極端さ

 あなたの人生体験には極端さが出てくるでしょう。新しいエネルギーが入って来ているため、古いエネルギーの振り子が一つの極からもう一方に振れるからです。古いエネルギーと新しいエネルギーが一緒になれば、ただの極端さではなく完全な表現になります。
 極端なときには、あなたはクリエイティブ・エネルギーのほとばしりを感じるでしょう。不意に音楽を作曲したり、本を書いたり、絵を描きたいという衝動が沸き起こります。このような創造的なものへの衝動は圧倒的なので、例えば会議の最中、レストランにいるとき、あるいは葬儀の席のような妙な場所で生じるかもしれません。
 もう一方で極端なのは、まったくインスピレーションを感じない時期があることです。あなたはぼんやりとして、何も感じません。するとあなたは言います。「アダマス、ある瞬間に私はものすごくクリエイティ ブだったのに、次の瞬間にはつまらない人間なのです」。私は言うでしょう。「ええ、そういうことです!( and so it is. )」
 このような極端さは適切であり、重要です。最終的には極端さは融合しますが、中立になるわけではありません。完全な拡張、そして完全な表現として戻って来ます。いまは納得できないかもしれませんから、 どうぞ、それを感じてみてください。
 人生で他の人たちとの交流、さまざまな活動、スケジュールがとても活発になる時期があります。忙しすぎてどうすればよいか分からないと思いながら眠りにつく夜もあるでしょう。もう一つの極端さは、中断し、立ち止まり、何もしない必要がある時期です。自分自身と一緒にいるために人生からすべてを遮断したいという衝動に駆られます。これは適切です。あなたのあらゆる部分がこれだけの慌ただしい活動についていくためには、休止が必要だからです。
 このような急激な変化をくぐり抜けているときは、ただ立ち止まるだけの時期が必要になります。子供たち、パートナー、血の繋がった家族など、あなたの人生にいるあらゆる人があなたの断片をそれでも欲しがりますが、意志を強く持つ時です。自分に耳を傾け、立ち止まり、自分自身とのかけがえのない時間を取る贈り物を与える必要があります。
 これはとても大切です。避けないでください。ただ自分と一緒にいるために、そのためだけに会社に電話をかけ病欠するということであっても、やってください。自分ひとりで長時間のドライブに行くというのであれば、ただやってください。
 「スピリット」ととても繋がりを感じる時期があります。スピリットのフィーリングに、親密に深く結び付く時期です。まるで自分自身と恋に落ちているかのように感じますが、自分だけよりずっと拡張した感じがあります。このような強い結び付きの感覚は涙を誘うものです。
 それから何の繋がりも感じられない時期があります。「神はどこにいるのだろう?」。外にも内側にも、 何もいないように感じます。「スピリット」に対する気づきを持ち、あれほど特別な体験をしたことをあなたは疑います。「スピリット」と深い繋がりを持つ時期があったと思えば、完全に孤独を感じる時期があります。これは適切なことです。このようなフィーリングを否定しないでください。それは新しいエネルギーを体験する上での極端さの一つであると、ただ理解しておいてください。
 あなたの人生はシフトするでしょう。エネルギーが動き出したかと思えば、行き詰まったように感じます。するとまた動き出しては、行き詰まりを感じます。このすべてが、目覚めに、新しいエネルギーに入るための自然なプロセスの一環です。












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