葉。
　その言葉に自然と笑みがこぼれる。

「早速聞いてみる」
「勿体無いけどそれが良いよ。でも、ほんと勿体無いなぁ。代われるもんなら代わりたい。あたしなんか」

　そう嘆く彼女の胸は碌に膨らみも無いまな板状態だった。

「寄せて上げてやっとこのサイズだもんなぁ……　ラブラブ彼氏作って毎日揉んで欲しいくらい」
「そうすると大きくなるの？」
「成るよ！愛されてると女性ホルモンドバドバ出るし、毎日揉まれると膨らんでくるし」
「知らなかった」
「少しずつ覚えれば良いよ。元気だして！じゃね！」

　先に出て行った彼女を見送ってセーラー服を丁寧に着なおして、そしてトイレを出たとき。
　目の前に長田が立っていた。左足の甲に包帯を巻いて。そして、顔じゅうに青痣を作って。

「長田……」
「全部お前のせいだ」
「ふざけんな！自業自得だ！」
「うるせー！」

　あっ！と思うより早く、長田の手が自分の髪の毛を鷲掴みにしてきた。
　反対の手で口を押さえられて声も出ない。

　そのままトイレへ押し込まれて鍵を掛けられた。
　必死に脱出を試みたのだけど出口を押さえられていて逃げ場が無い……

「左のキンタマが見事にぶっ潰れたよ。どうしてくれるんだ」

　囁くように言うのだけど、怒りと憎しみだけがビンビンに伝わってくる。

「おまけに左足の甲は亀裂骨折だ。歩くのだってやっとだ」

　髪の毛を鷲掴みにされたまま、壁に押さえつけられて口を塞がれていては声も出せない。
　あまりの激痛に涙が滲むのだけど、ソレよりも脱出を試みなければ！
　どうにか手を振り解こうとしたのだけど、力の差が余りに強くてそれ所じゃ無かった。

「しかも、何故か俺は嘘つき呼ばわりでこのザマだ。散々殴られて来たよ。全部お前のせいだ」

　僅かに力が緩んだか？と思ったら急に前へと引っ張られ、そして今度は壁に向かって突き飛ばされた。
　後頭部から強かに壁にぶつかり視界に星が飛ぶ。猛烈な痛みに意識が遠のいた。
　バウンドして前へフラリと倒れ掛かって、再び突き飛ばされた。
　今度は全くされるがままに押し飛ばされてしまった。

　あまりの痛みに視界が暗くなっていく……
　長田が何かを喋っているのだけど、声が遠くなって行く……
　視界までもが暗くなっていき、そして、何もかもが分からなくなった……

⑳　266日目

　後頭部の痛みに目を覚ました朝。
　たんこぶの出来た部分を避けて枕を使っていた筈なのだけど、寝ている間に一番痛い部分を下にしたようだ。
　小さくうめき声を出して咄嗟に体の向きを変える。
　被っていたタオルケットの内側から、小さな鈴の音がチリリと聞こえた。
　
　夢じゃなかったんだ……
　むしろ夢であって欲しかった……

　無意識に右手を左の胸にもって行く。
　指先に現れた感触は、小さな鈴の存在と、その鈴をぶら下げるリングの貫通した左の乳首。
　
　前日。長田に押し込まれた女子トイレの個室の中で、両肩の激痛に意識を取り戻した時。
　上半身裸のまま、背中で両腕を縛られ、天井を通る送水パイプにロープでぶら下げられていた。
　座る事も逃げる事も出来ず、口をガムテープで塞がれて。
　
　そして目の前には白いゴムの手袋をした長田が立っていた。
　手に持っていたのは大きなピンセットのような道具と、太めの針。
　左の乳首を挟まれた状態で、『私』の意識が返って来るのを待っていたようだった……

「お目覚めか？今からショータイムだ」

　ンンンーー！！

　口をふさがれ言葉が出せない。
　一瞬で状況を飲み込むのは苦手だけど、とにかく逃げられないのだけは分かった。
　
「これな。3日掛けて親父に作ってもらったんだ。極細のチタンで作ったリング」

　見た事も無い形をした工具に挟まれた1センチくらいの小さなリング。
　長田の家は工場をやっている職人の家だ。あんな物を作るのはお手の物なんだろう。
　ただ、感心してる場合じゃないのは、今現時点でそれが何をするものか理解出来てしまったから。
　
　左の乳首をつまんでいる大きなピンセットの先端はまるで、布団叩き見たいな構造になっているのは……

「ちょっと痛いけど、なに、すぐに感じなくなる」

　脱脂綿にしみ込ませたアルコールの臭いが鼻を突く。
　乳首の先端に冷たい感触を感じ、そしてそこに針が突き立てられた。
　何の心の準備も無いままに、まるで豆腐に針を刺すように。

「･････････････！！！！！！！！！！！」

　声も出なかった。
　ただ、痛みに反応して涙だけが零れ落ちた。

　全く抵抗出来ず、されるがままの絶望的な敗北状況が死ぬほど悔しかった。

「よし、貫通！そしてここにこれを通す」

　さっき見た変な形の工具が硬い筈のチタンリングを押し広げている。
　リングの重なった部分を押し広げ、乳首に開けた孔にリングを通していった。
　傷口をこすられ、目から火が出るほどの痛みにうめき声を上げるしか出来ない。
　小さなリングが２周ほど回って、乳首の先端に所在無げにぶら下がっていた。
　
「これは血止めだよ。うちの工場で良く使うのさ。お前も見た事あるだろ？」

　あぁ、見たよ。何度も見た。
　小さな頃、自転車で転んで血が出たときに、長田のおじさんが良く塗ってくれた。
　傷口を塞いで消毒する薬だ。染みて痛いんだけど、良く効くやつだ。
　
「ほら」
「ングググググ！！！！！！！！！！！」

　気が付くと右の乳首がビンビンに立っていた。
　あまりの激痛に反応しているらしい。
　15秒もしないうちにピタッと流血が止まり、長田は満足そうにそのリングへ指を通した。
　
「ほら。引っ張るとこうなるよ」

　グイッと引っ張られて乳首が伸びる。
　それと同時に鋭い痛みが乳房を駆け抜けてバストの付け根まで痛んだ。
　
「これを取れるのは、この専用工具だけだ。まぁ、目一杯引っ張っても取れると思うよ。ただ……」

　悪魔のような笑みを浮かべながら長田は言った。
　まるで死刑宣告のような言葉を。
　
「乳首も一緒に無くなるけどな」

　ゴソゴソとポケットを弄った長田が何かを見つけたようだ。
　ひょいと取り出した手の中には直径5ミリ程の小さな鈴が一つ。
　再び取り出した専用工具とやらを使って、チタンのリングにその鈴を取り付けられた。

　僅かな作業時間が流れ、完了と同時に、指先で乳首の先端を弾かれる。
　突き抜けるような衝撃と同時にチリチリと可愛い音が鳴った。

「お前に蹴られて左のキンタマが完全に潰れたよ。病院で取ってきた。足の骨はひびが入ったし、酷いぜ」

　再び長田の手が自分の乳房を触り始めた。
　まるでゴムボールでも握り締めるように、ウネウネとマッサージしている。
　その感触の気持ち悪さに思わず眩暈がしたのだけど、長田は構わず胸の谷間に顔をうずめた。
　
「おほほ。気持ちいいね、これ」

　谷間に顔を挟んだまま、左右から胸を押し付けて感触を楽しんでいる。

　顔を左右に廻して、舐められたりほお擦りされたり。
　とにかく気持ち悪い。

　けど、逃げられない。

「俺のキンタマ潰したんだ。どって事無いだろ、自分の乳首も自分で取っちまえよ。なに、お前なら出来るさ」
　
　再び立ち上がって、鈴のついた胸を長田が持ち上げた。
　左右に振ると、またあの可愛い鈴の音が響いた。
　
「さて。出来上がりだ。俺は先に帰るから、しばらくそこでゆっくりしてろよ」
「んーーーー！！！！」

　(やめてくれよ！そんなのやだよ！)
　開かない口で目一杯抗議したのだけど、長田はニヤニヤするばかりだった。

「そうか、そんなに嬉しいか」

　違う違う！と首をブンブン左右に振って、そして涙目で長田を見る。

「え？違うの？変だなぁ」

　ニヤニヤしながら見下すようにしている長田に殺意が涌いた。
　だけど、この状況ではどうしようもない。

「その牛みたいにデカいオッパイ見せびらかして喜んでる変態の佐藤さんだろ？」

　再び乳房を揺すられて鈴の音が響く。

「しかもほら、乳首に鈴までつけて喜んでる」

　チリチリと鳴る音が耳障りだけど……
　
「牛みたいなおっぱいに鈴付きの変態だからな。見られて喜ぶ系だろ？　後で人を呼ぶから、皆に見てもらえばいいんじゃね？」

　ボタボタと大粒の涙が零れ落ちた。
　ブンブンと首を振りながら、涙を流す。

「何言ってんのか全然わかんねーや」

　ちょっと手荒にビリッとガムテープが剥がされた。
　最初に吸った息は、妙に生臭かった。
　だけど、そんな事をどうのこうのしてる時間は無い。

「これ取れよ！」
「なんだそりゃ。可愛い女の子が言う言葉じゃねーよ」
「知るかそんなの！これ取ってくれよ！」
「ヤダね。あぁ、やだやだ。後で用務員のおじさんにでも取ってもらえば良いんじゃね？」
「ふざけんなよ」

　ニヤッと笑った顔が文字通りの悪魔に見えた。

　右の頬だけ引きつるように持ち上げて笑う時は、興奮してる時だ。
　長い付き合いだから、嫌でもそんなシーンの意味がわかる。

「頼むから取ってくれよ！」
「女の子にお願いされたら考えもするけどさぁ」
　
　グイッと顎を上げて見下すように三白眼で見下ろされた。
　そうか、そういう事か……

「お願い　これ取って　ね？　長田君お願い」

　自分の口から出た言葉が気持ち悪かった。
　だけど、今この状況じゃ……

　恋愛ゲームの告白シーンを繰り返し聞くようなキモい系のヲタ男だ。
　何が欲しいのか、良く分かっている。

「じゃぁ」

　長田の顔がこっちへグッと近づいてくる。
　自分の顔のまん前にやって来る。
　もう少しで鼻が当たるところまで近づいてきて……

「人に物を頼むなら、対価が要るよな。分かるだろ」

　あぁ、もう！
　このロクデナシの駄目人間の最低男！
　人間のクズ！

　だけど……
　だけど……
　だけど……

　覚悟を決めて目を閉じた。
　最後に見たシーンをイメージして顔を近づける。
　刹那に長田の鼻息を感じた。
　あぁ、もうすぐそこだ。

　こんな奴がファーストキスの相手かよ
　最低だな

　唇の感触を脳で感じないように拒否しながら。
　全ての触覚を無視してキスした。
　出来る限り、重なる部分が増えないように注意しながら。

　重ねた。唇を。この最低の男の唇と。
　あまりの悔しさに全身が震えて、とめどなく涙が出た。

「これで良いでしょ」
「まだだよ」
「え？」
「ほら、定番が残ってるじゃないか」

　鼻息荒くニヤつくこの男の鼻に噛み付いてやるかと一瞬考えた。
　だけど、今この状況で抵抗出来ないままにそれをすると……
　最悪のシナリオが猛烈なスピードで頭の中を駆け抜けた。

　どれほど悲しい顔をしたのか自分でも分からない。
　だけど、その表情ですらもが、長年苛められて捻じ曲がった性格の長田にはご馳走のようだった。

「いいなぁ　可愛いなぁ　そんな表情が凄く綺麗だなぁ　女って良いなぁ」
「･･･････････････････」
「さぁ、言ってごらんよ。どうして欲しいんだい？」

　トイレの床に水滴の落ちる音がする。
　流れ落ちる涙の雫がこぼれている。
　上半身裸で拘束された女が泣いてるのを見て笑う男。

　もしこの状況で男の俺が駆けつけたら、間違いなくフルパワーで殴ってるのに……

「お…　長田…　君…　お願い　き…」

　どうしてもそれ以上の言葉が出なかった。
　ただただ涙だけが出た。干からびるほどにあふれ出た。

「あ、もうすぐ6時だ。そろそろ校内に生徒会の見回りが来るな」

　いそいそと長田は道具を片付けてカバンに仕舞い始めた。
　それだけじゃなく、自分のセーラー服やブラジャーまでも。

「これは貰って帰るから。そのまま牛みたいなオッパイブラブラさせて帰れよ。じゃな！」

　悪魔のように爽やかな笑みを浮かべた長田。
　トイレの鍵をガチャリと開けて出ようとした。

「ちょっと待って……」
「どうした？」
「お願いだからちょっと待って……」

　しゃくるほどに泣きながら、やっと言葉が出た。
　
「長田君　お願い　私にキスして　お願い」
「しょーがないなぁ～　今日は特別だよ～♪」

　あぁ　最低の男が近づいてくる。
　上半身裸の私の腰に手を廻して。
　左の手を私の後頭部に添えて。

　ニヤニヤした顔がやって来る。
　その顔を見るだけで吐き気を催す。
　仕方無く目を閉じた。
　長田の左手にグッと力が入って、唇を突き出すようにされて、そして……

　重ねた唇の中から舌が出てきた。私の口の中に入ってきた。
　されるがままに受け入れて、口の中を蹂躙された。
　きっと強姦される屈辱ってこんな感じなんだろうな……

　涙を流しながら悔しさに耐えた。

　だけどこのクズ男は執拗に口腔内を嘗め回した。
　歯茎の内側も外側も。舌の裏側までも。
　上から覆いかぶさるようにキスされているから。
　
　だから、嫌でも流れ込んでくる。
　長田の口内のヨダレまでもが……

「お前の口の中全部舐めたよ。もう俺のもんだ」
「････････････うん」

　そうだ。このクズ男の大好きな変態系の陵辱ゲームそのものだ。
　喜んでエロゲーを買って来て、部屋の中で一人オナニーしながらプレイする奴だ。
　陵辱される女キャラのセリフを全部暗記するような奴だ。
　
　つまり、その役をしろと命じられているのだ････
　身体中に鳥肌が立って両足がガクガクと震えていた。

「長田君　ありがとう　長田君のヨダレ甘かった」
「全部言えたじゃないか♪　そうだよ　詩織のセリフはこうｙ……

　なんかその続きはもう良く覚えていない。ただ、気が付くと私は自分の部屋の中に居た。
　長田は拘束を全部解いて私に服を着せたようだけど、これは、この鈴はまだ付いている。

　あの最低の下衆男がこれからなにをしてくるのか。想像すらつかないだけに、本当に恐ろしい。
　それ以上に、無理やりファーストキスを奪われた事が悔しい。
　沸々と怒りが湧き上がってきて、ベッドから起き上がった時、胸の辺りでチリリと不快な音が聞こえた。
　
　　　―― 牛みたいなおっぱいに鈴付きの変態だからな

　頭の中に甦る言葉が、怒りより悲しみを掻き立てて来た。
　もう、どうしようもない。取り返しが付かない。

　汚された……

　再び涙が溢れ始めた。
　悔しくて悲しくて。
　世界の全てが灰色に見え始めた。