最終更新: sponta0325_wiki 2023年05月07日(日) 15:20:49履歴
【反論】
ドラマは「好き、嫌い」でしかない。と考えるなら、「ドラマ秘伝書」はアリエナイ。
批評は「主観」。「客観的な批評」なんてアリエナイ。
「現代文の科学的研究」(松本成二・著)では、「思索批評」を最上とするが、それは1980年代までの近代主観主義の考え。
【回答/弁明】
1990年以降のポストモダンは表象論。作品以外のものを鑑賞に含まないことで、批評を科学にすることを目論む。これは、フロイトが、潜在意識を扱うことで、心理学から「主観を排除」したのと同じ振る舞い。表象論では「鑑賞者の人生論を含んだ批評」を嫌悪する。
●「ドラマ秘伝書」は表象論のひとつ。「批評を科学にする」ための手法として形式批評。評価基準を明確にした吟味を行う。
ーーー
● 形式批評。ーーたとえば、オリンピック。
審判が「選手の好き嫌い」で、金メダルを決めるなんて、アリエナイ。審判は「中立な立場で、公正な判定」をする。
それでも、フィギュアスケートの審査に不正があり、浅田真央選手は涙を飲んだ。審査員の判断ミスで、柔道の篠原選手は金メダルを逃した。
今は、ビデオ映像の検証で「客観的で、妥当性のある吟味」が実現している。
ーーー
● 印象批評。ーー今も、「好き、嫌い」で優勝者が決まるのは「ミス○○を決めるコンテスト」や、「芸術芸能界系のオーディション」。
これらの存在は、「主観評価も仕方ない」と誤解させる。
しかし、その審査員も「誰からも批判されない審査」を目指している。
M-1は好例。「批判に耐えられない審査員」は辞任する。
ーー
「グラマー系か、モデル系スレンダーか」。
それは「好き、嫌い」。だが、「グラマー系の中での優劣」は、客観的な吟味が可能である。
ドラマコンテンツも同じ。「刑事もの、恋愛もの」の優劣はつけ難いが、「刑事ものの中での優劣」「恋愛ものの中での、優劣」は、可能である。
● 批評対象の限定。
「ドラマ秘伝書」は、大衆娯楽作品に限定した理論。芸術作品、文芸作品、実話・歴史トレースものを含まない。
次へ。
コメントをかく