中世・近世ヨーロッパ史(だいたい西暦1155〜1857)の歴史の研究および考証(意見・情報交換、議論など)をする研究会のwikiです。歴史の情報共有の場として、あるいは、単なる情報交換の場として。歴史好きの方、お待ちしております。認証されれば誰でも編集可能です。

資本主義とは株主による出資・投資があってそれを元に事業所(工場)を回して雇われである労働者(labour)に対して賃金を払い、その事業所で出た利益(利潤)を配当という形で出資元である株主が受け取るという一種のビジネス体系です。また20世紀以降は世界でそれが一般標準化されたので社会的思想ともいえます。資本主義とその原点的仕組みについてはアダム・スミスの国富論(Wealth of Nations)が詳しいので是非電子書籍などで原書を探して読んでみてください。日本語訳の紙の書籍を読むよりよっぽど楽ですし得るものが非常に多いかと思われます。さて、資本主義についてのさわりはこれくらいで、今回のテーマはむしろファウンダメンタル(foundamental)、つまり投資精神についてです。投資精神そのものについては投資家の本やビジネスの指南書にありふれていますので、今回はここでは特に歴史的な開発にあたってどのような経緯で物が出来ていくのか、あるいはその考え方の仕組みについて、簡単にまとめていきたいと思います。歴史のページでなんで開発、となるかもしれませんが歴史上の土地や都市の開発のちょうどベースのさわりの部分に代わって、だと思って読んでいただけると幸いです。
ファウンダメンタル(投資精神)を元の概念が壊れるくらいに思いっきりざっくり言ってしまうと、何に投資するのか、この一言に尽きます。まぁどのようにという手段も考えなくはないですがここは精神の話なのであくまでメンタリティの部分だけです。となると、どうなのか、というと何に投資するのか、またはどういう目的で投資するのか、この一点に尽きると思います。投資の目的は資本主義においては投資することそのものですから、個人の感情などの類のものは置いておくとして、より重要なのは何に投資するのか、という部分です。ゲーム的に観れば、投資のゲームは何に投資してどれだけの成果を得られたか、に尽きますからどれだけの成果が出るかは結果的な話としておいておいてまずは何に投資するのか、が非常に重要になってくるわけです。投資するところを決めるのは当然投資する本人ですから(ここでは事業所から個人的な物の投資まで幅広く含む)、どこに投資するのか、という判断のある時点でもうどこにどれだけ投資するのか、は決まってくることになります。だいたい投資ではこれだけ投資すればこれだけの効果が安定して得られるだろう、という目安はあるわけですから、そうなるわけです。となるとどこに投資するのか、という判断の時点で投資のゲームはもう決まっていることになるのですが、ファウンダメンタル(投資精神)というのはある意味そこの「どこに投資するのか」ゲームを端的に表しているのかもしれませんね。なぜ投資するのか、を超越してどこに投資するのか、を直感的に決めるわけですから、何かしらのゲームで規模は違えど打つ手を決めるのとそう変わりはないわけです。つまり、投資のゲームではどこに投資するのか、という判断というかゲームが非常に重要になってくるわけで、そうなると今度はどのくらい(継続的な意味も含めて)投資するのかという判断になります。まぁ、これも考え方にもよりますがだいたいよほど資本がない限りはどこかに投資するので精一杯になってしまうので、投資するところ、あるいは部分を決めたらあとは決め打ちで全力で取り組むことになります。この決め打ちにも実は法則性があって七割、八割の力で、全力を断続的に出した場合とほぼそれにちょっと劣るかぐらいの結果を出せる方法もあるのです。この仕組みを説明すると、ものすごくざっくり説明すると必要効果量(許容量)を満たすのに7,8割で継続的に力を出せば全力の断続的なそれとさして変わりはない、からなのです。つまり必要な力のトータルを満たすのに全力でやろうと7,8割の力でもそう変わりはない、ということなのです。だいたい、人間は継続的に全力を出し続けることは出来ませんから、普通それのことを指して全力というときは7,8割の力と全力のミックスだということです。まぁ、こんな理屈はどうでもいいことかもしれませんが、とにかく必要効果量を満たしさえすればどんなやり方でもいいわけです。となると、最後に関わってくるのはやり方の部分で、どういうやり方をするか、つまり物事はやり方次第でなんとでもなってしまう、ということなのです。七、八割の力をモデレート(継続的)で出し続ければ全力を出し続けた場合とさして変わらない、ということと必要効果量を満たせればやり方はなんでもいい、ということなどから考えるとやり方次第で物事はなんとでもなってしまう、ということが言えるのです。逆に、そのやり方の仕組みを究極まで合理化してしまえば、どこまでも最短距離、最大効率でなんでも仕上げてしまうことができるということになるわけなのですが、それがゲーム的なところでいうゲーム精神だともいえますし逆にそれを究極なところにまで拡大化させるとファウンダメンタル、つまり投資精神というところにもつながっていくわけなのです。つまり、ゲーム的な仕組みや精神のそれは、投資を同じひとつのゲームの一種だ、とみなすと投資精神のそれを同一である、という見方もできるわけなのです。このようにゲームで観るとなんでも物事簡単になってしまうのですが(簡単になってしまう、ということは解析やそれの応用が簡単になる、ということなのです)、投資精神はつまりどこに投資するのか、という単純で、しかし奥深いゲームだ、とも見ることができるということなのです。

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