---------------------------------------------------------------------------- A ショーペンハウアー
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ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer 1788-1860)
北ドイツの代々の富裕な豪商の家庭に生まれ、彼自身の意志には反して商人になるべく育てられ、少年のうちから諸外国の見聞を広めた。しかしながら、やがて父は精神に異常をきたして自殺し、また、母も女流作家として成功し、華やかなサロンで虚栄心に溺れる生活を始めた。彼は、このような状況の中で学問へと志し、カント哲学やインド哲学を学び、厭世観の強い主意主義(意志こそ第一のものと考える立場)的な思想を構築し、主著『意志と表象としての世界』にまとめた。彼は、父の遺産のおかげで一生涯、生活には困ることはなかったものの、ベルリン大学で私講師(無給講師)として講義を試みるも、時はまさに同大学のヘーゲル全盛にあり、彼と彼の思想はまったく無視され、在野の学者として失意と屈辱の日々が続いた。ところが、五十年代にはいって、ヘーゲル哲学にかげりが見え始めると、にわかに脚光を浴び、名声を獲得した。彼はカント哲学をふまえつつ、「世界は私の表象である」という主観主義的テーゼを掲げるとともに、これに含まれきれない客観的な〈物自体〉を〈意志〉と解した。この〈意志〉は、現象としてはいくつかの〈充足理由律〉という形式に従うが、それ自身ではむしろ暗く、根拠なき盲目的なものなのである。この〈意志〉は普遍的な〈イデア〉の模像にすぎない個別的なものであり、限りがなく、けっして満たされることがない。ただ芸術においてはイデアに昇華され、解脱へともたらされるものの、しかしながら、この解脱もたかだか一時のものにすぎない。また、すべての個体の本質である意志の同一性を認識し、同情を通じて愛を獲得したとしても、やはり、一時的なものでしかない。さおれゆえ、本当の心の平安は、ただ、この意志そのものを否定するしかないとされる。
彼の哲学は、ドイツ観念論としては傍系に終わったが、しかし、十九世紀思潮の方向を明確に打出していた。すなわち、哲学は、もはやデカルト的認識論の時代ではなく、意志とその実践を論ずべき時代にあったのである。そしてまた、彼の家庭環境、ヨーロッパ諸国で見聞きした人々の生活の現実、そして、その後の不遇な失意の日々は、彼をロマン主義的な誇大妄想の理想主義ではなく、徹底した厭世観へと走らせ、それは世紀末的ニヒリズムを先取りしたものであった。そして、事実、キルケゴールやニーチェ、また、ワグナーやフロイト、象徴派詩人たちに多大な影響を与えたのである。
【生成 / 認識 / 存在 / 行為の充足根拠律
pri~ncipium ratio~nis sufficientis fi~endi~ / co~gno~scendi~ / essendi~ / agendi~】
(「充足根拠律の四根拠」)
彼は、ライプニッツの〈充足根拠律〉を、生成・認識・存在・行為の4つの面に分けて論じた。
〈生成の充足根拠律〉とは、[新たな状態には、充分な先立つ状態がある]というものであり、原因結果に相当する。
〈認識の充足根拠律〉とは、[ある判断がある認識を表現するには、その判断はある規則に従っていなければならない]というものであり、論理に相当する。
〈存在の充足根拠律〉とは、[時空間に存在するには、位置や継起の関係において規定しあう]というものであり、数学に相当する。
〈行為の充足根拠律〉とは、〈行為にはある充分な動因があるはというものであり、理由帰結に相当する。
【生への意志 Wille zum Leben、原意志 Urwille】
(『意志と表象としての世界』)
表象界は世界の外面にすぎず、その根底には、認識が及ばず、いかなる根拠も目的もない、物自体としての〈盲目的な意志〉が存在し、それは「原意志」と呼ばれる。これは、生あるものには確実な事実として直観的に体験される、ただ生きるためだけに生きようとするものであり、「自分さえ生延びられるなら、世界など滅びてもかまわぬ」というまでに利己的な「生への意志」である。
しかし、このような欲望は永遠に満たされることなく、絶えざる苦悩を引起こすゆえ、完全な意志否定によってこの欲望から解脱すべきである。
このページへのコメント
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