誰もが「オモシロいドラマ」を第1回から観たい。後で「見逃したのを後悔したくない」。だが、新作ドラマの情報を調べても、絶賛ばかり。本当のことは、分からない。ならば、どうする?その答えを出すのが、このWikiです。

日本テレビ「セクシー田中さん」の原作漫画家が、自死した。

経緯は、小学館・日本テレビと「改編しない」との約束でテレビドラマ化したが、脚本家の書いた決定稿が改編されているので、原作漫画家が、ホン直し。最終2回は、最初から原作漫画家がシナリオを執筆した。

にも拘わらず、脚本家は、恥ずかしげもなく、主演女優との2ショット写真をSNSにアップ。
ノータッチの最終2作も、協力したと書いた。
原作漫画家はたまらず、「脚本家の振舞い」をウェブにアップしたが、事情を知らないウェブ民の非難が殺到。それを苦にして、原作漫画家は自死した。

・・・

巷間、「原作漫画が改編された」のが原因とされるが、問題はそうではない。
「原作が改編された」としても、それか「原作以上にオモシロイ」なら、漫画家は自殺しない。

私は、原作を読んでいないし、改変された脚本も読んでいないから、憶測に過ぎないが、脚本家は「世にも奇妙な物語」でデビューした人。制作プロダクションのプロデューサーも「世にも奇妙な物語」が好評だったので、出世した人。「世にも奇妙な物語」は、奇妙な物語。ドラマではない。つまり、主人公に確かな主体性があって、他の登場人物たちとの「心のケミストリー」はない。

漫画週刊誌では、読者アンケートなど、市場の原理が働く。
だが、テレビドラマは、電波法に守られた地上波テレビ局の権限は強い。視聴率もあるが、広告代理店を動かせばなんとかなる。
というか、漫画雑誌では、オモシロイ作品もあるが、テレビドラマでは、オモシロイと思える作品は皆無。
そのことは、「漫画のドラマ化」はよくあるが、「ドラマの漫画化」はないことが証明している。



まず、行うべきことは、「オモシロさの定義」を行うこと。
集英社は「友情・努力・勝利」をスローガンとして掲げたが、同じようなことが、テレビドラマにはない。勿論、スローガンであって評価基準ではないから、例外たる作品もあるだろう。

昔、フジテレビが「おもしろくなくっちゃ、テレビではない」とのCI(コーポレイト・アイデンティティー)を掲げていた。
ならば、「おもしろさ」の条件を演繹することができる。それは以下。

1.主人公の主体性/哲学/行動原理。
2.max.ドラマ(対決・対立・摩擦・葛藤・恋情)。
3.mini.設定/説明。
4.全体と部分の有機的結合。---捨てキャラ、捨てエピソードの排除。
5.(過去の傑作からの)伝承。---mimesis.

さらにいうと、

韓国映画アカデミーの教授によれば、

 ・ネタ・感情・見せ場・挑戦。

17世紀フランス古典演劇理論でいえば、

 ・驚異的キャラクター

を勘案すべき。

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