誰もが「オモシロいドラマ」を第1回から観たい。後で「見逃したのを後悔したくない」。だが、新作ドラマの情報を調べても、絶賛ばかり。本当のことは、分からない。ならば、どうする?その答えを出すのが、このWikiです。

日本のドラマコンテンツは、ハリウッド映画/韓流ドラマに劣っている。
その原因は、「日本人の民族性、日本の文化、日本のギョーカイ」が諸外国(米国・韓国)と異なっているから。
詳説すると以下。


【日本人の特徴由来】


〜数学者・岡潔の分析によれば、日本人の特徴は以下。

●(対抗心ではなく)向上心。

・・・アンタゴニストは弱い。登場人物の間の「ベクトル」は交わらない。
・・・仇敵(人間関係)ではなく、「壁・檻・枷」の克服が、主人公の課題になるケースが多い。→ ベクトル関係にならない。

● 感情ではなく、真情(自分の心、相手の心、自然の心)

・・・忖度/思いやる。根回しする。対立/摩擦に耐える個がいない。

● 知識(知識量を誇るアカデミズム)ではなく、真如(庶民にも分かるように、簡潔にまとめて伝える) → 悪人正機説。妙好人。

・・・「知っていること」に優越感を得るキャラクターは嫌味。知恵が尊ばれる。


【日本文化由来】


もののあわれ(運命/宿命/無常)を描く日本文芸の伝統により、「人間ではなく、出来事」を描く。

・・・日本人が四季・季節を愛でるのは、「無常」を愛でるから。

●日本民族の文化的同質性の高さにより、「観客は分かっている」と、誤解。

・・・微妙な心理を描く。

●「葛藤だけで、行動しない個」を主人公にした)日本の小説の系譜を踏襲。

・・・私小説

●白樺派。

・・・自然主義

※ シナリオライターや、演出家には、「小説/小説家」への劣等感が強い。結果、大衆娯楽作品よりも、文芸作品を高級なものと勘違いする。ふたつは、別物。

※ メディア特性を勘案しないメディア変換も珍しくない。


【日本の伝統演劇由来】


●能は、到来劇。つまり、亡くなった人の霊魂を呼び寄せるところから、演劇が始まる。この構造は、ギリシャ演劇に同じ。

昭和ドラマの常套手段であるナレーションや心の声は、説明的手法であり、舞台演劇では禁じ手だった。だが、語り部と登場う人物の両方を登場させる落語・講談・浄瑠璃などの手法から、ナレーションや心の声という話法を取り入れた。

※ 西洋演劇では、異化効果で知られるブレヒトの「三文オペラ」(1928年)が。観客に向けて問いかける人物を登場させた。

日本人は「感情を表に現さない」。したがって、語り部や心の声で補完しなければ、物語は成立しない。「思っていることを、そのまま口にするキャラクター」を、観客はヒーローと感じない。






【日本の業界由来】


〜シナリオ作家協会が掲げる間違った理論。

●シナリオは、三部形式「ずっと見続けなければ、オモンナイ」

・・・映画館に缶詰めなら、オモシロくないシーンも許される。だが、視聴者がリモコンを持つ令和時代では、ダメ。視聴停止になる。

あらすじ主導のシナリオ作成。

・・・歌舞伎で、一幕見物が成立するなら、ドラマも、前回を見なくても、その回だけで、満足できるようにすべき。

取材/シナリオハンティングからの企画開始。「現実を越えない」「すっ飛んだ企画が生まれない」。

・・・旧来の企画の立て方/進め方では、ダメ。(日本の現実社会は、ドラマ的な対立がないので)

テーマ至上主義。(説教臭い)

・・・ドラマで何かを訴える時代は、終わった。
・・・ペーソス(人生の厳しさや、人間の悲しさ)を描くのは、昭和である。

〜さらに、制作部・演出部の勘違い。

●「自分のヤリタイこと」をやるのが監督の仕事。

・・・是枝監督は「演出家の自由こそが重要」と考えているが、映画が目指すべきは「観客の満足」である。その意味で「千と千尋の神隠し」より「となりのトトロ」のほうが秀作である。

●出資者は「金は出しても、口は出さない」という良識。

・・・出資者は「観客の代表」。口を出す権利がある。


【陰謀論】


プロバガンダ。ドラマを、「洗脳/世相誘導」「情報戦の舞台/工作」として使用する外部勢力の工作。

・・・名画「カサブランカ」「サウンドオブミュージック」は、連合国側のプロバガンダ映画である。「サウンドオブミュージック」がロケ地のオーストリアで公開されていないのは、その証拠といえる。




鴨下信一(TBS演出家)は「最近のドラマには、アンタゴニスト(対立)が足りない」と発言していたが、向田ドラマも同弊。最近に限ったことではない。
音楽では、音階が異なるので「西洋音楽と日本音楽の違い」は明確だが、「西洋ドラマと日本ドラマの違い」は分かりずらい。

★ 令和時代、日本人の感覚は西洋化。韓流ドラマにも親しんでいるので、日本人は「日本のドラマ」をオモシロイと感じない。




【日本人が作るドラマの特徴】


〜対決回避・忖度が特徴の日本人は、どんなドラマを作るか。

●(ドラマはなく)ベクトルに終始した作品。

感情の発露はあっても、それが登場人物間で、敵対しない。共感ばかり。
壁・檻・枷も、相手は、人間ではなく、試験や制度だったりする。

1968年のTBSドラマ「おやじ太鼓」「三人家族」は、木下恵介の総指揮により松竹大船の伝統的スタイルを継承している。
太鼓おやじ(進藤英太郎)は感情を爆発させるが、一家の主として尊敬されており、対立・対決は起きない。
太鼓おやじに「お嬢さんをください」と来宅する男性(竹脇無我)も、正面対決しない。───ドラマはない。ベクトルだけ。
一方、三人家族の男性主人公(竹脇無我)の「壁」は、商社の海外駐在員採用試験。女性主人公(栗原小巻)は、彼を思いやり、恋情を表に出せない。───男女それぞれの葛藤が、唯一のドラマ成分である。''

※ 本来なら、ドラマの定義に、ベクトルも含めるべきだが、一人でも成立するベクトルをドラマに含めることは出来ない。



・・・登場人物には、二つの属性がある。それは、

・ポジション属性。
・ベクトル属性。

どちらも、絶対的ではありえず、相対的。

たとえば、絶対的優位なポジションな「東大卒」ブランドも、ハーバード大学卒には負ける。

ベクトルの角度の差が180度なのが、ドラマである。
角度が同じなら、恋愛となる。

ベクトルの量が大きいなら、対決。小さいなら、摩擦である。

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