最終更新: sponta0325_wiki 2024年04月07日(日) 19:44:31履歴
【結論】
あらすじ/プロットに沿ってシナリオを書くと、予定調和になる。
あるべきは、主人公/主要人物のベクトル(哲学・行動原理)を決定した後、ドラマ(対決・対立・摩擦・葛藤・恋情)を最大にするべく、シナリオを作成する。
【結論を導いた発言】
・松山善三 :
木下恵介から、構成に捉われないシナリオ作法を学んだ。(wikipedia)
・つかこうへい :
台本の半分以上を、俳優たちと稽古場で作り上げた。演劇は「対決」であり、「対決を最大限にする」のが稽古場での仕事。(エッセイ)
・首藤剛志 :
素晴らしい作品を沢山観ていれば、主人公たちが勝手に動き出す。(口伝)
→ あらすじで主人公たちを縛らない。
・伴一彦 :
シチュエーションで書いていくので、あらかじめ10話のプロットを書かされるのは辛い。(シナリオ作家協会のセクシー田中さん問題に関する動画)
・・・
※ 反面教師(自由なシナリオ作成を妨害する作法)
・黒澤明 :
履歴書を書く。(「生きる」の説教臭、「七人の侍」は群像劇。「用心棒」もシナリオの完成度は高いが叙事的、出来事が連なっているだけ。)
・倉本聰 :
ストーリーと時代の出来事の対照表を作るのが、丁寧な仕事。
※ 倉本聰に限らず、昭和なシナリオライターは、ペーソス(悲しさ)がドラマ/芸術と勘違いしている。
・勝新太郎 :
「警視−K」を観ると、「シナリオがないとどうなるのか」が理解できる。→ 単独なシーンはみずみずしいが、シーンとシーンを繋ぐ要素がない。
【改善提案】
シナリオは、あらすじ/プロット主導で企画がすすめられるのではなく、
「人物ベクトル表」と「粗・あらすじ」をもとにすすめられるべき。
※ 人物ベクトル表とは、主要登場人物の超目標・哲学・行動原理の関係性をまとめたもの。
※ 粗・あらすじとは、あらすじのさらに粗いもの。
【具体策】
・主人公のベクトルを定義して、周辺人物とのベクトル関係を明確にする。
※ ベクトルは、主体性をもとにした、方向性。立場、職制では弱い。傀儡はダメ。
・作品ベクトルを定義する。
※ ホームドラマには、作品ベクトルはない。目標の達成。結婚するまでなど、進行感を生む要素が必要。
あらすじ/プロットに沿ってシナリオを書くと、予定調和になる。
あるべきは、主人公/主要人物のベクトル(哲学・行動原理)を決定した後、ドラマ(対決・対立・摩擦・葛藤・恋情)を最大にするべく、シナリオを作成する。
【結論を導いた発言】
・松山善三 :
木下恵介から、構成に捉われないシナリオ作法を学んだ。(wikipedia)
・つかこうへい :
台本の半分以上を、俳優たちと稽古場で作り上げた。演劇は「対決」であり、「対決を最大限にする」のが稽古場での仕事。(エッセイ)
・首藤剛志 :
素晴らしい作品を沢山観ていれば、主人公たちが勝手に動き出す。(口伝)
→ あらすじで主人公たちを縛らない。
・伴一彦 :
シチュエーションで書いていくので、あらかじめ10話のプロットを書かされるのは辛い。(シナリオ作家協会のセクシー田中さん問題に関する動画)
・・・
※ 反面教師(自由なシナリオ作成を妨害する作法)
・黒澤明 :
履歴書を書く。(「生きる」の説教臭、「七人の侍」は群像劇。「用心棒」もシナリオの完成度は高いが叙事的、出来事が連なっているだけ。)
・倉本聰 :
ストーリーと時代の出来事の対照表を作るのが、丁寧な仕事。
※ 倉本聰に限らず、昭和なシナリオライターは、ペーソス(悲しさ)がドラマ/芸術と勘違いしている。
・勝新太郎 :
「警視−K」を観ると、「シナリオがないとどうなるのか」が理解できる。→ 単独なシーンはみずみずしいが、シーンとシーンを繋ぐ要素がない。
【改善提案】
シナリオは、あらすじ/プロット主導で企画がすすめられるのではなく、
「人物ベクトル表」と「粗・あらすじ」をもとにすすめられるべき。
※ 人物ベクトル表とは、主要登場人物の超目標・哲学・行動原理の関係性をまとめたもの。
※ 粗・あらすじとは、あらすじのさらに粗いもの。
【具体策】
・主人公のベクトルを定義して、周辺人物とのベクトル関係を明確にする。
※ ベクトルは、主体性をもとにした、方向性。立場、職制では弱い。傀儡はダメ。
・作品ベクトルを定義する。
※ ホームドラマには、作品ベクトルはない。目標の達成。結婚するまでなど、進行感を生む要素が必要。
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