人生で最悪な日。
 それがいつかと聞かれたら、俺は自信を持って言ってやりたい。
 今日、正にこの日であると。

 そんな思いに浸りつつ、俺は今自室にいる。
 まだ夕方には早く、外も明るいままだというのにカーテンは閉め切られ、
まるでここだけ夜であるかのように薄暗い。
 そんな部屋の真ん中で俺はただ独り――泣き尽くしていた。
 どれだけ、涙がこぼれただろう。
 そしてどれだけ、嗚咽を上げただろう。
 ここ数日の、いや一年分のそれらを合わせても足りないほどに、俺の悲しみは、
そして苦しみは大きなものだった。
 未だ涙がこぼれ続けるまま、俺は仰向けにごろりと横たわる。
――どうすりゃいいんだろ…………俺。
 消え入るような呟きと共に、俺はなぜ今の状況があるのかという事を思い返していた。


―[1]―


 今より数時間前。
 まだ夜も明け切ってないうちから、俺と麻里紗は身体を重ねていた。
「んっ……ぁっ………くぅん…」
「ふゃぁ………んぅぅ……くぅっ……」
 互いに口付け、一心不乱に舌を絡め合わせる。
 その一方で下半身に視線を移せば、互いに相手の性器を弄りあっているのが見て取れる。
 ――ちゅぱちゅぱと、互いの舌や唇を貪りあう湿った響き。
 ――しごき上げる度に、右手の中でビクビクと脈打つ麻里紗のモノ。
 ――そして麻里紗の細い指によって掻き回され、秘所の内奥から溢れ出て来る熱くドロリとした感覚。
 それら全てが、俺の身体を、そして心を蕩けさせていく。
 ――口付け合う中で混ざり合った唾液が流れ込み、俺の口内を満たす度に。
 ――潤みきった麻里紗の眼差しが、俺の表情を捉える度に。
 俺の中を、心地良い感覚が満たしていく。
「ふぅぅん……まりさぁ…っ………」
「んくっ………みゆぅぅ……んはぁ……」
 熱く、甘ったるい吐息が俺の心を昂ぶらせ、それにつれて身体が徐々に熱を帯びていく。
熱帯夜という状況と相俟って、二人ともこのまま溶けてしまいそうな錯覚に襲われる。
「なんかもぅ……かき混ぜるたびにねばねばしてってるみたい………」
「麻里紗のだって……こんなぬるぬるしちゃってる……」
 うっとりとした表情で呟く麻里紗。多分その目に映る俺の表情も、恍惚としたものなのだろう。
 次から次へと出て来る先走りのぬめりを感じながら、固くなり切ったモノを弄ぶ一方で、
秘所から溢れ出している愛液はまるで洪水のように、尻や腿の内側を濡らしている。
「まりさぁ……そろそろ…いっちゃいそうなんだけど……」
「ほぇ………あたしもぉ……」
 溜りに溜まった快感が、ここに来て一気に弾けようとしている。
それを感じたかのように、互いの性器を弄る手がその速さを増していく。
「だめぇ……でちゃうぅぅっ!」
 先にいったのは麻里紗の方だった。
 身体をびくびくと震わせ、まるで雷にでも打たれたような表情を浮かべたまま、
ドロリとした白濁を俺の身体へと放っていく。
 打ちつけられていく精液の熱さが快感を呼び起こし、それが俺にとっての引き金となった。
「ふあぁ………んひゃぁぁっ……!」
 意識が白く塗りつぶされるような、そんな感覚を覚えつつ、俺も絶頂を迎えた。



「ふひゃぁ………もぅだめ……」
 ごろりと仰向けになり、深い溜息を吐く。
 ふと窓の方を見やると空はボンヤリと明るみ、月は西の空へと傾いている。
 始めたのが二時くらいで、もう五回くらいはやってた筈だから、当たり前と言えば当たり前ではあるが。
 麻里紗が俺に話し掛けてきたのは、それから少し経っての事だった。
思いつめたような表情を浮かべながら、ポツリと呟くような言葉がこぼれる。
「満幸……ねぇ………」
「………なに?」
 聞き返す俺に対し、なぜか麻里紗は思いつめた表情のまま、ただ俺の顔を見つめるだけだ。
明らかに、様子がおかしい。
「………言ってくれないとさ……全然わかんないんだけど」
「……やっぱり……なんでもない」
 消え入るような声を残し、背を向ける麻里紗。
 麻里紗が本当に言いたい事は分かっている。そしてそれが俺を嫌な気持ちにさせるから、
あえて言わずにいた事も。
 だけど……いやだからこそ、麻里紗の口から直接言って欲しかった。
「……俺、そんな信用されてないのかな………」
「ちがうってば!……そうじゃなくて」
「だったらちゃんと……言ってくれないか?」
 張り詰めた空気の中、ポツリと、麻里紗がその思いを口にした。
「そろそろ最後まで……したいな…って」
「………そっか」
 予想に違わぬ答えに、安堵と寂しさに似た感情が込み上げてくる。
「だめ……だよね?」
「………ごめん」
「やっぱり……こわい?」
「うん……。痛いんじゃないのかとか、そういうのもあるし……でもそれ以上にさ」
「なに……?」
「本当に………後戻り出来なくなっちゃうかも知れないって気……してさ」
 いつしか、俺の手がシーツを固く握り締めていた事に気付く。
 あの姿になってからもう数日は経つ。
 その間、どうにかこの姿に慣れようと、もうくよくよしないで行こうと努力はして来たつもりだ。
 だけど……やはりどうしても、心の片隅には元の姿に戻りたいという思いが消えずにいる。
――まだ……可能性がなくなったわけじゃ…ない。
 そんな僅かで淡い希望が、俺が完全に女になることを必死に拒み続けていた。
「……やっぱり、言わなきゃ良かった?」
「だいじょぶだって……俺全然気にしてないから」
「でも……」
「……それに、謝んなきゃなんないのは俺の方だから……な?」
 言い終わるや、俺は間髪入れずに麻里紗の唇を奪う。
「ほぇ……?」
「最後までは無理だけどさ……麻里紗の気の済むまで、相手するから」
 返事の代わりに、麻里紗がそっと口付けてきた。

 諦められない気持ちはある。
 けれど……それと同時に、今の自分を受け入れなきゃという思いもある。
 だからいつかは、その気持ちに決着を付けなきゃならないとは思っていた。
時間がかかってでも、今の俺の事を受け入れられればいいな、と。
 けれど俺はこの時、まだ気付いてなかった。
 ――決断の時は刻一刻と、足音を立てて近づいていたという事を。



 あれから何度となく身体を重ね、気が付いた頃にはもう正午を過ぎていた。
 事を終え、何もせずただゴロゴロと寝転がっているうちに、麻里紗はいつものように眠ってしまっていた。
俺も寝こそはしなかったものの、何もせずにウダウダしている状態だ。
 まぁ、たまにはこうしているのもいいかもしれない。
 そんな事を思いつつ、いつものようにタオルケットを頭まですっぽりと被る。
「うぇ〜ぃ……おやすみ」
 誰に言うでもなく、独りごちた俺は麻里紗の後を追うように、そのまま眠りにつく。
……筈だった。
 深く沈み込みかけた俺の意識を、絶え間なく鳴らされる呼び鈴の音が、
そしてドアを叩く幾多もの音が引っ張り上げる。
「……むぅ…誰だよ日曜だってのに」
 夏休みなんだから日曜もへったくれもあったもんじゃないが、
とにかく不快感を露わにしつつ俺はベッドから這い出す。
 慌てて羽織った寝間着のボタンを留めつつ、玄関まで辿り着いた俺は苛立った口調で、
ドアの向こうの来訪者に呼びかける。
「……どちら様ですか?」
『ん?あたしだよ』
「……恵瑠?」
 予期せぬ相手に軽く驚きつつ、慌ててドアを開けた俺を待っていたのは、
さらに予期せぬ光景だった。
「な………お前何やってんだ?」
「……それこっちのセリフ。一体どれだけ待たされたと思ってんの?」
 俺以上に苛立った様子の恵瑠。
 しかしそうした態度以上に、逆立ちしている彼女の姿が何よりの驚きだった。
「ゴメンな…」
「……お昼作ってくれる…よね?」
 その言葉に合わせて、ぐぅと恵瑠の腹の虫が鳴き出す。
 なんと現金なヤツだろう。
「………ラジャ。んでさぁ…」
「何?」
「早いとこそのカッコ、止めてくれない?」
「いいけど…何で?」
「……目のやり場に困るんだってば」
 最初に言っておく。
 俺は決してロリコンなんかじゃない。
 けれど、いくらなんでもパンツ丸出しはないだろうとは思う。
「……興奮しちゃった?」
「…まぁな。一応……男だし」
「………そう」
 一瞬、恵瑠の表情に翳りが見えたのを、俺は見逃さなかった。
「………とにかく、中入れよ」
「うん」
 くるりと姿勢を戻し、中へ入っていく恵瑠。

 その後姿を見ながら、恵瑠が何のためにここに来たのかを、俺は少しずつ察しつつあった。




―[2]―

「ごちそうさま。おいしかったよ」
「そりゃどうも」
 昼メシを食べ終え、ご満悦といった表情を浮かべる恵瑠。
「…けど、ママも相変わらずおねむさんだねぇ」
「今日くらいはいいじゃん。俺だって出来ればゆっくりしてたかったし」
 よっぽど起こそうかと思ったが、あまりに気持ち良さそうに寝ているものだから、
起こすのも悪い気がしてそのままにしている。
「でさぁ……話っていうのは?」
「……やっぱ、しなきゃまずいよね?」
「ったりまえだろ。でなきゃ何のためにここに来たのさ?」
「えっと……ただ飯食いに来たっていうのは………だめ?」
「却下」
「だよね……」
 しばし、その場に沈黙が流れる。
 少しの間逡巡していた恵瑠だったが、やがて意を決したように、固く閉ざしていた口を開く。
「多分ね、ただ飯食いに来た方が…マシに思えるかもしれない」
「何だよまた」
「それくらいの覚悟で聞いて欲しいってこと」
「分かった」
「……この数日間、あたしも色々手を尽くしてみたんだ。……パパが元に戻る方法は無いかって」
「うん……」
「……それでパパさんに無理言って、見に行ったんだ……あの教会に」
「教会……に?」
 それは俺にとっても、恵瑠にとっても忘れられる筈の無い場所だった。
 山奥にひっそりと建っていた、小さな教会。
 かつての彼女にとっての住処であり――俺にとっての死闘の場であったのだから。
俺がこの身体になってしまったきっかけ――プラントも、正にこの場所にあったのだ。
 あの戦いの際、炎に包まれた教会は今や廃墟と化している。
 そこへわざわざ父さん―恵瑠はパパさんと呼んでいるが―に頼んで連れて行ってもらったとすれば、
その目的は一つしか考えられない。



「外は昔のまんまだったけど………中は殆ど丸焼けになっちゃってた」
 ポツリポツリと語り続ける恵瑠の言葉に、若干の物悲しさを感じる。
「なんか手がかりになるものでも残ってないかなって、中とか探してみたの……目論み外れちゃったけどね」
「そっか……」
「プラントが残ってたらまだやりようはあったかも知れないけど…………あれも完全に壊れちゃってる」
「だよな……」
 これは俺にも分かっていた事だった。
 プラントへ落ちた俺を救う為に、プラントの一部を打ち壊したという事は後から知らされていた。
「……もう…動かないんだよな?」
 沈痛な面持ちのまま、恵瑠はただ小さく頷く。
「あれを元に戻すのは……殆ど無理かも」
 心なしか、恵瑠の発する言葉の一つ一つが、俺の心に深々と突き刺さってくる。
そんな錯覚を抱きつつも、彼女の話はさらに続く。
「仮に壊れてなかったとしても、あれで元に戻すことが出来るかなんて確証はないし………
そもそもあたしにはもうあれを動かす力なんて……欠片も残ってないんだから」
 そう呟く恵瑠の表情に、僅かな苛立ちが窺える。
 その苛立ちがどこから来るのか、計り知る事は出来ないけれど。
「……ごめん、こんな悪いニュース伝えるような形になっちゃって」
「別にいいってば。……俺も何となく予想は付いてたし、それに………」
「それに?」
「こうして伝えてくれなかったら、いつまでもずっと、元に戻る事ばっかり考えて前に進めなかったと思うし」
「パパ……」
「…………何辛気臭い顔してんだよ。……俺、ホントにだいじょぶだから………」
 そう言いながら、恵瑠の身体を抱きとめる。
「だいじょぶなんだから……な?」
 嘘吐きだ。
 今の俺、相当な嘘吐きだと思う。
 どんなに鈍いヤツだって、こんなかすかに震えた声に気付かないわけが無い。
まして――今抱きとめてるのは恵瑠なのだ。
 ともすれば俺よりも、相手の考えてる事を読めるようなヤツなのだ。
 だからこそ――ホントのところを悟られたくはなかったのだ。

 それが無理に近い話だったとしても。



 恵瑠がここを発ったのは、それから程なくしての事だった。
「ママに会わなくていいの?」
「うん。起こすのもなんだし」
「最近顔出してくれないってガッカリしてたぞ」 
「今度また来るって言っといて。その時は遠慮なく甘えるからって」
「はいはい」
 靴を履き終え、ドアノブに手をかけようとした恵瑠がふと、何かを思い出したかのように振り返る。
「パパ……もし何かまたあったら連絡してね」
「ああ」
「こんなあたしじゃ……何の助けにもならないかもしれないけど」
「何言ってんだよ。………俺のためにさ…わざわざ遠出までしたりしてさ……
そこまでしてくれるだけでもう…十分だって」
 心配そうな面持ちの恵瑠を、俺はそっと撫でてやる。
「なら……いいけど。あんまり無理しないでね」
「うん」
 それだけ言い残し、恵瑠は玄関を出て行った。
 後に残されたのは俺独りだけだ。
 寂しいような、悲しいような、そして苦しいような――。
独りになった途端、不意にそんな思いに包まれてしまう。
「……もう………戻れないんだよ…な」
 静まり返った玄関に、俺の寂しげな呟きだけがこだまする。
 搾り出すように呟くや、まるで支えでも失ったかのようにその場へと崩れ落ちる。
「俺………もぅ…………」
 口ではなんとも言える。
 けれど、結局自分の心に嘘をつく事など、出来るわけがなかった。
 無意識の内に、心の支えとしていたものが崩れ去った時の空虚感と絶望感。
ここまで大きなものだなんて――分からなかった。
 昔、姉ちゃんが同じような思いをしてた事を、不意に思い出す。
今ならその気持ちが少しでも分かるかも知れない。


「みゆ……き…?」
 ふと顔を上げると、そこには眠たげな目を擦りつつ、俺を見つめている麻里紗の姿があった。
「何かあったの……?」
 心配そうな眼差しを向けられたのが引き金となったのか、今まで抑えてきた感情がドッと込み上げてくる。
「あっ!ちょっと!……満幸!」
 麻里紗の声も、俺を止める事は出来なかった。
 気が付いたときにはもう、自室へと勢いよく駆け込んでいたのだから。
「満幸!開けて!開けてってば!」
 ドンドンと、ドアを叩く音と共に飛んでくる麻里紗の声。
 只事でないことを感じたのか、その声も切迫しているように感じられる。
「満幸!満幸ってば!」
「………独りに……してくれない?」
「え……?」
「お願いだから……独りにして」
「でも……」
「おねがいだからっ!」
 最後の方は、もう半ば喚きにも似たような声になっていた。
 そんな俺の様子に戸惑っていた麻里紗だったが、しばらくして深い溜息と共に、
ドアの前から立ち去っていった。
 今度こそ、本当に独りだけになった。
 もう本当に元の姿に戻る事は出来ない。そんな事実が、俺の心を容赦なく打ちのめしていた。
「………そんな……そんなのって……」
 無意識の内に、目からは涙がこぼれていた。
 一滴また一滴と雫が落ちる度に、床の水溜りもそれに合わせて広がっていく。
 それに映る俺の顔を目にし、悲しさと苦しさで胸が一杯になり――
気が付けば、またこの前のように声を上げて泣き出していた。


――これが、今までに俺の身に起こっていた出来事の全てであった。


 カーテンの隙間から差し込んでくるオレンジ色の光が、外が夕暮れ時であることを伝えていた。
 薄暗い部屋がより一層暗さを増しつつある今、俺はベッドの上にいる。
 あれから俺は泣き疲れて眠っていたらしく、気が付いた時には俺の身体はタオルケットを被され、
ベッドの上へと横たえられていた。
 そして目の前には、俺をベッドまで運んだのであろう麻里紗の姿が。
 正直、今彼女の顔をまともに見られる気分じゃなかった。
それを察してか、麻里紗が俺に一言投げかけてきた。
「そっち向いたままでいいから……何があったか話してくれない?」
 その問いかけに、俺は何一つ言葉を発する事は無かった。
 別に話したくないわけじゃない。けれど口を開こうとする度に胸が詰まってしまう。
悲しくて、そして苦しくて。
 だから声一つ、ろくに出す事が出来ずにいたのだ。
 そうして、しばらく無言の状態が続く中、再び麻里紗が口を開いた。
「やっぱり……あたしじゃ頼りに…ならないよね?」
「……そうじゃないって。………でも」
「あたしね……満幸がこんな風にしてるの、見てられないから………」
 チラリと麻里紗の顔を窺うと、今にも泣き出しそうな様子で俺を見つめ続けている。
ここまで真剣に、俺の事を心配してくれるやつなんてそうはいないだろう。
 そんな彼女の心配を――無碍にする事はとても出来なかった。
「……恵瑠が来たんだ…昼間」
「恵瑠が?」
「あいつもあいつなりに色々調べてたみたい……俺が元に戻れないかって…。
でも結局………みんなダメだったって…言ってた」
「それじゃ………?」
「そうだよ……俺もう…………元に戻れなくなっちまった……今度こそ…本当に……」
 言い終わらぬうちに、再び涙が溢れ出してきた。
 泣き顔だけは見られたくないと、枕に顔を埋めようとした俺を、麻里紗がグッと抱き寄せる。
「ちょ……?」
「泣きたい時は……思いっきり泣いていいから……」
「麻里紗………」
「……どんな事があったって…満幸は満幸なんだからね………
それにあたし…昔の満幸のことだって……絶対忘れないから」
 目を上げると、今にも泣きそうなのを必死に堪えている麻里紗の顔があった。
――ごめん…麻里紗にまで、悲しい思いさせちゃって……。
 そう思うと、ますます涙が止まらなくなってくる。
「麻里紗ぁ……麻里紗ぁっ………」


 胸へと顔を埋め、泣きじゃくる俺の頭を、麻里紗はまるで母親のようにそっと撫で続けていた。






 ―[3]―

 悪夢のようなあの出来事から、早三日が経った。
 あれから俺の心は全く晴れずにいる。
 まるで窓の外に、どんよりと広がる曇り空のように。
 とにかく気持ちが沈みこんでしまって、部屋の外に出る気にすらなれなかった。
 麻里紗は麻里紗で、そんな俺を元気付けようと苦心しているようだけど、
それらは今のところ徒労に終わるばかりだった。
 今や何もかもが嫌になってきて、窓の外に止まっているカラスさえも、
まるで俺の事を嘲っているように見えてますます嫌な気分になってくる。
 見ず知らずのカラスだけならまだいい。
 気が付けば麻里紗にまでその矛先が向いて、当り散らす事も度々だ。
今朝はとうとう、麻里紗の作った朝メシにも手を付けなかった。
 あの時の麻里紗の悲しげな表情が、今も瞼に焼きついたまま離れない。
 本当は分かっているのに。
 いつまでもこうしたままでいちゃいけない事も。
 どこかで踏ん切りを付けなきゃならない事も。
 けれど、分かってはいても、いや分かっているからこそ、なおさらこんな状況を認められずにいるのかも知れない。

 昼も大分過ぎた頃。
 ドアをノックする、微かな音を耳にし、むくりとベッドから起き出る。
「満幸……?」
「……なに?」
「あたし…買い物に行って来るから」
「…そう」
 謝らなくちゃいけない。
 そう思っても、口をついて出てくる言葉はそっけないものばかりだ。
「……ごめんね」
「え………?」
 予想外の言葉に、俺は思わず耳を疑った。
 本当は俺が謝る筈なのに、なんで麻里紗に謝らせてるんだろう。
「少しは手助けできるかなって思ってたけど……力不足だったみたい」
 一言一言が心へ深々と突き刺さるような気がして、居たたまれなくなった俺は枕へと顔を埋める。
 何か言おうとしても、口から漏れるのは言葉にならない微かな喘ぎだけだった。
「だけど……あたしは満幸のこと、見捨てたりしないから」
 その言葉を残して、麻里紗はドアの前から離れていった。
 足音は次第に遠のき、やがて元通りの静けさが、俺の周りを包み込んでいった。
 なんてバカなヤツなんだろう。
 これほど、俺自身が情けなく思えた事は無い。
 俺の事を親身になって心配してくれて、しかも辛く当たられてもあんな事が言えるなんて。
 ここまで出来た人間なんて、そういるもんじゃない。
 だからこそ、未だに元に戻れない事を嘆いて、あまつさえ周りに辛く当たってる俺の事が、
なおさら情けなく見えてしまうのだ。
「……俺って…バカだよな」
 呟きながら窓の外へと目をやれば、まだカラスが電線に止まっているのが見える。
嫌な気分を掻き立てられる気がして、俺はカーテンを締めきった。



 何とかして、この状況から抜け出したかった。
 さっきの麻里紗の言葉に突き動かされたのかもしれないし、なによりこのままじゃ本当に、
心が押し潰されて、壊れそうな気がするのも影響してるのかも知れない。
 麻里紗が出て行ってから、その事ばかりを躍起になって考え続けていた。
――でも……どうやって?
 既に分かっているはずだった。
 その答えも、そしてそれを実行に移す事の難しさも。
 後戻り出来なくなることへの怖さや、本当なら一生知ることのない筈の痛みへの怖さ。
 そういった不安の数々が、まるで鎖のように絡みついて離れずにいる。
 その不安を打ち消す事が、俺にとっての最大の問題だった。
 ベッドの上に寝転がっていても埒があかず、部屋の中をまるでクマのようにグルグルと歩き回っていても、
その不安を打ち消す事は出来ない。
 考え付く限り色々な事を思いついてみたけれど、それらも結局答えには結びつかなかった。
 いつしか、心ばかりか頭の方までパンクしそうになっている俺がいた。
――ホント、どうすりゃいいんだ……?
 考えても考えても答えの出ないまま、俺は力なく机へと向かう。

 そんな俺の目に、ふと一枚の写真が飛び込んできた。
 ずっと前に、遠くに遊びに出かけた時のものだ。
 そこに写っている、俺以外の二人に思いを巡らせる。
どちらも俺にとって、麻里紗と同じくらい大切な存在だ。
――今、どうしてるんだろうな……。
 たった数日だけ会わなかっただけなのに、もう何年も経ってしまったかのような錯覚に襲われる。
 会おうと思えばいつだって会える。
 そんな間柄だと思ってたのに、今はそれすら叶わない。
 小さい頃から、ずっと一緒にいたというのに。
「姉ちゃん……透矢……」
 呼びかけたところで、応えてくれるわけが無い事は分かっている。
それでもこんな時、彼等だったらどうアドバイスしてくれただろう。
 そんな事を、何の気も無く考えてた時だった。
 少し前に彼等が言っていたある言葉が、ふと頭の中を過ぎる。
――そういや………そんなことも言ってたっけな……。
 それが確実に、不安に対しての有効打になるのか分からない。
そもそも、それは今の俺がやっていい事じゃないのだ。
 けれど今まで俺が考えてきたこと以上に、それが不安を打ち消せるものだと思えたのは確かだった。
 それに今の俺には、形振り構っている余裕など無かった。
 ただこの苦しい状況から抜け出したい、その思いでいっぱいだったのだ。

 無意識の内に、俺はふらりと部屋を後にしていた。



 薄暗い台所の隅。
 壁にもたれかかるようにして、俺は床にへたり込んでいた。
 目の前には一本のビンと、コップが一つ。そのコップの中身をちびちびと口に含む。
 さっきから妙に、身体がふわふわとした感覚に包まれてる気がする。
 心なしか、身体の内奥からぽかぽかと温まってくるような感覚と相俟って、
何となくそれが心地良く感じられた。
「んにゃぁ……麻里紗…まだかなぁ………」
 呟きにしては大きすぎる声が、口からこぼれ落ちる。
 耳に入ってきたその言葉が、何となく呂律が回らないように聞こえたのは――多分気のせいじゃない。
 今や普通に座っているのも億劫になって、テーブルに突っ伏してしまっている。
 眠たいわけじゃないのに、瞼が重たく感じられる。
「ねぇちゃんも……たまにはいいこと言ってくれるよなぁ………」
 再びコップに手を伸ばすと、残りを一気に飲み干す。
 特に理由も無いのに、空になったコップを爪弾きしつつ笑みを浮かべる。
 普段よりも、気持ちがいい事は確かだった。
 先程までの不安や悩みも、今やどこかへ吹き飛んでしまったように感じられる。
 再びビンの中身を口にしようと、手を伸ばした時だった。
「ただいまぁ〜」
 ドアがバタンと閉まる音と共に、麻里紗の声が玄関の方から聞こえてきた。
 彼女が俺のいる台所に顔を見せるまで、そう時間はかからなかった。
「おかえりぃ〜……麻里紗」
「みゆ…き……ちょっとどうしたの!?」
 俺の姿を見るなり、慌てた素振りを見せながら俺の元へと駆け寄ってくる。
「おかえりって………どうしたのその顔!?熱でもあ……?」
 そこまで言いかけて、ようやく麻里紗も状況を察したようだった。
「これって……お酒?ちょっと満幸!こんなものどこにあったの!?」
「台所の……棚の奥…。前に姉ちゃん………あそこに隠してたのを思い出してさぁ」
「だめだよ……なんでお酒なんかに手出しちゃったの!?」
 肩を掴んで揺さぶる麻里紗に対し、俺は意に介さず気の抜けたような声で
「抱いてくれない……俺のこと?」
「え………?」
 その言葉を受け、麻里紗の目が驚きに大きく見開かれた。



「……ちょっと、何言ってるのこんな時に?」
「最後まで……してほしいなぁって」
 まるで信じられないとでもいったような表情を浮かべながら、なおも麻里紗は俺を問い詰めていく。
「変だよ……何か今日の満幸変だよ!朝から怒りっぽかったし……
そうかと思ったら今度はお酒に手を出しちゃうし……今度は最後まで抱いて欲しいって……
ねぇ、何かあたし悪いことしちゃった!?」
 涙を目の端に溜めつつ、まるで取り乱したかのように喚き続ける。
「ねぇ!ねぇってば!」
「……ホントに変になっちゃう前に…お願い」
「えっ………?」
 その言葉に、一瞬麻里紗も言葉を失ってしまう。
「俺……もう耐えられない」
「どういう……こと?」
 さっきまでの気の抜けたような言葉から一転して、思いつめたような言葉が口から紡がれる。
「いつまでも元に戻れない事をうだうだひきずって、麻里紗にまで当たり散らして……。
それじゃダメだと思っても…諦めようと思っても諦めが付かなくって………
このままじゃ俺、ホントに壊れちまいそう……」
「満幸……」
「だから……麻里紗お願い!」
 しばらく黙り込んでいた麻里紗だったが、突然俺のことを抱き寄せるや、涙声で語りかける。
「満幸……無理しちゃダメ。あたし迷惑かけられたなんて思ってないし……
無理に女の子になろうとしたって……辛いだけだよ?」
 抱きしめる腕の力が俄かに強まった。
「だから急がなくたって…急がなくたっていいんだから………」
 言葉をなしていたのはそこまでだった。
 後はもう、言葉にならないすすり泣きだけが俺の耳に入ってくるだけだった。
 そんな麻里紗をそっと引き離しつつ、俺は再び口を開く。
「俺さぁ……無理してるように…見える?」 
 じっと麻里紗を見つめながら、俺は言葉を続ける。
「そういう顔、してる……?」
 その様子に逡巡していた麻里紗だったが、やがて折れたように、俺の肩へと手を置きながら呟く。
「ホントに……いいんだよね?」
「……うん」
「……どうなったって、責任取れないんだから」
「覚悟の上だよ」
「もう…満幸のばか」

 再び、俺の身体がそっと抱きとめられる。
 それに応えるように俺もまた、両腕を麻里紗の背中へと回した。



 ―[4]―

「……なんか、ちょっと恥ずかしいかも」
「誰かが見てるわけじゃないもん」
 お姫様抱っこされながら、ベッドへと運ばれていくのが妙に恥ずかしい。
 麻里紗の言うように、誰かに見られてるわけじゃないのに。
「麻里紗……顔赤いよ?」
「もう…酔いが回っちゃったみたい」
「さっきはあんな事言ってたくせに」
「それはそれ、これはこれ、だもん」
「なんだよそれ」
 他愛も無い会話を交わしながら、俺はふわりとベッドに横たえられる。
「脱がしてあげるね」
「……うん」
 麻里紗の細い指が、俺の胸元へと伸びていく。
 酔っ払っているせいか手つきが危なっかしいけれど、それでも少しずつ、
そして着実に俺の身体から衣服が脱ぎ取られていく。
 他人にこうやって服を脱がされていくのが、こんなに興奮するものだなんて思っても見なかった。
一枚一枚、身に着けているものが取られていくたびに、俺の奥の奥まで曝け出されるような感じがする。
 これから、女の子にされるというのもあるだろうけど。
 そんな事を考えてる内に、残ったショーツに麻里紗の手がかけられる。
スルリと足からショーツが抜き取られ、完全に一糸纏わぬ状態になった。
「もう……濡れちゃってるよ?」
「ちょっと興奮しちゃったみたい」
「……じゃ、始めるね」
 麻里紗の問いかけに、コクリと頷く。
 それを待っていたかのように、麻里紗の顔が股間へと埋められた。

「ひゃっ……」
 麻里紗の舌が、俺の秘所を丁寧に舐め上げていく。
 ピチャピチャという湿った水音が、火の付き始めていた俺の心をさらに昂ぶらせていく。
「ふぁ……ぅゃあぁ………みゃぁっ……」
 下半身から伝わってくる快感の波が、酔いが回りきった俺の頭へと瞬く間に侵食していく。
頭の中は既に真っ白く塗りつぶされ、他の事を考える余地などとうに無くしていた。
 時折頭だけを起こすと、クンニに没頭している麻里紗と目が合う。
 その度に、麻里紗はより大きな音を立てて秘所を嘗め回し、溢れ出て来る愛液を啜ってくる。
そしてその度により大きな声で喘ぐ俺の痴態を見ては、満足げに微笑むのだ。
 普段の俺なら意地悪と一言言ってやりたくなるものだが、今日に限ってはそんな麻里紗の行為さえ、
俺の快感を呼び起こすスパイスになっていた。
「……どう?気持ちいいでしょ?」
「ふにゃぁっ…んくっ………あぁぁんっ!」
「ちゃんと答えて?」
 その言葉と共に、麻里紗の舌の動きが激しさを増す。
 固くしこっているクリトリスをつつき回し、舌先で弾いていく。
「ふゃっ…いいっ!……気持ちいいってぇ!……ぬはっ!」
「ありがと」
 ニコリと笑みを浮かべながら、舌の動きはなおも止まらない。
 完全に麻里紗に主導権を握られているのを感じつつ、めくるめく快楽へと身を預けていった。




 麻里紗の責めが始まってからしばらく経つ。
 その間に、クンニ以外の動きも加わってきていた。
 やわやわと俺の両腿を撫で、揉み解していく小さな両手。
 時に触れるか触れないか程度な、かと思えばまるで快感を揉み込むような手の動きに、
俺の心が一層蕩かされていく。
「もっと……気持ち良くしたげるね」
「にゃ……?」
 訳も分からぬ内に、さらなる刺激が俺の心へと押し寄せていく。
「ひゃっ!?うぁあんっ!……ひゃぅんっ!」
 唾液と愛液とでぬるぬるになった秘裂を割り開きつつ、麻里紗の舌が徐々に内奥へと入り込んでいく。
まるでこの後のための下調べみたいな感じだ。
 中で小さな舌が所狭しと暴れ回り、生じる快感が俺の上体を跳ね回らせる。
「んぅぅっ……すご……ひぃゃ………あぁっ!」
 目の裏がちかちかしてくる。
 身体もびくんびくんと震え、絶頂が近い事を徐々に感じつつあった。
 それを知ってか知らずか、秘所への責めもより一層強まっていく。
 クリを唇に挟んでやわやわと嬲っていたかと思えば、まるで齧り付くような勢いで
秘所全体を舐め回したりと、手加減無しの責めに我を忘れて泣き叫ぶ。
「ふやぁっ!……イっちゃぁ……んぁっ!……んひゃぅぅ………」
「もう……イっちゃう?」
 麻里紗の声さえも、まるで遠く聞こえるような気がする。
 頭の中を埋め尽くしていた真っ白い何かが、次第に視界までも塗りつぶしていく。
「んゃぁっ!ひゃんっ!……んっくぁぁ―――っ!」
 秘所から熱い何かが迸るのを感じながら、俺は絶頂を迎えた。

 絶頂を迎えた俺を、麻里紗が興奮しきった様子で見下ろしてくる。
 顔も髪の毛も、まるで水でも被ったかのようにびしょびしょになっていた。
「ハデに……イっちゃったね」
「ふぁ……?」
「潮まで噴いちゃって……おかげでびしょびしょだよ?」
「……ゴメン」
 虚ろに麻里紗を見つめる俺の顔へと、麻里紗の指が触れる。
「そんなことより、そろそろ……入れちゃう?」
 少しだけ躊躇したものの、酔いが回った上にイった後でまともに頭の働かない俺の頭では、
その躊躇いもすぐに雲散霧消してしまう。
「……おねがい」
「じゃ、その前に……」
 そう言うや、ベッドから降りた麻里紗はスルスルと服を脱ぎ始めていく。
ものの数秒とかからない内に、麻里紗もまた生まれたままの姿になった。
 もう既に、固くなりきったモノが天を向いている。

 その様子に息を呑みつつ、俺は心の中で、期待と不安が渦巻いているのを強く感じていた。




「んぅっ……むふぅ………ぁっ…」
 口の中を埋め尽くすモノに、舌を絡げながら唾液をまぶしていく。
 咥え込みながらも、舌へと伝わってくるビクビクとした震えに、
いつもより麻里紗の興奮の度合いが高まっているのを感じていた。
「んはぁっ……これでいい?」
「うん……」
 一しきりしゃぶり終えると、すっかり唾液にまみれたモノを口から離す。
 おもむろに俺の秘所を指で割り開きながら、麻里紗が独り言のように呟き出す。
「こんなにほぐれちゃったね……」
「ちょ……」
「ここにあたしのが…入るんだよ?」
「んんぅっ……」
 にちゃにちゃと秘所を弄り続けながら、不意に麻里紗が切り出す。
「お互い初めてだけど……だいじょぶだよね?」
「あ、そういや…」
 一つ、大事な事を忘れていた。
 この身体になって最後までやるのは、麻里紗にとっても初めてだという事を。
「だいじょぶだよ……多分」
 本当に大丈夫かどうかは分からない。
 けれどこれ以上先延ばしにしてたら、また耐え切れないほどの不安に襲われそうな気がする。
だからこそ、互いに酔いが醒めないうちに全てを済ませたかった。
 そんな事を考えながら、ベッドの上で横になり、麻里紗の方に向かって足を広げる。
 曝け出された俺の秘所へと、固くなりきったモノが宛がわれる。
 瞬間、俄かに胸の鼓動が早まった気がして、胸へと手を伸ばす。
――やばっ……すごく緊張してる……。
 早鐘を打つような鼓動が、高まりつつある緊張の度合いを伝えてくる。
「……入れるね」
 その問いかけに、俺は無言で頷き返した。




 それを待っていたかのように、宛がわれていたモノがゆっくりと押し込まれていく。
「あっ……入っちゃった」
 すんなり行くとは思ってなかったのか、麻里紗の口から言葉がこぼれる。
 先っぽが滑り込んだのを認め、彼女が少しずつ、俺の中へとモノを埋めていく。
「んぅ……っ…!」
「やっぱり……きついね……」
 メリメリと、狭いすき間が少しずつ押し開かれていく。
 腹の奥から伝わって来る強い圧迫感に、口から微かな呻きの声が漏れる。
 やがて、前へと押し込まれていった麻里紗のモノが、何かに突き当たったかのようにその動きを止めた。
 まるで許しを乞うかのような視線を送る麻里紗に、俺はさっきと同じように無言のまま、
彼女の目を見つめる。
 それに応えるように、麻里紗が再び前へと腰を突き出し、そして――。
「あっ……ぐぅっ………!」
 何かが破れるような感覚と共に、激しい痛みが俺を襲う。
 さっきまでの酔いが一気に醒めるようなその痛みに、目の端からボロボロと、大粒の涙がこぼれ落ちる。
――麻里紗も……こんな感じだったのかな………?
 痛みで飛びそうになる意識の中、不意にそんな事を考える。
 あの時は――麻里紗の方が必死に堪えてくれてたけど、彼女が感じてたものが、
こんなに痛くて、そしてこんなに辛いものだなんて思いもしなかった。
「あぅぅ……んぐ………ふぅ………」
 絶え間なく襲い掛かる痛みに耐えようと、シーツを握り締め、荒い息を吐き続ける。
 今の俺に出来る事と言えば、その程度の事だけだった。
 

「はぁ……ふぅ………っ」
 ようやく、痛みにも慣れてきた気がする。
 上から覗き込んでくる麻里紗が、心配そうな表情を浮かべている。
「……だいじょうぶ?」
「………何とか」
 微笑み返そうとしたけれど、果たしてちゃんと笑えているだろうか。
 普段でさえ、思っている事が表に出やすいのだ。
 ましてこういう時など、なお表情をコントロールできるか分からない。
「……最後まで…して」
「……うん」
 再び、モノが奥へと突き込まれて行く。
「ぐぅっ……」
 やっぱり、中でモノが動くと痛みもぶり返してくるようだ。
 それでも、さっきよりかそれが苦しく思えなくなった気はする。
「んんぅ……ぬぅっ………」
「すごいぃ……こんなに奥まで入っちゃった……」
 恍惚とした表情を浮かべながら、俺の中の感触を確かめるかのように抽送を繰り返す麻里紗。
 ゆっくりと、しかし確実に奥までモノが押し込まれる衝撃に、思わず呻き声が漏れる。
「なんか……きゅうきゅう締めつけてくる感じ……」
「そぅ……?」
 今はこれくらい短い返事を返すだけで精一杯だった。
 奥へ奥へとズンズン突き込まれ、そして引き抜かれる度に、痛みとはまた違った苦しさを覚える。
 しばらくの間、痛みと苦しみとが俺の思考を支配していた。

 でも、その事を後悔はしていない。
 俺自身が望んだ結果だし、今まで感じていた不安や恐れも、少しずつ薄らいでいるような気がしたから。
 それに比べたら、この程度の痛みや苦しみなんて十分耐えられるものだった。




 最初はゆっくりだった動きも次第に速さを増し、ぬぷぬぷという音が少しずつ、耳に入ってくるようになった。
「ひゃぁ……すごいよみゆぅ………」
 時折口走る言葉の端々から、麻里紗の感じる快感の度合いの高さが伝わってくる。
気を抜いたらイってしまいそうな、そんな表情も窺える。
 俺の方はまだ気持ちいいとまで行かないけれど、麻里紗が気持ちいいならそれでいい、
そんな風に思っていた。
 麻里紗と繋がっているという、その事実だけで満足だった。
 その内に、麻里紗の腰の動きがさらに早まってきた。
「んぅっ……まり…さぁっ……!?」
「なんか……止まんない…かも………!」
 両脚を抱え込んでいた腕の力が俄かに強まり、抱え込むというよりしがみつくといった状態になってきた。
表情も、かなり切羽詰ってきているように見える。
「んぅ……ゃっ…出ちゃう………!」
「ふぇ……?」
 その言葉の意味を理解した時にはもう遅かった。
「ひゃんっ!……んぅぅっ!」
 モノがビクンと大きく跳ねたかと思うと、次の瞬間にはもう熱い何かが流れ込んでくるのを感じ取っていた。
 しばらくモノがビクビクと跳ね続けている間にも、ドロリとした精液が俺の中を満たしていく。
「……出ちゃった…ね」
「ああ……」
 呆然としたまま、互いに見つめ合う。
 まるで夢見心地な表情の麻里紗が、目の前にあった。

 俺の中に精を放ち、力の抜けた麻里紗が繋がったまま、俺の上へと被さってくる。
「出来ちゃったら……ゴメンね?」
「バカ……」
 軽く麻里紗の頭を小突くと、そのままその手で彼女の髪を撫でてやる。
「てか……この身体で子ども出来るか、まだ分かんないと思うけどな?」
 空いている手で、俺の腹へと手を伸ばしてみる。
 中に出された精液の熱さが、触れた手のひらにまで伝わってくるような気がしていた。
それが本当に、精液の熱さかどうかは分からないけれど。
――けど……やっぱり出来ちゃうのかな?
 ボンヤリとしたまま、もし俺に子どもが出来てしまったらという事に思いを巡らせる。
 あんな事を言ったものの、出来ないという確証も出来るのと同じくらい無いのだ。
――そしたら……俺が……母親に?
 もしそうなったとしたら、俺が生まれてきた子どもを育てられるかどうか。
正直、自信は全くと言っていいほどない。
 何にしても、今そんな事を考えてても仕方ないだろう。
 話題を切り替えようと、今度は俺の方から話を切り出す。
「麻里紗……気持ちよかった?」
「うん。最初は結構きつかったけど……中はとってもあったかかったし……」
 目を閉じながら、麻里紗が俺の胸へと顔を埋めてくる。
「満幸はどう?」
「俺は……まだそこまでいってないや。別に最初っから気持ち良くなるなんて思ってなっ……」
 その言葉は、最後まで紡ぎ出される事は無かった。
気が付けば、また麻里紗の唇が俺の口を塞いでいる。
 ジッと見つめる目が、俺に対して強く訴えかけていた。

――今度は、一緒に気持ちよくなろ…?
 その眼差しに、俺は舌を絡げ合わせることで応えた。




 ―[5]―

「んぅぅ……むふっ………」
「ふゃぁ………あぅん………」
 口付けを交わし合いながら、麻里紗が再び腰を動かし始める。
 さっき出した精液のおかげか、モノの滑りが格段に良くなった気がする。
痛みも慣れきってしまったのか、既に苦にならなくなっていた。
「ふにゃっ?……ちょ………麻里紗っ!」
 いきなり、麻里紗の手が俺の胸をふわりと掴む。
 散々麻里紗に弄られてきたせいか、やわやわと揉まれるだけでも頭がぼぅっとなってくる。
どうやら本当に、気持ち良くさせるつもりのようだ。
 痛みや苦しみばかりが占めていた頭の中に、少しずつ気持ちよさが広がってくる。
身体の方も再び熱を帯び、視界もぼやけ始めてきた。
 それに釣られるかのように、痛みの元だった秘所にも異変が起き始める。
「んひゃぅっ!?」
 もう何十回目かになる突き上げに、俺の口から甘ったるい声が飛び出す。
 さっきまで、痛みしか感じられなかった秘所から、甘い刺激が伝わってくるのが感じられる。
――えっ……ちょっと…待って……?
 俺にとって、それは本当に予想外の事だった。
 初めてで気持ち良くなるだなんて、ありえないと思っていたのだから。
――なんで……初めてなのに………なんで?
 ああいうのは殆ど、空想の類だろうと思ってた。
 麻里紗の時だって、三度目くらいでやっと気持ち良くなったくらいなのに。
 それに俺が最初に身体を重ねた相手―あまり思い出したくないけれど―から、
初めての時気持ちよかったと言われた時だってそうだった。
 あの時も正直無理してるんだろうなって、冷めた目で見てたくらいなのだ。
 だから今こうして、激しく貫かれて感じているという事が未だに信じられずにいた。
「んゃぁっ……あぅんっ………ひゃぅっ……」
 奥へと突き上げられる衝撃も、内壁をカリで擦り上げられる刺激も、
その全てがみんな、快感へと変換されてしまっている。
 そしてそれらが麻里紗の動きと合わせて、少しずつ強まっている。
――こんなの……こんなの変だよ………。
 さっきまで思いもしなかった事態に、完全に俺の脳はパニックに陥っていた。
 麻里紗は麻里紗で、二度目というのもあってか慣れた素振りを見せている。
俺の方だって、少なくとも身体の方はこの状況に馴染んでしまっているのは確かだ。
 だからこそ、なおさら置いてけぼりになった俺の心が恐慌を来たすのも無理はなかった。




「やぁっ……やだぁ………!」
 気が付けば、無意識の内にかぶりを振り、自らが感じている快感から逃れようとしていた。
 その動きを、麻里紗が見逃すわけが無かった。
「みゆ……どうしたの?」
「変だよぉ……初めて…なのに……おかしぃよぉ……」
「おかしくないよ、どこも……」
 諭すように穏やかな声が、泣きじゃくる俺へとかけられる。
「おかしいってば!なんで初めてなのに……こんな…気持ち良くなって………」
 なおも治まらない俺の耳元に、麻里紗の顔が寄せられる。
「あたし言ったよ……一緒に気持ち良くなろって………」
 囁くような声に、思わずコクリと頷いてしまう。
「だからこれでいいの。気持ち良くなんなきゃ……意味がないんだから」
「これで……いい?」
「そうだよ……何も考えないで、あたしに任せてればいいから……」
 その言葉だけ残し、再び麻里紗の顔が耳元から離れていく。
――何も……考えないで…いい……?
 その言葉の通り、麻里紗のされるがままに任せる。
「ふゃぁぁ………んにゃぁっ……」
「どう……気持ちいい…でしょ?」
「うぅんっ……気持ち…いいよぉっ!」
 次第に、今まで受け容れられなかった快感が、心地よく感じられてくるようになってきた。
 それと同時に、心の中で渦巻いてた不安や恐怖が静かに消えていく。
 後に残されたのは、甘ったるい快感だけ。
 その快感をさらに焼き付けるかのように、麻里紗のモノが一層激しく突き上げてくる。
「んあぁんっ!?……いいよ麻里紗ぁ………!」
 身体の奥から一気に駆け上がってくる快感に、思わず歓喜の声が上がる。
 既に何も考えられなくなっていた。
 でもそれで良かったのかも知れない。
 わざわざ、無理して考えないでいなくてもいいのだから。




 身体が燃えるように熱い。
 麻里紗にされるがままにされてから、ずっと熱に浮かされたような状態が続いていた。
 体中からは汗が噴き出し、視界は完全にぼやけてしまっていた。
 それでも、時折ついばむように俺の唇を求めてくる麻里紗の表情だけはハッキリと分かる。
このの身体に変わった最初の晩の、あの表情と同じだ。
 でもあの時と違って、怖いとかそういった感情は湧いてこなかった。
 だって今の俺も、同じ表情してると思うから。
「すごぉい……動かすたびに…どんどん締め付けてくるぅ……」
「だってぇ…麻里紗がたくさん……動かしてくるから……んひゃぁっ!?」
 奥の方を突かれる度に、ただでさえ真っ白な頭の中がさらに白く塗りつぶされていく。
 涙やよだれが垂れるのも構わず、麻里紗の動きに合わせて喘ぎ、叫び続ける。
「んあぁっ!にゃぅっ!ひゃぁあん!…みゃぁぁっ!」
 吸われ、揉まれ、突かれ、打ち付けられ……。
 次第に絶頂が近づいてくるのを、ひしひしと感じていた。
 手からは完全に力が抜け、足も無意識の内にバタついている。
「ゃぁぁ……もぅ………だめぇぇ……」
「イっちゃいそう……?」
 麻里紗の問いかけに、俺は髪の毛を振り乱しながら答える。
「イっちゃうのぉ……まりさぁ………イかせてぇっ!」
「じゃ……いっしょにイこうね?」
「おねが……ぁぃ!………ふぁぁっ!」
 これまで以上に乱れながら、激しくなる一方の麻里紗の動きを身体中で受け止める。
 その一方で無意識の内に、バタつかせていた足が麻里紗の腰に絡げられる。
「ちょっとぉっ……また中に…出ちゃうよ……?」
「いいのぉ……だしてぇ………!」
 もう自分でも何を言ってるのかさえわからなかった。
 頭の中に広がってた真っ白な何かが、次第に視界までも覆い尽くしていく。
「でちゃ……んっ……あぅぅっ―――!」
「ひゃぅっ………んくぅぅっ―――!」
 絶頂を迎え、身体中が快感に打ち震えている。
 中で暴れまわってたモノも、ビクンビクンと大きく震えながら白濁を中に吐き出している。
二回目というのに、相変わらずドロリとした感触が膣を満たしていく。
 その感触に一際大きく跳ねたかと思うと同時に、例えようも無い脱力感が全身に広がっていく。

 乗りかかってきた麻里紗の重みを感じながら、しばしの間全身を満たす快感と脱力感に身を任せていた。




「……またたくさん…出ちゃったね」
「今度は満幸のせいなんだから。外で出させてくれなかったし」
「ごめん……」
 落ち着いた後も、しばらくの間繋がったままベッドの上に転がっていた。
 今はとにかく、麻里紗と繋がっていたかったから。 
 落ち着いてくると、まだ痛みが少し残っているのが感じられたけど、別段苦になるほどでも無い。
「なんか……今朝よりも落ち着いた感じだね」
「……そう?」
「最近あんまり笑った顔見たことなかったし、今まで思い悩んでたりしてたから」
「まぁ、何となく気分が晴れたってのはあるかも」
 少なくとも、今までのような不安や恐れは無くなったような気はする。
 胸の奥に燻っていた何かも、今となっては綺麗に消え去ったような気分だ。
「でもすごかったよねぇ……あの乱れっぷり」
「ちょ……それ言わないでってば……」
「ああいう満幸もかわいかったけどね」
「………もう」
 さっきのことを思い出した途端、恥ずかしさがドッと込み上げてくる。
それこそ、この場に穴があったら入りたいくらいに。
「……でもさ、まだ信じられないや」
「なにが?」
「初めてだってのに……気持ち良くなっちゃってさ」
 実際に体感した事とは言え、正直まだ信じられないのも確かだった。
「あんまり深く考えないほうがいいと思うけど」
「でも……」
「それに痛いのより、気持ちいい方がいいんじゃない?」
 そう言いながら、俺の頬をそっと撫でていく。
「あたしはそう思うんだけどなぁ」
「……そうかな」
 そこまで言われて、これ以上言い返す気にはなれなかった。
「じゃ、そろそろ抜くね」
 麻里紗が入れていたままのモノを抜き、俺の横へと転がる。
抜かれた途端、秘裂からごぷっと音を立てて精液が流れ出てくるのが分かった。
「シーツ…明日洗濯しなきゃな……」
「そうだね……」

 そんな事を呟き合いながら、お互いにピタリと身を寄せ合った。




―――

「……で、結局初めてをママにあげちゃったと」
「まぁ……一応」
「一応じゃないでしょ、あたしがちゃ〜んともらったんだから」
 自慢げに胸を張る麻里紗を横目に、俺はげんなりした様子で溜息をつく。
 恵瑠がやってきたのは、あれから一晩経っての事だった。
 テーブルを挟んで座っていた恵瑠は麦茶を飲み干すと、再び話を切り出した。
「ホントに後悔してないんだよね、パパ?」
「うん。いつまでも前のままって思うなっての」
「そ……ならいいけど」
 言い終わるや、急ににんまりとした顔で俺の事を見つめてくる。
「……何だよまた」
「その服似合ってるな〜って」
「そう……かな?」
「パパだってそう思ってるくせに。顔がにやけちゃってるよ?」
 恵瑠の言う通りかもしれない。
 この前麻里紗と一緒に買ってきた水色のワンピースを着ているけど、結構自分でも似合ってると思うのだから。
「満幸、これ選ぶのに一時間もかけてたんだよね」
「だってさぁ、着てみると結構かわいいのばっかりだったから、つい……」
 気恥ずかしくなって、つい顔を伏せてしまう。
「なんかこういうの、昔の俺じゃ考えられないや」
「俺じゃないでしょ?」
「あ、そうだった……」
 あの後心に決めていたことがあった。
 今後、自分の事を俺じゃなくてあたしって呼ぼうって。
 でもまだ、いまいち馴染めてない気がするし、こんな風に時々戻っちゃう事も多いけど。
「はい、もう一度」
「こういうのさ……昔のあ…あたし……じゃ考えられないや……」
「パパ、また顔真っ赤にしてるぅ」
「もうっ、うるさいっ!」
 図星を突かれ、恵瑠に対して大声をあげてしまう。
 もっとも、当の恵瑠はどこ吹く風といった様子だが。
 そんな俺……いやあたしを見ながら、麻里紗はニコニコと微笑んでいる。


 やっと、自分が変わった事を受け入れられるようになったのかも知れない。
 これからこんな風に毎日を過ごしていくのだろうと、あたしは感じていた。


                                     A.D.20XX 8.2
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