誰もが「オモシロいドラマ」を第1回から観たい。後で「見逃したのを後悔したくない」。だが、新作ドラマの情報を調べても、絶賛ばかり。本当のことは、分からない。ならば、どうする?その答えを出すのが、このWikiです。



【反論】

ドラマは「好き、嫌い」でしかない。と考えるなら、「ドラマ秘伝書」はアリエナイ。

批評は「主観」。「客観的な批評」なんてアリエナイ。

「現代文の科学的研究」(松本成二・著)では、「思索批評」を最上とするが、それは1980年代までの近代主観主義の考え。



【回答/弁明】

1990年以降のポストモダンは表象論。作品以外のものを鑑賞に含まないことで、批評を科学にすることを目論む。これは、フロイトが、潜在意識を扱うことで、心理学から「主観を排除」したのと同じ振る舞い。表象論では「鑑賞者の人生論を含んだ批評」を嫌悪する。

●「ドラマ秘伝書」は表象論のひとつ。「批評を科学にする」ための手法として形式批評。評価基準を明確にした吟味を行う。

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● 形式批評。ーーたとえば、オリンピック。

審判が「選手の好き嫌い」で、金メダルを決めるなんて、アリエナイ。審判は「中立な立場で、公正な判定」をする。

それでも、フィギュアスケートの審査に不正があり、浅田真央選手は涙を飲んだ。審査員の判断ミスで、柔道の篠原選手は金メダルを逃した。

今は、ビデオ映像の検証で「客観的で、妥当性のある吟味」が実現している。

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● 印象批評。ーー今も、「好き、嫌い」で優勝者が決まるのは「ミス○○を決めるコンテスト」や、「芸術芸能界系のオーディション」。

これらの存在は、「主観評価も仕方ない」と誤解させる。

しかし、その審査員も「誰からも批判されない審査」を目指している。
M-1は好例。「批判に耐えられない審査員」は辞任する。

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「グラマー系か、モデル系スレンダーか」。
それは「好き、嫌い」。だが、「グラマー系の中での優劣」は、客観的な吟味が可能である。

ドラマコンテンツも同じ。「刑事もの、恋愛もの」の優劣はつけ難いが、「刑事ものの中での優劣」「恋愛ものの中での、優劣」は、可能である。

● 批評対象の限定。

「ドラマ秘伝書」は、大衆娯楽作品に限定した理論。芸術作品、文芸作品、実話・歴史トレースものを含まない。


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