誰もが「オモシロいドラマ」を第1回から観たい。後で「見逃したのを後悔したくない」。だが、新作ドラマの情報を調べても、絶賛ばかり。本当のことは、分からない。ならば、どうする?その答えを出すのが、このWikiです。

「あらすじ(ストーリー)」は複雑を目指すが、設定。
「シナリオ」の理想はシンプル。

シナリオにおいて「設定/説明」を最小限にするのが理想だから。

● 落語では、いつでも「お後がよろしいようで」の一言で終了できる。(オチ/サゲは必ずしも必要ない)

● 歌舞伎でも、通し狂言であっても、一幕見物が可能。感興は減じない。

ような、ドラマ満載が継続する全編を目指す。

つか、日本の芸能は、

● 途中から見始めても、途中で見終えても、がっかりさせない作劇法

で、やってきた。

※ 「ローマの休日」も、いつ王女が王宮に戻ることを決意しても、ストーリーは台なしにならない。



たとえ話をすれば、
昔、大将棋(駒29種)、中将棋(駒21種)があったが、時の変遷とともに、駒の種類が最小な、今の将棋(駒8種)になった。

シナリオも同じで、映画では「七人の侍」が許されたが、テレビでは「三匹の侍」になった。童謡では「友達、百人できるかな」は許されるが、現実には「友達が百人いたら、それは知人の数」。友達はゼロである。

ダメなドラマでは、展開に詰まると、新エピソードや、新キャラクターを登場させる。
それって、将棋でいえば、駒の種類を増やしたり、盤面を広くするような感じ。アリエナイ。



「ローマの休日」。
山田洋次監督は、傑作の理由を「初恋とローマ観光を、うまくからめたストーリー」と評した。
さすが、意志薄弱が主人公の寅さんシリーズや、悲惨なだけの家族シリーズの監督。何も分かっていない。
ご近所付き合いの横尾忠則が「君は、黒澤明のような巨匠ではない」と言っただけのことはある。

正解は、
●主人公二人のジレンマ(葛藤)が明確。
・王女 = 初恋を貫く or 王女としての責任を果たす。
・新聞記者 = 特ダネをあげる。 or 特ダネを捨てる(王女を思いやる)

このジレンマ(葛藤)が堅固で、不純物がない。
サブキャラクターは、取材カメラマンのみ。その必然性は高い。

ストーリーは、ローマ観光をする恋人たちの日常が如く、進行するが、
主人公の男女が抱えているものは、別であって、そのことを観客は「明確に意識」して鑑賞する。
はらはらするが、それはサスペンスやミステリーではない。



脚本家ダルトン・トランボは、レッド・パージでハリウッドを逃れた時に、このシナリオを書いた。
そのことが、「あらすじ主導で企画をすすめる」プロデューサーとディスコミニケーションが発生。
結果、シナリオとしての充実度が上がった。とさえいえる。



脚本家の市川森一は「何も起きないドラマを書きたい」と言っていたが、その実は、こういうことだと思う。

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