誰もが「オモシロいドラマ」を第1回から観たい。後で「見逃したのを後悔したくない」。だが、新作ドラマの情報を調べても、絶賛ばかり。本当のことは、分からない。ならば、どうする?その答えを出すのが、このWikiです。

※ この間は、シーン単位で、スタッツで「定量評価」を考えたが、今回は、シナリオで評価を行い、シナリオに直接書き込むことを想定する。



モダンな時代では、シナリオの評価は、評価者の主観だった。
だが、1990年代以降は、ポストモダン。客観の時代である。
時代の変化で、主観評価から客観評価に変わったからとしても、「定性」評価では意味がない。
何故なら、

・「定性評価」なら、評価は孤立しているので、データが蓄積しても、価値向上は等差級数的。
・「定量評価」なら、相対批評が可能。データが蓄積すると、等比級数でデータ価値が上昇する。



シナリオのスタッツ(統計)のパラメーターは以下。

☆ ポジティブチェックポイントは、

 ●価値ある情報。ネタ。
 ●感情表現。
 ●見どころ。(ドラマや、テーマに直結する登場人物の言動)

☆ ネガティブチェックポイントは、

 ●設定
 ●説明

さらに、
 ●削除可能
な箇所を、シナリオに書き込む。


使用するフォント属性は以下。

 ●肌色座布団: 情報。
 ●桃色座布団: 感情/意志/情熱。
 ●下線: 下線。
 ●水色座布団: 設定/説明
 ●灰色座布団: 削除可能。



【解説】
昨今のドラマが全滅なのは、「あらすじ」に頼って、企画が進められるから。
そのため、ドラマを生む「主人公の主体性」や、登場人物たちの感情は軽視され、「出来事」偏重の作品が出来上がる。
「ストーリーがよくても、シナリオが良くない」作品は少なくない。ストーリー・ライティングとシナリオ執筆は異なる。

溝口健二は、新藤兼人が書いたものを「これはストーリーです。シナリオではありません」と突っ返した。そんな新藤が日本のシナリオ界を牽引したのだから、日本のシナリオ界はダメ。新藤は岩波新書で「シナリオは三部形式」と腹帯で主張するが、歌舞伎で一幕見物が成立するなら、それはマチガイ。「三幕見ないと成立しない」シナリオは、ダメなシナリオ。ワンシーン観ただけでオモシロい。それがシナリオ。

「映画はドラマだ。アクシデントではない」は小津安二郎の最期の言葉。
ドラマとは「登場人物たちの心のケミストリー」であり、「対決・対立・摩擦・葛藤・恋情」。
たとえ「対決」であっても、双方の心が描かれなければ、空虚になる。



私は、朝ドラを批判してきたが、この手法でシナリオを吟味すれば、シナリオは「無くてもいい」灰色座布団や、「設定/説明」を表す水色座布団ばかり。登場人物の「感情/意志/情熱」を示す桃色は皆無だろう。



・分類は主観に過ぎないが、同じ個性が、複数の作品で、同じ作業をすれば、相対評価が生まれる。
・評価者が増え、評価結果が増えれば、データベースが形成する。
・それがビッグデータになれば、より確度の高い評価が実現する。

「確度の高い評価」は制作者から嫌われるが、作品を一般的な商品と考えるなら、存在して当然。
これにより、不良品率が9割を超える異常な業界はイノベーション。ドラマ市場は拡大する。

(以上)

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