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219 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/01/22(金) 18:16:12 ID:FGA1ZcpZ


「クリーム」



雲ひとつない濃紺の夜空。
見つめていると吸い込まれそうなくらい深くて、澄んでて、静かな海みたいで、
散りばめられた星々は波間にさざめいて光るように暗い空を飾り立てている。
眩く自己主張しているのもあれば、控えめに輝くものも。
降り注ぐ光は月光とは違って、何年も前から今日の今を目指してやってきたメッセージ───なんて、情緒溢れるものでもないけれど。
少なくともチカチカやる気なさげに明滅を繰り返す街灯よりもよっぽど夜道を歩く助けにはなってくれて。
いつもと同じ、ただ家まで歩いているだけの時間を、いつもとは違った気分にさせてくれて。
いつまでも見ていたい気もするけれど、でも残念なのはこの寒さ。
思わず吐いたため息は白くて、空へと上り様に消えていく。
こんなに寒くなければ飽きるまで眺めてられるんだけどなぁ。
でも、そんなことしてると笑われちゃうんだろうな。
それとも怒られちゃうのかな、『なにしてんだ』って。
どっちもやだけど、どっちかっていうと怒られる方がイヤ。
心配させてるだけよりも、笑われてる方がいい。
それなら一緒に笑ってるられるから。
その方がいいや、楽しいもん。

開けた道に出ると、ちょうど終バスからどっと人が降りてくるところに出くわした。
すれ違う人たちの顔はお世辞にも元気ハツラツって感じじゃなくて、むしろその逆。
誰も彼もが背中を丸めて俯いて、吹きすさぶ風をなんとか耐えている。
新聞なんか読まなくても、テレビで知ったか顔した偉そうな人があれこれ薀蓄垂れなくってもわかる。
みんな、疲れてる。
本当ならそういう時こそ来てもらって、お話でも聞いてあげてあげればいいんだろうけど、そんな余裕もないんだろうなぁ。
まばらに歩くおじさんたちは、きっとまっすぐに家路を急いでいる。
それを邪魔するのは気が引けるし、第一───
「っくち」
やっちゃんだって家路を急ぐ一人だし。

煽りをくらうっていうのは、まぁあるだろうなぁって思ってた。
こんなご時勢だからちょっとはしょうがない、って。
それでも足しげく通ってくれる常連さんも多いし、この街ではたった一軒の飲み屋さんだもの。
だから、そんなの気にしてる方がしょうがない。
なんとかなるよ。
そう思ってたんだけど、今日はさすがに参っちゃった。
このー木なんの木気になる木、閑古鳥ーはどこの鳥ー? とか、自分でもおバカなこと考えちゃうくらいヒマで。
店じまいを済ませて、お店を後にしたのはまだ日付も変わっていない時間だった。
足取りが重い。憂鬱。
笑っちゃうよね、愚痴やらなんやらを受け止めてあげるのがお仕事なのに、そのやっちゃんが愚痴りたい気分なんて。
笑っちゃうよ、ほんと。
口をついて出ていくのは笑い声なんかじゃなくて、宙に浮かんでは消えていくだけのため息だけなんだけど。
「はぁー…」
ほら、また。
そういえば、幸せっていうのはため息を吐いた分だけ逃げてくって誰かが言ってたっけ。
だったらため息を吐いてる間は、まだ幸せが残ってるのかな。
そう思うと、胸が少しだけ軽くなった。

                    ***

あれって思ったのは、ようやくアパートの前という所まできた時だった。
窓から明かりがもれ出ている。
まだ起きてたんだ、竜ちゃん。
「おぅ、おかえり」
階段を上っていると、足音からわかったみたい。
竜ちゃんがわざわざドアを開けて出迎えてくれた。
「ただいま。まだ起きてたの」
「ああ、ちょっとな。そうだ、茶飲むか? 今淹れるとこだったんだ」
まるで見計らったようなタイミング。
そんなわけないけど、なんだかずっと待っててくれたように感じて、うれしい。
それに冷え切った体には温かいお茶がとっても魅力的に映る。
「うん、ちょうだい。う〜んとあっついの」

そう言うと、竜ちゃんは着替えて待ってろって言って棚からヤカンを手にとり、水を入れる。
沸かすとこから始めるんじゃ、ちょっと時間がかかりそう。

落とすのが面倒なメイクは後回しに、言われた通り部屋着と寝巻きをごっちゃにしてるジャージに着替える。
あと寒いからドテラも一緒に。
うん、これでモモヒキなんかも履いてたらぱーふぇくとおばちゃんるっく・いん・やっちゃん。
お店のお客さんには見せられないなぁ。
「早えんだな、今日は」
竜ちゃんしかいないからべつにいいけど。
「ん〜、ちょっとねぇ」
テーブルに突っ伏すと、伸びをするついでに顔を隠した。
ウソをつくのはイヤ。
イヤだけど、本当のことを話してしまうのは、いらない心配をかける。
簡単に想像がつくから、だから曖昧な返事で濁して逃げた。
気が引けるけれど、ウソをつくよりは、こっちのがまだ。
「そういう竜ちゃんもどうしたの。珍しいよね、こんな時間まで起きてるのって」
「べつに。ただ、テストも近いしよ」
質問を質問で返すと竜ちゃんは凝った肩を回して解しながら教えてくれた。
勉強してたんだ、こんなに遅くになるまで。
「偉いんだね、竜ちゃんは」
「そうか? 普通だろ」
謙遜する竜ちゃんは、やっちゃんからすれば眩しくって誇らしい。
誰でもできることっていうのはいっぱいあるけど、でも必ずしも誰もがやってるわけじゃないよ。
そういうのに限って、あとになってからやっておけばよかったって後悔することばっかり。
「なんだよ、ニヤニヤして」
だから、誰に言われるでもなくきちんとそういうのをやっている竜ちゃんはキラキラ輝いて見える。
いつかの自分ができなかったことに対する憧れも否定しない。
それ以上にうれしいのは、あの時の自分が選んだのは間違っていないって、そう思わせてくれる竜ちゃん。
親ばかって言われてもいい。そんなの、ずぅっと前から知ってる。
「ううん、なんでも」
笑われたと思ってるのかな。
竜ちゃんは少しだけ面白くなさそうに、
「そうかよ」
そう言って立ち上がった。
ほとんど間を置かないで台所から甲高い音が響く。
お湯が沸いたみたい。
「あ、やっちゃん淹れてこよっか。勉強の途中だったんでしょ」
行ってしまわぬうちに、背中に向かってそう言った。
不機嫌にさせるつもりはなかったけど、そうさせちゃったのなら何とか機嫌を直してもらわなくっちゃ。
それにたまにはお母さんらしいことしないと。
「いいよ。泰子、帰ってきたばっかなんだから。あぁ、けど」
けど?
「俺より上手く淹れられるってんなら、淹れてもらってもいいか」
ニヤリ、なんてしたり顔の竜ちゃん。
やっちゃんはぐぅの音も出せない。
そんなのできないってわかってるくせに、そういうこと言うんだから。
いぢわる。
「むぅ〜…じゃ、ちゃんとおいしいの淹れてね、竜ちゃん」
「へいへい、ちょっと待ってろ」
そう言い残して歩いていった竜ちゃん。
じっと待っていると、ふんわり漂ってくる香ばしい香り。
それと、時折台所からする押し殺そうとして、でも抑えきれない含み笑い。
…いぢわる。


ほどなくして戻ってきた竜ちゃんは、手にお盆を乗せて持ってきた。
湯飲みが二つと急須と、あとお茶請けのおせんべい。
テーブルにお盆を置くと腰を下ろした竜ちゃんは急須を手に、茶葉の色をした中身を湯飲みに注ぐ。
「ほら、熱いぞ」
両方の湯飲みに注ぎ終えると、かたっぽをやっちゃんの前にそっと置いた。
立ち上る湯気が、なんだか心まで暖めて、落ち着かせるよう。
いい匂い。
「うん、ありがっ…っつ〜…」
誘われるまま手を伸ばした湯飲みは思いの外熱くって。
反射的に離してしまったせいで湯飲みはへにょへにょ踊って、そうなると最後に待っているのは倒れるしかなくって。
当然中身だって盛大にこぼれちゃって。
「言わんこっちゃねぇな、たく」
まるでこうなるだろうってわかってたみたい。
竜ちゃんがお盆の下から台拭きを取って素早くテーブルを拭く。
それを済ませると、
「泰子? どうしたんだよ、火傷でもしたのか」
左手の指先を押さえたまま動かないでいるやっちゃんを気にかける。
「ん…だいじょぶ、ちょっと沁みただけ」
「沁みたって…?」
いつからだったろう。
あの人にそっくりだったはずのあの目が、誰にも似てない光を灯すようになったのは。
竜ちゃんはいきなりやっちゃんの手を握る。
ううん、そんなに強い感じじゃなくって、優しく包み込むように。
振り解こうなんて、頭になかった。
「どうしたんだこれ」
包まれていた手が開かれる。
すると指に走っていった痺れるような痛み。
思わず顔に出てしまった。
けれど、やっちゃんよりも顔に出ていたのが、竜ちゃん。
痛々しそうに眉間に皺をよせて、これじゃどっちがどっちだかわかんなくなりそう。
「どうって、ただのあかぎれだよ」
「ただのってお前、こんな……」
お店に立ってる時はそうでもないけど、準備や片付けはけっこう水仕事が多いし、それに時期的にできやすいのもある。
別段珍しいことじゃないし、わりと毎年なったり治ったりの繰り返し。
ただ、今は、たまたまいくつもがいっぺんにできちゃって、それでいつもより酷くなってるだけ。
それだけ。
それだけなのに、大げさだよ、竜ちゃんは。

所々が裂け切れてしまったガサガサの手に手を添えたまま、竜ちゃんは黙っている。
なんだか、むずがゆい。
チリチリと焼かれるような刺激を感じるあかぎれた手も、もっと別の部分も。
「いつからだ」
口を真横に引き結んだ竜ちゃんは何かを耐えているよう。
自分の責任だって思ってるのかもしれない。
今の今まで気付かなかったことを責めてるのかもしれない。
そんなことないのに。そんなの、気にしなくっていいのに。
「わかんない。いつの間にかっていうか、うん…平気だよ、こんなの?」
安心させたくて、つとめて明るく言ったつもり。
「医者には行ったのか」
でも竜ちゃんはそんなのおかまいなし。
真剣な面差しが、痛いよ。
「大丈夫だってぇ、もぉ、竜ちゃんたら心配性なんだから」
ホント、こういうとこは誰に似たんだろ。
誰かが困ってると放っておけなくって。
お人よしで、面倒見がよくて。
自分でなんでも抱え込んじゃって、我慢して、そのくせ人の痛みには敏感で。
「待ってろ」
優しくって───だいすき。

立ち上がった竜ちゃんはタンスからタオルを数枚取り出すと流し台へ。
蛇口を捻ると流れ出てくる水をボウルに溜めて、いっぱいになったら今度はそのボウルにタオルを浸した。
すぐに張った水からタオルを上げると、絞って水気を取る。
そうして濡れタオルになったそれをタッパーに入れると、それをそのままレンジの中に入れちゃった。
低く唸る、大分くたくたになってきた電子レンジ。竜ちゃんが買い換えたいってぼやいてたのを思い出した。
一分ほど経つと加熱が終了したのを知らせるブザーが鳴る。
「ちょっと我慢しろよ」
なにをするのかと思っていると、竜ちゃんは即席の蒸しタオルを作って持ってきた。
一枚広げてみせて、熱すぎないことを確かめるとおもむろにやっちゃんの手をとって、ゆっくりと巻く。
両手に巻かれるとなんだかミイラになったみたい。
じんわり伝わる熱は肌にできた裂け目には刺激が強くて、でもあてがわれた竜ちゃんの手からも伝わってくるぬくもりが、
タオルを取り払いたい衝動をどこかにやる。

薄いタオルはすぐに熱を失って、そのたびにタッパーの中にある新しいタオルを巻かれた。
それも三回目の交換で代えがなくなる。
最後のタオルを巻くと、竜ちゃんはまた台所へ。
大河ちゃんが来るようになってから頻繁に使われるようになった救急箱は、それまでと比べると中身が充実していて、いろいろな薬が入ってる。
その中から手にして戻ってきたのはハンドクリーム。
ついこないだやっちゃんが買っておいて、けどあんまり使わないままどっかに行っちゃったやつ。
探してたんだけどな。気付かなかった、そんな所にあったなんて。
「竜ちゃんが持ってたんだ、それ」
「ああ、居間に転がってたんだ。誰かが片しもせずに使ったまんまだったんだろうな」
誰だろうねぇ。
大河ちゃんかな。それともインコちゃんだったりして。
目を泳がせるやっちゃんに、竜ちゃんは深いため息。

すっかり冷めたタオルを取り払われると乾燥した空気が過敏になった肌を突く。
痛いな。これと、寒すぎるくらい寒いのがなければ、この季節は好きなんだけど。
「んー」
プラプラ振っては具合を確かめてみる。
やっぱり湿らせた分乾いてるままの時よりも痛い。
「痛むのか」
「うーん、ちょっぴり…早くクリームぬっちゃおっと」
そう言うと竜ちゃんは、
「おぅ」
持っていたクリームのフタを開けて、中身を指ですくい取る。
「ほら」
自分でできないことはない。
どっちかっていうと人にやってもらう方が、予期しない時に意図しないところを触られそうで怖くて、
でも折角頼んでもないのにしてくれるって言うんだし。
誰に対してかわかんない言い訳を考えてる間にも、手は勝手に竜ちゃんの前に差し出していた。

重ねた手は記憶にある頃と比べると見間違うくらい大きくなっていた。
柔らかかった掌は今では硬くてごつごつしてて、子供特有の丸みを帯びていた指先も長くなってて、もうしっかりとした大人のそれ。
男の子から男の人へと成長しているのを強く感じる。
昔はこの手を引いて歩いてて、もうそんなのも随分とご無沙汰になった。
もう子供じゃないんだなぁって、無性にうれしいのに、でも悲しくって。
なんか、複雑。
「なんでこんなになるまで放っとくんだよ」
すくったクリームを注意しながら手の甲に広げて、馴染ませるよう丹念に塗り込む。
手首から円を描いて、ゆっくりと伸びて、指の一本一本に至るまで。
何度も往復する内にだんだん痺れも治まってきた。
そんな、軽いマッサージ気分を破ったのは責めるような語調の竜ちゃん。
お説教が始まるなぁ、この分じゃあ絶対。
「だからね、いつの間にかこうなっちゃってて、それで」
「それで放っといたのか」
「そういうんじゃなくって、なんていうか、わかんなかったっていうかぁ」
いろいろしなくちゃいけない事が多くって、つい後回しにしてる間に肌に一つ、また一つ。
亀裂のように裂けたそれを気にする余裕も、あんまりなかったし。
「わかんねぇくらい忙しかったのか」

返す言葉が思いつかない。
失敗したなぁ、もう。
そこに食いついてくるなんて、迂闊だった。
竜ちゃんも変なところであざといんだから。
忙しかったのはホント。でも、ウソ。
今日みたいに客足が芳しくない日は少なくなくて、ぜんぜんヒマな日も多い。
売り上げなんて目も当てられないくらい悲惨。
だから、お店だけじゃやってけないし───竜ちゃんの学費だって───だから言えない。
仕事のことはここに持ち込めない。持ち込みたくない。
心配なんてこれ以上かけられない。かけたくなんてない。

本当のことは絶対に言えなくて。
でもウソはもっとつきたくなくて。

時間だけがただ過ぎる。
静かな夜に聞こえてくるのは時計の針が進む音だけ。
外からとり残されたように、重苦しさがただ過ぎていく。
それでも竜ちゃんは離さない。
こんなガサガサになってる手を、ずっと撫でてくれる。
「なぁ」
不意に、竜ちゃんは口を開いた。
「洗剤はもっと肌にやさしいのに変えろ」
「…うん」
ぶっきらぼうでお節介な、だけど心からの心配の言葉。
洗剤、なんていうのがとっても竜ちゃんらしい。
「水仕事したあとは石鹸でよく手を洗え」
「うん」
「そうしたら、きちんと水気を拭ってからこうやって何か塗っとけ」
「うん」
「できるだけ肌に合うやつだぞ。少しくらい高くたっていい」
「うん」
「乾いてたり、痒く感じたらその都度」
「もう、わかってる」
あーしろこーしろって言う竜ちゃんは、まるでお父さんみたい。
子供に言い聞かせるように一々細かく注意して、過保護なお父さんそのまんま。
「本当か?」
「ほんと」
「本当に本当か?」
「ほんとにほんとにほんとにほんと」
子供っぽいやっちゃんから生まれてきたのが信じられないなぁ、ほんと。
「だったら、最後にこれだけは約束しろ」
竜ちゃんはそこで区切ると、やっちゃんの両手を、大きくなった両手でそっと包む。
「体、大事にしろよ」
静かな夜。
いつしか時計の針が進む音も聞こえなくなっていた、とても静かな夜。
とり残された頭でわかるのは、そっと包まれた手に感じる熱と痺れ。
痛みにも似たなにかが、胸の中で駆け巡る。
喉が詰まる。息苦しい。
「……それ、ムリかなぁ」
視界が歪む中、どうにかそれだけ口にすることができた。
「お前なぁ」
「だってね」
叱るような竜ちゃんを制して続けた。
「竜ちゃんが大事にしてくれてるもん」
この裂け目だらけの、お世辞にもキレイなんていえない手だってそう。
竜ちゃんが大事にしてくれてるよ。
やっちゃんよりも、やっちゃんを。
だからやっちゃんがやっちゃんを大事にしなくってもへっちゃら。
一番大事な竜ちゃんが大事にしてくれてる。
それだけでいい。これよりももっと、なんて思ったら罰が当たっちゃう。


それからずっと竜ちゃんは黙ってて、やっちゃんも大人しくしてた。
重ね合わせた手はそのままに。
一撫で一撫で、丁寧に肌を滑っていくクリームが馴染むまで、ずっと。

                    ***

「どうしたの、やっちゃん」
翌朝。
並んだ朝ごはんを前に心ここにあらずなやっちゃんを、大河ちゃんが不思議そうに眺めている。
竜ちゃんはまだ台所でお弁当の用意中。
インコちゃんははぐはぐむぐむぐ、すごい勢いでお食事中。
「うん? んー…ちょっとねぇ」
「ふーん。いいことでもあったんだ」
案外鋭いところをついてくる。
「わかる?」
「そりゃ、やっちゃんさっきっからほっぺゆるゆるだし」
そっか、それじゃあ一目瞭然だね。
これっぽっちも気付かなかった。
「なになに? 聞いてもいい?」
これといって気になるってわけでもなさそうだった大河ちゃんは、だけど途端に興味津々という風に身を乗り出す。
そんなに聞いて聞いてーって顔してたのかな、やっちゃん。
それとも大河ちゃんが気のないフリしてたのかも。
「う〜ん、どうしよっかなぁ。竜ちゃんには言わない?」
好奇心からあのぱっちりした吊り目がちな瞳を輝かせ、コクリと首を振る大河ちゃんをチラリ。
視線を外して、今度は自分の手をチラリ。
「…やっぱり、ないしょ」
立てた人差し指を口元にもってくる。
残念がる大河ちゃん。
一瞬教えてあげてもいいかなって思ったけど、でもやめとこ。
ちょっといぢわるだけど、昨日のことは秘密にして、独り占めしていたい。
「なんだよ、朝っぱらから騒がしいな」
大河ちゃんの質問攻撃を右に左に流していると、支度を済ませた竜ちゃんが、お鍋と炊飯器を手にやってくる。
「あ、ちょっと聞いてよ竜児、やっちゃんがね」
すかさず大河ちゃんは包み隠さずに今のやりとりを竜ちゃんに教える。
それを聞いて何のことだか察しがついた竜ちゃんはこっちを一瞥すると、
「そんなにいい事あったのか」
一度、二度と頷きを返して、こう答えた。
「うん、とっても」
昨日の今日でまだ荒れている手は、それでも痛みはビックリするほど感じない。
竜ちゃんのおかげ。
それにキレイだって、褒められたからかな。
ぼそりと、だけど確かに聞こえた呟き声がまだ耳に残っている。
「竜ちゃんも、気になる?」
「いや、べつに。ほら、そんなこと言ってないで飯にするぞ。時間もねぇんだから」
強引にその話を終わらせた竜ちゃん。
大河ちゃんは気にはなってるみたいだけど、おいしそうな湯気をくゆらせるご飯の誘惑には勝てないようで、
それ以上話を伸ばさないで黙ってテーブルに着く。
代わり映えのしない、日常の光景。
だけど一つだけ、いつもよりも違っているのは───
「しっかり食えよ、泰子」
「ありがと、竜ちゃん」
ちょっとだけ縮まったように感じる距離。

───あのクリーム、また塗ってっておねがいしてみようかな。


225 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/01/22(金) 18:22:09 ID:FGA1ZcpZ
おしまい

218 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/01/22(金) 18:15:18 ID:FGA1ZcpZ
やっちゃんSS投下

「クリーム」

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