大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- A ディルタイ

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ディルタイ(Wilhelm Dilthey 1833-1911)
 ドイツ中部の牧師の家庭に生まれ、ハイデルベルク大学、ベルリン大学で哲学を学び、バーゼル大学他、の教授を経て、ベルリン大学教授になる。彼の中心的関心は、精神科学を実証的に確立することであり、このために、自然科学とは異なる精神科学独特の方法を構想した。すなわち、自然科学が対象を説明しようとするのに対して、《精神科学》は対象を了解(理解、納得)しなければならないとした。また、この精神科学に関しても、ヘーゲル的な主知主義(理性主義)的形而上学に反対し、具体的な生活上の体験に基礎を置く《生の哲学》を主張した。そして、歴史的文化は生活体験の客観化されたものであると考え、これを分析することによって、その根底にある精神の生活体験を探り出す《解釈学》という方法を用いた。そして、彼は《精神科学》という分野の確立、《生の哲学》という主義の確立、《解釈学》という方法の確立によって、後世にも大きな影響を及ぼしたのである。

【説明 erkla゙ren/了解 verstehen】
 (『精神諸科学序説』)
 科学は《自然科学》のにならず、《精神科学》という領域がある。《精神科学》とは、歴史的、社会的現実を対象とする諸科学全体のことである。
 しかしながら、この《精神科学》の領域は同じ科学とはいえ、《自然科学》とは大きく異なっている。すなわち、《自然科学》においては、その研究対象は仮説や実験から推理される間接的なものにすぎず、これらを構成して説明しようとするが、《精神科学》においては、その対象はすでに直接的に知られているのであり、これらを意識的に了解しなおすことが問題なのである。しかし、それらは歴史や社会という複雑な全体の中で働いているものであり、それぞれがまた複雑な統一体であって、他のどれとも異なる、という性質を持つ。それゆえ、ここにおいては、勝手な仮説から全連関を導出してでっちあける形而上学であってはならず、ただその対象の個性と全体との連関をそのままに記述することこそが必要なのである。

【生連関(生活連関) Lebenzusammenhang】
 (『歴史的世界の構造』)
 〈生 leben〉は、自然認識のように因果連関に説明されるべきものではなく、生それ自身の側から全体的に了解されなければならない。この了解されるべき〈生連関〉は、単なる総和ではなく、意味や価値を媒介とする全体的な作用連関であり、知覚や行動の交渉という共時的な〈構造連関〉と、価値を目的とする通時的な〈発展連関〉があり、さらに両者は慣習の総体としての〈既得連関〉に総合されており、これらは分析的心理学によって了解的に記述される。
 その際、生の把握形式は、〈生のカテゴリー〉、すなわち、構造、連関、意義、価値、目的、発展、時間性などであり、とくに、〈意義〉は、生の諸部分がその全体に対して持つ関係として、他の諸カテゴリーを包摂する第一のものである。そして、このような了解は、その客観化された客観的精神、すなわち、文化体系の歴史を手がかりする解釈によって行われる。しかし、この解釈ということもまたひとつの〈生〉であるがゆえに、歴史においては、〈生〉は、生活として内的に〈体験〉され、文化体系として外的に〈表現〉され、追体験として解釈されることによって〈了解〉されるという循環的な連関を持つ。

【生の哲学】
 ヘーゲル的な主知主義(理性主義)的形而上学に反対し、具体的な生活上の体験に基礎を置く立場の哲学。これは、さらに大きく、直観主義的方法のものと記述主義的方法のものに分けられる。
 前者の直観主義的方法をとる代表的哲学者には、ショーペンハウアー、ニーチェ、ベルクソンらがいる。ショペンハウアーは観念的表象に対して、物自体を、世界を滅ぼしても自分だけは生きようとする、ただ生きるために生きようとする〈盲目的意志〉と考えた。彼においては、この意志は否定すべきものとされたが、これをニーチェは肯定的に賛美し、自分のために他のすべてへと支配を拡張しようとする〈権力意志〉を主張した。また、ベルクソンは、物質からエネルギーを奪い、物質に逆らって飛躍する生命全体の〈創造的進化〉を論じた。
 後者の記述主義的方法をとる代表的哲学者には、ディルタイ、ジンメルらがいる。ディルタイは、歴史的文化は生活体験の客観化されたものであると考え、この分析的記述によって、その根底にある〈生活連関〉を明らかにしようとした。また、ジンメルは、内容と形式という関点から、〈より以上の生〉へ、〈生より以上のもの〉へという二重の超越をもつ生と、その客体的に固定された文化、制度、社会との連関を問題にした。

【解釈学 Hermeneutik】
 (『解釈学の成立』他)
 これは、本来、古代ギリシア来の《文献学》上の方法であったが、ディルタイによって洗練され、《哲学》上の方法へと展開された。すなわち、《自然科学》の場合とは違って、《精神科学》においては、その対象はすでに直接的に知られているのであり、これらを意識的に了解しなおすことが問題である。つまり、すでに〈体験〉されている事柄を、その客観化された〈表現〉を分析することによって、〈了解(理解)〉にもちこむ。しかし、ときには、その〈表現〉が自分とは異なる生活連関の中にあって、了解し難いということもある。この場合、まず、自分が体験として持つ生活連関を媒介に、その自分とは異なる生活連関全体へと〈自己移入〉し、その自分とは異なる生活連関全体を諸表現から〈追構成〉し、その上で、問題の体験を〈追体験〉する、という手続きをとる。
 ハイデッガーにおいては、《現象学》《現立主義(実存主義)》との関連において、それは単に方法とし手ではなく、〈解釈学的循環〉が時間とかかわる人間の存在の基本的な構造として内容的に取上げられた。すなわち、〈是在(現存在、人間)〉にとって、さまざまな物が、それぞれ、そのようなものである(そのようなものとして現象してくる)のは、〈是在〉自身が〈何をしたいか〉に基づいてその対象に〈付慮〉する先行的な〈了解内容〉があるからであり、この循環は、〈是在〉が現立論的に自分自身の存在へと係わりゆくという時間的構造を持つことによるのであって、我々のすべきは、この循環を排することではなく、この循環に正しく入り込むことである、とされた。
 現代のガダマーらにおいては、さらに《記号論》的側面が着目され、語られずに明らかになったもの(たとえば、答えるべき内容)、語られて隠されたもの(たとえば、嘘に対する真実)、語られたものの一回性と普遍性(文脈性と文法性)等が問題とされる。

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