大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- B フィヒテ

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フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte 1762-1814)
 フィヒテはドイツの寒村の貧しい麻織職人の家に生まれ、貧困のため家業を手伝って就学もできなかった。しかし、彼が教会の牧師の説教をすべて暗記しているの知ったある男爵の好意によって、教育を受け、大学では神学や法学、言語学、哲学などを学んだが、あいかわらず、つねづね生活はひどく貧窮し、自殺を考えるほどであった。だが、二十代後半において賢明なる夫人を得、また、カントの紹介を得て本も出版できるようになった。そして、この匿名で出版した本がカントの著作と誤解され、そこで、カント自身がフィヒテを紹介し、この一件によって彼はたちまちに名声を獲得した。
 以後、三十代半ばまで、大学でカントの理論理性と実践理性の二元論を克服する独自の哲学を研究、展開するが、「無神論」のかどで告発されて大学を去った。しかし、フランスのナポレオン軍占領下のベルリンにおいて、『ドイツ国民に告ぐ』を公開公演し、敗戦と占領でうちひしがれる同胞に、自民族の文化への自信を与え、誇りと愛国心を喚起した。そして、一八一〇年のベルリン大学創設とともにその初代総長となり、十二年のナポレオンのモスクワ遠征失敗を機にして起こった解放戦争にも志願した。がしかし、これは認められず、かわって夫人が従軍看護婦として活躍した。だが、彼女から彼はチフスに感染し、五十代初めにして死没することになってしまった。
 彼は、カント哲学の残した問題、すなわち、諸〈カテゴリー(純粋悟性概念)〉の分裂、〈感性〉と〈悟性〉の分裂、〈理論理性〉と〈実践理性〉の分裂を統一的解決すべく、哲学を、唯一絶対の理性である〈自我〉の問題としてとらえ、その自己展開の過程においてすべての知識を基礎付けようと考えたのである。つまり、〈絶対我〉は、〈自我〉を、そして〈非我〉を定立し、両者はたがいに制限しあうことによって、〈非我〉に制限された〈自我〉として〈理論我〉が、逆に、〈非我〉を限定する〈自我〉として〈実践我〉が定立され、また、この展開の過程において諸カテゴリーが提示されてくる。そして、このような〈自我〉による〈非我〉の定立とその克服は無限に繰り返し続けられ、このことによって〈非我〉なる〈存在〉と〈自我〉なる〈思惟〉は統一され、〈知識〉として基礎付けられるのである。しかし、このような哲学は主観的なものにすぎないとして、シェリンクの批判をあびることになる。

【事行 Tathandlung】
 (『全知識学の基礎』)
 フィヒテの《知識学》において表現されている〈自我〉の根源的活動。すなわち、その第一原則において「自我は根源的に端的に自己自身の存在を定立する」といわれるように、〈自我〉とは、自己存在定立の働きそのものであり、したがって、〈自我〉においては〈定立〉という活動と、〈存在〉という結果は同一のことなのである。そして、彼は、この「我あり」こそが一切の根拠となる、徹底した主観主義的体系を築き上げ、《ドイツ観念論》の第一段階となった。
 すなわち、まず、この《絶対我》は〈自我〉を定立する。この第1原則「自我は根源的に端的に自己自身の存在を定立する」は、同一命題であり、ここに〈実在性〉のカテゴリーが成立する。
 つぎに、《絶対我》はこの〈自我〉を定立することを通じて、〈非我〉をも定立する。そして、この第2原則「自我に対して端的に非我が反定立される」は、反対命題であり、〈否定性〉のカテゴリーが成立する。
 ここにおいて、この〈自我〉と〈非我〉とは同じ《絶対我》の中に定立されたものであり、《絶対我》にとって可分的なものである。それゆえ、この第3命題「自我は、自我の中に、可分的自我に対して可分的非我を反定立する」は根拠命題であり、〈制限性〉のカテゴリーが成立する。
 さらにまた、第3原則から導かれた命題「自我は自己自身を非我によって制限されたとして定立する」によって〈理論我〉が、また、「自我は非我を限定するとして自我を限定する」によって〈実践我〉が基礎付けられる。
 このように、〈自我〉は〈非我〉の定立とその克服を無限に繰り返し続けるのであり、この〈努力〉こそ、〈存在〉と〈思考〉の統一された真の絶対者の〈知識〉にほかならない。つまり、すべての知識がこれに基づき、これなしではそもそもおよそ知識というものが不可能なのである。

【知識学】
 (『1804年の知識学』序論など)
 フイヒテの哲学観を表す言葉。すなわち、フィヒテにとって《哲学》とは、知識を精神の諸定立の過程に位置付けることを意味した。つまり、絶対的自我は、自我と非我との交互規定を介して、非我を克服しつつ展開するのであり、この過程において、すべての可能的対象についての知識の形式が基礎付けられるのである。
 というのも、《哲学》とは真理、すなわち絶対者の叙述だからである。だが、カント以前は、この絶対者を〈存在〉と考えたが、〈存在〉はいまだ〈思惟〉と対立するものである以上、真の絶対者ではありえない。それゆえ、むしろ〈存在〉と〈思惟〉の統一、すなわち、〈知識〉こそ真の絶対者というべきものなのであり、このことをはじめてとらえたのがカントなのである。
 しかし、カントも、感性界と道徳界とが分裂し、また、絶対者はこれらの共通属性でしかない。これでは事実的明証にすぎない。これに対して、真の哲学である《知識学》は、この絶対者を〈存在〉と〈思惟〉の統一において、すべてから独立なものとしてとらえるのであり、その発生的明証を示すのである。

【ドイツ観念論】
 フィヒテ、シェリンク、ヘーゲルの三人、もしくは、彼らに先立つカントを含む四人の哲学の総称。
 もともとドイツにおいては、エックハルトに代表される近世初期の《ドイツ神秘主義》、ライプニッツに代表される近世中期の《大陸合理論》と、経験に依存しないアプリオリ主義的な傾向を持っていた。しかし、近世末期のカントに至って、経験主義的なアポステリオリな知の問題、そして、そのような理論理性に対する実践理性の問題が考察されるに至って、理論理性と実践理性とを統合しつつ、
そのアポステリオリな生成のダイナミズムを説明する必要が生じてきたのである。
 最初にカントの問題設定を引継いだフィヒテは、唯一の理性である〈絶対我〉を立て、この〈絶対我〉は、〈自我〉を、そして〈非我〉を定立し、〈自我〉によるこのような〈非我〉定立とその克服は無限に繰り返し続けられ、このことによって〈非我〉なる〈存在〉と〈自我〉なる〈思惟〉は統一され、〈知識〉として基礎付けられる、とした。
 だが、このような哲学は主観的なものにすぎないとして、シェリンクは、客観な自然の根底にあって、自己を産出するものを考え、これが分極化し、勢位を高めていくことで、主観としての自覚を獲得するという体系を構築した。そして、フィヒテのような主観的観念論は、自我がすべてである、とするが、客観的観念論の立場に立つ自分は、すべてが自我である、と主張するのである、と述べ、主観と客観との同一を論じた。
 しかし、このような客観主義の立場も「すべての牛も黒くなる闇夜」として、ヘーゲルは嘲笑した。
そして、彼にとって真なるものは、フィヒテの〈精神〉やシェリンクの〈自然〉のように、すべてであるような、たんなる普遍的実体なのではなく、もっと多元的な主体なのであり、この多元的な諸主体の闘争と統合をつうじて、より高次の主体へと発展し、この次元において、ふたたび新たな闘争と統合が繰り返され、さらなる高次へと展開していくとされる。
 もともと、カント哲学の体系における〈主観〉は、理論分野においても実践分野においても主観一般に論理的に妥当する形式のみを論じたものにすぎなかったからよかったのだが、発生的叙述において、そのような形式のみならず、現実の具体的な内容が問題となってくると、〈主観・主体〉の個別性が問題となってきてしまうのである。このために、フィヒテはカント的な〈自我〉一般の問題を論じたつもりであったが、結果としては、シェリングの批判したように、唯一の自我のみが存在するという独我論におちいってしまった。そこで、今度は逆に、シェリングは、客観の方から出発し、自覚する主観を説明しようとしたが、結果としては、やはり個別多様な複数の〈主観主体〉を描き分けることができず、客観と主観とに関して、また、ある主観主体と別の主観主体とに関して、あまりにも無差別な一元論になってしまった。これらに対して、ヘーゲルは、はじめに多元的な主体を想定し、その存立と闘争、統合という3つ組の弁証法的展開によって主観的観念論から客観的観念論への歴史的統一を示し、また、主観的精神と客観的自然の同一性をそれらに通底するこの弁証法的〈論理〉とすることで、存在論と認識論の絶対的統一をも確保し、この点を解決しているのである。そして、フィヒテの《主観的観念論》、シェリング《の客観的観念論》、ヘーゲルの《絶対的観念論》という《ドイツ観念論》の発展そのものがヘーゲル的弁証法で説明されるのである。
 しかし、かくしてヘーゲルによって完成されたとされる《ドイツ観念論》も、体系的には壮大豪麗ながら、あまりにも形而上学的であり、現実性を欠いたまったくの空理空論として、その後、悪しき無用の哲学の典型例とされるところとなった。だが、このメガロマニア(誇大妄想)的な虚構体系の発展、展開そのものはともかくとしても、これらの著作は、このような偉大なる知的遊戯において体系の副産物としてとりあえずむりやりでっちあげられた精密な独創的概念装置の宝庫であり、その中から現実にも当てはまりそうな部品だけをはずして持ってくることによって、しばしばその後のより現実的なまともな哲学おいても大きな示唆を与えている。

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