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5-745

 彼は部屋に入ったその場で乱雑に靴を脱ぎ捨て、明かりをつけた。
 ちいさなため息をついて部屋のいちばん奥にある窓へ向かった。
 窓の外を覗く。
 点々と見える建物の光。そして自分の顔。
 またひとつため息をつくと、しゃっと勢いよくカーテンを閉めた。

「あーあ・・・今日も疲れたなぁ・・・」

 机に神弓を置き、ベッドにどすんと仰向けに倒れ込む。スプリングが軋んで少し体が浮く。
 突然感じた背中の痛みに顔を歪ませて、彼はベッドに寝なおした。・・・・・・翼が変に折れ曲がっていたようだ。
 真上で部屋を照らす照明が眩しい。眼を閉じてもなお眩しい。
 恨めしいくらいの眩しさに彼は腕で眼を覆った。

「!」

 殺気のような気配を感じた。
 唐突にカーテンが揺れた、彼はとっさにベッドから飛び退いた。
 案の定彼の居た場所に、刃の残像が見えた。

「よぉ、俺。」
「・・・・・・」

 数瞬遅れてカーテンがうるさくばたばたとはためく。
 彼によく似た黒い人がベッドの上に立っていた。大きな鎌を持って。
 よく似てはいるが、違う。彼はあんな邪悪な笑顔はもっていない。
 似て非なる、まったく違う人物だ。

「随分シケた面してんなぁ」

 静寂が戻る頃に、ベッドの上に黒い羽根がはらはらと舞い降りた。
 ・・・・・・またおまえか。
 よりにもよって疲れきっているときに厄介な来客があったものだ。
 彼はありったけの殺気を込めてぎろりと来客を睨んだ。

「そんな怖い顔すんなよ、俺はお前の一部だぜ?」
「・・・・・・何しにきた」
「なあに、かわいいかわいいピットくんにちょっとお話があるだけさ」

 黒い彼はふわりとベッドから降りた。
 二人は表と裏。決して同じ空間に居てはならない存在。

「おまえの話なんて聞きたくないね」
「そういうなよ俺」
「僕は僕でおまえは僕じゃない!」

 “本物の”ピットは声を張り上げた。
 もうひとりのピットは臆せず言う。

「俺はおまえでおまえは俺だよ」

 いや、ともうひとりは続けた。

「いや、俺はおまえで・・・俺は俺かな」

 くつくつと喉の奥で嗤う。
 言い返したいがどうせひねくれた答えが返ってくる、ピットはぎりりと歯噛みした。



 ――――白と黒。コインの表裏。

 白の方が“本物”だ。“本体”と言うべきか。
 彼は幼い頃、ずっと孤独だった。
 内気で消極的でいつもいじめられていた。もちろん友達などいない。
 勉強も運動もできない落ちこぼれ。運動能力にいたっては、特にほかの子と比べてうまく翔べない天使だった。
 ――――やい、ピット。お前の羽は何のためにあるんだ?―――― そういって羽根をむしられたこともあった。
 そんな彼にとって、女神パルテナは唯一の生きるしるべであった。
 彼女は女性でありながら強い力を持ち、天界を統べている。憧れの存在だった。
 そしてある日、パルテナ親衛隊の隊長に抜擢される。
 その日を境に彼は変わり、今に至る。

 一方の黒の方。
 こちらは“偽物”というよりは“幻影”に近い。
 落ちこぼれの白に対して、黒はすべて完璧な、別のピット。
 彼はなんでももっている。知能、戦闘センス、運動能力。
 白が完璧に生まれていればこうなったであろう者が、黒いピットである。ほとんどが白とは対称の存在。
 しかしパルテナを慕い、パルテナを護るという点では共通している。



 ――――黒はじりじりと白に詰め寄った。

「なぁ、最近どうしたんだ?」
「・・・・・・」
「俺の見たところ、勝率50%。おまえ、この数字がどれだけ低いかわかるか?
 2分の1だよ。おまえは運で勝ってるようなもんだ」

 白はうつむいた。
 確かにこの頃、思うように戦果があがらない。まわりが強いのもある。

「俺は恥ずかしいよ。何度変わってやりたいと思ったことか」

 じりじり。
 黒が一歩近付くと、白が一歩下がる。数歩の距離を保ちながら。
 やがて白は壁に背中をぶつけた。

「あぁ、おまえなんか消えちまえばいいのに。俺がおまえになれたらいいのに」
「・・・・・・うるさい!」

 白はとっさに机の上の神弓を引っ掴むと、目にも留まらぬ速さで矢を番え、放った。

「い゙・・・ッ」

 しかし苦痛に顔をしかめたのは白であった。
 黒は大きな盾に肘をかけてそこにいた。

「はいはい。ちゃんと人の話は聞けな」

 白い左の翼は、自らが放った矢で壁に射止められていた。
 翼にも痛覚はある。それは生の体を貫くのとそう変わらない激痛だった。
 矢を引き抜こうとするが、黒の威圧がそれを許さない。
 黒の口の端が不気味に吊りあがった。

「あー痛そう。抜いてやろうか?くくく」
「・・・・・・」

 さらさら抜く気なんてないくせに。白は、黒を睨みつけた。




「涙で潤んだ眼じゃ説得力ないぜ?」

 痛くて痛くて、涙が一粒落ちた。情けない。
 痛みが背中を伝って両の腕を麻痺させる。握力がゆるんで弓が床に落ちた。

「ほら、泣くな」

 涙をすくうように、鎌の先が目元を撫でる。白が息を呑む音に、その口元はさらに弧を深くした。
 黒は床に落ちた弓を拾い上げると、ふたつに折る。

「で、話の続きだが
 おまえ、今のままでパルテナ様の親衛隊長が務まると思ってないだろうな?」

 今度は右の翼にも、ざくりと神弓が刺さる。

「うっ・・・」
「まさかな。まさかそんな甘ったれたこと思ってないよな」

 黒の赤い瞳に静かに怒りの炎が揺らめく。
 口調は変わらない。今までどおり声を荒げることもなく淡々としている。
 しかし眼はぎらぎらと白を睨みつける。なのに口元は残酷に嗤ったまま。




 鎌を肩にかけて腕を組んだ。

「どうなんだ?」
「お・・・、思って、な・・・「嘘つけ!!」

 ダンッ!
 黒の左手にあった神弓のかたわれが白の頬を掠めた。黒ははじめて怒りを露わにした。
 びく、と白の肩が跳ね、冷汗が頬を伝う。

「平気で嘘つくなおまえ? 天使のくせに・・・
一回パルテナ様を、天界を救っただけでいい気になるなよ」

 ぎらぎらと燃える瞳。かたや怯えた瞳。
 黒は額を白の額にあわせ、ぐりぐりと押す。

「・・・・・・いたい・・・いたいよ・・・」

 か細い声。だらしなく垂れ下がった腕。自分の幻影に押され、情けないにも程がある。
 もはや彼に抵抗のすべはない。ただ、黒の棘のような言葉を浴び続けるしかなかった。
 黒は痛みを訴える声を無視して続ける。

「なんでおまえはおまえなんだ? どうして俺はおまえじゃない?
 こんな弱っちいガキがどうしてパルテナ様の親衛隊長なんだ?
 この大会で大した戦績もおさめられないこんな甘ったれが!」

 ドス、と膝で腹に蹴りを入れる。

「うぐ・・・」
「あぁ畜生、畜生
 おまえなんか消えちまえばいいのに! 俺はこの大会で100%勝てる一回も負けない自信がある!
 もちろんパルテナ様を護りきれる自信もあるのに!」

 右の翼に突き立てられていた神弓を引き抜いて、もう一度突き刺す。
 何度も何度も。くりかえし。これが“本当の傷”なら、もう飛べないだろう。
 痛みをこらえて白は声を振り絞った。



「僕は確かに・・・君と違って、弱いよ・・・。でも、・・・でも、一生弱いままじゃ、ないと思う・・・」
「・・・・・・まだ成長するって言いたいのか?」
「きっと・・・報われる・・・でしょ・・・?」
「・・・・・・」
「だって・・・それじゃ、君がずるすぎるよ・・・なんでももってて・・・」

 ぽろぽろと涙がこぼれる。痛みと不安が入りまじった涙。止めようとしても次々あふれてくる。

「神さまは、・・・そんなに意地悪じゃないよ・・・。パルテナ様も・・・やさしい・・・
 僕だって・・・、僕みたいな人だって・・・、努力すれば、強く、なれるでしょ・・・? 黒・・・?」


「・・・・・・勝手にしろ」


 黒はぼそりと呟いてどこかへ消えた。彼がいた場所にひとひらの羽根を残して。
 翼を壁に打ち止めていたものが消え、ピットは支えをなくしてその場に膝をついた。
 翼の傷跡は消えたものの痺れる感覚はしつこく残る。ぼんやりと霞む目。
 
「ごめんね、黒・・・」

 ひらひら舞う黒い羽根をつかみ取る。
 ばた。そこで彼の意識は途絶えた。
2008年03月17日(月) 16:35:59 Modified by smer




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