はじめに  アダマス・セント・ジャーメインのメッセージ

 「アイ・アム・ザット・アイ・アム ( IAM THAT I AM我は我たるもの ) 」、天界のオーダー、クリムゾン・カウンシルからやって来た、主権の領域のアダマスです。

 あなたはなぜ、これを読んでいるのですか。あなたが読んでいるのは、何かを学ぶ必要があるからではありません。あなたはすでに、この本の中身をすべて知っています。おそらく、ただ一つ 例外を除いては。 あなたはここに書かれている言葉を何気なく読んでいるわけではありません。精神世界のことに軽い興味を抱いているだけなら、あなたがこの本を手に取ることはなかったでしょう。

 あなたがここにいるのは、「体験」への、魂レベルでスピリットが満たされる体験への準備ができているからです。生徒が探求をやめると、それが起こります。彼らは体験し始めるのです。神は体験が大好きです。そして、あなたもまた神なのです(You are God also.)。

 私たちが共に過ごす時間の中で、この本に没頭しているときに何を体験するかは、すべてあなた次第です。速く読むのも、ゆっくり読むのも。強烈な体験、スムーズな体験。あなたが、親愛なる友人よ、ハンドルを、スロットルを、ブレーキをコントロールするのです。私はあなたの体験の中では単なる乗客にすぎません。あなたが体験している間に助言やアドバイスをします。その中にはあなたが良いと思うものが あるかもしれません。あまり気に入らないものの方が多いかもしれません。私はあなたが自分自身を聞くための微妙な声になります。私自身の物語をいくつか話すことで、あなたの物語というのはただの....物語にすぎないことを気づかせます。私たちは共に笑い、共に泣く時間を持つでしょう。「最初のページに始まり、最後のページをあなたが読むまで (この本の最後のページではないかもしれま せんが)私は道の一つひとつのステップにおいて、あなたと一緒にいます。昼も夜も、目覚めている時も、 夢の中でも。私の仕事は、常にあなたをあなた自身へと連れ戻すことです。特に、あなたがマインドに入り込み、別の領域で迷子になっているようなときに。すべてがシンプルであり、すでにあなたの内側にあることを絶えず思い出させます。神秘的なものなど、ありません。もちろん、あなたがそうあってほしいと思えば別ですが。

 この本を読み終えたら、誰かにあげてください。この体験の恩恵を受ける人が思いつかなければ、公園のベンチ、電車の座席、公衆トイレに置いてください。もう、あなたには必要ないからです。本を読み返して何かを学んでほしくないからです。あなたがこの本を解き放てば、ちょうど良い時期にぴったりの人に辿り着きます。スピリットの美しい世界においては、エネルギーはそのように作用します。「あなたが選ぶのであれば、これから私はあなたと一緒になり、共に体験を始めましょう。私たちは多重のレベルで同時にワークしていきます。ある一つのレベルでは、あなたは私が世界中の聴衆に向けて行った講義を読んでいます。あなたは言葉に含まれる叡智をすでに知っていますが、私が聴衆とコミュニケーションを取っている様子を楽しめるでしょう。

 別のレベルでは、あなたは自分の別のアスペクトたちに遭遇することになります。そのアスペクトは、 過去や現在の生涯から来ています。「意識のボディ」にも出会います。あなた自身の光と闇に直面する機会があります。自分が演じているゲームを理解するようになります。あなたの「マキョー(Makyo)」と「アミョー(Ahmyo)」を体験します。そして最後に、あなたがおそらく知らない一つのことを私はお教えします。

  保証します

 あなたの幸せと満足感を私は保証します。自分を信頼すれば、長い間あなたが成し遂げることのなかった、このようなものを手に入れることになります。すなわち、幸福、平和、達成、そしてマスター性を。 地球上で肉体の現実を享受しながらです。無条件に自分を信頼すれば、これらを手に入れられることを、 私が保証しましょう。

 「でも、オーラを見ることができるようになりますか?」。あなたは訊きます。「石をゴールドに換えられるようになりますか?」。そんなものは子供の遊びです。

 一瞬にして他人を癒すことができるようになりますか? とんでもない!その人が本当に解放する準備ができるまで、苦しませてあげなさい。あなたが想像もつかないほどの真実がそこにはあります。それは本当に利己的な行為です。あなた方が他人に瞬間ヒーリングを施そうとしているのを私は見てきました。
恥ずべきことです。私は本気で言っています。なぜならあなたは自分のためにやっているからです。そうしている人たちを見てきました。自分がイエスのようだと証明したいから、やっているのです。

 私たちはまったく違うアプローチをします。さまざまな物事で私はあなたに挑戦します。たくさんの古い信念を投げ捨てます。あなた方の中には、いくつかの概念に必死にしがみついている人がいます。「でも、このようなものを手放せるわけがない!」。そうですね、いつかは手放すことになります。泣きわめいても、 叫んでも。そうでなければ完全に許容することで手放すでしょう。
いまは新しいエネルギーです。古い時のようには作用しません。現在、あなたの直感的なフィーリング の感覚が開こうとしています。違うエネルギーをあなたは感じています。定義するのがとても難しいものです。あなたの一部は押しのけていますが、別の一部は惹かれています。新しいエネルギーがほんの少しだけ、いま、入って来ています。私たちはそれに取り組んでいきます。

 これから何カ月、何年、あるいは何十年、私があなたと一緒に過ごすかは分かりません。しかしあなたが進む道の一つひとつのステップを、私はあなたと一緒に取り組んでいきます。あなたが幸福や満足感、どのように呼んでも構いませんが、それらを手にすることに私は全力を注ぎます。見出す直前に、あなたは私をボロクソに言うでしょう。それを手にする直前に、あなたはまるで完全な混沌と混乱の中にいるかのように思うでしょう。

 私がこう言えるのは本来のあなたを知っているからです。過去に体験を共有しただけでなく、あなたが自らのスピリチュアルな道に深い献身を捧げているのを知っているからです。数多くの挫折をしてきたように感じているかもしれませんが、あなたは固い決意を持っています。あなたの祈りと懇願を私は聞きました。私がここにいるのはそのためです。

 私たちは難解な奥義には入りません。あなたは前にやったことがありますが、ただ、ねじ曲げてしまっただけでした。そしてあまり哲学的にならないようにします。私たちが一緒に過ごす中で、何も起こっていないように思える時期がありますが、後になって実は途方もないことが起きていたのだと分かります。 新しいエネルギーはそのように作用します。進歩していないように思える時期があり、それからふと、進歩というのは幻想だと理解します。自分はかなりうまくやっているのに気づきます。 「私は毎日、昼も夜もあらゆる瞬間に、一つひとつのステップで、あなたと共にいます。あなたに約束し ます。私はいつも、そこにいます。

  幻想に生きる

 私は地球上で数多くの生涯を過ごしました。あなた方の多くの方とはアトランティスの終わり頃に、ティエンの寺院で一緒にいました。私はエネルギー的なクリスタルに閉じ込められ、そこで十万年以上を過ごすという体験を自らに与えました。クリスタルは実在のものですが、比喩的な意味で私の信念体系の監獄でもありました。クリスタルの監獄から自由になった時、これからは常に率直に自由に生きる誓いを立てました。今後、肉体を持って地球に生まれたら、二度と捕われることなく自分が選んだ役柄を演じていこうと誓いを立てたのです。

 イスラエルで、イエシュア(イエス)の時代に、私は生涯を過ごしました。反抗的なラビでした。その生涯でイエシュアに出会い、イェシュアと、また時にはマグダラのマリアともワークしたのは偶然ではありませんでした。他のラビたちの怒りと懸念を買いましたが、私はラビとしての地位を捨て、イエシュアとワークするようになりました。彼はヒーラーでした。エネルギーを変容する人であり、本物の錬金術師でした。私は彼から学び、彼は私から学びました。私の物語は聖書には出てきませんが、それはおそらく良いことでしょう。トバイアスやイエシュアのように聖書の中に閉じ込められることはなかったからです。

 私は他にも数多くの生涯を送りました。その中にはあなた方に一番なじみ深いセント・ジャーメインとしての生涯があります。サン・ジェルマン伯爵です。マーク・トゥエインとして知られている者、サミュエル・クレメンスとしての生涯も過ごしました。私はアトランティスの時代、またその前後にもたくさんの生涯を送りました。私はあなたと似ています。ただ一つの例外を除 いては。すなわち、私は自分を自由 にしたということです。人間の現実から、もっと良い言い方をすれば、人間の幻想という制限から自らを解放したのです。

 あなたと私の違いは、ごく細い線で分かれているにすぎません。幻想です。あなたは幻想のこちら側に立ち、私は向こう側に立っています。それ以外はすべて、私たちは同じです。私たちは天使として出発しました。地球が存在するずっと前に、私たちは闘い、戯れました。そして地球にやって来ました。肉体に生まれ、幾多の転生を送るとはどういうものかを体験しました。その間、多様な生涯、さまざまな人格、さまざまなアイデンティティを創り出しながら、数多くのアスペクト(脚注:用語解説を参照)を体験しました。

 違いは、あなたと私の唯一の違いは、幻想の線です。幻想と私が言うのは、ある時点でこれがすべてゲー ムであると気づいたからです。私はセント・ジャーメインではありませんでした。ユダヤ教のラビではありませんでした。サミュエル・クレメンスではありませんでした。私はそのすべての「アイ・アム(IAM)」でした。それらの人格は私がただ演じた役柄にすぎません。俳優が舞台でさまざまな役柄を演じるのによく似ています。あなたと私の違いは、あなたは現在、とても真剣にその役柄を演じていることです。

 「あなたは、このあなたという人間のアイデンティティこそが、始まりであり終わりであると思っています。私は、そのあなたは一時的な役柄にすぎないと思っています。あなたを愛していますし、敬意を払い尊敬しますが、あなたの人間としてのアイデンティティはちっぽけなものです。それはなくなります。あなたが演じているこの役柄、自分がある特定の人間だというフリをしているもの、ある特定の職業に就き、 特定の場所に住んでいるというもの、それはなくなります。後に残されるのは、体験の甘美さです。体験は当然ですが、あなたの魂の一部です。それは本来のあなたという全体性の一部であり、あなたの「アイ・ アム」性の一部ではありますが、あなたではありません。

 あなたは痛み、必要性、欲求があるというフリをしています。十分なお金、愛情、支援、機会がないというフリをしています。進むべき道が分からないフリをしていますが、私にはそれが何より悲しいことです。あなたは答えを持っていないフリをしています。しかし「スタンダード(脚注 : 模範となる存在。用語解説を 参照)」、「アイ・アム」であるスタンダードはーあなたは「スタンダード」になれるのですがーすべてがゲームであると理解しています。

 あなたは腹を立てるかもしれません。私があなたのかわいそうな人生を真剣に受け止めていないからです。あまり同情しないからです。それはもう終わりにしましょう。それはエネルギーのフィーディング (貪り食うこと) です。フィーディングにとどまりません。この現実にあなたを閉じ込めておく手段です。あなたの周囲には数多くの現実があるのが分からないのですか?あなたはこの一つの次元に焦点を合わせていて、見えないというフリをしていますが、周りの至るところにさまざまな次元、現実、可能性があります。

 そしてあなたは神や天使を大声で呼びます。「道を示してください」と。道とは、すでにあなたと共にあります。すでにここにあります。いつになったら「道」を見たいのですか。いつになったら「道」を感じたいと思うのですか。いつになったら「道」を体験したいと思うのですか。

 あなたは言います。「でも、でも、でも、アダマス!」。あなたが「でも」と言った瞬間に、躊躇(ためら)い始めた瞬間に、私は立ち去ります。あなたの頭の中には「でも」がいっぱいで、それがあなたをストップさせます。押しとどめます。私はそれほど暇ではありません。ちなみにあなたもそうです。あなたもそうですよ。あなたの躊躇い、あなたの「でも」は、時間と意識における躊躇いです。あなたは私に言います。「でも、でも、私の家族はどうしましょう」。あなたの家族がどうだというのでしょうか。あなたが本当の「スタンダード」であり、躊躇った人間ではない方が彼らは幸せなのではないですか。
「でも、でも」。あなたは言います。「仕事はどうなるのでしょうか」。どっちにしろ、仕事は好きではないでしょう。いつも文句を言っています。あなたは言います。「でも、でも、お金はどうすればいいでしょ うか?」。そのような態度では無一文になって、飢え死にするかもしれません。たぶん、死ぬでしょう。 そしてあなたはあの世へと渡って来て、私たちは長いこと話をしなければならなくなるでしょう。

 豊かさはあらゆる場所にあります。あなたの周りの大気にあります。あなたの周りのエネルギーの中にあります。自分が透明な泡の中にいるのを想像してみてください。この泡の中にはあなたが人間として必要なもの、壮大な豊かさがすべて含まれています。すべてがまさに、ここにあるのですが、あなたは見ようとはしません。目の見えない人が大きな食料品店を歩き回って、「食べ物はどこですか?」と言っているようなものです。手を伸ばせば、目を開ければ、至るところにあるのを見るのです。

 豊かさを、給与というありきたりの方法で手に入れる必要はありません。誰かに与えてもらうことで手に入れる必要はありません。ただ、それを顕在化するのです。顕在化するとは、どういう意味でしょうか?
それがすでにそこにあるのに気づくということです。半次元離れたところに、半呼吸離れたところに。 それはそこにあります。入って来てあなたに奉仕する準備ができています。この宇宙はエネルギーに満ちています。それは、あらゆるところにあります。

 エネルギーは活性化されるまでは中立の状態で存在しています。あなたが命じることで活性化されれば、 顕在化します。思い出してください。「マスターはエネルギーを自分に奉仕させる」。あなたはマスターで す。エネルギーを自分に奉仕させます。エネルギーが他の人から来ても、エーテルの中立の倉庫にあっても、それはあなたに奉仕したいのです。でもまず始めに、エネルギーが知りたいことが一つあります。あなたが自分は「創造者」である、「スタンダード」であると認識しているかどうかです。

 ほとんどの人間は自分が劣っていると認識しています。自分は道に迷い、いったい何をしているのか分かっていないのだと。人間は自分を弱い者として認識しています。不自由で、歪んでいて、知性があるとはとても言えないと。するとどうなると思いますか?エネルギーはその通りに、具体的に、文字通り奉仕します。朝起きてこう言うとします。「ああ、また同じような一日になるだろう。人と争わねばならないだろう。緊張やストレスがあるだろう。私は太り過ぎているし、請求書の支払いがやっとだ」。その瞬間、すべてのエネルギーが整列して、その日一日あなたに奉仕するのです。

 だから私は言うのです。「この日は私のものであり、この夜は私のものだ」。ここは私の遊び場です。すなわち、昼と夜は私に応えるのです。あなたに対してもまた、エネルギーにはそれができます。皮肉なことに、エネルギーはすでにしているのですが、あなたは気づいていません。すべてのエネルギーがすでにあなたに奉仕しています。エネルギーは、躊躇いというあなたの幻想に奉仕しています。躊躇いというのは、他人を幸せにするために自分が妥協しなければならないと思うことです。躊躇うのは、あなたが大胆で勇気ある一歩を踏み出すのを怖れているからです。

 ある意味で、あなたには拍手を送らなければなりません。あなたはマスターだからです。あなたはすでにうまくやっています。それは、日々、あらゆる瞬間に起きています。「アイ・アム」と言わずに、実に多くの人間が「アイ・アムではない」と言っています。するとエネルギーは入って来て、一日中、一晩中、 「ない」に奉仕するのです。

 それでも、あなたがくぐり抜けているものを私は正確に理解しています。何だかんだ言っても、私は自らの監獄に十万年以上も閉じ込められていました。あなたは私よりは賢明です。十万年も立ち往生することはないからです。おそらくほんの数十回の生涯ですむでしょう!

  ゲーム

 あなたはこう訊きます。「アダマス、なぜ、こんなに難しいのですか? なぜ、うまくいかないのですか?
くだらない人生を送っているのはなぜですか? なぜ私は___なのですか?」。空欄を埋めてください。

 答えは、あなたがそのゲームを選んだからです。誰もあなたの代わりに選んだわけではありません。あなたがそのゲームを大好きになる何かが、そこにはあります。そうでなければゲームをプレーしていないでしょうから。それだけです! このように訊いた人もいます。「アダマス、私はなぜ、ひどい恋愛関係を続けているのですか?」。なぜならあなたは犠牲者だからです。その状態の何かが大好きだからです。「アダマス、私はなぜ、病弱なのですか?」。健康状態が崩れているのは、自分の身体に治させていないからです。「アダマス、私はなぜ、精神的に落ち込んでいるのですか?」。精神的に落ち込んでいるのは、あなたが本当に生きたいのかどうか、確信が持てないからです。

 あなたはゲームをプレーしていますが、いつでもやめることができます。ゲームをする状況に自分で自分を陥「おとしい」れたわけですから、抜け出すことができます。

 あなたは訊きます。「アダマス、私はお金がありません。どうすればよいですか?」 知りませんね! それは本当にどうでもよいことです。また人生を楽しんでみてはいかがでしょう。病気が治るかもしれません。再び人生を味わい、高度に定義された人生を送れるかもしれません。自分自身に直面しなければならなくなるかもしれません。これはとりわけ厳しいものですが、なおかつ、とても美しいものです。

 あなたは本当にたくさんの悪魔や大蛇を持っていますね! それは単に行き詰まったエネルギーで、必死になって行き詰まりを解こうとしているだけです。古くなった、退屈なゲームにすぎません。いつでも 好きな時に、メリーゴーラウンドから飛び降りることができます。でも、それをすればあなたの人生は変わります。その準備はできていますか? 実際、できている人はほとんどいません。ゲームが、自分の人生を定義するものだからです。ゲームなしでは、ほとんどの人は本当に「生きている」感じがしないからです。そこが誤解しているところです。ゲーム、問題、危機というものが、意識的に生き、気づきを持つのを妨げているのです。
 
 あなたの人生のすべてが、あるいはその一部でも困難なものがあるなら、それはあなたがその中の何かが大好きだからです。そうでなければ、そのようにはなりません。それがどのようにあなたに奉仕しているかを特定して、手放すことはできますか?

 読み進めて、体験がやって来るのを許容してください。そしてこの地点から先に何が起ころうと、これを覚えておいてください。

創造のすべてにおいては、すべて良し 
(All is wellin all of creation.)


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