---------------------------------------------------------------------------- A 懐疑派
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懐疑派とは、物事の判断に根拠があることを否定し、判断を下さないままにすることで、知の柔軟性をたもち、心の平静を得ようとした一派であり、ピュロンに始まり、その弟子ティモンでとだえた。彼らを《古懐疑派》と言う。
しかし、ティモンのころ、やや衰えかかっていたアカデメイア派がこの懐疑的傾向をみずからのうちに取込み、隆盛を続けていた「独断的」なエピクロス派やストア派に対抗する手段とした。この前3・2Cの同派を《中アカデメイア派》と言う。しかし、それでもエピクロス派・ストア派の勢いは押えがたくアカデメイア派の中にまで入り込み、1Cには、ストア的傾向などを持つ折衷主義の新アカデメイア派へとかわっていく。
一方、1C後半には、ふたたび古懐疑派の後継者を自任する哲学者たちが登場してくる。彼らは派はなさず、ただ《新懐疑論者》と呼ばれる。彼らは懐疑の主張すらも退け、すべてを未決定のままに、ただ慣習と感覚と欲求に従うべきである、と考えた。
a) 古懐疑派
ピュロン (Pyrrhon BCc360-275)
ギリシア出身。アレキサンドロス大王の東方遠征に従ってインドまで行き、後には郷里に戻る。彼には弟子ティモンがいたが、学派をなしたわけではなく、その後、しばらく彼の哲学は忘れられていた。また、彼には著作もなく、彼の教説は弟子ティモンを通じてしかわからない。もっとも、彼はいっさいの判断を下すことをひかえたのであり、そして、そのことこそアタラクシア(平静)を得るための彼の哲学にほかならない。そして、彼はこの実践によって神のごとき静けさと敬愛された。しかし、彼は、哲学の根本である知る努力までも放棄したのではなく、ただ独断への固執を退けただけであって、むしろ、探究者と呼ばれるほど、熱心に知を求め続けたのである。
ティモン (Timon BCc320-230)
ギリシア出身。ピュロンの弟子。小ソクラテス派のひとつであるメガラ派の影響も受けている。文学的才能も持ち、『嘲笑詩』で伝統的な作家・哲学者たちをなじった。ピュロンから懐疑主義を受継ぎ、これを展開した。彼は晩年をアテネですごし、そこで死んだが、それとともに懐疑派の教えもとだえた。
【エポケー epoche】
判断休止ということ。
物の概念はノモス(人為)的であるにすぎず、いかなる主張にも同様に根拠のある反論を立てることが可能であり、物自体については我々は何も知らず、知りえない。それゆえ、我々はなにごとも断定的に判断してはならず、ただ、私には○○と思われる、とのみ言うべきである。そして、物の真偽や、事の善悪、我が身の幸不幸を断じて心を煩わせたりせずに、この懐疑的な〈判断中止〉のままに、物事をあるがままにまかせることでこそ、アタラクシア(平静)が得られるのだ。
【ティモンのトリレンマ】
[すべての判断は、独断か、無限後退か、循環論証に基づく]という議論。すなわち、判断というものには、根拠があるか、ないかであるが、ないとすれば、それは独断にすぎず、また、とりあえずあるとしても、その根拠をどこまでもたどっていくならば、やはりどこかで独断になるか、さもなければ、無限後退、もしくは、循環論証にならざるをえない。それゆえ、すべての判断は、根本的には根拠のあるものではないのである。
b) 中アカデメイア派
c) 新懐疑論者
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