大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- C キルケゴール

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キルケゴール(So゙ren Aabye Kierkegaard 1813-55)
 卑賎から身を起こした、デンマーク、コペンハーゲンの敬虔な毛織物商の子に生まれ、虚弱な体質ながら厳格に育てられ、父のたっての希望に従って神学を学んだ。しかし、彼はその父がかつて神に貧困を呪い、また、女中に自分を生ませたことを知り、そして、先母や五人の兄姉が相次いで死去してしまったことに神の怒りを感じ、罪の意識に悩まされる「大地震」と呼ぶ精神的危機に陥る。さらに、二十代後半に、すでに約束した相手のあったレギーネという女性の心をつかんで婚約するが、彼女を心から愛していながら、絶えざる自己の内面的苦悩を理由に一方的にこれを破棄する(「レギーネ体験」)。また、この事件と前後して父を亡くす。
 以後、亡父の財産を食いつぶしつつ生活し、ベルリンにおもむいて、シェリンクの積極哲学の講義に感銘を受け、続け様に『不安の概念』他、何冊かの著書を偽名で発表し、さらには、スキャンダラスな大衆週刊誌『コルサール(海賊)』に、その低俗な暴露趣味に対してけんかを売ったりするのだが、ところが、かえって徹底的な返り討ちにあい、数ヶ月にわたって誌上で侮辱され、市民中の笑いものにされた(「コルサール事件」)。
 また、牧師アドラーを、大衆に覚醒を促す宗教改革的人物と、彼はかってに心から信じ込み、そして、その期待ははかなく裏切られることになった(「アドラー事件」)。この後、彼は宗教批判へと傾倒し、主著『死にいたる病』他の執筆する。
 さらにまた、彼は、しょうこりもなく、今度はデンマーク国教会にけんかをふっかける。国教会監督ミュンスターの死に際し、彼が「真理の証人」と讃えられたことをきっかけとして、大衆に迎合し、世俗主義に堕落した国教会の偽善的体質をパンフレットで告発し続け、論戦のさなか、体力尽きて路上で倒れ、四十二で死んた。
 そもそも「キルケゴール」はデンマークでも珍しい名で「墓場」を意味すると思われ、彼の先祖が貧しく、教会に屋根を借りていたことに発すると言われる。また、彼の親族には、兄姉の早世のみならず、精神異常者、自殺者が少なくなかった。加えて、彼自身も身体虚弱な「せむし」であったのであり、彼自身、三十代半ばまでしか生きられまいと思っていた。呪われた死と狂気と畸形の血と体を受け、彼の明晰な理性は、かえって彼を罪と苦悩と絶望の淵へと落しいれた。父が一代でなした財に囲まれ、市の中心の大邸宅に暮らし、敬虔かつ高尚な教育を受け、美的生活に耽溺しながらも、その表面的には満ち足りた生活の中で、内面的には、彼は絶えず例外者としての存在を感じ、孤独な自意識に悩まされ続けたのである。それゆえ、彼の身に起こる出来事は、たとえささいなことでも、この屈折した自意識過剰ゆえにゆがめられ、拡大され、まわりの人々をその混乱へともまきこんでいく。悪く言えば、成上がり者のひねくれた二代目ボンボンであり、それゆえ、始末におえないトラブルメーカーでもあり、そしてまた、典型的ないじめられっ子でもあったと言うことができよう。
 彼の哲学は、かなり独特のものであった。すなわち、それまでの近代哲学が世界や自然、社会など、普遍的な問題を中心課題としてきたのに対して、彼は突然に、人間、それも特定の個人としての生き方を問題として採り上げたのである。デンマーク語で書かれたこの哲学は、当時、まったく注目されることはなかった。だが、ある牧師がこの思想に傾倒し、これを独力でドイツ語に翻訳した。そして、その後、《実存哲学》と呼ばれるようになり、ヤスパース、ハイデッガー、サルトルらの天才的後継者を次々と得て、今日に至り、場合によっては、このような問題意識が「哲学」の代名詞とまでなって世間一般に普及している。そしてまた、古代のソクラテス、プラトンや、中世のアウグスティヌスなどもがこの視点から読み直されることになる。
 彼の《現立(実存)哲学》は、《ドイツ観念論》的な立場を継承しつつ、その決定的な批判から生じてきたものである。すなわち、《イギリス経験論》や《フランス合理論》のような真理の客観的科学性には反対して、あくまでドイツ観念論的に主観的内面性を重視し、また、前二者のように世界の外から傍観的にスタティック(静止的)に認識することよりも、後者のように世界の中へと主体的にダイナミック(力動的)に関係していくことこそ哲学の本分であると考える。しかしながら、それまでの《ドイツ観念論》がもっぱら普遍的で抽象的な問題を扱うのに対して、彼は、あくまで、特定の〈単独者〉としての具体的、現実的な「この私」を主題とした点が、彼の哲学をそれまでの《ドイツ観念論》とは決定的に異なるものとしたのである。つまり、「この私」という存在は、けっして観念的類型として解消されうるものではなく、絶えずその特殊性に基づく決断に迫られ、苦悩をかかえて彷徨しなければならないものなのである。
 しかしながら、彼の《現立(実存)哲学》は、「いかにして人はキリスト者になるか?」という問題意識に基づいていた。つまり、〈現立〉の問題点を論じる以前にその結論が前提されていたのである。すなわち、彼の結論は、人は神とともにあらなければならない、ということなのである。ところが、しかし、それには神を礼拝するだけではだめなのだ。ここに彼のキリスト教教会批判の主眼がある。礼拝される〈神〉と、礼拝する〈人〉との間には、越え難い絶対的な質的断絶がある。それゆえ、むしろ、人は、天空にあって手の届かぬ光々しい永遠の神をあがめるのではなく、しかしまた、小賢しく神を否定するのでもなく、神でありながらこの世に受肉し、苦しみ、果てた、みずぼらしきキリストの逆説をそのままに信じ、そして自分もまた、このキリストとともにあるべく、現実を主体的に生きなければならないのである。

【『死にいたる病』 Sygdommen til d0den 1849】
 イエスはある病人の死に臨んで「この病は死には至らず」と言った。つまり、肉体が滅びることなどキリスト者(キリスト教信者)にとっては死ではないと言うのだ。では、まさに「死にいたる病」とは何なのか。それは〈絶望〉のことであり、〈絶望〉こそ最大の罪なのである。
 そもそも人間とは〈精神〉すなわち[自己自身に関係する関係]である。それゆえ、この自己の総合はつねに自己の分裂という〈絶望〉の危機に頻している。〈絶望〉とは、なんらかの対象に絶望することではなく、まさに自己自身に絶望することなのであり、それまでの自己を脱し、自分で勝手に決めた別の自己になろうとするが、そんなことをしても、彼はまたたえず自分の望まざる自己であるように強制されてしまう。だから、〈絶望〉においては、たえざる死を生き続けなければならない。
 この〈絶望〉の病は、普遍的なものである。というのは、自己の絶望を知らないことこそ、むしろ自己の絶望を知りえないほど深く絶望しているということだからである。それゆえ、むしろ絶望を知ることによってこそ、弁証的(逆証的)に救済に近づくことができるのだ。
 この〈絶望〉は、その契機から言えば、有限性/無限性、可能性/必然性に関して、一方の欠乏によって他方へ絶望することである。つまり、自己の有限性を忘れると、自分を無限者であると考え、逆に、自己の無限性を忘れると、自分を平凡人であると考えてしまう。また、必然性を忘れると、いまある現実を見失い、逆に、可能性を忘れると、なるべき希望を見失う。
 また、〈絶望〉をその意識的自覚の有無から言えば、自己の絶望を知らない〈無知の絶望〉、自己の絶望を知りながらも自己であろうとせずにいる〈弱気の絶望〉、自己の絶望を知って自分で勝手に決めた自己になろうとする〈強情の絶望〉があり、意識が自分自身への関係であるがゆえに、自覚の深い後者ほど絶望も深い。
 しかし、神の前にあって、人間が絶望的に自己であろうとしないこと、もしくは、自分で勝手に決めた自己であろうとすること、つまり〈絶望〉は〈罪〉である。人間は、神に対する、神を尺度とする、神の前における自己であらなければならないのである。キリスト教は、この絶望の絶望の罪を教えるものではあるが、ところがまた、神を尺度とするという要求があまりに高く見えるがゆえに、自己の罪に絶望し、そのゆるし絶望することで、罪を重ねてさせてしまう「つまづきの石」となっている。
 だが、神は凡庸なる人間の救済を考え、人間のために、この世に生まれ、苦しみ、果てたのである。そして、ここで必要なのは、これをおそれおおい神の申出とおじけづき、神の真意を疑うことなどではなく、謙虚に神に応える厚顔なる信仰の勇気なのだ。この信仰の勇気をもたない者が、絶望へとつまずくのである。
 ソクラテス的に、〈罪〉は無知である、とも言うかもしれない。だが、キリスト教の言う〈罪〉は、ただ正しいことを知らないことなのではなく、知ろうとしないこと、知っても知ったように行為しないことなのである。そして、罪を知りつつ、その罪に絶望するという意味で、絶望という罪は積極的なものなのである。
 だが、罪にとどまることは、罪を重ねる罪である。したがって、罪にとどまる各瞬間ごとに罪は増大していく。そして、このことは、このような自己の罪への絶望、この自己の罪へのゆるしへの絶望、さらには、キリスト教を否定して、罪を罪と認めない絶望へと罪を悪化させてしまう。もはや、ここにおいては、キリスト教もいかんともしがたい。キリスト教は、その救済の道を教えるとともに、また、弁証的(逆証的)に、このような救い難い絶望の罪への道も開いてしまうのである。

【質的弁証法 qualitative Dialektik】
 ヘーゲルは、神と人とを、たんなる量的差異として連続的発展段階に位置づける誤りを犯したが、神と人との間には、礼拝される者と礼拝する者という越え難い絶対的な質的差異があるのであり、この断絶は、無限なる光々しき神にして有限なるみすぼらしき人であるイエス・キリストの逆説への現立(実存)の決断的信仰によってのみ、越えることができる。

【実存(現立) Existenz】
 (『あれかこれか』など)
 「exisutentia」という言葉は、中世来、「essentia(本質、存在させるもの)」に対して、[存在していること]を意味した。ヘーゲルにおいては、「Exisutenz」は、[根拠が自己を揚棄(廃蔵)して、出現すること]とされた。これに対して、キルケゴールは、このような根拠を実現していくあり方を人間独特のものと考え、独自の哲学を展開する上でのキーコンセプトとした。
 すなわち、人間は自己であるのではなく、自己になるのであり、このような存在の仕方を「現立(実存)」という。ここにおいては、私が思考すればするほど、私は存在することが少なくなり、反対に、私が存在すればするほど、私は思考することが少なくなるのであり、主体性が真理であり、主体性が現実である。しかし、現立を思考する者こそが現立するのである。というのは、現立というあり方においては、いかなる自己になるか、「あれか、これか」の決断をつねに迫られているからである。この問題は、けっして抽象的、類型的、一般的な形骸的人間のものではない。具体的、唯一的、個別的な現実の私だけのものなのであり、このような〈単独者〉として状況に立ち向かい、ただ神をするだけでなく、神に対してあるべき自己になろうと実際に行為しなければならないのである。
 このような〈現立(実存)〉は、〈美的現立〉、〈倫理的現立〉、〈宗教的現立〉の3つの段階を持つ。すなわち、まず、〈美的現立〉においては、ただあるがままに、享楽的にあり続けることであるが、しかし、享楽はつねに一時的であり、これにあり続けることは矛盾し、不可能である。次に、〈倫理的現立〉においては、ひたすらあるべきように、義務的になろうとすることであるが、義務はすべて類型的であり、唯一的な自己がなろうとすることは無理があり、不可能である。最後に、〈宗教的現立〉においては、ひとつには、自己否定によって深く自己の内面へと掘り下げていくことによって、超越的なものに近付くものであり、このような方法は《内面化の弁証法》と呼ばれる。しかしまた、もうひとつには、永遠なる神が瞬間に受肉し人となったという逆説を信じ、この逆説的な神を対面することで超越的なものに近付くものであり、このような方法は《質的弁証法》と呼ばれる。
 ただし、キルケゴールにおける〈実存〉は、あくまでキリスト者としてのものであり、神との関係において問題となったものである。同様に、ヤスパースの〈実存〉も最終的には神へとたどり着くべきものとされた。しかしながら、これに対して、ハイデッガーやサルトルの〈実存〉は、時間との関係、社会との関係において、自己から超越し、自己にかかわろうとするものであり、そこに、神は問題とならない。
 なお、「実存」という訳語は、その哲学的概念内容を詳細に検討されることなく、ただ「人間の現実存在」の略語として安易にでちあげられたものであり、誤訳拙訳の多い哲学用語の中でも最低のものである。いずれにしても、およそ原語のニュアンスを正しく伝えるものではなく、早急になんらかの改訳が望まれる。

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