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skywalker_laurence 2016年06月18日(土) 09:15:46履歴
さて、筋書きと状況が酷似していう理由、についてですが、この稿では如何に筋書きと実際の状況が酷似していくのか、という点について見ていきたい、と思います。筋書きとは、この場合はシナリオ、という言葉を意味していると思いますが、どこかの脚本家が、作家が一昔前に書いたような脚本、あるいは筋書きが、現在の実際の状況において、だんだんそれらが酷似してくる、という現象について、書いていきたい、と思います。まずシナリオ、筋書きがその都度現在の実際の状況に酷似してくる理由、についてですがこれは簡単で、そもそも実際の原因と筋書きの結果の順番が逆、なのです。そもそも筋書きの内容が原因というかその内容の中にその事象となる原因が言及あるいは明記されていて、実際にそれらに似た状況が現実に起こることはむしろ単なるその結果、でしかないのです。ということは、その筋書きを書いた作家や脚本家が一応実際の状況がそうなる因果を知っていることになりますが、それは実際の状況において大概にして明らかにされない部分でもあるし、当然それであればあてになりませんね。ということはその一昔前に筋書きを書いた作家の当時の思考内容や心境を推測して推理しなければいけないことになりますが、それとほぼ同じ効果のある行動がもうひとつ、あります。それはですね、何なのかというと、実際と現在と同じ状況をシミュレーションで構築してみることによって、ゲーム理論的、システム論的に状況を分析して、実際にこの構造ならこういう現象、事象がこう起こり得るぞ、というのを推測するやり方なのです。捜査や何かしらの推理が必要な状況では実際によく使われる方法、でもあるのですが人の感情的な部分、主観に惑わされて状況が見えにくくなるところを、ある程度全体が型にはまっているシステム論を駆使することによって、十分観ることが可能な部分を感情など余計なものを排して視えるようにする手法、これがシミュレーションによるシステム的分析、なのです。まぁ、これは多くの場合ゲーム理論、を主に使うことになりますが、ゲーム理論とはシステムをゲーム的に解釈した場合のモノの見方、のことを指しています。つまり、これがこうなら次はこうなる、というようなこの状況が次はこうなる、こういう状況を呼ぶ、というのをシステム化したものがゲーム理論で、それらは主にゲーム、あるいはゲーム的思考、といったもので鍛えられます。つまりこの場合はシミュレーション的想定がそれにあたるのですが、状況を仮に考えてみることによって、感情など主観的なもので視えにくくなっているものが、システム論的に整理して観ると視えるようになってくる、という場合もあるよ、ということなのですが、物事の原因と結果が逆転する現象もそのことによって解説可能で、単純にどの立場からどう見るのか、という見方の問題、だったりするのです。見方によって状況が変わってくる、のならそもそもどんな見方も、ひいてはどんな状況も想定可能になるわけなのですが、それを下支えするのがシミュレーション的想定あるいはゲーム理論というもので、システム論的下支えをすることでそれらの状況を比較的仮想で、容易に想定することが可能になるわけです。まぁ、簡単にいうとゲーム理論やシミュレーション的要素を使えば比較的簡単に状況を想定、あるいはそれに基づいて状況を整理することが可能、になるよということなのですが、状況が分析、読める、ということはさらにそれらの結果に基づいて新しい筋書き、パターンを構築して現在の状況を変えることも可能、になっていくわけです。それがシミュレーション的要素、あるいはゲーム理論の真骨頂というもので、現在の状況を客観的に分析することで次の状況を読み、それらを導き出す、ということがシステム論的には可能になのです。それができる、ということはシミュレーションだけで次の状況を作り出すことが可能だ、ということで今の状況を読むことが次の状況を作り出す、ということで更にはその客観的な分析の結果で、次の状況がどうなっていくのか、ということが推測可能だ、ということでもありますね。
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