自由意志?

 人間には自由意志はあるのでしょうか。ないなら、誰が糸を引いているのでしょう。血の繋がった家族をあなたの代わりに選んだのは誰ですか? 技能や才能を、あなたはどうやって身に付けたのですか? 占星学のおかげですか?神ですか? あなたを統治する天使のグループですか? スピリット・ガイド ですか? あなたのハイヤーセルフですか? オーバーソウルですか? 単純に運命や宿命でしょうか?ただ本当に運が悪いということでしょうか? 誰が糸を引いているのでしょうか?
 答えは、「そうですね、それは場合によりけりです」。
あなたの意識がどの辺にあるかによります。
 あなたのスピリットには独自の歌があります。スピリットは体験という波に乗って川を下っています。 スピリットは、あまり気にしていません。というのは、スピリットは自分が欲する体験を得ているからです。それは拡張し、表現しています。あなたの表現が叫び大声でわめくことでも、魂は体験し、表現しているのです。健康問題は表現の一つのかたちであり、スピリットはそれを許容しています。スピリットがあなたに無関心だということではありません。しかしスピリットの必要性、欲求、情熱は、人間の必要性、 欲求、情熱とは違うのです。
 人間の自己は、生き残ることとアイデンティティに格闘しています。あなたは「ええ、私は自分の現実を創造しています」と言いたいのです。それは、実は真実ではありません。なぜならあなたの現実の多くは、スピリットの波形により創造されるか、その影響を受けているからです。体験していることの多くは、 あなたが実際に創造しているわけではありません!!
 人間は自由意志を持っているのでしょうか? いいえ、持っていません。全然、持っていません。持っ ていれば人生はまったく違うものになっているでしょう。人々はカルマ、宗教、スピリチュアリティ、占星学、疑い、怖れ、罪悪感、慣習など多種多様な時代遅れの信念体系の影響下にあります。人間は、自分たちは自由意志を持っていると思っています。「好きな時に仕事をやめる意志を持っている」。どうでしょう。彼らは仕事をやめません。給与がもらえないのが怖いからです。「私は好きなところに住む意志を持っている」。しかし本当は、好きなところには住んでいません。生まれた場所に、その同じ町に、パパとママの隣に住んでいるのです!
 実は人間には自由意志がありましたが、使うのをやめてしまったため、もう自由意志はありません。人間は自由意志を持っているフリをしています。ランチに何を食べるか選べるからです。自由意志があるという「幻想」は持っています。職場に青いセーターを着ていくか、赤いシャツを着ていくか選べるからです。しかし、いいえ、人間は自由意志を持ちません。本当に持っていません。これであなたが少し腹を立てればよいのですが。あなたは自分が自由意志を持っていると思いたいのです。いまとなっては失ったものを懐かしく思うでしょう。
 あなたは神性の意志を持っています。何年も前にトバイアスが言ったことですが、そのチャネリングをあなたは忘れています。その当時は、あなたはそんなことは聞きたくありませんでした。彼は言いました。「神性の意志があります」。あなたのスピリットの波形、スピリットのダンスは、人間の意志よりスピリットを優先します。これはあなたの人生に起こった多くのことを説明してくれます。スピリットがあなたにネガティブな体験を押しつけているわけではありません。しかしスピリットにとって、あなたの神性にとっては、人間が取る妙な行動や、必死になってコントロールし、快楽を享受し、制限されたアイデンティティを作り生き残ろうとする試みよりも、ずっと大切なものがあります。
 それはどうでもよいことです! スピリットは生き残ります。死はありません。イェシュアは十字架上 でそれを証明しました。死はありません。あなたの罪をあがなうためにイエシュアが死んだわけではありません。あきれますね。イェシュアがあなたの代わりに死んだと思うなんて、うぬぼれています。イェシュアはこの地点まで行きました。「私はまさにこの地球上で、人間とスピリットを交差させるつもりだ。自分が生きようが死のうが構わない。人間として自らの監獄の中にいるのは、うんざりだ。私は私と一緒にいないことに、うんざりしている。自分の人間性とスピリットが分離していることに、うんざりしている。 私は私のもとに戻りたい」。ブーン! 彼の人間とスピリットは融合しました。
 彼らは融合しました。天と地が一緒になりました。神性の波形と人間の波形が、ついに交差したのです。



 イェシュアは十字架上で死んだのでしょうか?いいえ。彼は十字架上で生き返りました。肉体は何の意味も持ちませんでした。 十字架、つまり十字の地点で、彼はそれを知りました。ちなみに、 このシンボルは何百年も後になって、宗教的催眠の形態として生み出されたものです。「彼はあなたの罪のために、死にました」。 そうは思いませんね!あなたの罪のために死ねる人などいません。十字架のシンボルは本来、交差の地点、スピリットと人間が一緒になることを意味していました。いまではそれは、苦悩、痛み、罪悪感、コントロールの象徴として使われています。
 親愛なる友人たち、イェシュアは十字架上で目覚めたのです。
その瞬間、肉体を解放しました。その後、マグダラのマリアと楽しく暮らしました。イエシュアには肉体はありませんでしたが、彼らには子供ができました。美しい子供たちです。ええ、身体がなくてもセックスはできますよ。本当の真実です!












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