イマジネーション(想像力)は、天使の知覚の中でも最も美しいものです。それはほとんど活用されておらず、たびたびメンタルなイメージングやマインドが創り出すイメージと混同されることがあります。 例を挙げましょう。
 
あなたの家の私道に赤いオープン・カーが停まっています。光沢のあるスポーツ・タイプのセクシーなオープン・カーです。あなたは車まで行き、その上質な職人技、つやつやしたホイール、本革シー トに見とれています。 あなたはドアを開けて中に入り、キーを回してボンネットの下から聞こえる四百馬力のエンジン音を聞きます。あなたはバック・ギアを入れて私道をバックし、ドライブに切りかえてゆっくりと通りをドライブし始めます。 あなたは自由を感じます。解放感を感じます。 通りをドライブしていると、人々がただそれを見に、称賛するためだけに家々やアパートから出てき ます。子供たちは遊ぶのをやめて、あなたが高級なスポーツ・カーで道を走って来るのに、ぽかんと見とれます。 あなたは街の郊外までドライブし、周囲に車が走っていない一般道に出ます。その道はあなたのものです。完璧な舗装、蛇行した道。あなたはアクセルを踏み、少しスピードを出します。 風が顔や髪に当たります。美しい、晴れた日です。あなたは深呼吸をして、大きく安堵のため息をつき、あなたの赤いスポーツ・カーで道を滑走します。 スピードを加速し、さらに速度が増します。ウキウキした気分をあなたは感じています。 心配はありません。気にかけるものはありません。ただあなただけです。道を滑走します。支払わなければならない請求書や処理すべき用事など、どんなものも心配する必要はありません。ただ車を走らせるだけです。

 さて、少しストップしましょう。この図柄のどこがいけないのでしょうか? そう、フィーリンがありません! フィーリングがありません。
 これは素敵な図柄ですが、比較的メンタルです。したがって、制限があります。あなた方の中で、以前にマインド・コントロールのクラスを受けた人たちがいるのを私は知っています。アトランティス時代でビジュアライゼーションさえ、やっていました。視覚化をやった人もいますが、成功の度合いは限定されていました。それは少しだけうまくいきますが、どちらかといえばとても制限があります。本物のフィーリングが欠けているからです。さらにあなたが本当にはそれを信じていないからです。あなたは鏡をのぞき込んで言います。「私 は美しい。私は美しい。私は美しい」。あなたは語句を復唱しますが、ハートの中では必ずしもあなたがそれを信じているとは限らないわけです。そこにフィーリングはありません。 イマジネーションとは感じることです。イマジネーションとは感じ取ることです。考えることではありません。ずっと昔に人間はフィーリングを遮断しました。人間は考えることに入り込みました。イマジネー ションとは、あの開かれたフィーリングのことです。必ずしも光景を見ることではありません。それは正しくは完全な知覚体験です。
 ではもう一度、やりましょう。よろしければ目を閉じてください。そして赤いスポーツ・タイプのオープン・カーで道を走るのだと私が誘導する代わりに、深呼吸をして、あなた自身を感じてみてください。
 あなた自身を感じてください。
 
 (長い間)
 
 これが、ただの視覚化ではないイマジネーションです。そこにはフィーリングがあります。エネルギーがあります。ただメンタルでフォーカスしているわけではありません。
 
 ずっと昔、天使の存在だった時にあなたは自分がイマジネーションの知覚を持っていることに気づき、 それに取り組み始めました。そして無から、虚空(ヴォイド)から、あなたは現実を創造しました。あなたがそれを想像したからです。想像するというのは、すべての可能性をしっかりと感じることです。メンタルなエクササイズではありません。
 別の例を挙げましょう。マインドではなく、あなたのイマジネーションと共にいてください。では、混沌を想像してみてください。
 
 混沌(カオス)を想像してみてください。混沌の中へと、自分自身を拡張してください。
 
 
 深呼吸をしてください。
 
 私がそこに行くように言った理由は、視覚化や、いわゆるメンタルな活動に対して、想像することの違いを理解してもらいたかったからです。つまり感じる体験です。
 
 混沌を想像してくださいと私が言うと、マインドが飛び込み、それを捕まえようとしました。それを何とかしようとしました。しかし実は、マインドは混沌を解釈するのにとても苦労します。それは混沌に対してはプログラムされていないからです。マインドは物事の秩序を作り出すようにプログラムされています。それがマインド固有の問題でもあります。それは常に物事に秩序をもたらそうとします。だからあなたが混沌を想像すると、マインドはとても混乱してしまい、実際、あなたに想像させてあげるわけです。 あなたは混沌を想像することができるのです。
 それは何だったのでしょう?フィーリング、秩序の欠如、人間の模範がないもの。ただの混沌です。 ええ、それが想像するということです。
 イマジネーションは日常生活にあてはめれば驚くべきツールになります。あなたの監獄から自由になる という話をした時、私はあなたに可能性を想像してもらいました。そこから自由になるのはどんな感じがするだろうか?フィーリングはどんなものか?あなたが本当にしているのは、可能性を想像することなのです。
 可能性はさまざまな体験の泡で、あなたはそこから選ぶことができます。「火の壁」を通り抜けたとき、 あなたはその一つひとつの可能性を創造しました。それはほとんど無制限です。イマジネーションを使えば、それらの可能性に入り、感じることになります。それからどれを選ぶか決めればよいのです。
 想像は制限がまったくなく、自由です。それは思考パターンではなく、フィーリングです。
もう一つの問題は、人間が選択するのをやめたことです。彼らは「運命」や「宿命」という信念体系を創造しましたが、これが選択を著しく制限しています。場合によっては選択を完全に排除します。ええ、 特定の欲求というのはあります。生涯であなたが体験したいと思うものがあります。しかしそれは教訓や 課題を意味するわけではありません。ただの可能性です。そして、どうでしょう? あなたはいつでも好きなときに可能性を変えることができるのです。どうやってやるのでしょう? そこに入って、想像するのです。それから、選択します。
 具体的にする必要はありません。「私道に赤い車が欲しい」と言う必要はありません。なぜならイマジネー ションはずっと広大だからです。それはフィーリングです。事実に忠実である必要はありません。具体的な現実化は、あなたがもう少しイマジネーション(の使い方)に熟達したらできるようになります。
 イマジネーションは可能性を十分に感じることです。意識を拡張し、とても次元間的になることです。 一つ問題なのは、ここでもそうですが、制限があるマインドはそういうものなのですが、マインドはあなたが存在する肉体の現実以外の次元で機能することにとても困難を覚えます。マインドはそのことをかなり詳しく知っていますが、可能性を想像することはうまくできません。
 偉大な発明者、科学者、皆さんの時代の思想家たちもまた、最高の「想像者」でした。彼らは実際、心を開き、自らを自由にしてフィーリングに入りました。思考ではありません。トーマス・エジソンは想像するのが大好きでした。彼はあまり多くの人にそのことを話しませんでした。そんな話をすれば、夢の状態に入るなんてちょっと変わっていると思われたでしょう。けれどイマジネーションは、それ以上のものです。
 ニコラ・テスラも当然ですが、偉大な「想像者」でした。アルバート・アインシュタイン、ベートーベン、モーツァルト、すべての偉人が積極的な想像者でした。それが彼らを偉大にしたのです。彼らはマインドを超えました。想像しました。それはあなたが持つツールでも最強のものであり、そして最も簡単に使えるツールです。
 イマジネーションと選択が、現実を創造します。それが「故郷」の外にあるすべてのものを創造しました。
空想(白昼夢)は、イマジネーションの一つのかたちです。あなたは実際に可能性を見に出かけていきます。問題は、あなたがそのエネルギーを地球に持ち帰らないことです。あなたはこうした最高の可能性を、最高の想像物を別の領域に置き去りにします。私たちがここでやっているのは、別の領域からあなたの人間の人生へエッセンス(本質)が流れて来ることができるよう、道筋を開くことです。
深呼吸をして、自分自身に想像させてあげてください。公然と、自由に、激しく想像してください。











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