大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- A F.ベイコン


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F.ベイコン(Francis Bacon 1561-1626)
 イギリスの名門に生まれ、大法官、男爵にまでなったが、収賄汚職を追及されて公職を辞し、晩年をもっぱら研究と著作に費やした。彼は、スコラ的教義に対する全知識の改革を目指して『大革新』という大著を計画し、また、それらが実現され、実用化された後のユートピアを『ニュー・アトランティス』に記した。これらにおいて、彼は、国の中での囲い込みによる支配拡張よりも、また、人類の中での植民地化による支配拡張よりも、自然の中での科学技術による支配拡張こそが重要であると提唱した。つまり、有限のパイの取り分を奪い合うのではなく、パイそのものを大きくしようというのである。彼は、有限の財の奪い合いを調整するだけの単なる政治家だったのではなく、まさしく、人類の新たな時代の方向を切り開こうとする哲学者だったのである。
 ただし、彼は、当時の画期的な自然科学の諸発見(コペルニクス、ケプラー、ハーヴィー、ギルバートらによる)には無知であったし、また、彼の著作にはしばしば中世的自然観がつきまとっている。だが、彼の業績はそのような個別的発見の知識にではなく、‘征服され、搾取されるべき自然’という彼の打出した近代独特の世界観にこそ意義があるのだ。
 この自然からの搾取の発想は、地球規模の植民地の奪い合いという2つの世界大戦を経た二十世紀になってようやく理解されて過激なまでに浸透し、人間自身の生存が危ぶまれるほどひどい公害や自然破壊、資源枯渇の諸問題を生み出すまで至った。そこで、さらに今日では、人間程度の浅はかな者がこのような大自然を支配しきれるのか、中途半端に自然を操作するよりも、むしろ、自然はすべて自然にまかせておいた方がより効果的ではないのか、などの反論が生じつつあるところだろう。


【『大革新 Instauratio Maguna』1620】
 スコラ学にとってかわる、正しい基礎に基づいた、知識と技術とすべての人間の知識の全体的革新をめざして構想されたF・ベーコンの体系的著作の総称。これは、
  1 学問の分類
  2 新機関(ノヴム・オルガヌム)
  3 宇宙の諸現象
  4 知性の階段
  5 第二哲学(行為学)予論
  6 第二哲学
  の6部門を持つものとして計画されたが未完であり、実際に著されたのは、1に相当する『学問の進歩』と2の『新機関』だけであった。

【『新機関(ノヴム・オルガヌム)1620』】
 『オルガノン』とは、機関という意味のギリシア語であり、学問的には、研究の道具となるもの、すなわち、論理学のことを指す。そして、とくに哲学ではアリストテレスの論理学関係の著作6冊の総称である。F.ベーコンは、このアリストテレスの論理学体系にかわる新たな学問研究の道具たるべき論理をこの著にあらわそうとしたのである。その特徴は、一言で言えば、アリストテレスの論理学体系が形式的で空虚な《演繹法》に終始していたのに対して、F.ベーコンは、現実の観察・実験から集めた事実に基づく《帰納法》を重視したことにある。

【3つの野心】
 (『ノヴム・オルガヌム』)
 人間の野心には、3つのものがある。
 第1は、自己の祖国の中で自己の力を伸張しようとするものであり、通俗的で堕落している。
 第2は、祖国の勢力と支配とを人類の間に伸張しようとするものであり、第1のものより品格はあるが、しかし第一のものと同じく欲望に動かされている。
 第3は、人類そのものの持つ全自然世界への力と支配とを革新し、伸張しようとするものであり、他のより健全でより高貴である。
 ところで、人間の事物への支配は、ただ知識と技術のうちにある。自然はこれに従ってこそ命令されうるからである。それゆえ、第3の野心は有効な技術と知識を求める。知こそが人間の持つ全自然世界への力なのである。

【「知は力なり scientia est potentia」】
 (『ノヴム・オルガヌム』)
 既成の学問、特にスコラの知識は誤謬ばかりで、少しも役にたたないが、実験と帰納法という正しい方法によって得られる真の知識は、自然を支配し、人類に福利をもたらす力となるものである、とする近世知識観のテーゼ。

【「自然は服従によって征服される Natura parendo vicitur」】
 (『ノヴム・オルガヌム』)
 人間が自然を征服しようとしても、自然は自然法則にしか従わない。つまり、これを征服するには、、人間の権威や思いつきをもってしてはいかんともしがたいのであり、まず人間が自然に服従して、自然法則を引きだし、これを逆手にとって利用してこそ、自然はこの自然法則に従うがゆえに、人間に従うこととなるのである。それゆえ、自然を支配するには、まず自然に服従する、じみちな観察や実験が不可欠なのである。

【イドラ idola】
 (『ノヴム・オルガヌム』)
 人間の精神に深く根をおろし、正しい知識の獲得を妨げる幻影。これには4種類ある。すなわち、
 〈種族のイドラ idola tribus 〉
   =人間という種族に根ざした感覚の錯覚、擬人視、感情の影響などによる虚妄
 〈洞窟のイドラ idola specus 〉
   =プラトンの〈洞窟の比喩〉のように、個人の性格や関心、習慣、偶然などから生じる視野の狭さによる虚妄
 〈市場のイドラ idola fori 〉
   =交流おける言語の言葉を実在的なものとすることによって生じる虚妄
 〈劇場のイドラ idola theatri〉
   =舞台の手品のようにいかがわしい論証の権威にたよることによって生じる虚妄
   の4つである。これらを避けるには、「光をもたらす実験」を重視し、真の帰納法によって、一歩一歩、普遍に近づいていくべきである。

【蜘蛛/蟻/蜜蜂】
 (『ノヴム・オルガヌム』)
 スコラのような知性派は、〈蜘蛛〉のようにひたすら自分の内から糸を出して網を作っている。また、練金術のような経験派は、〈蟻〉のようにひたすらものを集めて使うだけである。しかし、〈蜜蜂〉が庭や野の花から材料を吸い集め、さらにこれを自分の力で変形し消化して蜜を作り出すように、知性と経験とは正しく結びつけられなければならない。この、経験からさまざまな事実を集めて、知性で消化し知識を作り出す方法こそが《帰納法》である。

【現存表 tabula praesentiae
 不存表 tabula absentiae
 程度比較表 tabula gradum sive comparativae】
 (『ノヴム・オルガヌム』)
 正しい《帰納法》のために必要な手続き。
 まず、問題の性質を持つということでは共通の事例を集める。このような事例は、〈肯定的事例〉と呼ばれ、これを列挙したものが〈現存表〉である。
 つぎに、肯定的事例に似ていながら問題の性質をもたない事例を集める。このような事例は、〈否定的事例〉と呼ばれ、これを列挙したものが〈不存表〉である。
 さらに、問題の性質がさまざまな程度で存在する事例を集める。このような事例は、〈比較的事例〉と呼ばれ、これを列挙したものが〈程度比較表〉である。
 この後、単純枚挙による誤った《帰納法》ではなく、真の帰納法として、問題の性質と矛盾する性質をこの3つの表に基づいて除外していくという《否定的方法》が採られ、このようにして残ったものから、真に正しく限定された〈肯定的形相〉が得られる。ただし、このようにして得られたものは、暫定的な最初の知識の収穫にすぎず、より正しい知識を得るためには、これをさらにいろいろと組合せて繰り返していく必要があるのだ。

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