誰もが「オモシロいドラマ」を第1回から観たい。後で「見逃したのを後悔したくない」。だが、新作ドラマの情報を調べても、絶賛ばかり。本当のことは、分からない。ならば、どうする?その答えを出すのが、このWikiです。

専門家だからこそ、ドラマを見ない。

・・・美しいものだけを見ていたい。それに、つきる。



昨今のテレビドラマの安易な作劇



・ドラマを作らず、設定で代用する。

〜日本の物語の伝統は「運命を描く」こと。「平家物語」は、平家と源氏の戦いのドラマではなく、栄華を誇った平家の運命である。
ペーソス(悲しみ)を芸術(人間や人生の本質を描くこと)として重視した昭和ならともかく、韓流ドラマが席巻している日本のドラマ界では、ペーソスを主体にした作品は見たくない。そのようにして、娯楽と芸術の二極化が進んでいる。
カンヌで受賞しても、単調な映画は、一般大衆を満足させない。浜口監督や是枝監督が国際映画祭で評価されても、日本のエンターテインメント映画は復活しない。というか、本人は勘違いし、業界は混迷するだけ。


・ドラマを作らず、謎解きでツナぐ。

〜ドラマは、ストーリーに内在している。したがって、素人目には、「隠し味」としてしか認識されない。一方、謎解きは、ストーリーの表面として存在するので、素人目にも分かりやすい。結果、ドラマコンテンツの十分条件なはずのドラマが軽視される。サスペンス/ミステリーな作品が多産される。秋元放送作家の「真犯人フラグ」以降、その傾向は顕著。エピソードだけでなく、登場人物の設定も謎解きに含まれるなど、アリエナイ。


・ドラマを、主人公の「壁檻枷なエピソード」と誤解している。

〜ドラマとは、主要登場人物の間に発生する「心のケミストリー」。「主人公の心」単独ではドラマとして薄い。


・ドラマを生むのは、主人公の哲学/行動指針。だが、主人公が、「環境/出来事に順応する」作品が多い。

〜「ローマの休日」が素晴らしいのは、冒頭で「アン王女の行動指針」が表現され、新聞記者の行動指針が明確なところ。

山田洋次が解釈するような「初恋と観光地を上手に絡めた」ことではない。
つか、「説明セリフ&説明シーン」ばかりの「男はつらいよ」を思えば、山田監督が映画を理解していないことは明確である。

〜「ダイハード」が面白くなるのは、非番の刑事が単なる被害者ではなく、刑事タマシイを発揮し始めるところから。



ドラマとは、「対決・対立・摩擦・葛藤・恋情」である。

それらは、主要登場人物たちの「心のケミストリー」。



情報・感情・見せ場・挑戦。(韓国映画アカデミー)

外的適合性、内的整合性。驚異的なキャラクター。(フランス演劇理論)


理論はすでに明確なのに・・・。

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