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ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche 1844-1900)
中部ドイツの田舎町の代々、牧師の家庭に生まれるが、父は彼が5才の時に若くして亡くなり、一家はある都市に引っ越す。そして、十四才になると、修道的寮生活をする公立学校に入学し、古典、文学、哲学、音楽、宗教など、多方面に病的なまでに関心を持った。また、このころから、頭痛が彼をしばしば襲うようになる。その後、ボン大学に入学し、神学や哲学、古典学を学ぶが、古典学に関してはその精緻で徹底した原文解釈(テキストクリティーク)で非凡の才を示し、在学中の24才にしてバーゼル大学の教授に抜擢されるに至った。しかし、たまたま読んだショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』に決定的な感銘を受け、また、同じくショーペンハウアーのファンであったバーゼル近郊に住む作曲家ワグナーを訪れ、意気投合して彼は熱烈なワグナー支持者となる。そして、それまでの禁欲的な文献学のあり方を嫌って、ロマン主義の熱情の波の中に飛込んでいくのである(もっとも彼自身は底の浅いロマン主義を軽蔑していた)。そして、この転換の宣言とも言うべき『悲劇の誕生』(1872)がやがて書かれることになる。しかし、この書は、ワグナー支持者の間ではともかく、文献学者の間では最低の評価を受け、彼の授業に出席する学生も皆無となり、彼はもはや学界から破門されたも同然だった。
ワグナーとの親交と学界からの無視という状況の中で彼は独自の思想をつかみ、それを深めていった(『反時代的考察』)。だが、ここにおいて、信心のかけらもない大仰なだけのキリスト教劇『パルジファル』作曲に没頭するワグナーもまた、彼にとっては単なるイカサマ師のひとりにしか見えなくなっていった。そして、両者の友情は幻滅のうちに破綻することとなる(1876)。彼はさらに孤独の内にこもり、虚無主義を基調として、文化、道徳、宗教など一切の権威を箴言(アフォリズム)的な文章で冷徹に分析し、批判し、相対化していった。しかし、同時に頭痛その他の病気も悪化し、正式に大学を退くことになった。また、ワグナーとの仲も雑誌でののしりあうにまで悪化した。
だが、この最悪の状態を経て、彼に突然に回復への転機が訪れる。そして、彼はなにもかもすべて徹底的に肯定としてとらえる不気味な明るさを獲得する。また、彼は、かねてからの友人パウル・レーと奔放な女性ルー・サロメとの「三位一体」という奇妙な三角関係に陥るが、しかし、これも小賢しい妹の介入によって破綻し、ゴシップ(醜聞)渦巻く中で、彼はいっさいの肉親、友人を失ってしまう。この惨憺たる状況の中でも、彼はむしろ歓喜を体験し、『ツァラトゥストラ』をわずか十日で書き上げるのである。そして、さらに、ツァラトゥストラではなく彼自身で語る原稿を書き始め、数年の間に爆発的な量の著作をしるし、彼は一気に発狂にまでいたってしまう(1988)。それまでほとんど無視されていたにもかかわらず、このころから彼の名声は飛躍的に高まったのだが、彼自身はこのこと知ることもないまま、廃人として一生を終えた。
彼の哲学は、大きく、《ロマン主義》《虚無主義》《肯定主義》の3期に分けることができる。底の浅い見かけ倒しの《ロマン主義》は冷徹な《虚無主義》によって否定つくされるが、この厭世的(ペシミスティック)で弱々しい《虚無主義》もまた、《肯定主義》においては力強く退けられる。また、彼はショペンハウアーの後継者を自認したが、しかし、それを徹底的に否定的に継承したのである。ショーペンハウアーにおいては、達成されざる盲目的な〈生への意志〉の欲望に苦しむことになり、それゆえ、この〈意志〉を滅却すべきであるとされたが、ニーチェは、むしろ逆に、〈権力への意志〉によってこの欲望の達成されざる状況自体をも愛してしまえばよいのだ、と考えたのである。この強靱な一種のひらきなおりは、徹底した《虚無主義》の結果であり、恐れることなくこの苦難へと没落し、それを克服していく〈超人〉こそ理想的な人間のあり方として主張されるのである。
このようなニーチェの思想は、いわゆる哲学書とは異なって、断片的箴言、疑似神話の形で語られ、明確な絶対的権威を見失った「神の死」「ヨーロッパの危機」「世紀末」という時代において、哲学(とくに現立(実存)哲学)から文学、芸術、宗教、社会、政治にまで、その後大きな影響を及ぼした。とくに、第2次世界大戦期のナチス・ドイツはこのニーチェを思想的支柱としていたとされ、このことをもってニーチェは暴力的思想であると言われる。これに対して、ナチス・ドイツはニーチェをまったく歪曲したのだ、という言逃れもある。だが、やはり確かに、第一次大戦後、戦勝国側の独善的な要求を力づくで承認させられたドイツに、さらに世界恐慌が襲いかかり、まったく絶望的となった状況において、突然に民族のひらきなおりとも言うべき強硬策への政治的転換を生じさせしめた点に関しては、ニーチェ的なあり方を体現していると言えるのではないだろうか。もちろん、ニーチェ思想は、根本的には、ペシミズム(厭世主義)から、ここまで落ちればもはや恐いものなどない、という力強いニヒリズム(虚無主義)へという内面的な決意の転換の問題であるが、しかしまた、そこには同時に、より積極的に、偽善的奴隷道徳を侮蔑して自己の判断のもとに大胆に行動するピカレスク・ロマン(悪漢小説)性が伴っているのであり、現代という時代にこびへつらって、ニーチェからこの悪の匂いを消し去って去勢しようとすることこそ、反ニーチェ的な歪曲であると思われる。
【アポロン的 apollonisch / ディオニソス的 dionysisch】
(『悲劇の誕生』など)
〈アポロン〉や〈ディオニソス〉はギリシア神話の神々で、前者は[光の神]、後者は[酒の神]である。
これをふまえて、ニーチェは、芸術を可能ならしめる根本衝動を、[造形的で静観的、調和的なもの]と、[音楽的で、激情的、破壊的なもの]に分けた。前者は〈アポロン的〉であり、[仮象の世界に夢見て、生存の苦悩を克服しようとするもの]であるが、後者は〈ディオニソス的〉であり、[陶酔の世界に自己忘却し、生存の根底の永遠の一者と一体化しようとするもの]である。ギリシア悲劇のすぐれた芸術性はこの両衝動の対立と奇蹟的結合によって産み出されていた。しかし、〈ディオニソス的なもの〉対〈ソクラテス的なもの〉の新たな対立がこの調和を破壊した。〈ソクラテス的なもの〉とは、[[美のためには理知的でなければならない]とする理論的で、楽観的、批判的態度]である。
全体的生命を肯定するディオニソスの態度は、ニーチェの終生のモティーフであった。宗教的人間の典型としては、〈ディオニソス〉は〈十字架にかけられし者〉と対比される。後者は[人生を呪い、そこから救い出されるよう指示する否定的な神]であるが、前者は[永遠に再生する生命を約束し、このうえもなく苦い悩みをも肯定するよう促す神]なのである。
【神の死】
(『知識』等)
ニーチェはある狂人の話として〈神の死〉を告げ知らせる。すなわち、ある狂人が市場に走り込んできて、神が死んだことを、それも我々が神を殺してしまったことを叫ぶ。しかし、聴衆は理解せず、いぶかしげに眺めているだけだったので、彼は、自分は早く来すぎた、それが見聞きされるまでには時間がかかるが、しかし、人間はこの所業をすでにやらかしてしまったのだ、と訴える。
これは、彼岸に「真」なる世界を設定するプラトン・キリスト教的価値観の崩壊を意味し、父なる神の審判も救済も否定し去られ、そして、その信仰に依存してきたヨーロッパ的なものすべても倒壊する。しかし、それはまた、新たな曙光でもある。絶対的なものが無みされたいまこそ、神の死後も残る神の影を払いのけ、あるがままの無意味なものが永遠に回帰する開放された海への冒険へと越え出て行く人間の時代でもあるのである。
【遠近法主義 Perspektivismus】
(『権力』)
世界は自分の背後に意味を持ってはおらず、むしろ無数の意味を持っている。つまり、実証主義者が信じるような事実など存在せず、ただ解釈のみが存在する。真理とは、それなしにはその種の生物が生きることができない一種の誤謬にすぎない。このような世界を解釈する働きをなすのは、一種の支配欲、すなわち、〈権力への意志〉であり、我々の価値、すなわち、権力の度合や差異を事物の中に解釈し込む。意志は、解釈の規範として、このような権力の度合や差異という遠近法を自らに持っているのである。
【権力への意志 Wille zum Macht】
(『ツァラトストラ』『権力』)
すべての存在者を思考しうるものにしようとする意志。それは、認識が、存在者を把握することで、存在者の主人となって支配し、自分に役立てようとする自己保存の有用性という動機に基づいているからである。生あるものすべてに主人となろうとする。それゆえ、認識においては、我々の価値の遠近法に従って、権力の度合や差異を事物の中に解釈し込むのである。
しかし、命令は服従よりも困難であり、主人となって命じるには、服従者の重荷すべてを負わなければならないのみならず、自分自身をも賭け、さらに命令の償いとして裁き、復讐し、犠牲にならなければならない。つまり、力のためには、没落しなければならない。それでも、我々は、ただ生きながらえることをではなく、このように自己を超克する力こそを意志すべきである。それは、すべての苦難を転回する必然性の意志なのであり、また、世界そのものもこの〈権力への意志〉にほかならないのである。
【超人 U゙bermensch / おしまいの人 der Letzte Mensch】
(『ツァラトストラ』)
〈超人〉とは、人間を超克する者である。それは、大地に忠実な者であり、彼岸の世界を説いて生命を軽蔑する「善い者たち」には耳を貸さず、幸福にも理性にも徳にも正義にも同情にも大いなる軽蔑を投げかける。それは、行いより先に黄金の言葉を投げつけ、自分が約束した以上をいつも果す者であり、将来の人々を正当化し、過去の人々を救済する者である。そして、彼はこのように命じる権力を獲得するために自分自身を賭け、没落を意志する。彼は創造する者であり、既成の価値の破壊者である。それゆえ、人々からは、悪魔と恐れられる。
人間は、動物と〈超人〉との間に張り渡された綱であり、進むも退くも立止まるも危うい。しかし、人間は、目的ではなく、越え出るべき者、そして没落すべき者であるがゆえに偉大で愛されるべきものなのである。
ところが、〈おしまいの人〉は自分自身を軽蔑することすらできず、幸福を発明したと言ってまばたきし、なれあいと中流に甘んじ、ひたすら健康を気づかって、慰みがわりにささいなことをするだけである。彼らは、力よりも生に執着する者であり、蚤のように根絶し難く長生きをするのである。
【運命愛 amor fa~ti~】
(『この人』など中期以降)
なにごとであれ、現にそれがあるのとは別様であってほしいなどとは決して思わないこと、つまり、やむをえざる必然的なものをただ単に耐え忍ぶだけでなく、さらに愛すること、すなわち、その否定されてきた忌まわしい由来から引上げ、自分自身にまで高め、望ましいとすること。それは、あるがままの世界を差引いたり、除外したり、選択したりせずに、ただ全体のままディオニソス的に肯定を言うことである。つまり、永劫回帰する運命そのものを意志し、それに没落することである。
【永劫回帰 ewige Wiederkunft】
無限の時間の中で有限の力が展開する以上、等しいものが繰り返される。世界は、永遠に戯れる海であり、自己を創造しまた破壊する円環運動を繰り返す。すべては行き、すべては帰り来る。存在の車輪は永遠に廻わる。すべては死に、すべては再び花咲く。存在の年月は永遠に巡るのである。
しかし、このような〈永劫回帰〉の知識は我々の首を締めつけ、すべては同じだ、なにをしても無駄だ、と思うペシミズム(厭世)の病気を引き起こし、知恵の象徴の蛇が喉に噛みついたような吐き気を起こさせる。意志こそが自由をもたらすはずのものであったにもかかわらず、それは過ぎ去ったことには無力であり、「そうであった」を「そう意志した」にすることはできない。つまり、意志そのものは時間の囚人なのである。
しかし、さらに「かつても、今も、今後もそうであったことこそを意志する」ならば、意志は意志を閉じ込める時間と和解するばかりか、自分の運命としてその主人となることができよう。すべてを呑み込み、噛みちぎり、かなたへ吐き捨てるように、この永劫回帰をも意志し、自らの権力に収めてこそ、そして、そのために「これが人生だったのか、よし! それならばもう一度!」とばかりにこの永劫回帰の中へ我と我が身を没落させてこそ、このペシニズムの病気は快癒する。だから、ここにおいては、運命を、もはやあれこれと語るのではなく、苦難を転回する必然性として愛して笑い飛ばし、その全体のままディオニソス的に肯定を歌うべきなのである。
【ルサンチマン (怨恨)ressentiment】
(『道徳の系譜』)
道徳の根底には、生あるものすべてにある〈権力への意志〉があるが、これは創造のための破壊を伴う必要がある。弱者はこの力の不足のゆえに主人となれないために内的創造へと向かい、強者の優良と劣悪とからなる〈君主道徳 Herrenmoral〉に対して、道徳的価値概念を作り換えて、[弱者こそ正しい]という、徳善と罪悪とからなる〈奴隷道徳 Sklavenmoral〉を成立させるが、しかし、それは、弱者の強者・現実に対する〈怨恨〉にすぎないのである。
【虚無主義(ニヒリズム) nihilism】
さまざまな意味で、〈虚無(ニヒル)〉を主張する立場。
当初は、政治的社会主義運動において、権威や価値、秩序を否定的に冷笑する立場をさし、具体的には《アナーキズム(反アルケー(集権)主義)》としての集権的政府の否定を意味するが、場合によっては、政党による自分たちのまともな政治運動すらも否定して、任意の組織(組合)によって直接行動に訴えるべきであるとする《アナルコ・サンディカリズム(反集権・組合主義)》へと徹底され、さらには、暗殺や暴行などのよりゲリラ的な破壊的行動に訴える《テロリズム(恐怖主義)》とつながっていく。そして、このような傾向は、近代化のための改革が難航していた十九世紀後半のロシア知識層でとくに顕著であった。
このような否定的態度は内面にも向けられ、現実にも理想にも幻滅し、生きる意味を見失ってただ惰性で暮らす憂鬱で無気力な気分がヨーロッパの世紀末をいろどった。この「ヨーロッパの危機」とよあれる状況に対して、ニーチェは自らもこの気分を体験しつつ、これを哲学的問題として取上げ、大きな転換をほどこしてこれを克服するのである。
すなわち、現実に幻滅した人々は怨恨から理想にすがってペシミズム(厭世感)=《弱きニヒリズム》を抱き、偽善に満ちた奴隷道徳を社会に押しつけるが、これこそ文化を退廃させ、神を殺す仕業なのであり、もはやすがるべき理想もすりきれて「神の死」に至り、時代は、現実にも理想にも幻滅してしまっている。だが、理想をでっちあげるこのプラトン・キリスト教的価値観こそ、そもそも《強きニヒリズム》によってむしろ否定されるべきものなのである。つまり、《ニヒリズム》とは、最高の価値が価値たることを失うことである。目標が欠けており、「何のために」という問いに対する答えが欠けていることである。それどころか、むしろその答え以前に、「何のために」という問いそのものが否定されるべきなのであり、ここではもはや[現実以外に何もない]のだ。そして、この現実への力強きひらきなおりにおいては、人間それぞれが自分自身で決断し、行動していかなければならないのである。
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oSAUPb Very informative blog post. Will read on...