最終更新: sponta0325_wiki 2024年02月29日(木) 12:24:30履歴
昭和 :
映画館に缶詰や、お茶の間で集団視聴。
↓
令和 :
観客がリモコンを持ち、個人観賞。
∴
「起承転結」の4部構成で完結する構成論は成立しない。
令和の新・構成論は、以下。
−−−−−
●トリガー・インシデント。
●プロパティーの提示。
●ドラマ的転回。
上記は、一見、3部構成のように思えるが、上記の3要素が、1stシーン/シークエンスで満たされるのが理想である。
2ndシーン/シークエンス以降は、
●ドラマ的転回。
●内的プロパティーの追加。
のみで、ストーリーが展開するのが望ましい。
−−−−−
以下に、用語解説する。
●トリガー・インシデント
〜キャッチーな出来事(インシデント・アクシデント)が起こって、それがトリガー(引き金/キッカケ)になって、ストーリーが始まる。
●プロパティー
〜プロパティーとは、属性であり、それを提示するのが「設定」である。
属性は、以下の3種類。
・人物の属性 :
・・・登場人物の主体性の有無/立場・職制・続柄/哲学・行動原理。
・環境の属性 :
・・・(有形・物理的な)舞台設定
・情報の属性。
・・・(無形・思想的・慣習的な)倫理観/社会常識/職業規範
・運命の属性。(外因・内因)
・・・運命・宿命、偶然、必然。
●ドラマ
〜対決・対立・摩擦・葛藤/恋情。
●内的設定追加。
〜すでに提示されたプロパティから必然的に発生する「設定の追加」。
※ 逆にいえば、外的設定追加(新キャラクターの登場、交通事故・突然の発症などの新エピソード)はタブー。
【補足説明】
従来の「起承転結」論でいうと、新・構成論は、「転転転転」。
つまり、
「旧・起」は、作品冒頭「何もないところから、何かが始まる」のだから、「転」。
「旧・承」は、前のパートを継承するだではオモンナイ。ドラマチックに続けるなら「転」。
「旧・転」は、新しくなっても同じく「転」
「旧・結」は、伏線が回収されたとしても、謎が判明したとしても、納得はするが、感動しない。
だから、「結末を付ける」のは、身だしなみであって、それだけでは物足りない。したがって、「転」が必要。
たとえば、落語「饅頭怖い」で、最後のセリフ「ここで、熱いお茶が怖い」のセリフがあろうとなかろうと、
落語は成立する。
というか席亭では次の演者の準備ができたら、「お後がよろしいようで」の一言で、演目は中断して終了する。
それでも、文句がでないのが落語であり、それが可能な充実した構成がある。
そもそも、謎が解かれても感動はないので、東尋坊の崖が必要なのだ。
(以上)
映画館に缶詰や、お茶の間で集団視聴。
↓
令和 :
観客がリモコンを持ち、個人観賞。
∴
「起承転結」の4部構成で完結する構成論は成立しない。
令和の新・構成論は、以下。
−−−−−
●トリガー・インシデント。
●プロパティーの提示。
●ドラマ的転回。
上記は、一見、3部構成のように思えるが、上記の3要素が、1stシーン/シークエンスで満たされるのが理想である。
2ndシーン/シークエンス以降は、
●ドラマ的転回。
●内的プロパティーの追加。
のみで、ストーリーが展開するのが望ましい。
−−−−−
以下に、用語解説する。
●トリガー・インシデント
〜キャッチーな出来事(インシデント・アクシデント)が起こって、それがトリガー(引き金/キッカケ)になって、ストーリーが始まる。
●プロパティー
〜プロパティーとは、属性であり、それを提示するのが「設定」である。
属性は、以下の3種類。
・人物の属性 :
・・・登場人物の主体性の有無/立場・職制・続柄/哲学・行動原理。
・環境の属性 :
・・・(有形・物理的な)舞台設定
・情報の属性。
・・・(無形・思想的・慣習的な)倫理観/社会常識/職業規範
・運命の属性。(外因・内因)
・・・運命・宿命、偶然、必然。
●ドラマ
〜対決・対立・摩擦・葛藤/恋情。
●内的設定追加。
〜すでに提示されたプロパティから必然的に発生する「設定の追加」。
※ 逆にいえば、外的設定追加(新キャラクターの登場、交通事故・突然の発症などの新エピソード)はタブー。
【補足説明】
従来の「起承転結」論でいうと、新・構成論は、「転転転転」。
つまり、
「旧・起」は、作品冒頭「何もないところから、何かが始まる」のだから、「転」。
「旧・承」は、前のパートを継承するだではオモンナイ。ドラマチックに続けるなら「転」。
「旧・転」は、新しくなっても同じく「転」
「旧・結」は、伏線が回収されたとしても、謎が判明したとしても、納得はするが、感動しない。
だから、「結末を付ける」のは、身だしなみであって、それだけでは物足りない。したがって、「転」が必要。
たとえば、落語「饅頭怖い」で、最後のセリフ「ここで、熱いお茶が怖い」のセリフがあろうとなかろうと、
落語は成立する。
というか席亭では次の演者の準備ができたら、「お後がよろしいようで」の一言で、演目は中断して終了する。
それでも、文句がでないのが落語であり、それが可能な充実した構成がある。
そもそも、謎が解かれても感動はないので、東尋坊の崖が必要なのだ。
(以上)
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