---------------------------------------------------------------------------- B 普遍論争
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ロスケリヌス(Roscelinus c1050-1120)
コンピエーニュに生れ、
アベラール(Pierre Abelard 1079-1142)
【ものの前なる普遍 universale ante rem
/ものの内なる普遍 universale in re
/ものの後なる普遍 universale post rem】
〈ものの前なる普遍〉とは、プラトンのイデアのように外界に実在する個物から離存する個物の原型としての普遍的原理であり、〈ものの内なる普遍〉とは、アリストテレスの形相のように個物を構成する本質としての内在的原理であり、〈ものの後なる普遍〉とは、人間知性によって個物から抽象された普遍的概念のことである。
【実在論 realism / 唯名論 nominalism】
前者は、なんらかの意味で普遍の実在を認める立場、後者は、まったく普遍の実在は認めない立場である。初期スコラの極端な実在論は、ソクラテスも人間であるかぎりにおいては種として実在する、というように種や類のそのままの実在を主張するが、トマスやスコトゥスのような穏和な実在論は、[普遍は人間知性に抽象された概念として実在にすぎない]としつつも、概念というものは本質という個物の普遍的内在原理を、さらには、神の普遍的創造原型を前提しているという意味で概念に超越的な普遍の実在を認めている。また、初期スコラのアベラールのような穏和な唯名論は、ただ、普遍は、[ものとしてはそのままには実在しないが、ものや概念を表示することばとして、また、ものに発出する前の神の内なることばとしてならばある]とするのに対して、後期スコラのオッカムのような極端な唯名論は、[神はまさに個物それぞれを個別的に創造したのであって、普遍は人間知性による概念の他にはまったく実在しない]とする。
【概念論 conceptualism】
アベラール
[普遍はものや概念を表示する言葉において実在する]とする、《実在論》と《唯名論》との中間的立場。しかし、これは、[普遍がそのままのものとして実在する/しない]という極端な《実在論》/《唯名論》に対して、中後期においては、トマスやスコトゥスなどの《実在論》、オッカムなどの《唯名論》のいずれにも前提として認められるところであって、ここにおいて問題の焦点は、[そのような概念の根拠となる概念に超越する〈普遍〉がなんらかの意味で実在するか、まったく実在しないか]に移っていったと言える。
【音声の風 flatus vocis】
ロスケリヌス
[〈普遍〉は、音声の風、すなわち、単なる言葉にすぎない]とする極端な《唯名論》の立場を表したもの。《唯名論》には、個物があって後の抽象による普遍の実在も許容するものも少なくないが、彼は、[色や知は実在せず、あるのはただ物体や知者だけであり、さらに、神もまた分離した3実体である]とし、この三神説のために、異端とされた。
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